第181話 さすが師匠!

「暇だな……もう飽きたぞ」


 初夏の陽射しが照りつける昼下がりに、通りをぶらついていた偽トーラス──グレインがそんな事を呟いたのは、彼がこの姿に成り代わった翌々日の話であった。


 日中は特に何もすることがなく、まして今の自分はトーラスの姿であるため、普段のように振る舞う事もできない。

 さらにナタリアやハルナ達には、『トーラスが一人で居ないと内通者が接触できない』ということを伝え、なるべく接触を避けている。

 つまりグレインは、ただひたすら宿屋のベッドに寝転がって過ごすか、街をあてもなくぶらぶらと散歩しながら、来るかどうかも分からない内通者の来訪を孤独に待ち続ける必要があったのである。

 そんな調子で街をぶらついていたグレインだったが、変化は唐突に訪れる。


 突如、背後から肩を叩かれたのだ。


「師匠、師匠! 最近いつもの場所に来ないですが、どこほっつき歩いてんです? ……もしかして、また新たな穴場を見つけたんすか?」


 グレインが慌てて振り返ると、ティアの近衛騎士、ビルがグレインの肩に手を置いていた。

 普段よりも数段砕けた様子で話し掛けてくるところから、トーラスとは随分仲がいいらしい。

 しかし──師匠とは。


「あ、あれ? どうしたんです? ……そんなに怖い顔しちゃって……」


 肩透かしを食らったビルが戸惑う様子を見ながらグレインは考える。

 この男が何故トーラスのことを師匠と呼ぶのか、穴場とは何か、いつもの場所とはどこなのか──グレインの頭にはそんな疑問がぐるぐると回り続けているが、彼は誤魔化しながら話を続けてみる事にした。


「いや、……急に声を掛けられたから驚いただけだよ。べ、別に……穴場? を見つけたって訳じゃないんだ。……というか、ち、調査だよ。こういう地道な調査が実を結ぶ……穴場を見つける……みたいな?」


 それに、もう一つの懸念もあった。


「(……もしかして……こいつが内通者なのか……?)」


 するとビルは往来の真ん中で、突然大声を上げてグレインの両肩を掴む。


「うおおおおお! さすが、さすが師匠! 例の宿屋の風呂だけでは飽き足らず、まさか新たなスポットを見つけようとしていたとはぁぁぁぁっ!」


「ちょ……、ちょっと! 声が! でかい! 一旦止まれ!」


 興奮するビルに肩を前後に揺さぶられながら、グレインはビルを落ち着かせる。


「ぁ! ……すみません……。騎士団に聞かれたら、二人ともお縄になっちゃいますからね」


 グレインはビルの漏らした『宿屋の風呂』というキーワードから良からぬ想像をするが、その後のビルの言葉からも、その予想は大方間違っていないであろうと感じ取る。


「ビル、今思い付いたんだけどさ、この時間に宿屋の……あの場所に行ってみないかい?」


 グレインはもう少し情報を得るべく、ビルにそう提案してみた。


「な、なるほど! いつも夜だけで飽きたから、時間帯を変えてみようってことですね! 同じスポットでも趣向を変えて楽しもうとする術を心得てらっしゃるとは……やはり師匠は師匠です」


 ビルがそんなことを叫びながら、見るからに浮かれた様子で歩いていく。


「この宿屋って……まさか……」


 二人が辿り着いた先は、グレイン達が泊まっている宿屋であった。

 しかしビルは、その入口を通らずに宿屋と隣の建物の間にある路地へと入っていく。


「(待てよ……もしかしてこいつら……ナタリア達の入浴を覗いてたってことか!?)」


 グレインは沸々とこみ上げてくる怒りを必死に抑え、無言でビルについていく。


「さて……じゃ、いつもの通り……」


 ある程度路地の奥まで行ったところで、ビルがそう言って壁に身体を預け、静かに目を閉じる。


「(何を……してるんだ……?)」


 そう訊きたいグレインだったが、それは自分が偽物だと告げるのと同義である。

 そのため、グレインは首を傾げながらもビルと同じように目を閉じる。


 視覚を遮断し、残りの感覚を研ぎ澄ませたグレインが感じたものは、微かに聞こえる水音であった。


「フフーン、ラララー」


 水音に紛れて鼻歌も聞こえてくる。


「この声は……アウロラか!」


 グレインが閉じていた瞼を勢いよく見開き、そう言い放つ。


「さすが師匠! やはり時間を変えると違いますなぁ……。これまでアウロラさんの入浴には巡り会えませんでしたが、はあぁぁぁ……ほのかに鼻腔をくすぐるお湯の香りは、アウロラさんの入っているお湯……」


 そう言ってビルは歓喜に全身を震わせている。


「……確か浴場は二階にあった気がするな……。あそこの窓か」


 グレインが見上げると、上階の微かに開いている窓から湯気が漏れている。


「これは……覗いてる訳じゃないし、音を聞いて匂いを嗅いでいるだけだから、捕まるかどうかは微妙な線だが……だが……。少なくとも、こいつらの頭がおかしいって事は十二分に理解でき──」


 その時、グレインはビルの耳元で微かに燦めくものを見る。


「ねぇ、ビル。その……君の耳元なんだけど……」


「あー……師匠、ついにそこに気付いちゃったんですね? 自分、この街に来てすぐに占い師っぽいおねーさんに『一目惚れした』って言われちまいまして! しかし、自分は国家の一大事の為に、これから諸国を旅する使命があるのだ! と、そう説明したらこの耳飾りをくれたんすよ」


 鼻を真っ赤に染めながら、だらしない顔でビルは続ける。


「彼女が『それではまたいつか、この街に戻ってきたときのために、この耳飾りをお渡しします。その日までこの耳飾りを私だと思って大切になさって下さい』って渡してくれたんすよ!」


「……僕って君にグレインたちの動向を教えていたりしたかな?」


「えぇ? はい、非常に助かってます! ……そう考えると自分、師匠におんぶに抱っこで……恥ずかしくなってきたっす」


「どうして……どうしてその情報を教える事になったんだっけ?」


 水音の消えた上階の浴場も気にならないほど、ビルに質問するグレインの声には焦りが滲み出ていた。


「あれはこの国に入る少し前、森の中で薪を拾いに行くふりをして女性陣の水浴びを覗こうとしていた時の事……」


「(こいつら、そんな話ばっかりだな……)」


「たまたま同じ目的で意気投合した師匠に、自分がティグリス様をよく見失うんで、誰がどこにいて、ティグリス様の傍に誰がいるか、状況を逐一教えてほしいってお願いしたのが始まりじゃないっすか。……師匠は自分がティグリス様を見失うたびに、事細かに情報を教えてくれたんで、ほんとに感謝感激っす」


「あぁ……なるほどね。……やばい、騎士団に見つかった!」


 グレインはそう言って、突然ビルの背後を指差す。


「えっ!? ど、どこっすか!」


 グレインは、きょろきょろと周囲を見回すビルの顔面に拳を叩きつける。


「あげっ!」


 不意を突かれたビルは、短い悲鳴を上げて昏倒する。


「大丈夫か、ビル! 騎士団に捕まったらお終いだ! 何としても逃げ切るぞ!」


 そう言ってグレインは、気絶したビルの耳元で激しく足踏みをする。

 するとグレインの背後から、ふふっ、と微かな笑い声がする。

 グレインが振り向くと、入浴を終えたアウロラが笑顔で立っていた。


 彼女は何も言わずにビルの耳飾りに向けて何やら魔法を唱える。

 するとその耳飾りから細く青白い糸のような物が伸びていく。

 グレインとアウロラは、頷き合うとその糸を辿るように駆け出して行った。


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