第34話-「ありがとな。轟先生」①

 試合の翌日。篤が竜也と昼飯から戻ってくると、教室の前方にあるテレビの周辺に人だかりができていて、真ん中でお団子頭がひょこひょこと跳ねている。


「それでね、ここで右ストレーット! 決まったぁ!」


 熱の込もった解説が周囲をはやし立て、見物人からは「おぉー!!」と歓声が上がる。


 篤と竜也が不思議に思ってテレビ画面を凝視すると、そこには篤にとって馴染み深いボクシングリングと、それぞれ赤、青のヘッドギアをつけた少年が二人。今は確実に赤い方が圧倒的に押していて、そのウェアには『立浪ジム 早乙女』とぜっけんが付いていた。


「おい、あれって……」


 竜也が苦笑いで篤を見る。

 篤も思わず口を引きつらせて一歩、そしてまた一歩、その集団に向って歩きだした。


 一番手前にいた男子生徒が振り返って「ひぃっ!」と声を上げ、それにつられるように全員が篤に向く。


 もちろんその中心にいる優月に標準を合わせた。そいつの小さな手に収まったビデオカメラにはコードの端子が繋がり、テレビまで伸びている。


「おい。なにやってんだ」


 篤がひくひくと動きそうになる口角を抑えて問うと、優月は自信に満ち溢れた表情で、


「なにって、昨日の試合をみんなに見せております!」


 小可愛く敬礼した。

 しかし、どれだけ可愛かろうが、篤には到底納得できない。


「バカかっ! なんで見せてんだよ! 見せもんじゃねえんだぞ!」

「んなっ! バカってなによっ! せっかく篤の勇姿をみんなに見せてるのに!」

「バカだろ! そんな必要はねえ!」


 篤が怒鳴りつけると、周りの人間は一歩退き、優月はしょぼくれて眉を下げる。


「必要ないって……そんなこと言ってるから、篤はみんなに恐がられるんじゃない」

「あ?」

「だからそんなことばっかり言ってるからみんなから避けられるんでしょ!」

「それがどうしたんだよ。俺にはそんなのこと関係な――」

「あたしには大問題よ!」


 言い切ろうとした篤の言葉を優月は叫ぶように遮った。

 篤も驚いて、周りと同じく優月を見る。


「自分の彼氏がみんなから嫌われてて嬉しい彼女なんかいるわけない!」


 優月は唇を噛んで肩を震わすと、まさにご立腹といった感情を顕わに篤を睨みつけ、ぐいっと一歩詰め寄った。そして篤の顎を掴むと顔をテレビに向ける。画面の中では六分間の試合をやり終え、コーナーに背中をもたれて結果を待つ篤がいた。


「な、なんだよ……」

「いいから黙って見てなさい」


 そして数秒の沈黙が流れた後、すぐに大きな歓声とカメラに向かってガッツポーズする篤の姿が映る。周りからは「すごい」「勝った」「強え……」などの言葉が零れた。


「かっこいいでしょ?」

「え?」


 優月が憂うような瞳で画面から向き直り、篤は気の抜けたように返す。

 やけに真剣な優月と初めて見る自分の試合後の姿にわずかに反応を鈍らせたのだ。


「だからかっこいいでしょ、って言ったのよ。学校の篤とは全く雰囲気が違うよね。楽しそうだし、明るいし、あんな笑顔でこっち向いちゃってさ」


 優しい目で諭すように優月は続ける。


「これまであたしといた二週間とか、弥生ちゃんと遊んでる姿とか、昨日の試合とか見てて思ったのよ。篤って本当はみんなに避けられるような人間じゃないってことにね。本当は強くてしっかりしてて、優しいんだよ。不器用で口が悪いのは否めないけど」


 そして二人をとりまくクラスメイトを目で一巡させると、もう一度篤に視線を戻した。


「あたしの彼氏はみんなの思うような不良男なんかじゃないって証明したかったの」

「んな……。だからって別に俺は――」


 優月の本気の眼差しを浴びながらも、それでも篤が口ごたえしようとした時、


「――わたしも。かっこいいなって思ったよ」

 

 一人の女が集団の中から小さく手を挙げて、恐る恐る篤に向く。

 優月、そして無論篤も驚いた。


 そして篤は気付く。そいつは確か優月が「なっちゃん」と呼んでいて、覚えてはいないが出身中学も自分と一緒だったという女だ。


 普段はどちらかといえば活発な方だが、さすがに篤の前では静かな振る舞いをしている。

 そいつは篤の視線に少し怯えたように身構えたが、ごくりと息を飲んで続けた。


「いつも、優月ちゃんが言ってるんだよ。早乙女くんは本当は優しくて良い男なんだって。優月ちゃんが早乙女くんのことみんなにも認めてもらおうって頑張ってるのに……ちょっとその言い方はない……んじゃない……かなあ?」


 語尾は弱々しかったが、なにか訴えるように篤の双眸を捉えていた。


「なっちゃん……」優月が喜び顕わに声を震わす。


 そしてそれが皮切りとなった。


「――そうだよ、なつの言う通りだよ早乙女くん! ゆづっちに心配かけすぎー」

「――しかも見かけによらずユヅに押し負けてるし。意外とレディーファースト!?」

「――でも試合はすごかったよね。なんかこう……ぐわぁっ! ってかんじでさ。ボクシングなら全然OKじゃん。喧嘩じゃないんだし」


 いたるところから女子の声が聞こえ、言葉のジャブが一斉に篤に浴びせられる。篤は焦り半分で声のする方へ睨むがそのすぐ直後には反対側からも声がする。男子は細々と苦笑いしているだけだが、女どもは隣同士頷き合ったりして、なんやかんやボヤいたり好き放題言ってくれていた。


 これが一つの敵を追い込む際の女という集団なのかと、改めて篤は苛つき、怒鳴りつけようと大きくを息を吸い込むが、


「はい、そこら辺でストーップ! 篤も落ち着いとけよー」


 竜也の介入により一度収まった。


「ほら、ほらほらほら。だからオレが最初から言ってただろ。篤はみんなが思うような極悪大不良なんかじゃねえって。それにたまに付いてるアザだって喧嘩じゃなくて、ボクシングのだって言ったじゃんか」


 竜也の登場により、今度は男子も声を出し始める。


「――いや、俺は知ってたぜ。別に喧嘩なんかしてないってこと。けどさ、雰囲気がちょっと恐えじゃん?」

「――でも相原さんと付き合ってからそんなこともなくね?」


 そんな中、一人の小柄な男が一歩出てくる。そういえばこの間の席替えの前までは後ろの席だったやつだ。


「というかさ、一緒にビデオに写ってたのって立浪誠也だよね? 僕、すごいファンでさ! あの立浪がセコンドに入るってことは早乙女くんって将来かなり有望なボクサーなの?」

「は? あ、いや、それは立浪誠也が俺の叔父ってだけで――」

「――え、マジで!?」

「――じゃあ早乙女もかなり強いんじゃん」


 いつのまにか呼び捨てにしてくるやつまで出てきて篤は自然と取り囲まれていた。ぐいぐい質問責めにしてくるクラスメイトを適当にあしらいながら、篤は困惑する。


 こんなこと初めてだった。大人数に取り囲まれ、そのどこからも自分に対して話かけられている。さながら転校初日の優月のよう。


 篤がさきほどまでの怒りをすっかり忘れ、逆に今自分が置かれている事態の収拾に戸惑っていると、袖を引かれて、視線を落とした先には優月がにっこりと顔を綻ばせていた。そして優月は篤の手を引き、そのまま教壇に上がると、


「はーい、注目ー!!」


 ばしばしと黒板を叩く。


「ねー? みんなわかったでしょ? 篤は絡みにくいとこはあるけど、基本的にそんな酷い人間じゃないよ。それにあたしが見ている限り、篤が危害を加えるようなことは絶対させませんっ!」


 突如、猛獣の飼育員みたいなことを言い出す優月に篤は顔をしかめた。というか、


「おい、てめえ! それじゃあ俺が飼われてるみたいじゃねえか!」

「篤、シャラープよ。シャ、ラーップ! それにてめえは無しって言ったじゃない」

「いや、そういう問題じゃねえ!」


 言って、篤は久々に力を込めてデコピンを弾いた。

 不意打ちを食らった優月は「ウギャァ!」とおかしな悲鳴を出す。そんな寸劇を見せられたクラスの連中はどこか夫婦漫才でも見るようにくすくすと笑っていた。


 目に涙を溜めて、優月も笑いながら言葉を紡ぐ。


「ほらね。暴力って言ってもこの程度なわけよ。そりゃあ昔はいろいろあったんだろうけどさ、もう篤はボクシング以外で他人に暴力を振るうような人間じゃないの。更生したの。だからみんな心配しないで! それにそんな喧嘩ばっかりの人だったら、あたしだって彼氏になんかしないわよ。というわけで篤。みんなの前で約束よ。もう無駄に暴力はふるいませんって! ほら、指切り」

「は? あっ、おい!」

「指切りげんまん、嘘ついたら根も蓋もない噂をなーがすっ! ゆっびきった!」


 呆けている篤の小指に優月は素早く自分の小指を絡めると、即座に歌いきり、周りからは「おぉー!」と歓声が広がる。


 そして、いいかげん困惑ゲージが溜まりきった篤が大きく言葉を発しようとした瞬間、教室の扉が開き、


「およっ!なんだか楽しそうですね。でも残念ながら授業の時間です。みなさん席に着きましょう」


 鐘がなり、轟がにこにこと入ってくる。一同はやむなく退散することとなった。

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