第23話-「あの頃とは全部が違うんだ」②

 普通の少年だった篤は小学校中学年の時に両親を失って、祖父の家に預けられた。

 その頃から篤は激変した。すべてを憎んだように睨み、気に入らないと壊す、殴るを繰り返す。中学では『柳中の鬼童』と肩書きが付くほどに手が付けられなくなっていた。


 常に強い人間に勝負をふっかけ、殴り殴られを繰り返す。相手がどれだけ強かろうが多かろうが、単身で突っ込んで自分も相手も全員ボロボロになるまでやり続ける。そうやって肉と肉がぶつかり合っている時だけ、篤は自分が生きていることを実感できた。


 篤にはただ、それだけしかなかった。


 そんな篤を見かねた叔母とその旦那が篤を引き取ると言い出したのは中学二年の冬頃。


『俺のことを倒せたら、おまえの自由にしていいぞ。そのかわりそれができなかったら言うことを聞けよ』


 だなんて、冗談で笑ってきた叔父に対して本気で殴りかかろうとした篤だったが、相手は仮にも元世界チャンプ。一発をもらって、いとも簡単に膝から崩れ落ちたのを鮮明に覚えている。それからは「その野性的なパワーを活かせ」と、なし崩しにリングに立たされ、今となっては楽しくてたまらない。


 勉強など皆無だった篤に、進学もできる高校に行って、ちゃんと勉強しないとボクシングは続けさせない。と発破をかけてくれたのも叔父だった。おかげで篤は並みの学力をつけることもできたのだ。


 だから叔父には頭が上がらない。言葉には表さないが、感謝だってしている。


「――あの頃とは全部が違うんだ」


 篤は語る。


「喧嘩して相手をぼこぼこにしても、怒られて、蔑まれて、嫌な虚しさだけが残った。けどリングの上だと勝てば英雄だろ? 唯一それが今の俺を突き動かしてんだよ。だから今の俺にはボクシングだけが本当の生きがいなんだ」


 篤にしては相当長く話した。それを実感しつつ、改めて考えるとわずかに恥ずかしくなって優月に向く。


 すると優月はとても真剣に、そしてほんのりと優しく微笑んだ。


「そっか……。篤もいろいろ大変な思いしたんだね。話してくれて嬉しいよ」

「まあな。……てか言いふらすなよ。竜也にしか言ったことねえんだからよ」


 優月は静かに目を閉じて頷く。それはいつものふざけたような態度を一切感じさせない、本当の優月の安らかさだった。


「もちろん。というか誰にも言いたくない。あたしだけが知ってる篤の本当の姿であってほしいもん」

「竜也も知ってるんだけどな」

「ちょっと、ムード壊さないでよ! 男は除外でいいの!」


 なんて隣合った左腕に抱き着く優月を篤はどこか優しい気持ちで見ていた。

 すると今度は優月が唐突に、


「あたしもね、母親がいないの。あたしを産んだ後にすぐ死んじゃったんだ」


 言った。


「そうなのか……」

「うん。だからママの記憶って無いんだ。それにパパも忙しいの見てたし、自分から頼んで全寮制の学校に行ったの」


 目を見張る篤に優月は笑って頷く。


「意外とあたし達って共通点があるのかもね。なんか篤と距離がまた一段と近くなった気がして、不謹慎だけど嬉しいよ」


 優月にとって辛い話のはずなのに、ふいに儚い笑顔を見せられて篤は一瞬固まる。心が洗われるように、優月の温かい表情が目を通して自分のぽっかり空いたどこかに入り込んでくる気がした。だから、


「そうだな。そういう部分は確かにあるかもしれないな」


 篤も素直に頷いた。


「ふふ。なんだかんだ、あたし達ってかなりお似合いかもよ?」

「……それは知らねえ」


 そう返すと優月は可愛く舌打ちをしてみせて「そこは素直に『そうだね』でいいじゃない」とむくれる。そんな優月に篤は悪戯に笑ってみせた。


 篤の笑顔を見て、思わず優月も満面に微笑む。


「人と付き合うって……こうやって互いに歩み寄っていくことなんだろうね」


 なんて呟く優月は、本当に隣にいても悪くないと思ってしまう篤だった。

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