第046話 蝶仮面再び

 ソルダム邸の応接室は静まり返る。


「町の住民全員を操るだって……? そんな事が可能なのかい?」


 これにはトーラスも驚いたようで、ダラスに訊き返す。


「詳細については……俺も分からないんだ。ただ、俺達が逃げる先々で、住民が次々と攻撃をして来たんだ。彼らは明らかにニビリムの住民で、闇ギルドの人間ではなかった。だから……無闇に殺すわけにもいかず、最小限の人間だけ峰打ちや当て身で戦闘不能にしていたが、それにも限度があってな」


「こっちが攻撃できないのをいい事に……。ある意味住民を人質に取ってるようなもんだからな。しかし闇ギルドに相応しく、汚いやり方だよなぁ」


 グレインは思わず苦笑する。


「とりあえず、数には数だ。トーラスの転移魔法で、全員一気にニビリムに乗り込んで、ラミアを攫って離脱するとしよう。俺達とトーラス達、ダラスで六人だな。一塊になってラミアを探して突っ走ろう」


「あ、それなんだけどね」


 グレインの作戦にトーラスが口を挟む。


「僕の転移魔法は、記憶を頼りに闇空間を繋ぐものなんだ。つまり、これまで僕が行った事のある場所しか転移できない。そして残念ながら、僕はニビリムに訪れたことがなくてね。転移できるのは町の外の街道までだ」


「あぁ、それで充分だ。とにかく行くぞ!」


 一同は互いを見て頷き、トーラスが転移魔法を発動する。


「全員で、あいつを連れて無事に戻るぞ。話は……それからだ」


 グレインがそう言って、真っ先に応接室の絨毯に生み出された黒渦に足を踏み入れる。

 残りの者達も、続いて転移魔法に消えていく。

 最後に応接室に残るトーラスとリリーが転移する時に、トーラスがリリーに耳打ちする。


「リリー……今回ばかりは、もしかしたら君の魔法……闇魔術奥義を使う事になるかもしれない」


「兄様……大丈夫。……覚悟しています」


 リリーはトーラスにそう告げると、微笑を浮かべて転移渦に消えていく。

 妹の後を追うように、トーラスが転移するその間際、彼は独り言を呟く。


「……僕が代わってあげたいよ……」



********************


 最後に転移したトーラスがニビリム付近の街道に降り立つと、すかさずグレインが駆け寄り、彼らのすぐ近くに聳え立つ町の壁を指差す。


「あれがニビリムの町だ。あの門から入ろう」


 一同は、はやる気持ちを抑え、静かに町へと入る。


「これは……どういう事だ? 本当に操られているのか?」


 トーラスが思わずそう漏らしたように、ニビリムの町は他の町と何も違いが無かったのである。

 道行く人に声を掛け、勧誘する露店や、店の軒先で気になる商品とにらめっこをしている客、威勢の良い宿の客引きなどの喧騒で溢れかえっていた。


「あぁ、俺も最初はそう思ったんだが……。油断するなよ」


「分かったよ、ダラス。皆も周囲に気をつけながら進もう」


 そう告げたグレインは、先ほどと同様、蝶の仮面を着けている。


「グレイン、なんでそれ着けてるの!?」


 あまりに場違いな格好だったため、トーラスも驚く。


「おいおいゾンビ脳、勘弁してくれよ。俺はイングレだぞ?」


「あれ、まだその名前は有効なんだね? ダラスに正体を明かしたから、もうやめたのかと思ってたよ」


「ダラスにはバレたが、ラミアにはバレてないだろ? 少なくとも、あいつの意思を確認するまではイングレのままで頼む。 ……そういえばダラスのコードネームを考えてなかったな」


 そう言って顎に手をやり考え始めるグレイン。


「なるほどね。さっきから物凄く目立ってて、あまり良い気はしないけれど、しょうがないか」


 トーラスがそう言った瞬間、彼の眼前を頭上から落ちてきた花瓶が通過し、足元で大きな音を立てて割れる。


「ごめんなさい! 落としてしまったわ! 当たらなくて良かった……」


 路傍の民家の二階にある窓から、婦人が顔を出して謝っている。


「まさか……」


 トーラスの脳裏に嫌な予感が走る。


「そのまさかだ。この町ではこういう事が日常茶飯事なんだ。そしてどれもこれも俺たちの命を狙ってくる。そして今の花瓶はトーラス、あんたを狙ったものだ」


「どう見てもイングレの方が目立つのに、なんで僕から襲われるかなぁ……。まぁ、とりあえずこれで僕達も、ミゴールに見つかったと考えて良さそうだね。あちこちからこちらに向けられている悪意を感じるよ。……ただ、何人も同時にって感じじゃないのが不思議だね。まるで一つの悪意が移動してるような印象だ」


「……よしダラス、『愛に生きる男』とかはどうだ?」


 ダラスに渾身のドヤ顔で迫る蝶仮面グレインだったが、その仮面のせいで表情はほとんど読み取れなかった。


「僕の話は無視!?」


「いや聞いてたぞ。俺もさっきから嫌な感じはしているんだが、道行く人からはほとんどそんな感じがしない。それよりもダラスのコードネームを──」


「「「「「優先順位を考えて」」」」」


 グレインへの総ツッコミは尤もである。


「はい……」


 ハルナやセシル、リリーにまで言われて小さくなるグレインであった。


「あと、さっきのコードネームだが、とりあえずダサいから拒否させてもらう」


 予想だにしなかったダラスの追い打ちに、完全に意気消沈するグレインは、やる気無くふらふら歩いて、前から来た修道女にぶつかってしまう。


「ああっと! ごめんなさい! 俺がふらふら歩いていたせいで──」


 グレインと衝突したはずみで、道端に派手に倒れた修道女に謝っていたグレインが、その動きを止める。


「ラミア……!?」


 グレインの目の前で何とか起き上がろうとしている、ベールを目深に被った修道女がラミアだったのだ。


「あ、あんた……誰? なんでわたしの名前を知ってるのよ?」


「あ、あぁ、俺の名前はイングレだ。ダラスに頼まれてお前を助けに来た」


 よく見ると、彼女の身体には修道服で隠れた部分にも多数の傷があるようで、自分の力では地面から起き上がれず、さっきまではどうやって歩いていたのか、とグレインが疑問に思うほどであった。

 そんな状態でグレインがぶつかってきたので、彼女が吹き飛ばされるのも無理はない。


 ラミアははっとしてグレインの後ろを見ると、ダラスとともに立つトーラスに目が合う。


「えっ? 何これちょっと待ってどういうことよ? なんでダラスとトーラスが一緒にいるのよ?」


 ラミアは未だ路上に蹲った状態で完全に混乱している。

 その時、雑踏の中から一本のナイフが投擲され、ラミアの右足を射抜く。


「あぁぁぁぁっっっ! ……うう……」


「詳しい話は後だ。ゾンビ脳、ここからできる限り遠くへ頼む! みんな、魔法発動まで時間を稼ぐぞ」


 そう言ってグレインはラミアを肩に担ぐ。

 彼女は痛みのあまり意識を半ば失っているようで、ぐったりしたまま抵抗もしなかった。


「少し……重くなったか?」


 グレインが冗談めかしてそう言うと、彼の目の前に黒装束の暗殺者ダラスが音もなく現れる。


「イングレ、貴様! いつと比べているんだ!? いやそもそも、なんでラミアの体重を知っているんだ!? もしや……貴様とラミアはそういう関係だったのか!? 許せん許せん許せん!!」


「……ダラスのコードネームは『ガチギレアサシン』で」


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