第205話 その目でよく見ろ!

「……」


 ティアの姿に偽装したハルナに頭を下げるミーシャを、何も言わず不貞腐れたような表情で見つめるエリオ。

 すると、ミュルサリーナがエリオの前に立つ。


「ねぇ、ひょっとしてこれ、坊やの忘れ物じゃなぁい?」


 彼女の手には、書庫に置いてきたエリオの弓矢が握られていた。


「げっ……! そ、それは……」


「あら、大事な物じゃないのかしらぁ? ……治療院の王女様を射抜くための、大事なだぁいじな弓矢……なのよねぇ?」


 そう言ってエリオに笑みを向けるミュルサリーナの口角は、まるで三日月のように吊り上がっていた。

 エリオは目の前の女性から言い知れぬ不安と得体の知れない重圧を受ける感覚に苛まれ、身体の震えが止まらない。


「あ、あんたは……何者なんだ……? どこまで……知ってるんだ?」


「坊や、自分が王女様の狙撃犯だって認めるわよねぇ?」


 エリオはミュルサリーナの手からひったくるように弓矢を奪うと、矢を番えながら後ろに飛び退く。


「ミーシャ、戦うぞ!」


 そう叫んだエリオがミュルサリーナに向けて弓を引こうとした瞬間、エリオの視界は暗闇に閉ざされた。


「坊やの心……隙だらけだったわよぉ? うふふふふっ」


 視界を失ったエリオは、完全に平常心を失った。

 その『神の眼』の力で、物心がついたときから自分が望めば、ありとあらゆるものを見通すことができたエリオ。

 しかし、今はどれだけ目を開けても、神の眼を以てしても、一筋の光さえ見えないのだ。


「なっ! 何だこりゃ! 何も……何も見えねえ! わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 死ね! この! 当たれ!」


 やがて、自棄になったエリオはその手で弓を引き絞り、番えていた矢を放つ。

 それは一本にとどまらず、手探りで矢筒が空になるまで、ありとあらゆる方向に乱れ撃ちを続ける。


「エリオ! 落ち着いて! 危ないよ!」

「おい、撃つのをやめるんだ! こっちは戦う気なんてないんだぞ!」

「グレインさま、危ないからお下がりくださいっ!」

「あらあらぁ。坊やは目が見えなくなっただけでパニック起こしちゃったぁ?」

「リズちゃん! 危ないからわたくしと一緒にこちらへ……え、当たってもすり抜けるから大丈夫ですの? でもわたくしは死んじゃいますわぁぁぁ!」


 そうしてエリオが最後の一本を撃った時、聞き慣れた少女の悲鳴が聞こえる。


「きゃあああっ!」

「危ないっ!」


「おい、もう撃つな! 落ち着けよ! お前何やってるんだ! 仲間だぞ!?」


「お姉さん! しっかりして! ひっ! ひどい傷……ごめんなさい! ……うわぁぁぁん!」


「え……え?」


 エリオは、自分の視界を塞いでいる暗闇の外側で何が起こっているのか全く把握できなかったが、ミーシャの泣き喚く声を聞いて我に返る。


「ミュルサリーナ、こいつに掛けた呪いは解けないのか?」


「掛け捨ての呪いは持続型の呪いと違って、掛けた時の魔力量と、呪いを受ける側の抵抗力によって持続時間が変わるのよぉ。だから、いつ解けるかは坊や次第、術者の私でも好きなタイミングで解くことはできないのよぉ。……まぁ、そんなに強くは掛けてないから、そろそろ解けるんじゃないかしらぁ?」


 エリオはミュルサリーナの言葉を聞き、静かに深呼吸を始める。


「あら、案外賢い坊やねぇ。そうよぉ。そうやって、心を落ち着けて深呼吸していればすぐに解けるわぁ」


 すると、確かにエリオの視覚は少しずつ光を取り戻し始める。

 ややあって周囲の景色がはっきりと視認できるようになったエリオは、目の前の惨状に思わずたじろぐ。

 そこには、矢を受け止めて右腕が千切れかけた状態で蹲るハルナと、彼女にすがりついて泣き喚くミーシャの姿があった。


「え……? ミーシャ、なんで泣いて……。そいつは……そもそも俺達の敵じゃ……」


「お姉さんは……私を庇ってこんな大怪我をしたの! お姉さんがいなかったら、私どうなっていた事か!」


「坊やがでたらめに撃った矢が、至近距離にいたミーシャちゃんの頭を直撃……するところだったのよねぇ」


「そ、そんな……」


「……ハルナはその子を庇って怪我を負ったんだ。これがお前の行動の結果、齎されるものなんだ。その目でよく見ろ!」


 グレインはエリオの襟元を掴むと、そのままハルナの受傷部へと彼の顔を近付ける。

 彼女の右腕は、もはや皮一枚でぶら下がっている状態で、おびただしい量の血が流れ落ちている。


「うえぇっ!」


 思わずエリオはそんな声を出す。


「目を逸らすな、よく見るんだ。気持ち悪いか? お前がティアに……王女にしようとしてたのは、これ以上にもっと凄惨な事になるんだ。お前は、人を殺そうとしたんだ。それがどういうことなのか、よく見るんだ」


「私の代わりにこんな……。お姉さんが……このままじゃ死んじゃうよ! 血が全然止まらない! 止まれ……止まれぇ」


 エリオの眼前で、ミーシャはぼろぼろと大粒の涙を零しながら、ハルナの腕の傷を両手で押さえて止血を試みている。


「ハルナ、さっきから俺も強化してるんだが、自己治癒でも治らないか?」


「まだヴェロニカさんから受けた傷が完全に回復しきってないのと、ちょっと傷が深過ぎるみたいで……すぐには死なないけど現状維持、といったところでしょうか。治療院に戻って、一旦死んだ方が早いかも知れませんねっ」


 まるで死の淵にいるとは思えないほどのんびりとした様子で、自身の状態を説明するハルナ。


「治療院の様子が分からないからな……。リリーが生きてりゃいいけど」


 グレインもまた、まったく焦る素振りを見せずに腕組みをして考え込むのであった。

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