6 蛮行の解
オーガたちに自白剤と銘うって与えた液体は、単なる痺れ毒だった。自白剤を刃に塗るなど聞いたことがないし、普通の人間ならば怪しむだろう。しかし所詮はオーガだった。勿論、オーガに語った村の秘宝などは全て嘘。イブリースにそれを無理やり飲ませたのは少し以外ではあったが、その痺れ毒は、イブリースの能力により生成された、いわばイブリースから切り離された体の一部ともいえるため、イブリースには効かなかったために、問題はなかった。オーガの持っていた酒などには、効くまでに時間はかかるが、イブリース本人の意思によるコントロールを可能にした毒を入れた。念を入れて、オーガが村から攫った少女のオーガが接触するであろう部分にも毒は塗っておいた。毒を塗られたあの少女も、今頃オーガのように破裂しているだろう。
イブリースの能力は、自らの体内で毒を作り出すこと、といっても過言ではない。人間から道を踏み外したともいえるその能力は、現存する全ての毒を受け入れて強くなっていく。つまるところ、イブリースは毒人間であるということだ。その能力に、イブリースが人間を殺さないようにしていた理由がある。
痺れて意識すら朦朧とした村人たちに、イブリースはゆっくりと迫る。途中、オーガと村人たちとの闘いで使われたであろう斧が落ちていたので、それを拾った。
倒れた村人のひとりの前へ、イブリースは立った。そして斧をかざし、一気に振り下ろした。
刃が村人の腹を半分ほど進むと、そこでイブリースはあえて止めた。鮮血があふれ出し、痺れて動けないその男は悲鳴も上げられず目玉が荒々しく打ちひしがれるようにぐるぐると痙攣する。
斧を上げるとそれを置き、イブリースは両手をその傷の中へずぶりと入れると、中の肉を抉りだして口に運ぶ。血が滴る生肉をイブリースは躊躇なくかみ砕いて、飲んで、さらに傷口へ手を入れ込み新たな肉を求めた。ぐちゃり、と手のひらから零れ落ちたピチピチの生肉でさえ、イブリースは残らず拾い上げて平らげる。口の端から未だ真っ赤な血液を溢しながら、若干に酸っぱいそれをひたすらに食べた。
イブリースが生成する毒の性能を向上させる、最も簡単で最も迅速は方法は、他人の抗体を食らって取り込むこと。もっと詳しくいえば、イブリースによる毒を撃退しようとする抗体を体内へ取り込むことだ。故にイブリースの能力を高めるために、死体ではなく毒に侵されながらも生きている人間を残す必要があり、それを実行したのだ。
肉の摂取はその者が息絶えるまで続く。肉を食らわれた者は、その苦痛を死ぬまで味わうことになるのだ。赤い口から赤い血を滴らせ生きた人肉を喰らい尽くすその姿は、まさに『悪魔』。
人の肉を取って、捕って、採って、盗って、摂る。イブリースの蛮行、その彼の汚損した瞳の奥底には、確かな憎悪が存在した。
生きた人間全てを喰らい尽くしたころには、太陽は頭上を通りこしていた。血でカピカピになった顔に、黒く変色した血を被った服をしたイブリースは、前まで彼の見せていた優男ぶりからは到底かけ離れ、その姿は狂人になり果てている。
「アー」
ゆらりとふらつく足取りで、イブリースは村長であるトロメーオの家の中へ入っていった。それから洗面所に向かい服を脱ぐ。勝手にふろ場を使っては体中に被さった血液をごしごしと洗い流してい。赤く淀んだ水がイブリースの素足を通り、排水溝へ流れる。
爪の中の、凝り固まった血塊までも洗い尽くしたところで、イブリースはふろ場を出た。洗面所から適当にタオルを取り、身を拭きながらトロメーオの私室を探し出し、その中のタンスを開ける。その中から下着と小奇麗な洋服を引っ張り出し、着用すると再び村に出た。
食料小屋のところまで行くと、使い古された手押し車をその小屋から引っ張り出した。それを押して、血みどろになって倒れている死骸の庭を抜け、村の門を抜けていく。目的地はオーガ達のアジトだ。昨日、彼らが飲み食いするものを保管しているであろう、洞窟のさらに奥の部屋に、ちらりと光るものをイブリースはしっかりと見ていた。あれは恐らく、どこかほかの村だかを襲って得た戦利品だ。予期せぬ幸運であり、ありがたく貰っておくと決めていたのだ。
洞窟の前まで着くと、手押し車を置いてひとり中に入っていく。さすがに手押し車を入れる横のスペースは洞窟にはない。仕方ないので暗闇の中、村からランプを持ってくればよかった、と毒づきながらひとりで進んでいった。まあ中には焚火があったし、どこかに火を焚くものがあるのだろう。
歩いていくと、やはり暗闇の先に明かりが見えてきた。やはり洞窟の中には明かりとなるものがあったか、と安堵をする間もなく、それが実におかしいことに気づく。何故明かりが灯っている? オーガどもが明かりを消し忘れていったとしても、そいつらがここを出てすでに半日近く時間がたっているはずだ。さすがに焚火も消えているはず。つまり、誰かがここで火の番をしているということ。
足音を潜め、ナイフを握りしめ、ゆっくりと明かりに近づく。誰だ、オーガどもの仲間か。昨日見たのは4体で、その4体の死亡は今日あの村で確認した。隠し玉として4対目以降のオーガがいたということか。いいや、そんな知能を並みのオーガが持っているとは考えられない。
ゆっくりと、足を踏み出していく。光からほど遠い暗闇の中で、イブリースはそれに紛れた。進むと焚火を管理しているであろう人物の影が動いている。オーガとしては小さい――いや、小さすぎる。影の膨張しきった大きさからして、この本体はイブリースよりも小さい。
あ、と思い当たる節にたどり着いたのと同時に、その後姿が見えるまでに迫った。小さくて、裂けた白いワンピースの隙間から白い肌色を露出した背中。あの少女だ。オーガに攫われた、あの。
いやしかしおかしい。オーガに火の番を命じられたのは容易に推測がたつ。その点ではない。こいつは、なぜ生きている? 確かに昨日、こいつに毒を塗ったはずだ。オーガたちに余興として陵辱されることを見越して、口内にも毒を塗った。口内に塗ったということは、それは望まぬともいつの間にか体内へ入っていくのが自然の摂理だ。どうして、こいつは生きている。あの毒はすでに発動したはず。なぜ、体が四方八方に弾け飛んでいない?
立ち尽くしていた。唖然として思わず一歩を踏み出した際に足音を立ててしまい、その少女に気づかれる。振り返った少女の、赤く、淀んだ瞳がイブリースの姿を映していた。
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