306枚目 「晶砂の華」
魔力で作った水晶体が、罅割れた岩盤の先を覗いている。
造られた眼球は、針ばかりの背が少女を庇いながら蟲の波をかき分けていくのを見た。
赤い手が奮う剣の軌跡は躊躇いなく蟲の急所を切り裂いていく。
甲殻の黒が砕け、魔力をふんだんに含んだ体液が飛び散る。僅かに揮発した魔力が青く立ち上る。そうして魔力が流れて行く方向は、事前に打ち合わせた仮説の通りだ。
青白く光を纏う白糸の繭。
その向こうに、ぼんやりと魔力の塊が見えた。
(壁も地面も天井も、鎧蜘蛛も何もかも、目が焼けそうな青色だ……)
死角になるぎりぎりの位置に大鎧蜘蛛の爪先が伺える。その黒さと存在の重さから、どの鎧蜘蛛よりも練度の高い甲殻だと分かる。
この位置から全身を伺い知ることはできないが、恐らくはあれが「彼女」と呼ばれていた母蜘蛛なのだろう。その荒々しい魔力圧が、まるで魔獣のようだとキーナは思った。
(だいたい、魔力量が計り知れない。こんなの僕が作戦通りにできたとしても、良くて数秒……なんなら
恐怖か高揚か、魔術書に添えている手指が僅かに震える。
キーナは汗を拭って、熱を持ち始めた目元を抑えた。元々青灰であるはずの虹彩は
蜥蜴の獣人が籠城戦を始めて、既に三時間が経っている。
突入してきたばかりのラエルたちは順調に蟲の群れをかき分けているかのように見えるが、実際はやや押されている。初撃の『
(ラエルさんは何発も『
退路を護るツァツリーとレーテも、一定の範囲から動くことはできない。
蟲たちはハーミットの魔剣で斬られない限り不死身の様に甦る。散逸した魔力だって切り裂かれる度に拾い集めて、まるで元通りになる。再生の過程を「目」で見る限り作戦通りではあるのだが、それにしたって作戦の成立が危ういと思えるほど僅かな効果である。
(でも。座標と範囲、気温と湿度、無風……発現に必要な最低条件は揃ってる)
細く、息を吐き出した。そして深く、息を吸い込む。
湿った空気が肺を満たす。冬の雨に似て冷たいそれが、何よりも心強く思えた。
キーナは、銀の栞から指揮棒状の杖となったそれを中空に構える。
目の前には岩の壁。バルコニーの欄干も、白い町並みも存在しない。
頼りになるのは、壁に開いた穴がひとつだけ。
(つまり、僕の実力次第ってことだろ?)
五指の指輪と鎖が音を立てることなく均等な距離を取る。
(なら――僕が本番に強い魔術師見習いだって、あの四天王に売り込んでやろうじゃないか)
青灰の瞳を瞬かせ、キーナは青紅の口を開いた。
場所は戻って、祭壇の間。
蟲爪を受け流し関節に刃を通す。今が何匹目か数える余裕などない。呪いに再生を邪魔された蟲殻が転がり、元々悪かった足場を更に不安定にしていた。
ラエルはハーミットの後方で時折飛んでくる蟲の破片を身を捩って避けながら、絶えず押し寄せる蟲の数に歯噛みした。予定では、この蜘蛛の群れまでは突破できると踏んでいたのだ――が、やはり数が多い。
広場は既に、壁から床まで埋め尽くすような蟲の海と化している。
ハーミットは次に襲ってくる蟲を数えながら左足を引き、傍に居たラエルと背を合わせる。そろそろノワールの獣魔法が切れて、会話が可能になる頃合いだ。
「ラエル、四十五秒くらい耐えられる?」
「雷使って良いなら余裕よ」
「火の、三十秒でどうかな」
「
ハーミットが蟲爪を避け、受け流す。
針鼠は黒髪の少女を振り返った。紫色の瞳には余裕が殆ど感じられない。
ラエルは目の前に来た蟲をいなすと一度だけ鋭い視線を向けた。射殺すような目に、ハーミットは口の端をひくりと上げる。
「――二十秒なら?」
「っ、善処するわよ!!」
「おっけー、死なないでいてくれよ!」
「そっちこそ!」
蟲顎を避け、駆けだそうとする少年の背針に黒魔術士の手が添えられる。
「『
――魔術の詠唱と共に、白灰の針衣に赤熱した魔力が流し込まれる。
それを合図に、ジェムシが手持ちの長棒を地面に叩きつけて飛び上がった。ぎりぎり蟲の脚が届かない高さに作られた魔力糸の足場を踏みつけ、一気にトカから距離を取る。
状況を俯瞰していた大蜘蛛がジェムシの足場を崩そうと岩粒を放ったが、それ全てを弾き落とし、彼はあっという間にラエルたちとの距離を詰めていく。
ハーミットはラエルから距離を取り、身の丈もある刃を水平に振り抜く。赤熱した背針に襲い掛かる鎧蜘蛛を瞬く間に斬り飛ばすと、正面一直線に――
少年の手から一瞬、武器が失われる。そうして
冠の一つを剣が穿つ頃、火魔術を纏った背針が多くの
針に籠められた
針鼠と入れ替わるように、錆浅葱色の
「
それを認識した遥か後方で、白魔術師が斧棍を振りかぶり、一歩踏み込む。
「――『
振り下ろされた斧棍が纏った僅かな風が、詠唱によって増幅され刃を守護する追い風となる。白髪を振り乱し口の端を歪め、ジェムシは後方からの支援に己の風を注ぎ足した。
刃を欠いていたはずの重槍が、『
黄色が揺らめく魔力塊、双頭の緑槍。
「――
槍術の刺突速度を上げるために開発された黒魔術を
ここでハーミットが剣を回収して振り返りラエルのケープを引っぱると、左方から放たれた蟲爪が少女すれすれに岩へと突き刺さった――この間、ぴったり二十秒ほどの攻防だった。
予定したよりやや早かったものの、呼吸を整えることもできずに蟲の攻撃に晒されていたラエルは苦い顔で体制を立て直す。傷ついて動きが鈍った蟲から視線を外すと、ラエルはすぐに祭壇へと踵を返した。直ぐに走り出したハーミットの背を追って、ジェムシが拓いた道をなぞる。
ハーミットが動きを鈍らせた蟲をジェムシが片端から殴り飛ばす。ラエルとノワールはそれについていく。
双頭の槍の切れ味は良いとは言えないが、手数と耐久力とで補われる。発現による魔力消費も激しいだろうに、時間が経てば経つほどジェムシの動きは洗練され無駄をなくしていった。
石段に足をかける頃には、ハーミットの奮う剣とジェムシが奮う槍がそれぞれ別の
祭壇までの石段に、そう数は無い。
ハーミットとジェムシは勢いのまま祭壇の上へ足を踏み込んだ。
――――じゃり。
足元から岩に似合わない音がした。
目の前に、何食わぬ顔で腕を組み、こちらを望む母蜘蛛の姿がある。
違和感を覚えたハーミットが制するより速くジェムシは前へ出て、ラエルは二人に追いつくと紫目を見開く。
嫌な予感がしたのは少女も同じだったらしい。
剥かれた獣眼……蜘蛛と化したシャトーと、目が合った。
双頭の槍をいなし、人型の唇が皿月に歪む。
「っ!!」
「退避――」
『させないわ』
牙が鳴る音で紡がれた蟲の言葉が砂に戻った祭壇を砕き、様相を瞬く間に変えていく。石段は塵に、天板は沈み、台を囲むように砂柱が幾つも立ちあがった。
傾斜した岩の塊が足元に敷かれていくのを、三人は揺れる足場に体制を崩しながら見届けるしかない。
白い砂は塵を交えて圧縮され、結晶の姿を思い出す。
『「
祭壇を中心に、晶砂岩の大輪が――咲き誇る。
次の更新予定
強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~ Planet_Rana @Planet_Rana
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます