渡りの回廊

ママミヤジギ

渡りの回廊〈渡りの回廊の冒険者〉

第1話

 湯呑み茶碗を口に運ぼうと持ち上げた時、シキ=イズールは今日二杯目の珈琲が底をついていたことに気が付いた。


時間はすでに昼時を過ぎており、そろそろ腹に何か詰め込もうと席を立つ。机の上の研究資料や書籍を片付けようかとも思ったが、誰に文句を言われるわけでもないのでそのままにしておいた。


 賃貸している研究室兼自宅には粗末な食べ物しか置いていないことがほとんどだ。本当なら街に繰り出し、栄養価の高い美味い物でも口にしたいところだが、どうしようもなく金がない。

 祈るような思いで食料棚を覗き込む。ありがたいことに、薄い種無しパンに野菜クズと干し肉が残っていた。野菜と肉をパンに挟み込み、無造作にかぶりつく。口の中にどうしようもないくらいの虚しさが広がるが、さいわいにも腹は満たされる。それに噛み締めていれば、それなりに味わい深い。人生もそうなら良かったのに…。


 食事を終え、今日三杯目のコーヒーになぐさめを求めながら、そういえばここ二、三日姉に会っていないことを思い出した。

 姉のミレイは暇な時、王都の貧民街の入り口に位置するイズールの家と、王都領内にあるシキ家の屋敷を行き来していることが多い。定職についているわけではなく、冒険者協会ウォーカーソサエティわたりの回廊かいろう〉にせきを置き、日々冒険者としてふらふらしている。普段は一人で協会からの仕事をこなすことが多いが、依頼内容によっては、同じく〈渡りの回廊〉に在籍するイズールを巻き込むことがある。


 研究一本で生活することのできないイズールにとっては、姉のさそいはわずらわしくはあるのだが生命線ともいえるのであまり邪険じゃけんにもできない。また冒険者とは危険と隣り合わせであることが多い職業なので、戦闘能力に秀でた姉と行動できるのは、イズールとしても正直なところ助かるのではあったが。


 夕方には、食材の買い出しついでに、協会の仕事依頼が張り出された掲示板を見に行こうかと考えていると、背後に気配を感じイズールは慌てて振り返った。

「自分の家だからって気を抜きすぎよ」短く切りそろえた黒髪にいつもの黒革のジャケット、腰に二本交差させた状態で吊り下げた短剣という格好で、ミレイが立っていた。猫科の動物を思わせる大きな目が好奇の光をたたえている。


「心臓に悪いから、こういうのはやめてくれっていつも言ってるだろ」イズールは一応抗議こうぎする。どうして自分の家なのに、常に緊張をいられなければいけないんだ。

 しかし、ミレイが気配を消し家に入ってくるなど毎度のことであり、本人曰く、特別意識してやっていることではないらしいので、注意したところでどうしようもないとのことだ。それでも文句の一つでも言わないと割に合わないという気持ちで、イズールも毎回抗議することにしていた。

「毎度毎度、同じこと言って飽きない?そろそろあきらめたら?」ミレイが飽きれ顔で言う。

「諦めが悪いってのは、研究者に必要な資質だ」負けじと言い返す。

 ミレイは一度肩を持ち上げ仕草をした後、腰の武器をソファに放り投げ、ポットに自分の分の珈琲を注ぎに行く。

「それよりさ、ちょっとおいしい仕事があるんだけど、明日から付き合わない?」向かいの席に腰掛け、ミレイがにこりと笑う。


 疑問形の発言ではあるが、その声音こわねには肯定以外の返事を許さない響きがあった。おいしい仕事という表現が気にはなったが、ちょうどいいタイミングだったので、イズールは内心では有難かった。

「そうだな、まあいいぜ。俺もたまには運動しないとな」

「決まりね。それじゃあ明朝、イザービャ行きの馬車を協会が手配してくれるから」何気なにげない調子のミレイの言葉を、イズールは聞きとがめた。

「えっ!イザービャ?」


 イザービャとは、王国領内の西端せいたんに位置する国境都市。犯罪組織の活動が活発で、そのためか市長はマフィア上がりという噂まである。

 噂の真偽はともかく、ミレイはかつてイザービャの違法な人身売買組織とめ事を起こし裏組織から賞金を懸けられている。


 流石さすがにイザービャから王都までは距離があり、賞金稼ぎや組織の殺し屋の手がここまで届くことはほとんどない。とはいえ、もちろん全くなかったわけではない。その度に、ミレイが返り討ちにし、相手も割に合わないと考えたのか、いつしか追っ手の話は聞かなくなった。


 しかしそれも、相手の本拠地に乗り込んで行くとなると話は別だろう。いかにミレイが一級の戦闘者せんとうしゃであろうと、次は無事に王都の土を踏めるとは限らない。

「お前、頭おかしいんじゃないか?」イズールは姉に対して常々抱いている意見を率直に述べた。ミレイは心外そうな眼差まなざしを向ける。

「なんでよ。私はいい加減、追っ手の相手が面倒になってきたから、仕事のついでに根本的解決をはかろうという合理的な判断をしたまでよ」


 どうやらまだミレイへの追撃は継続けいぞくしていたようだ。だからといってマフィアに真っ向勝負を仕掛ける人間がいるだろうか?しかも仕事のついでにだ…いや、いるのだ。目の前に…。イズールは思わず天をあおいだ。

「お前、頭おかしいんだな…」イズールは中空に向かって吐き出した。

「はーん!これだから嫌なのよ、高学歴様は!すぐに人のこと見下しちゃってさ」

「学歴うんぬんじゃなくて、お前の場合は根本から狂っているような気もするが…」眉間みけんを指で揉みながらイズールは呟く。

「とにかく、あんたには明日から私の手伝いをしてもらうからね」右の口角を持ち上げ笑顔の表情を作ってはいるが目は笑っていなかった。

「協会の仕事は良いが、マフィアとの抗争だけは絶対に手伝わないからな」イズールは背筋に薄ら寒いものを感じながら釘を刺す。できることなら姉のムカつく眉間に釘を直接打ち付けてやりたい気分だった。

「そういう危険な事は兄さんに頼め」


 シキ家にはもう一人兄がいる。最年長であり、現当主のシキ=ロエンだ。かつてはロエンも冒険者として世界に名をつらねる者の一人であった。今や伝説として語り継がれるほどにまでなったロエンの現役時代を、イズールもミレイも知らない。言えることがあるとすれば、どんな伝説もかすむほどに今では落ちぶれた落伍者らくごしゃであるということだ。弟妹に働かせ、愛玩動物あいがんどうぶつのような呑気のんきな生活を送っている兄を正そうと荒療治を試みたこともあるが、そのたびに痛い目を見るのは二人の方であった。

 あの強さだけは伝説にたがわぬものであることを認めざるを得ない。

「そりゃあ、兄さんが来てくれれば、私が観光してる間に犯罪組織なんて壊滅させちゃうでしょうね。で?誰が命がけで兄さんをイザービャまで引っ張てくるの?」


 つまりミレイにとっては、犯罪組織を相手にするよりもロエンにお願いを聞き入れてもらう方がよっぽど困難だという認識なのである。

 それはイズールとしても同感ではあるのだが、それならミレイ一人で頑張ってくれという話ではある。だが悲しいかな、イズールは兄弟の中でもっとも格下なのだ。


 自分はただ、降りかかる危難きなんに対し最善さいぜんを尽くす努力をするしか手がないのだった。

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