僕の存在は天災?それとも......〜竜のオツカイ〜

やまくる実

第1話 出会い


【ライ 視点】


 真っ暗な中に、月がぼんやり浮かび星も淡く光っている。その日はとても幻想的と言う言葉が相応しい夜空だった。


 そんな中、その夜空を包み隠してしまうほどの大きな影があった。


 前の日の雨粒が綺麗に光る草や木々の上を、その巨大な身体を隠すように身を縮めるその生き物の影が。


 だが、どんなに身を小さくしても、小さな村一つを飲み込んでしまうほどの大きな身体は隠すのは困難に思われた。

 

 少し枯れかかった茶色い葉が見え隠れする長細い木々がびっしり生えたそこは、人里離れた山奥。鳥と動物達の声が聞こえてきそうな所ではあるが、その日は寂しいくらいひっそりとしていた。

 

 カサカサ、風が強く吹く度に木々が揺れる。

 

 今日も彼は小さな心臓(いやそれは例え話で、実際は大きいのだが)の鼓動がどんどん速くなるのを必死で押さえながら、ご主人様が戻るのを心待ちにしていた。


 彼の名前はライと言った。

 臆病で恐がりで優しい彼には少々似合わない名だった。


 初めて訪れるこの地はちょっと可笑しな所らしい。見た感じは自然に溢れ生き物も過ごしやすく、彼が知っている星と変わらないように思われたが、そうでもないのだ。

 気候が一年中安定しておらず季節というものがあるらしい。

 この星の名は地球星と言っただろうか。


 体中を鱗で覆われ、寒さ暑さにも強い彼だが、心に不安を感じると途端に弱くなってしまう。

 ライの姿はこの星の人達には見えない。

 そう主人に言い聞かされていたが、信用してない訳ではなかったのだけど怖かったのだ。

 この星には自分の様な大きな生物は居ないようだから。


 いつもはそんな風に不安になってしまう前にちゃんと彼の主人が現れるのだが、今日は少し帰りが遅かった。



 大きな掌で顔を隠す、だけど指の隙間から見たくもないものまで見えてしまう。

 ライは周りが恐怖で恐れ失神してしまうほどの恐ろしい容姿をしていたのだが、とても気が小さく、そしてとても優しかった。


 そう、ライは優しかった。だから彼は今とても不安定な位置にいた。


 木々の天辺にそっと爪をかけ尻尾も浮かせ、当たるか当たらないかの所で体を支える。

 人で言うと空気椅子に近い状態という感じだろうか。

 本当は彼の種族は能力として自分の身を小さくすることができるのだが、ライはまだそれができなかった。

 飛んだままの状態だと必要以上に身体に負担がかかってしまう。だけど着地すると、そうじゃなくても大きな身体だ。木々を潰してしまう。

 そんな不安定な状態だ。落ち着かなくなるのも無理もないのかもしれない。


 彼の身体は本当に大きい。だから下手に動くと木々や草花に影響が出てしまう。

 彼のするちょっとの仕草で、ものすごい突風が吹くのだ。


 というのもあってライは主人が戻るまでじっとするしか無いのである。

 腕や足、しっぽをプルプルさせながら。


 もともと彼の種族は落ちついていて心も体も強いものが多い。

 ライは彼らとはいろんな意味で違っていた。


 必死で耐えているライだったがすでに極限状態まで来ていた。

 汗が落ちそうになる。

 だがそれは、この地に大量な水が降る事と等しい。

 ライは必死に耐えていた。


「……っさ……ん……お……」

 音に反応し、ライの耳がピクリと動いた。

 それは小さな声の様だった。

 その小さな音に自分の心拍が早くなるのを感じたライは更に耳をすます。


 距離としては100kmぐらい先だろうか。

 この地は先ほども言ったように、人里離れた巨大な山奥。

 こんな所で人物の様な声がするのは奇妙なことだった。

「お……お父さーん……」

 泣き声も混じり、舌足らずでとても聞き取り難いが、確かにそう言っている。

 声の高さからして、とても幼い女の子の様だった。


 心細いであろうその声は、とても聞き辛い音だったが、ライの心の奥に響いてきた。


 100km離れていると言っても彼の身体はとても大きい。少女の所へ行くのは容易かった。


 だがライは主人が居る身。

 主人の言いつけは絶対。

 ライは主人に、自分が戻るまでここを離れてはいけないと、そう言われていた。


 主人はライをココに縛りつけたかった訳ではなかった。

 彼が動く事はそれだけこの地に影響を及ぼすのだ。


 動いてはいけないよ。

 主人の声が頭の中に響く。


 大丈夫、小さな子は親に守られ、一人で行動する事はないと書物に書いてあった。

 きっと少し離れているのかもしれないが近くに親か彼女を守るものが居るだろう。


 ライの心臓の音はどんどん大きくなっていく。

 少女の声が少しずつ力を無くしてきた。

 自分の心臓の音が頭まで響く。

 脈もどんどん速くなる。


 僕はやはり半人前だ。

 何も考えられない。


 ライの身体が、フワッと浮いた。と同時に恐ろしいほどの突風が吹いた。

 眼は開いているが意識は無いように思われた。

 彼に聞こえているのはもう消えそうで無くなってしまいそうな、小さな、小さな少女の声だけ。


 少女の近くに近づいた時、ライの意識は戻った。

 それと同時に事の重大さを自覚した。


 自分が、動いたのであろう道筋にそって木々が全て傾いていた。中には抜けて倒れてしまったものもあるほどだ。

 ライの額に汗がにじむ、そして徐々に球が形成される。が、それを落とす訳にはいかない。そうしてしまうと下は大洪水だ。

 必死に両手両足尻尾で汗を受け止める。


 がそれが悪い方向に進んでしまった。

 大きく身体を動かすという事は下で巨大な突風が吹くという事。

 木々達が風に煽られ倒れてしまったと同時にその木々達の隙間から、ライからしたらアリンコサイズの小さな物が吹きあげられ、ライの近くまで浮き上がってきた。

 

 ライの種族は大きさの違いを無くす為に無意識に眼球をミクロモードに切り替える事ができる。

 だが、ライにしてみたらとても小さい、気にしなければ気がつかないだろう。

 だけどライは髭を垂直に伸ばしダメージを受けない様、気を配り小さなものを受け止めた。

 その小さなものが転びそうになるのと同時に指に誘導する。

ミクロモードに切り替えて見てみると、木につかまって震えている幼い少女だった。


 少女が震えながらこちらを向く。

 ライの指は粘っこかったので、落ちる心配はないようだ。

 その粘々の所為でよくゴミがくっ付くのだが、1時間に一度、掌に生えている多数の太い毛が伸びてゴミを掃除できるから、そんな痒くもない。

 薄く繊細な産毛の様なものは常に生えているのでベタベタにくっつき過ぎるという訳でもない。

 ライ自身は気にもしていなかったのでそんな身体の構造知る由もなかったが……。


 丁度数分前に太い毛が伸び元に戻ったばかりなので、少女と少女のつかまっている木以外は綺麗なものだ。

 すごく良いタイミングだったらしい。

 

 少女は目をまん丸にしながらライと目が合い、二人はそのままピクリとも動かないくらい数分間見つめあった。






 

 その地は昔、神様が沢山の星達を作る前に作った場所。豊かな花や緑で彩られたとても美しい地。

 その地の名は天中星(てんちゅうせい)と言った。

 そこには二種類の種族が居た。


 一つは人類にとても良く似通っていて、だけど人類よりも何百倍も能力が優れている。

 そしてもう一つは、鱗があり長細く巨大な、地球の言葉で言うと竜と呼ばれているものにとても良く似ている。

 竜はこの地ではツイ族と呼ばれ。

 もう一つの種族は主人と呼ばれていた。


 ツイ族は主人よりは脳が優れていない。

 ツイ族が主人に仕える事でこの地が成り立っていた。


 そして主人達は沢山の星達を守るという仕事があった。

 それはこの地が出来たときから決められていた決まり事。


 天中星は神々たちの居る天国にとても近い場所にあって、神達が訪れることも多かった。





【美津 視点】


 この日、彼女は顔いっぱいに笑顔を浮かべ虫を観察していた。

 葉の筋に沿って動く蝸牛がとても可愛く指でつつきたくてウズウズしていた。


 彼女の名前は杉山 美津(すぎやまみつ)6歳、髪を頭のてっぺんで二つに結ったちょっとお転婆な少女だった。


「あんまり離れるなよ。お父さんは仕事で来ているんだから」

 そうちょっと渋めの低い声で言うのは美津の父、正夫。

 年はまだ38歳ぐらいなのだが気苦労の所為かてっぺんの毛はかなり薄くなっている。

 だが美津を見る目は誰よりも優しそうだった。


 正夫はこの日、仕事である山奥まで来ていた。

 彼は妻を早くに亡くし、仕事で自分の家を離れる時、娘の美津はいつも近所に住む妹夫婦に預けるのだが、今日はそう言う訳にもいかず、大変になると分かり切っていたのだが連れてきてしまった。


 美津はこの年の子供達よりも世話が大変だった。なんと言うか、変に大人っぽくそしてすごくお転婆だったのだ。

 小さなものにも興味を示し、男の子の様に冒険が好きで、その割には冷静な面もあり頭も良い。


 ここは美津が住む、都会の住宅街よりも、美津の心を揺さぶるものがたくさんあった。


 もう冬に近いからか木々の色はかなり茶に近く葉もないものも多い。

 だが既製のように出来上がっている緑より、美津はこの緑の方が好きだった。


 小さな草花、動物達のかすかな匂いに心が動く。木の皮をめくると虫達がたくさん。樹液からも、なんだか良いにおい。

 葉から垂れそうなつゆを舐めようとしたその時、肩を軽くつかまれた。

 振り返ると父、正夫が困った顔でこちらを見ている。

「こらっ。お父さんを困らせたいのか?全然仕事が捗らないぞ」

 困ったように周りを見渡し二人が乗ってきた車を指さした。

「車の中に、美津の大事なノートパソコンがある。あそこの後ろ座席でお話でも書いてなさい。だけど前には乗っちゃだめだぞ?危ないからね」

 と優しく美津の頭を撫でた。


 美津は納得行かなかったものの、大人しく車の後部座席に戻った。こそっと掌に隠したカブトムシと一緒に。

 正夫に言われたとおり、ノートパソコンを開きパソコンの上にカブトムシを置く。


 お話を作るのも好きだった。

 だけど、こんなに楽しい所に居るのにお家にいる時と変わらないことをするなんて、勿体無さすぎる。


 カブトムシの頭を撫でながら美津は頬を脹らませた。

そうしているうちに美津の目線は外に動く。

 窓の外に映るその景色はとても幻想的だった。

 木の葉の隙間から夕陽が透け、優しい光を放っている。

 なんて綺麗なのだろう。

 しばらく美津は見惚れていた。

 なにか目の錯覚だろうか小さい粉の様なキラキラしたものが見える。


 木々の葉の隙間から薄い緑の粉の様なものが光の線のように落ちていた。

 それが光に反射し、淡い、優しいという表現がぴったりな、そんな光を放っていた。

 美津の乗っている車は、もちろん動いていないが天井の窓が開いていた。

 そこに緑の粉が少し、入ってきた。

 美津は無意識に手を伸ばしていた。

 その光にあたるとなんだか不思議な感じがする。

 頭に昔の記憶が蘇る。

 優しい、暖かい歌声。


 この声は……女性の声は……なんだろう。

 暖かい、優しい。

 お母さん……。


 少し意識が飛んでしまっていたが、ブーンっという音で我に返る。


 パソコンの上に乗っていたカブトムシが、粉に向かって飛び出していた。


 美津は慌てて手を伸ばしカブトムシを捕まえようと身を乗り出す。


 その時、バランスを崩し前座席に着地、それでも勢いは止まらずハンドルの所のスイッチを押してしまった。


 この車は電気自動車。

 普段はエンジンをかけてから発信するのだがハイテクすぎて困った点もあった。


 この車のエンジンルームには自動ロボットが備え付けられていて、ハンドルの所にオートチェンジャースイッチがある。

 このスイッチを押せば勝手に車が動き出してしまう。

 普段はスイッチにケースが被っているのだが、どういう訳かスイッチにケースは被っていなかった。


 ブルンブルンと凄まじいエンジンの音が鳴り響く。

 タイヤ下からは泥水がかなり跳ねている。


 音に気がつき正夫が慌てて振り返った時にはすでに遅く、車はすごい速さで前に吸い込まれるようにして行ってしまった。


 慌てて追いかける正夫だが、泥と草が足を取り無様に転ぶ。

「美、美津……!」


 大きな叫び声が、何回もこだましながら山奥に響いた。




 車はどんどん前に進む。窓から木々が揺れるのが見える。先ほどの緑の粉も天井から降ってくる。なんだかすごく素敵な大冒険が始まった気がして美津の心はワクワク感でいっぱいだった。


 この時、6歳と言う小さな少女である美津だが、不思議と恐怖はなかった。


 車内に内蔵されているロボットはちゃんと道を把握し障害物にぶつかる事はないと確かお父さんが言っていた。


 美津は心の中で父親の言葉を反復し、車のメーターやガソリンの量を確認しながら、できる女気取りでハンドルを握った。

 ただ困ったことに言うとおり止まってもくれないし、かなり気まぐれらしい。

まだ開発途中で安価で譲ってくれたらしいのだ。

 安価で譲ってくれたと言ってはいたが、実際は借りているだけだった。まだ開発途中で危ないから売れないと言っていたものを正夫が無理やり借りたのだ。普通の車が買えない訳ではなかったが正夫も美津の父親だ。冒険や新しいもの珍しいものが大好きだった。

 美津に良い顔をしたかった正夫は安価で買ったと言ってしまっていた。


 暫く進んだ所で変な音がし車は急停止した。エンジンが空振り泥酔の水は跳ね上がる。

 どうやら沼地にはまったらしい。

 美津は普段父親がしていたとことを思い出し車のロックを解除し外に出た。

靴にベタっとする泥が付く。さっきまでのわくわく感が少しづつ薄れていく。 

振り返っても、もうどこにも正夫の姿は見えない。

 日も陰り、素敵な光がだんだん不気味なものに変わってきてしまったようにも思えた。


 美津は警戒しながら辺りを見渡した。

 地面には、車のタイヤの跡が付いていてそれが続いているのが見えた。 

美津は6歳だったが、この年齢とは思えないほど頭の良い少女だった。


 この跡の先にはお父さんが居る。

 そう思い力無く重い足を一歩一歩と前に進めた。



 森の中に可愛らしい音が響く。小さく美津の腹の虫が泣いた音だ。

 音の少ない夜の森にはたまにフクロウの鳴き声が響くだけだ。その音は小さいながらもやけに響いた。

 そう、車が誤って発信してしまったあの時は、丁度、夕食を食べる前だった。

 お腹を摩りながら、足を前に進める。


 美津の小さなスニーカーも泥にまみれ、膝も泥にまみれている。


 こんなことなら長ズボンを穿いてくるべきだった。


 美津が履いているのは少し短めの半ズボン。後悔しても遅い。

 途中走ったりして転んでしまったようだ。


 もう冒険に向かって走り出した当初のワクワク感もすっかり消え、不安ばかりが頭を支配する。

 あんなに綺麗だった木の葉も今の美津には化け物に見えた。


 手足は震え、背筋も凍る。今まですべて味方だと思っていた森の生き物が皆、敵のように感じられた。

 足もなかなか前に進まず、もう小さくしか動かせない。


「お……お父さーん……」

 美津は精一杯の声で叫んだ。

 感極まったように震え、舌足らずで、聞き取り難い幼女の声が森の奥まで響いた。


 美津は何回も何回も声を上げた。

 父は美津のヒーロー。きっと来てくれる。

 そう信じて。

 だけど、車で走った距離は結構な距離だったようだ。子供、ましては6歳の幼子の足ではどんなに歩いてもたかが知れていた。暗くなり辿っていたタイヤの跡も段々、見え辛くなってきた。


 その時、耳が冷たく冷えピリッと小さな痛みを感じた。

美津の後ろの空気が変わった気がした。

 ものすごく大きな風の音が後方から響き、美津の髪も前方に揺れる。


 遠くの方から木々の倒れるような大きな音が響き、動物達の慌てたような叫び声が聞こえる。

 美津の足はガタガタ震え、驚きと恐怖で声も出なくなった。

 風と木々の倒れる音はどんどん、どんどん近付いてくる。


 カブトムシも美津から落ちないように美津のTシャツにしがみついた。


 そんな時、一瞬、風が止んだ。

不審に思い、美津はゆっくりと周りを見渡した。


その時、さらに激しい風が吹き、目の前の木々が悪夢の様に舞い上がった。

それと同時に、美津の身体も舞う。

美津は慌てて一緒に舞っている一本の木に摑まった。

美津は力いっぱい目を瞑った。

痛いもの、恐いものから逃げるように。


3秒間ぐらいのことだっただろう。

美津にはすごく長い時間に感じた。

過去の父、そして母との思い出が頭を回った。

力いっぱい目を瞑った為か目の芯が痛くなった。

だが、いつまでたっても来るであろう痛みが襲ってこない。

本当なら地面に叩きつけられている筈だから。

足に力が入らず美津は尻もちをつく。

と思ったら頭と身体の横の部分に、ヌメっとした柔らかい物が触れていることに気がついた。

美津はゆっくり目を開けた。

緑色の涎の様な不思議な物体だ。

触れていると言うか、目の前に広がるもの目にすべて映るものが、その緑一面、後、所々に太い木の様なものが見える。(実際には産毛だが美津には太い木に見える)

自分の捕まっていた木から手を放し、緑の物を触る。

なんだか本当ヌメヌメしているのに、くっつく。

何これ?だけど柔らかくて気持ち良い。


そんな風に浸っていたが、目の前に自分の身体よりも何倍も大きい眼の玉が美津を見ている事に気がつき体中が驚いて飛び上がりそうになった。


美津は目の前に起きた現実を、現実と認める事ができなかった。

目の前には大きな目の玉。全体像まで分からないから恐竜の様にも見える。

た、食べられちゃう?

だけど不思議と怖くはなかった。

青い綺麗な目の玉はすごい形相だったけど涙袋に沿ってある大きな皺がとても、優しそうで間抜けにみえたから。

恐さを忘れて目を見開いて恐竜の目のようなものを見つめた。


優しい巨大な目の玉も驚いたような感じで、でもまっすぐ美津の方を見つめていた。





【ライ 視点】


なんて可愛い子だろう。

ライは暫く少女(美津)に見惚れてしまった。

見た感じは主人ととても良く似た種族の様だ。

確か人類の見た目は主人と似通っていると『地球という星』という本で見たことがあった。

しかし主人の事は憎らしいと思った事はあっても可愛いと思った事は無い。

もちろん、そんな風に思うなんて怒られそうだが。

主人の事も大事に思っていない訳ではない。

だけどなんていうのだろうか、可愛いと思うような感覚が浮かばなかった。


どのくらい見つめ合っていたのだろう。


後方からブリザードの様な冷気を感じとった。

ライは背筋が凍るような嫌な予感がした。


顔を震わせながらゆっくり後方を振り返った。

ライが動いた事で、下ではまた突風に煽られる。


そこにはライがよく知る、いつも笑っている優しい顔じゃなく、般若の様に恐ろしく唇を引くつかせた主人、名は祠堂(しどう)の顔があった。

主人は人間と見かけ大きさは似通っているが、身体のサイズを自由に変えることができる。

現在祠堂の顔はライの顔と同じ大きさ、身体の大きさは元のまま(普通の人間サイズ)だがすごい迫力だ。これじゃあどちらが悪の根源か分からない。


ど、どうしよう。

どこからどう見ても怒っている。

半人前のライは祠堂を怒らせる事は度々あったが、こんな天地がひっくり返りそうなほど怒った祠堂の顔を見たのは初めてだった。

「し、祠堂様……」

ライの声は震え、冷や汗も次々流れる。

このままでは大洪水だ。


祠堂は慌てて顔を和らげ、

「ライ、汗を止めなさい」

そう命令した。


主人、祠堂の言う事は絶対。

身体にそれが染みついているライは自然と汗が止まった。


下もなんとか大洪水になるのは免れた。

美津はライの掌に乗り指にしがみ付き固まっている。

その美津の肩にはカブトムシがしがみついていた。


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