i:ダンシング・ファムファタル

 ジュディ・アンクはダンスとジャズと幻想小説とガレットが好きだった。

 そして何より[₢se]によって編まれる物語を愛していた。


[₢se]ロゼ――使用者の電子化された人生における全ての語彙と、それに係わった詩歌、曲、絵画、あらゆる広義のメディアを結びつけ出力するテキスト・レンダリング・ジェネレータ。

 2050年初頭。現存するメディアの電子化が完了したことで世界に存在する全ての文字列はサラダ・ボウルのように攪拌される運命をたどり、そしてそれらは独自のアルゴリズムを与えられることで「意味素」を認識するための豊潤な土壌となった。ジュディの祖父ユーハッド・アンクの咲かせたその薔薇ロゼが、どれほど多くの恵みを人類に与えたかを彼女は知らない。

[₢se]がコンテクストの齟齬を消失させることにより人間同士の対話がかつてないほど円滑に進むようになったことも、言語表出が困難な事象――例えば感情やインスピレーションといったものだ――を瞬時に言語化できるようになったことも、それにより人類の教育の底上げされていたことも、すべて。

 彼女にとっては嬰児のころからすでに、当たり前のように傍に息づいていることだった。


 幼年時代は終わり、日々は幸せに過ぎゆく。

 空が笑いたくなるくらいに晴れ、スクールも休みの日には、彼女はカスタマイズした[₢se]をつかい物語をつくることを日課としていた。

 ジュディはするりと窓の外に跳びだす。森へ指すバルコニーには気持ちいい風が抜ける。彼女はピアノの天蓋をあけて、うっとりとした手つきで繻子のカバーを取り去った。

 金髪が、斜光をきこんで。色あせながら輝いている。

「おいで。狼さん」

 ジュディは『カムリ』を仮想感覚に投射する。

 瞬間、幾筋もの光条が彼女の手を基点に走り、純白の狼の優雅な身体を編んだ。

『§:こんにちは、ジュディ』 

 駆け寄ってくるカムリのふかふかな毛並みの手触りも、智慧の光に彩られた蒼い瞳も、全てがジュディには愛おしくてたまらなかった。

 むろんそれは視床下部のインプラント・ネットワークがつくる幻覚にすぎない。

 だが――産前からその拡張感覚を実験的に持たされた存在においてさえも、それは幻だと断ずることができるだろうか。

 例えばジュディのような――「メディアの進化を享受する権利」を盾としてつくられた、バイオ・ネットワークを組み込まれたデザイナーベビーにも。

 とある社会学者は「もはや[₢se]とインプラント・ネットワークは人類の臓器である」との見解を述べた。事実それは一つの真理だった。


「いくよカムリ。準備できてる?」

『§:無論だ。今日は何をうたおうか! この間の〈雨粒の気分〉は中々美味だったぞ。雨と鉄の匂いが気分を鎮めてくれた』

「あんた、あんな感傷ばっかり食べてたらそのうちへんになるわよ」

『§:いいんだ。そうなったらジュディがまた調律してくれるだろう?』

 ジュディが育てたテキスト・ジェネレータ、『カムリ』は既に一つの知性だ。

 使用者の感情を文字情報として敷衍し、それを代謝して自身をアップデートすることも、それを戯画化し仮想空間上にレンダすることも、狼には全て許されていた。

 ジュディ・アンクはそのデータがのちに――彼女の父ハーグ・アンクによって対・冠兵器『セフィラ型』の変異性自我基幹として採用されることを知らない。

 そして自分が「冠」のドローンに頭を飴玉のようにねぶられ死ぬことを知らない。

 その後「冠」により、おなじ「冠」の変異体として――世界の司書として、ケテリック・オムニバスに打ち込まれることを知らない。


 ジュディは、ただ。そのときはまだ。

 詩おうとするカムリに手を伸べたくてたまらないだけだった。



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