2 悪魔は騙る
息絶えたものに意味はない。生きているものにこそ意味がある。
イブリースはとある村に行き着いた。森の中に佇むその農村は、害獣などから身を守るために辺りを柵で囲っており、入口の門に見張り塔とその番をつけていた。
イブリースは小奇麗な衣服を着こなすことを気にかけていた。無精髭やボサボサな髪の毛はもっての他だ。何故ならば、彼の
落ちた枝を踏み、見張り番から身を隠して村の全容を確かめ、緊急の逃走口も把握したイブリースは今来たばかりと偽り、見張り番の男と接触した。見張り番の持っている警護用の武器は槍。持ち手は木製で先端に尖った鉄を利用している、旧時代的な武器だった。森の中にあるこの村は、都市の発展から取り残されているのだろう。都市では魔力を用いて精錬された魔金属が武器として扱われ始めている。それは強度、重量、耐久に優れており、さらには魔法効果まで付属するすぐれものだ。神器と呼ばれるそれらは需要が高く、爆発的に広まり大量生産が始まっている。そんな時代に、原始的な武器を見張り番に持たせるこの村は、餌場だった。しかしそれはイブリースにとってもそうであるし、魔物にとってもそうであるということだ。
「いやあ、すみません」
頭を掻き、困ったと苦笑しながら門に近づく、いかにもな優男を見張り番が不審に思うはずはなかった。見張り番が他にアクションを取る前に、イブリースは腰の鞘に入った剣と共に両手を上にあげ、服従の恰好を取る。
「しがない旅人です。申し訳ありませんが、この村で一晩休ませていただけないでしょうか。腕にはそこそこ自信があります。何か、助けになれることがあれば、ぜひやらせてください」
イブリースはその異常なほどの洞察眼で気づいていた。彼にとっての餌場は、魔物にとっても餌場であるということ。こんな辺境にある小さな村という格好の的を魔物はただ放置しておくはずがない。村は何か魔物関係で問題を抱えているに違いがない。
見張り番の男は、イブリースの屈伏した外見に騙され、あっさりと門を開き彼を村へと招き入れた。イブリースはどうも、と笑顔で帽子をとり会釈をして中へ入っていく。
――史上最悪の毒が、平和な村に紛れ込んだ。
「オーガ、ですか」
「そう、オーガ。まあいうて鬼ですな。そいつらが忘れもしない4日前に突然この村を襲いまして」
あれから村に入ったイブリースは、見張り番に呼ばれて駆け付けた村の若い男に案内され、村長らしき者の家へ招待された。その中で、村長と思わしき人の妻が持ってきたお茶を交えて、村が現在進行形で直面している由々しき問題を、村長である50過ぎのトロメーオと名乗る男から聞かされている。
「その時は、村娘を1人差し出すことで難を逃れましたが……。5日後、つまり明日にまた新たな娘をいただきにくると。しかも、名指しで」
「その、オーガに名指しされた娘というのは」
「――私たちの、娘です」
盆を両手に持ち胸にあてながら、2人の会話に入ってきたのはトロメーオの妻だった。その瞳には涙がにじんでいて、それを見たトロメーオは彼女を優しく抱き寄せる。
「差し出さなければ、村を襲い男は皆殺し、女は攫う、と」
トロメーオは濁り憂いた目でお茶に浮かぶ立ちかけた茶柱を見る。期限は明日まで。さらに相手が複数のオーガときた。これを単独の少し自信のある旅人如きがどうにかできる代物でないことを、トロメーオは勘づいているのだろう。その旧時代考え方で。しかし時代は変わっている。例の神器が発明されてからは人間側の戦力が跳ね上がり、オーガなど動きの遅くタフな魔物程度ならば、例え相手が複数でこちらが単独でも撃破できてしまうことも可能となってきていた。魔界との千日手だった争いも、人間界側へ傾いてきているほどに。
それらのことをこの村にいる人間は知らない。だからといって、イブリースはそれを教える気もない。この村はイブリースにとって、ただの餌場でしかないのだから。
「……やって、みます」
十分に間を取って、渾身の一言と思わせる言葉をイブリースは放つ。その言葉にトロメーオと妻は喜んで笑いあうが、その中には諦めの感情も入っていた。この青年1人じゃ、希望は薄いであろうと。しかしそれでも、たった1%の希望であろうと、希望があるのとないのとではメンタル面も変わってくるのだろう。妻は嬉しそうに村へ出ていき、この朗報を村の人々に伝えに言ったようだ。
その裏で、トロメーオは静かに言った。
「命を、捨てるものじゃないですか……。こんな頼み事をしてしまい、本当に申し訳ない」
「いえいえ。僕もお役に立ちたいと思っていますから。その4日前に連れていかれた女の子も、頑張って連れ戻しますよ」
苦笑いを浮かべるイブリースに、トロメーオの顔が少しばかり曇る。何か余計なことを言っただろうか、と表面上の苦笑いは崩さず自分の記憶を辿るがそれらしいことは見つからない。少したって、トロメーオが口を開いた。
「その女の子なんですがね、別に持ち帰ってこなくてもいいといいますか。気にせずオーガ討伐だけをやっていただけたら、と思います」
「は、はあ」
「実はその子、捨て子でしてね。私も扱いに困っていたんですよ。恥ずかしながら、村の経営もギリギリでして、どこの子かも分からない子を養うのは、どうしても、ね?」
ははは、と遠慮がちに笑うトロメーオ。イブリースはその笑いを見て、自分の住んでいた村を思い出す。あの頑固で強面の男なら、どうしたであろうか。
イブリースは笑うトロメーオを神妙な顔を作り見つめてみる。それから目を閉じて少し考えたフリをすると、笑顔というまでもないけれど、唇を緩めた。
「……事情は分かりました。心苦しいですが、そうします。日没も近い。では、早速」
討伐に向かうか、と席を立った。腰の剣を確認して剣士らしさをアピールする。それからトロメーオに向かって一礼して、背を向けた。
そんなイブリースを頼もしそうな、少し不安げな目で見ていたトロメーオは、イブリースが玄関のドアに手をかけた辺りでしまった、と言わんばかりに声を上げる。
「すみません旅のお方! お名前をお聞きしていなかったもので」
イブリースはドアノブにかけていた手を止めて、一拍置いてから振り返った。
「イブ。イブです」
「女性みたいな名前でしょう?」と笑って、それから振り向きなおして外へと出て行った。トロメーオの家のテーブルには、まだ湯気の発つお茶が残されていた。
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