第48話-「優月から手を引いてくれ」③
まさか弥生に諭されるとはな……。今度なんか買ってやるか。
エントランスに戻った篤はそんなことを考えながら出口へ向かう。
外は暗く、人もほとんどいない。受付の事務員は片付けを始めている。
静寂のロビーを篤は機嫌よく大股で歩いた。チンピラ共にボコボコにされて、優月にあんな顔をされた後だというのに、心は穏やかだった。
それは今自分がするべきことがしっかりとわかっているからだ。
後ろを振り返っても仕方がない。
むしろそういう性格ではない。
ならば、正面からぶつかっていけばいいのだ。
それがいかに自分らしくなくても、こっ恥ずかしくても、優月のためだと思えば、なんだかやれる気がした。
とりあえず明日いろいろ話してみよう。
今までは無関心にしていた優月のこともちゃんと向き合っていこう。
それで理解し合うことができたなら、きっと……。
「――君っ! 少しいいかな?」
急に呼ばれて振り返る。
するとそこには長身で白衣をきた中年の男が一人。姿勢が良く、どこか厳格そうな身なりで出口の前で止まる篤に一歩ずつ近づいてきた。
「君が……早乙女篤くんだね?」
篤は殴られたせいで、ただでさえ半分しか開いていない目をさらに細めて凝視する。
きりっとした眉に黒くて大きな瞳。顔や鼻の形。篤はそれにどこか見覚えがあった。
いや、実際に見たことはない。ただ、純粋に……似ていると思ったのだ。
その風貌から確実にこの病院の医師だということがわかる。そして胸元の名札バッチ。〈相原〉の二文字だった
「相原……。優月の――」
「そうだ。私が相原優月の父親だ。いつも娘が世話になっているね」
篤は本能的にそれを敵だと認識したように、急に身が引き締まるのを感じる。
実際はそんなわけではないが、篤は固まった。
なんたって彼女の父親に急に呼び止められたのだ。
いったい何の用だというのだろう……。それに今の自分の顔。どう考えたって好印象を与えることはない。というかなぜ好印象を与える必要があるのだろう……。
初めての経験に言葉を発せず立ち尽くす篤に、優月父はまず深々と頭を下げた。
「今日のことは中野から聞いた。本当にすまなかった。うちの娘が馬鹿をしたせいで」
「え……。あ、ああ、大丈夫です。慣れてますし、ちっとも気にしてませんですからなので」
珍しく敬語を使ったせいか、どこか文脈がおかしい。
というか「慣れてる」という表現はまずかったのではないか。
そんな不安に駆られる篤を気にせず、優月父は話を続ける。
「優月とお付き合いをしてくれているらしいね。それも今日、中野から聞いた。事が事だったからね。君らのプライベートに関与して申し訳ないと思いはしたが……」
「いえ、別に自分は……大丈夫っす」
とは言っても一ヶ月だけの関係だなんて言うことができず、篤が次の台詞を模索していると、優月父は少し声音を強くして、篤の瞳から視線を外さずに一言はっきりと言った。
そして、その言葉に……篤は一瞬固まることしかできなかった。
もちろん篤は留まる思考の中で無意識に理由を求める。
そして、その理由を聞いた時、全てが音を立てて崩壊していくような痛みが身体中を巡った。さきほど生み出した希望など簡単に打ち消してしまうような現実に篤の言葉は喉元で縛られる。
それはあまりにも残酷で、悪戯で、無情すぎる優月の事実だった。
「――重ねてこんな事を言うのは本当に申し訳ないと思っている。だが、早乙女くん。どうか受け入れてほしい。優月から手を引いてくれ」
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