第5話 ダリアの過去Ⅳ
季節は流れて、春になりました。人々は冬の寒さから解放されて、その表情をニッコリと笑わせました。ダリアも「それ」と同じ気持ちで、「ぐうっ」と背伸びしました。
「気持ちいいな。春は、やっぱり」
ダリアは穏やかな顔で、封土の空を見上げました。封土の空は、晴れています。山の向こうには雲が見えますが、頭上の空には「それ」がまったく見えませんでした。その空から視線を逸らし、自分の仕事をまたやりはじめます。
彼が自分の仕事をやっている間、遠くの方から「パカパカ」と言う音が聞こえてきました。馬の足音です。馬は農道の上を走っていましたが、彼のいるライ麦畑まで行くと、その足を静かに止めました。
ダリアは仕事の手を止めて、馬の方に視線を向けました。
「あっ」と、彼の目が見開きます。馬の上には一人、茶髪の男(四十代の中頃でしょうか。身長は彼よりも高いようですが、体型の方は彼よりも痩せていました)が乗っていました。茶髪の男は優しげな顔で、彼の事を見ています。
ダリアは、その視線に震え上がりました。
「う、ううう」
「大丈夫、そう怖がる事はない。私は、ここの領主だよ」
「ここの領主様?」と、彼の目が見開きます。「アン……いや、貴方が?」
「ふふふ、敬語に慣れていないんだな」
を聞いて、ダリアの顔が赤くなりました。子供の頃はあれほど怒られた彼であっても、こう言う本物の大人に叱られるのは、やはり恥ずかしかったからです。
ダリアは恥ずかしげな顔で、領主の男に頭を下げました。
「申し訳御座いません。ご無礼をお許し下さい」
男は、彼の謝罪に首を振りました。
「謝る事はない。『領主』と言っても、そのすべてを知っているわけではないのだ。滅多に行かない場所もあれば、君のように」
「俺のように」
「初めて出会った農奴もいる」
男の口元が笑いました。
「君の名前は?」
「ダリアです。畑の近くに住んでいて」
「そうか、うむ。確かに良い畑だな。今年の夏が楽しみだ」
「はい、すごく楽しみです!」
男は「ふっ」と笑って、畑の周りを見渡しました。
「父上と母上は?」
「……死にました、去年の冬に。二人とも同じ病気で」
「……そうか。それは、嫌な事を聞いてしまったな」
「いいえ。二人が死んだのは、仕方ない事です。町のみんなも言っていました。『これは、変えようのない事だ』と」
「変えようの無い事、か」
「……はい」
男は、封土の空を見上げました。
「私もある意味で……『運命』と言って良いのかな? そう言うモノに苦しめられている」
「領主様も?」と、ダリアは驚きました。
「跡継ぎに死なれてしまった、大事な長男坊を。年は」
男は、ダリアに彼の年を聞きました。
「なるほど。君の方が年上だな。長男坊は二番目なんだが、六つの時に死んでしまったよ」
ダリアは、複雑な気持ちになりました。自分は、両親を喪った。そして、目の前の男は我が子を喪っている。「親」と「子」の違いはありますが、その思いはきっと同じに違いありません。
「悲しい思い出ですね」
「ああ、そうだな。だがいつまでも、悲しんではいられない。天に旅立った人間は、もっと辛いのだ。自分の志が果たされたのならまだしも、志半ばでその命を喪ったのだとしたら」
「……そうですね。だから、俺も生きようと思いました。こんなに悲しい時代だけど、明日にはきっと良い事があるかも知れないから」
「私は、それを見つけに行く」
男は、ダリアに微笑みました。
「婿を探しに行くんだよ。大事な一人娘の、な。今日は、それを報せに来た。封土の中をぐるりと回って。他の農奴達も驚いていたよ。『お嬢様の婿を見つけに!』とね。彼等は、娘の事を良く知っている。男勝りの性格で、親の私も手を焼いているよ」
ダリアは、彼の話に苦笑しました。
「良い相手が見つかると良いですね」
「ああ、本当に」
二人は、互いの顔を見合いました。
「それじゃ、ダリア。勤勉なのは良いが、あまり無理はするなよ? お前が死んでは、天国の親も浮かばれない。彼等に対する最大の親孝行は、お前の笑顔を絶やさない事だ」
男は馬の手綱を持って、彼の前から走り出しました。
男との出会いから一ヶ月が経ちました。
ダリアは小屋の中に農具を仕舞うと、自分の家に帰って、今夜の夕食を作りはじめました。今夜の夕食は、黒パンと薄味のスープです。
彼はテーブルの椅子に座って、薄味のスープを啜りましたが、それを三口ほど啜ったところで、ある思いがふと思い浮かびました。「娘さんの夢は、ちゃんと見つけられたのだろうか?」と言う疑問です。その疑問をしばらく考えましたが、「まあ、その内に分かるだろう」と思い直して、夕食のスープにまた意識を戻しました。
疑問の答えが分かったのは、それから三日後の事でした。
近所の農奴達(一人は、封土の中心部から来た人のようです)が話している事、つまりはその内容を偶然に聞いてしまったからです。
ダリアは、その内容に驚きました。「都でたまたま見つけた孤児を婿に?」と。だから、その詳しい話を聞こうとしました。
「詳しい話? はっ、知らないね。俺も他の奴から聞きかじっただけだから」と、右側の農奴。彼は「面倒は御免」と言う顔で、彼の事を「しっ、しっ」と追い払いました。
ダリアはその態度に苛立つ一方で、今の言葉にも意識を向けていました。国の都がどんな場所なのかは、分かりません。
ですが、そこが華やかな場所であろう事は容易に想像できます。そんな場所でどうして、男は一人息子の婿に孤児を選んだのでしょう?
その疑問を考えつづけました。ライ麦畑で働いている時はもちろん、自分の家に帰った後も。頭の中は、その疑問でいっぱいです。
ダリアは自分の顎を摘まみ、疑問の答えを見つけようとしましたが、情報があまりに少ない事もあって、結局は考える事を止めてしましました。
翌日の天気は、曇りでした。
ダリアは真面目な顔で右手に農具を持ちましたが、道の向こうから馬の足音が聞こえて来た瞬間、その意識をすっかり忘れてしまいました。視線の先には一人、領主の遣いでしょうか? 三十手前の男が馬を走らせています。男は農奴達の姿を見ると、馬の上から怒鳴るように、彼等に向かって来訪の用件を話しました。
「明日の昼、ウォルタール家の館に集まれたし。我が主人の一人娘、〇〇嬢と△△様の挙式を執り行う。病気や怪我で動けぬ者意外は、全員出席されたし!」
農奴達は、彼の命令に驚きました。
ある者は「結婚」と叫び、またある者は「〇〇嬢が!」と狼狽していました。
ダリアは複雑な顔で、彼等の反応を眺めました。〇〇嬢の結婚にはもちろん、驚きです。領主の話では、彼女はとても男勝りのようですから。そんな女性と結婚する男は、一体どんな人物なのか。彼の好奇心が強く刺激されました。
翌日の天気は、快晴でした。空はまだ薄暗いですが。封土の上はもちろん、山の向こう側にも雲がまったく見られませんでした。
ダリアはワクワクした顔で、ウォルタール家の館に向かいました。彼が館に着いたのは、太陽が頭上に来るよりも少し前の事でした。館の庭には、たくさんの農奴達がいます。庭の真ん中には、司祭の姿も見られました。司祭は右の脇に聖書を抱えて、新郎と新婦が現れるのを待っていました。
ダリアは、農奴達の中に紛れました。農奴達は嬉しそうな顔で、「いやはや、それにしてもめでたいな。あのお嬢さんに婿が来るなんて」と話し合ったりしたり、「花婿の少年、確か十七歳くらいだよな? 前から不思議に思っていたんだが、我々の領主様はやっぱり変わり者だよ」と笑い合ったりしていました。
「花婿の男は、十七歳? 俺と大して変わらないじゃないか?」
ダリアは呆けた顔で、館の外壁に視線を移しました。
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