170枚目 「Play a role」
東地区、聖樹信仰教会。
カフス売りの商人が男の子を背負い、女の子の手を引いてやって来る。
こちらの視線に気づいたのか、虫を噛んだような壮絶な表情と共に商人の腕が振り払われるのが見えた。
ツノつきの青年――ペンタスはそれを見て扉を開ける。
「グリッタさんたち!! ご無事でしたかめぇ!?」
「おうおう、見た通りよ。無事に見えるか?」
「生きてりゃどうにかなります……!!」
「第二出身に聞くのは間違ってたな。すまん」
長椅子とか空いてるといいんだが。言いつつグリッタは教会の中を覗き見た。
一面タイル張りの床には支援物資のマットが敷き詰められ、逃げ遅れた一般の人々がひしめいている。その中には見慣れた灰髪頭の姿も伺えた。
キーナは色彩変化鏡も伊達眼鏡もかけておらず、青灰色の裸眼である。
彼は地元の子どもの遊び相手になりながら、その眉間に皺をよせていた。
シェルターのようになった教会を走り回る子どもを見送って立ち上がると、彼は一直線にグリッタの元へやって来る。
「――やっと戦力になる人が来てくれた。正直、待ちくたびれたんだけど」
「何よその言い方、私たちのことなめてるよね」
「……君のところは鐘が鳴った時点で撤退するって話じゃなかったっけ」
「……」
キーナにそう詰め寄られたレミーは、抗議の意を示す青い瞳で人睨みするとぐっと押し黙り、長椅子に寝かされた兄の方へと撤退していった。
グリッタはそれを見送って、濃いもみあげを指で弄る。
「……いやいや、スカルペッロ家お抱えの使用人たち然り、町の衛兵や遊撃衛兵然り、頼れる大人はごまんといただろうに。お前さんたちも大人に頼るのが苦手なのか?」
「何言ってんの。関所の有様を知らないとは言わせないぞ」
「関所? 関所で何かあったのか」
商人が首を傾げるとキーナとペンタスが顔を見合わせる。丁度そのタイミングで、教会の奥から支給物資を抱えたパルモが姿を現した。
ベールの下に伏せられた黒い瞳はグリッタの姿を見つけると、訝し気な目つきに変わる。
「はわぁ。怪我人が増えてしまったようですね」
「ぱ、パルモ。お前、町で見ないと思ったら教会に居たのか」
「ええ。私はずっと教会にいましたよ。それで、物資は必要でしょうか?」
話を途中で遮ったパルモに気圧され首をふるグリッタは、代わりに後方にある長椅子を指差した。そこではドレッドヘアの男の子が眠り続けている。
「待って、パルモさん」
通り過ぎようとしたフレアラインの袖を引いて、キーナは彼女を引き留める。
「ここに降りて来たってことは、外で何かあった?」
「……」
沈黙を肯定と受け取った少年は思い切り舌打ちして、椅子に置いていた魔術書と帽子を手にグリッタとペンタスを追い越す。
しかし扉の前にはパルモが立つ。彼女が道を開ける様子はない。
「礼衣も無しに魔術書を使うおつもりですか?」
「違う。でも、魔術書が必要なんだ。パルモさん」
「……
「今、使ってる魔術を解術するだけなら?」
その言葉を聞いてパルモの目元がぴくりと跳ねる。
青灰の瞳は欠けた月のように歪み、頬を伝う汗が灰色のシャツに染みを作った。
「これでも、さっきから頭がもげる程に
「……キーナさま……」
「そこ退いて、パルモさん。足止めくらいなら僕でも――ってぇうわぁ!?」
「横で聞いていりゃあ、なに勝手に話を進めているんだキー坊、味方同士で内緒話はいけないなぁ。カフス売りのお兄さんも混ぜてくれよ」
「は!?」
商人は暴れるキーナを小脇に抱えるとニッコリ笑ってパルモの前に立つ。
ペンタスは自分がどちらの味方をすべきか最後まで悩んでいたようだが、悩んだあげくグリッタの隣に移動する。
「ぼ、ボクからもお願いします。これ以上無茶はさせないようにするので!! めぇ!!」
パルモはしばらく三人を眺めて後、目を逸らした。
「ここの守りはお任せください。何かあれば、結界を敷きますので」
「おう。頼んだぜ」
「ありがとう。パルモさん」
「……聖樹の導きがありますように」
パルモは一礼して、扉の前から退いた。
年端もいかない少年と、彼に付き添って来た獣人と、数年ぶりに帰郷した幼なじみ。
深慮より無謀を、安全より自由を選ばんとする彼らの視線は、妬ましいほど輝いていて美しい。まるでパルモの姉のような――いや、あの
扉が閉じられ、内側から閂をかける。
奇しくも六年前と同じ行動をとることになるとは、悪夢には見れど夢にも思っていなかった。
少年に知恵を得る方法を教えたのは間違いだっただろうか。
情報を拾う術を与えたのは間違いだっただろうか。
自らの意志を持つ手助けをしたのは。間違いだっただろうか。
「……貴方まで
呟きは、背後で子どもが泣く声にかき消された。
教会を一歩出てみれば、町のあちこちからやってきた行き場のない賊が集まりつつあった。
西地区方面からキーナたちを追って来た者も、グリッタたちが教会へ逃げ込むのをつけて来た者もいるだろう。
グリッタは鞘から細身の長剣を抜き、素振りをする。
「そういえば勢いで出てきちまったが、作戦なんかはあるのか?」
「出てから聞く!? 作戦会議は敵が居ないところでやるもんだろ普通!!」
「はっはっはっ」
「めぇぇぇえええ」
「……分かった、分かったから!! 指示すりゃあいいんだろ!? 言っとくけど僕はまだ子どもだからな!! 短絡だぞ!!」
キーナはやけくそに叫ぶとグリッタの襟を掴んで引き寄せ、荒い口調で何かを呟く。
グリッタはというと、内容を咀嚼する内にみるみる余裕ある笑顔が消えていった。
「カフス売りのお兄さんはそんなに強くないんだが……?」
「そこはもう気合でどうにかして」
「お前さんも大分無茶苦茶な注文をしてくれるなぁ!?」
「ペタは僕の隣で
「た、耐えれば勝ち?」
「耐えれば勝ちだ」
「ま、魔法具を信用してどうにかやる……めぇ……」
「よし。頼んだぞペタ」
キーナは目元の変化鏡を押し上げるような動作をしようとして――しかし今はそこに何もないと思い知って、顔を上げる。
風に揺れる灰髪も、青灰の瞳も、この身体を巡る魔力も。未だに全てが嫌いでならない。
だがどうせあるならば、十全に使うにこしたことはないのだ。
このようにあれと生まれ落ちた現実を飲み込む以外に、成長の余地はない。
対する賊たちは至って冷静で、連携するためか数人一組で固まっている。
これなら、かえって都合が良い。キーナは広場を流し見ると、青灰の瞳を閉じた。
グリッタが走り出す体制を整える。
ペンタスが
灰髪を巻き上げるように、足元から、周囲の空気から、徐々に魔力がかき集められていく。
練り上げられた魔力は少年の内側に収まり、濁流と化す。
「………………!!」
ぱちん、と見開かれたパステルカラーの青灰色が、宝石のような輝きを放った。
グリッタはそれを合図に賊の群れに突っ込む。
長剣の先が賊の急所を撫で、教会前の広場に赤い花が咲く。
ペンタスは飛沫が散る様子を細目で見つつ、飛来する魔術に備え片足を後ろに引いた。
真正面に受け止めた『
硬貨を潰したような瞳は歪み、最早笑うしかないのか口の端が引き攣った。
一方でキーナは何も発することなく整然とその場に立っている。
右手には鍵が開いた魔術書と指揮棒のような形をとった杖。練り上げた魔力を維持しつつ、何かを探す様に、把握するように視線を移動させる。
広場に集まった賊は二十数名というところだった。男が十四名に女が六名。
刃物を得物として扱うグリッタは
(俺自身、魔術師との相性がとことん悪い……っ!! キー坊は、まだか!?)
カフス売りが視線を投げるも、ペンタスがぶんぶんと首を振る。どうやらもうしばらくかかるらしい。魔術使いというのは本来、接近戦に向かない技術者なのである。
(ラエルちゃんもそうだが、魔術を使いながら立ち回れるのは一部の人間に限られる。寧ろ俺の対応の遅さが精神統一の邪魔になってなきゃいいんだが!!)
グリッタは振り向きざまに賊を切りつけ、殴り掛かって来た腕をとって石畳に転がし、飛びかかって来た賊を鎌足で蹴り飛ばす。
キーナはそんな商人の姿を横目に右足をゆっくりと前に出した。
これからやることは、催し事の際に使っている広範囲魔術と同じ要領だ。
普段と違うのは、声を遮る魔法具が手元に存在しない為に
「……僕の名前は、キニーネ・スカルペッロ=ラールギロス……」
大丈夫だ――できる。
そう自分に言い聞かせ、脇に持っていた魔術書を「ばん」と音を立てて開いた。
つばつき帽子に押さえられた灰髪が、魔力で銀糸のように煌めき舞い上がる。
キーナは詠唱と共に魔術書を勢いよく
「――
キーナは詠唱と共に足を勢いよく揃えた――瞬間、彼の足元から半透明の細かい粒子が飛び散り、その足首には銀色の魔法具が現れた――耳をつんざくような鐘の音がイシクブールの端から端まで響き渡る。
耳を抑えていたペンタスとグリッタや、教会という壁を隔てている一般人はともかく、不意打ちを食らった賊たちはあまりの音に一瞬怯みを見せる。加えてもう一つ、状況に変化があった。
「な……っ辛い!? 痛ぁい!?」
「耳が熱い!! 目が!! 舌がぁ!!」
「なんだこれぇ!? なんだこれぇ!?」
今まで催涙雨を受けても無反応だった賊の面々が、次々に顔を押さえもだえ苦しみ始めたのである。まさに阿鼻叫喚、呪いの剣で切り捨てられた賊たちよりも苦しそうだった。
キーナが解術した『
町の人間とのコミュニティや情報把握量に自信がなければとても実行できる策ではないが、ベリシードに相談した彼はそれを実行に移した。
身体に異常があれば、観光客や町の住人は店や宿、もしくは自宅へと駆け込むだろう。
催涙液は水で洗い流しでもすれば痛みは治まる。後遺症が残ることもない。
それに、ただでさえ「紫の娘」を探すという目的で町を占拠しようとした賊である。住人が町からはけた後も石畳の上を走り回ったに違いない。
はじめは警戒こそすれ、数時間もあれば安心が勝って警戒は薄れていく。
痛みも異常も感じない状態でを目いっぱい呼吸し続けた彼らは、肺一杯に「催涙液」をため込んでいる状態だ。それをいきなり解術したらどうなるのか。想像には難くない。
キーナが西地区での猛攻に耐えながらも賊の姿から目を逸らそうとしなかったのは、相手の顔を一人でも多く目に捉えるため――できるかぎり多くの賊を道連れに、囲まれるなどの窮地に陥った際、逃げの突破口を作るための最終手段でもあった。
グリッタは賊の動きが止まったのを見計らって、瞬く間に賊の鎮圧に動く。
一人一人魔法瓶に回収されていく賊を眺めながら、少年はふらふらとその場に尻もちをついた。普段は身に着けて走り回ることなどしない式典用の魔法具を、足輪のみとはいえ靴の上に着け続けていたつけが来たのだ。
鉛のような身体の重さと、早すぎる筋肉痛である。
「はあっ、はぁっ、はっ……はは……ははは」
ペンタスに支えられながら息を整え、少年は余った魔力を周囲に放出する。
輝きを放っていた両目も徐々に、くすんだ青灰色に戻っていった。
賊の捕縛を終えたグリッタは長剣の血を振るい落として鞘に納める。
「お疲れさん、凄かったぞキー坊!」
「あー、解術しただけだし。これはただの作戦勝ちだよ。……そのキー坊ってなに」
「ん? キーナの坊主だからキー坊だ」
「……」
どうやら訂正してもあまり意味が無さそうなので、キーナは訂正を諦めることにした。
(現状は何も変わってないっていうのに、賊をどうにかしただけで僕の役目は終わりか……全くもって、無力にもほどがある……)
これで、キーナは唯一の攻撃の術を失った。
当初の計画にあったハーミットとの合流は絶望的だろう。
(僕が彼と合流できなくても、この騒動はどうにかなるか……ラエルさんも心配だけど、ひとまず走れるくらいまでは体力を回復しなきゃいけないな)
石畳に俯く灰髪の少年を心配そうに見つめ、ツノつきの青年は意を決すると顔を上げた。
「めぇ……キーナ。ここで辛抱強く待っていられる?」
ペンタスは震える声で、意志を紡ぐ。
「多分ボクなら、この場に居る誰よりも早く――ハーミットさんを探し出せる」
それは、僅かな可能性に賭ける道。
歪んだ硬貨のような瞳が、青灰の目を射た。
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