3 囚われの少女
オーガの潜む洞窟の場所は、4日前の襲撃の際に村人のひとりが尾行をし、何とか把握していたようだ。粗方な場所を教えてもらい、とりあえずそこに歩いて行ってみる。
一応洞窟らしき穴は見つけられた。イブリースは茂みに身を隠し、中にある気配を窺う。中にいるのか、それとも外出しているのか。明日が約束の日であることを考えると、洞窟の中にいる可能性が高い。外出しているとしても、そう遠くにはいかないだろう。
ちょっとばかり茂みから洞窟を見据えながら、気配を探っていると中に複数のそれがあることを認識した。同時に重い足音が聞こえてきて、急遽身をかがめる。
その足音はどんどん近づいてきて、木の枝になった葉をその巨体がどかすと同時に全様が明らかになった。薄緑の皮に、トゲなのかツノなのかが顎に2本ほど上に向かってはえている、カクカクした貌の巨体――オーガだ。そのオーガはイブリースに気づかずズカズカと歩き、洞窟へと向かっていく。
――さて、どうしようか。
ここで不意打ちをして始末してもいい。どうせ皆殺しにするんだし、数を減らしておいても損はない。だが、このケースはかなり良いケースだ。上手くやれば大きなアドバンテージがある。だから慎重に、ここでコイツを殺すべきか考える。野宿するとすると、肌が荒れたりブツブツがついたり、目の下にクマができたりしてしまい、第一印象の外見が悪くなってしまうかもしれないし、何より上質な睡眠がとれないと判断力や免疫力が下がるので、夜はしっかりしたところで寝たい。故に夜には何らかの方法で村のベッドの中に入れるような、そういう策戦を考えなくてはいけなかった。一番楽に事が済ませる方法、とは。
イブリースは茂みから立ち上がった。洞窟に入ろうとしていたオーガはガサガサという茂みをかき分ける音に気づき、後ろに振り向いた。
「オーガさん!」
イブリースは丁度よかった、と言ったように手を振りながらオーガのもとへ走り込み、はあはあと膝に手をつけて休憩したあと、手で汗をぬぐいながらオーガの顔を見た。
「なんだ、人間」
「オーガさん、初めまして。僕はイブという者です。少しお話があるのですが、よろしいでしょうか」
にっこり、と笑って首をかしげるイブリースに、オーガは少し悩むとイブリースの腰に下げている剣を指さして言う。
「武器は外せよ、人間。おかしなこともするな」
イブリースのような、一見細身の人間に何かできるとは考えつかなかったのだろう。オーガという種族は知能が低い。何とか言葉は交わせる程度で、人間のように文字を読んだり科学を堪能したりはできない。勿論、魔法も使えなかったはずだ。それゆえ警戒もこの程度なのかもしれない。
「ありがとうございます」イブリースは丁寧に頭を下げて、剣を洞窟の入口のすぐそばにある壁に立てかけた。
洞窟は1本道のようだった。イブリースの「僕が後ろに歩くより、オーガさんが後ろからついてきた方が安全じゃないですか?」という提案に、納得したオーガはイブリース後ろから大人しくついてきている。もしイブリースがオーガを襲うために来たのならば、このような助言はしないだろう、とオーガは安心したようだ。勿論、それはイブリースの計算通りであり、彼の策略は未だ続いている。楽して目的を達成するためにも、まだやらなければいけないことがただある。
少し歩いていくと、うっすらと明かりが見えてきた。同時にぼんやりと話し声が聞こえてくる。
「オイ」
オーガが後ろから声をかけてきた。「俺と並んでいこう。お前だけが前にいると誤解されるかもしれない」
この暗闇からイブリース、オーガの順で残りのオーガ達のいるところへ行くと、後ろのオーガに気づかなかった残りのオーガ達が、イブリースを敵を見なし、襲い掛かってくるかもしれない、ということだろう。この注意はイブリースへの小さな信頼といったところだろう。いい感じに取り込めているようだ。
「ありがとうございます。ご迷惑を」
オーガの巨体にびくつきながら――勿論フリだが――、微笑んでオーガと足並みを揃える。びくついたのが分かったのか、オーガは気分がよさそうにガハハと笑った。
ランプと焚火の周りにいたのは、3体のオーガだった。そこは洞窟の中でも半球体のドーム状になっており、住み着くのにはうってつけの地形だ。イブリースとオーガに気づいた、3体のオーガは警戒の色を見せながら口を開く。
「ホルストフ! 誰だ、こいつは」
青いハチマキを顎についているツノの片方に巻いているオーガは、威圧するかのようにイブリースの前に立つ。
「やめろインホルト」ホルストフと呼ばれた、イブリースを連れてきたオーガは青いハチマキのインホルトを宥める。「話があるらしい」
「貴族か? その小奇麗さ、我らを騙すつもりじゃないだろうな」
赤いハチマキを頭に巻いたオーガは訝し気に、イブリースを下から上までじっくり嘗め回すかのように見つめた。ホルストフが何かを言う前に、イブリースは一歩下がり、頭を下げる。
「初めまして、オーガの皆さん。僕は一介の商人でして、とある商談を持ち掛けたく、ホルストフさんに連れてきてもらいました」
頭を下げている傍ら、イブリースを連れてきたオーガのホルストフが「どうして俺の名前を知っているんだ……?」という低能ゆえの天然ボケをかまし、青いバンダナのオーガ、インホルトが「俺が名前でてめえを呼んだからだろ!」と怒り出す始末。内心でげんなりしながらも、イブリースは頭を下げたままそれを表情に出さない。
「ゲルハさん、とりあえず詳しい話を聞こうぜ」
明かりのところにいた3体のうち、さっきまで黙っていた最後の黄色いバンダナを腕につけたオーガが、先ほどイブリースを疑った赤いバンダナのオーガ――ゲルハに言う。ゲルハはもう一度イブリースの姿を見て、フンと鼻をならして顔を反らした。
青いバンダナのインホルトも焚火のところに戻り、座り込んだ。イブリースはホルストフに案内されるがまま、彼らと一緒に焚火のそばに座った、正座で。
4体全てのオーガがイブリースの顔を覗くように見ていた。イブリースは小心者のようにあはは、と身を反らしながら、一度目を閉じて覚悟を決めたかのように見せ、それから背筋をピシっと立てた。
「オーガの皆さんが、数日前に襲った村があるじゃないですか。その村に、秘宝があるって噂でしてね。でもその秘宝のありかは、村人の中の誰かしか知らないみたいで、しかも簡単に口を割りそうにないんですよ。村長は知らないってことぐらいしか分からず、頑固な人たちですから、困っていましてね」
「なるほど、我らの力でその秘宝のありかについて、口を割らせるということか」
ゲルハと呼ばれた赤いバンダナのオーガは納得したように顎を手に乗せてうなずく。イブリースはゲルハの言葉にうなずいて、懐から紫色の液体の入った瓶を取り出して、焚火のそばに置いた。
「その通りです。決行は明日の早朝。この瓶の中には、自白剤が入っております」
「自白剤?」ホルストフが首を傾げた。
「秘密を喋るようにする薬です。これを塗った武器で、死なない程度に村人を嬲ってほしいのです。それが、僕からのお願いです」
「報酬は? 俺たちの取り分はどうなんだ?」
黄色いバンダナのオーガ――後に聞いたのだがこいつの名前はテゴットという――は、イブリースの案には乗り気の様子で尋ねた。イブリースは彼に嬉しそうに微笑んだあと、ゴホンと咳払いをする。
「僕とオーガさんたちで2対8はどうでしょう。僕は作戦と道具を準備することしかできませんし、実際に襲うのはオーガさんたちに任せることになりますので、これが妥当かと」
オーガたちがお互いの顔を見合わせる。2対8というのは適当に決めた割合だが、単純に考えて1人辺り2割ずつという平等なものだ。しかしイブリース単独とオーガの集団での割合を示すことで、数字的にイブリースよりもオーガ側の方が利益が大きいと感じやすくしている。1グラムの表記をわざわざ1000ミリグラムという表記にしているのもこういう理屈だ。商人がよくやる手口だが、本当に小賢しいと思う。
オーガはそれぞれうなずき合うと、それらの目線は青いバンダナのゲルハへ向かっていった。他のオーガの視線を受けて、ゲルハは大きくうなずいて立ち上がる。
「いいだろう、手を組もう」
ゲルハはのそのそとイブリースの前に生き、手を差し出した。イブリースも「ありがとうございます」と笑ってその手をつかんだ。――その時だった。イブリースはその巨体ながらも素早い動きを見逃さなかったが、今のイブリースは弱気な悪徳商人。反応するわけにはいかなかった。
「――が」
ゲルハはイブリースの腕を引くと、そのまま引き寄せて背中から両腕をがしりと掴んだ。振りほどこうにも簡単には振りほどけそうにない。他のオーガたちも茫然としている。イブリースも頭の中でどういうことか考えながらも、行動だけは慌てるふりして何とか解こうと暴れておいた。
「な、なにをするんですか!」
「ホルストフ! その自白剤とやらをコイツに飲ませろ! 一滴でいい!」
「あ、あいあいさー!」
辺りがざわつく中で、ホルストフは焚火の近くに置かれた瓶を拾い上げる。他のオーガもゲルハの意図を理解したらしく、イブリースの口を無理やりあけさせた。ホルストフが拾った瓶の中の紫色の液体を、イブリースの口の中へ垂らした。ゲルハは叫ぶ。
「水だ!」
「あ、あいあいさー!」
今度は青いバンダナのインホルトは隅から水の入ったコップを持ってきて、無理やりイブリースの中にぶち込んだ。口を開けさせていた黄色いバンダナのテゴットは水が入ったのを確認すると、今度はイブリースの口を閉じさせて水を飲みこませる。それを確認してから、ゲルハはイブリースに問う。
「我々に隠していることはないか?」
「あ……ァあ……」
イブリースはまるで何か幻覚を見ているかのように震えながら、首を不規則に動かしていた。その様子は普通の人間がやる行動ではなく、オーガたちは畏敬の念をもってそれを見ていた。
「我々に隠していることを言え」
「あ……オーガには宝の価値が分からないだろうから……取り分は僕が得する配分をしようと……していた」
「それだけか?」
「あ……ああ」
それだけ言うと、イブリースは赤いバンダナのゲルハから解放され、膝をついて深くせき込んだ。その様子を見て、他のオーガは指さして笑う。
「ガハハ! セコイことを考えたなあ人間! ゲルハの旦那にはオミトオシってワケだったがな!」
「そういうことだ、人間。配分は我がしっかりと8対2でやろう」
ゲルハの言葉に、イブリースは息を乱しながらも何度もコクコクとうなずいた。ゲルハはそれを見て満足したのか、他のオーガに食料と水を持ってくるように指示を出す。
「はあ……はあ……。くそ、オーガさんにはかなわねえな」
イブリースは恨み事を吐きながら、何とか復帰して今度は胡坐をくんで座った。そのイブリースの態度の変わりように、ゲルハは不快に思うどころかガハハ、と景気の良い笑い声を出した。
「貴族と商人の汚さはわかっておるわい! ガハハ!」
どうやら、ゲルハはイブリースがオーガを騙したことよりもずっと、それをゲルハが見破り白状させたことが嬉しかったらしく、騙していたのにも関わらずイブリースを敵視することさえなければ、仲良さげに肩をたたいた。
「おーう、今日は作戦前夜だ。飲み明かそうじゃねえか」
「いや、それがですね、僕……」
「おー? 酒はいらんのか? なら、向こうのアレはどうだ?」
食料を持って戻ってきた黄色いバンダナのテゴットは、イブリースの言葉を聞いて隅の暗がりを指さした。ゲルハもニヤニヤしながら「そうかそうか、人間も好きだもんな」と、イブリースを立たせて背中を押す。
何があるのかと気になって、そこらへんに置いてあったランプを持ち、暗がりへと進んでいくと、鼻をつんざく異臭がして全てを悟った。そうだ、ここにいるのは4日前に村を襲って村娘をひとり攫ったばばかりのオーガだ。その戦利品はまだこのアジトにあってもおかしくはない。ランプを前にかざすと、そこにあったのは白く薄汚れているうえに、その大半が破り取られて肌が露出しているワンピース姿の少女が、乾燥した体液に塗れて焦点の合わない瞳を暗闇に向けている姿だった。
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