終わらない「いいところ」

たなか。

第1話 

 この本を読み終えたら次の新しい本に出会える。私はいつもそんなことを考えながら本を読んでいる。あ、決して読書を楽しんでいないわけではない。よくあるお話の「いいところ」にたどり着くと、歩いて読んでしまうほど集中し、読書を楽しんでいる。それに私は、その「いいところ」にたどり着くのが楽しみで本を読んでいるのかもしれない。「いいところ」は周りの雑音、自分が今どこにいるか、さらに時間の流れすらも忘れさせる時がある。「いいところ」を読んでいるときは相手の話なんてどうでもいいと思えてしまう。そんな本が私は大好きだ。

翌日の朝ももちろん本を読みながら登校する。私はどこかに行く時必ず本を持参する。つまり、本は私の体の一部と言っても過言ではない。


「また本読んでる」途中の駅から乗ってきた友人の楓はそう言って私の隣に腰を下ろした。


楓と出会ったのは今年の春。教室で一人本に没頭してる私に話しかけてくれた数少ない友人の一人だ。

いつも通り授業は気だるく、頭の中はずっと今読んでいる本の内容やこの後どうなるのかなどの推測でいっぱいだった。


「優香帰ろー」背中から楓と菜穂の声がする。


気がつけば、時刻は午後の四時をまわっていた。うっかり寝てしまっていたようだ。帰りは大体この二人と帰る。


「優香はなんでそんなに本が好きなの?」菜穂がそう切り出してきた。


「本を読んでると落ち着くんだよね」菜穂は信じられないといった顔でこちらを見ている。菜穂は小説のような細かい字を読んだり、器用なことが苦手なのだ。


菜穂と楓と別れてから五分ほど経ち、見覚えのある人物とすれ違った。その子は一週間前くらいに転入してきた子だった。しかも学校にはまだ三日しか登校していない不登校というものだった。

彼は茶封筒を持っていて何やら急いだ様子で私の真横を走り去っていた。普段人にあまり興味のない私だが、だんだん彼に興味が湧いてきた。

なぜならあの茶封筒には有名な出版社の名前が記されていたのだ。



 次の日、隣の席を見ると昨日の彼、渚くんが座っていた。ようやく学校に来る気になったのか、出席日数を稼ぎにきたのかはわからない。だけど、これは彼について知る絶好のチャンス。


「渚くんってもしかして作家さんだったりする?」


一応人のプライバシーなので少し声量を下げて聞いてみた。それくらいの配慮なら私にだってできる。

あまりに突然のことだったのか彼は目を大きく見開いて疑いの目を向けてきた。


「どうして知ってるの?」つまり答えはイエス。


「昨日、渚くんが出版社の封筒を持って走っていくの偶然見えたから」


彼は、納得してくれたのか顔を赤くして下を向いていた。やはり誰にも言っておらず、隠していたようだ。


「書いたの私に読ましてくれない?」


彼は大きく顔を横に振り、否定する。それから彼と話してわかったことは、彼は一度新人賞を受賞し、今も小説を書き続けているということ。学校に来ないのは、小説を書くのに夢中になってしまい、気づいたら朝ということが多いからだと言っていた。私は作家さん側の苦労など気にせず、いつも本を読んでいるので改めて作家さんへの感謝の気持ちを膨らませた。



 今日の下校中も本を読んでいた。そしてお待ちかねの「いいところ」がやってきた。一度この領域に足を踏み入れたらもう止まれない。「いいところ」は必ず終わりが来る。なのにこの本にはその終着点が無く、本の最後のページまで続いていた。正直いうと、涙がこぼれ落ちるほどおもろしろかった。


 次の日も彼は学校に来ていた。今は仕事が忙しくないのだろうか。


「君の小説読ましてよ」帰り際、一人だった彼を捕まえてもう一度聞いてみた。結果はわかるけど。


「また今度ね」なぜか彼は否定しなかった。作家の仕事をしていることさえ隠してる彼なのに。


それから彼と本についていろいろなことを話しながら帰路に着いた。彼は私と同じで周りにあまりに興味がなく、本の話になると熱くなるタイプの子だということがわかった。


 私は毎日のように本屋さんに通う。毎日新しい本が出るわけでもないのに足が自然と本屋さんに向いてしまう。最近の若者は本をあまり読まないらしく、うちの学校の生徒はいつもほとんどいない。

だけど、今日は渚くんを発見した。


「何読んでるの?」彼はまた目を大きく見開き、ものすごく驚いた表情を私に見せてみた。


「好きな作家の最新刊」少し恥ずかしそうに彼はぽつりと呟いた。


未だに彼の性格がどんなものかイマイチわからない。時には、普通は恥ずかしいことであるものを否定しなかったり、今のように良くわからないことで顔を赤らせたり。やはり不思議な子だ。


 私は今まで本を読む読者側で書こうなんて一度も思ったことがなかった。だけど、彼の影響かふと書いてみたいと思ってしまった。いざ書こうと思っても中々アイデアが浮かばず、パソコンとにらめっこをしてから二時間が経とうとしている。昨日本屋さんで買った「これを読めば君も小説家!」という見るからに胡散臭い本を開いてみる。

「はぁ」ため息が出てしまうほど良くわからない。それになんと値段は一五〇〇円プラス税。しかし、もう買ってしまったものは仕方ない。渋々私は本を読み進めた。

あの本を開いてから三十分ほど経ったとその瞬間にようやくアイデアが思い浮かんだ。一度話のネタが生まれたのならもうキーボードを打つ私の手は止まらない。本の「いいところ」を読んでいるときのようなものだと私は思った。それに何より楽しくて仕方がなかった。


「優子そろそろ起きないと遅刻するわよー」ドアの向こうから母の声が聞こえる。


そんなわけがないと思っていざ時計を見ると、なんと時間は月曜日の午前八時と示されていた。

「やば」

超高速で支度をして朝ごはんはいらないと母に伝え、ドアを蹴り飛ばす勢いで開けて学校に向かった。渚くんの言う通り小説を書いていると夢中になりすぎて気づいたら朝になってしまった。恐るべし小説。そんなことを思いながら全速力で走っているうちに目の前に校門が見えてきた。キーンコーンカーンコーン。渾身のスライディングでギリギリセーフ。


「どうしたの?ギリギリなんて珍しいね」席に着くと隣の渚くんが話しかけてきた。


彼から話しかけてくるなんて珍しいこともあるものだ。


「実は渚くんに感化されて私も小説書き始めたんだ」


隠す意味もないので正直に話した。でもこんなこと言えるのは渚くんだからであって楓や菜穂に言ったら百パーセント茶化される。


「それでついつい止まらなくなっちゃって」


「なるほどね。じゃあさ、今度お互い完成したら交換しない?」


やっぱり今日の渚くんはよく喋るし、最初に話した時と違って緊張が解けてきたのか。


「もちろんいいよ」


交換会は一ヶ月後この教室。


「優香、最近前島といい感じじゃん」


最後の授業が終わると楓が私の机の上に座ってきた。前島っていうのは隣の席の渚くんのことだ。


「別にそんなんじゃないし」


「またまた、照れちゃって」


楓の後ろからひょっこり菜穂がこっちを見ている。この二人に小説を書き始めたことを言わなくてよかったと改めて実感した。


  

 それからというのも、私は家に帰るなり机に向かい、パソコンのキーを叩いている。今まで本以外にこんなにも夢中になれるものがなかったのでやっぱり本というものは人を変えるものだと私は思った。放課後は毎日通っていた本屋さんにも寄らず、まっすぐ家に帰る放課後になった。本当に小説を書くの

が楽しくて仕方がないのだ。


 1ヶ月後

放課後、授業が終わった私は一ヶ月前に約束したあの教室に向かった。彼の小説が楽しみで楽しみで今日一日中担任に注意されるほどそわそわしていた。しかし、三十分経っても彼は来ない。彼に何かあったのだろうか。流石に遅いと思い、私は席を立ち教室を出ようとしたその時、ガラ。ドアが開いた。そこには汗だくで息を切らしてる楓がいた。楓は息を整え次第こう言い放った。


「渚くん、階段から落ちて病院に搬送されたって」


その瞬間、私の中の全てが崩れ落ちる音がした。


それからは私は楓と渚くんが搬送された病院まで走った。病院に着くなり、渚くんのクラスメートだと早急に看護師に伝え彼の病室まで通してもらった。看護師が言うに命に別状はなかったが、彼は落ちる寸前地面に手をついて身を守ったらしい。しかし手をついた衝撃によってもう彼がキーボードを打つことは難しいと宣告された。


信じられなかった、彼がもう小説を書けないなんて。学校を休んでしまうほど好きだった小説を。


彼の病室のドアを開けると、看護師が言っていたことの意味を改めて実感した。彼の両手にはぐるぐる巻きにされた分厚い包帯があった。空気を読んでくれたのか楓と看護師は静かに部屋を去っていった。


「ごめん」会って彼の最初の言葉は謝罪だった。


「謝らなくていいよ」


頭の中で他に彼にかけてあげる言葉はないのかと探したが、あまりの事態に頭が回らず沈黙が生まれてしまった。

やがて彼はこちらを見て棚の上にあるノートパソコンに目を移した。恐る恐るパソコンを開いてみると、無数の文字が並んでいた。彼が書いた小説のようだ。読んでいる途中に違和感が生まれた。そう、本には必ずある「いいところ」が終わらないのだ。前にも一度読んだことがある感じのものだった。内容は本が大好きな女子とシャイで小説を書く男子の話。

読み終わっても涙は止まらなかった。


ようやく泣き止んだ私の頭にある一つのアイデアが浮かんだ。


渚くんが書けなくなったのなら、二人で書けばいいじゃないか。


「渚くん、これからは一人じゃなくて二人で小説書こうよ!」


「いいね。あと、ありがとう」彼は笑顔で答えてくれた。


彼の目元に何か光るものが見えた気がしたけど、知らないフリをした。言ったらきっと彼は恥ずかしがるから。


一年後

男女二人組みの小説家によってあらゆる本屋さんに行列が生まれた。

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終わらない「いいところ」 たなか。 @h-shironeko

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