171枚目 「枯れ渇く虚」


 西地区、竜の肋骨ドラゴン・コストラの真下。

 うねる黒髪を振り乱し、賊の額を貫いたかに思えたナイフの先は、今しがた空を切った。


 砂利道を後退し石柱を蹴って飛びつこうとするも、また、空ぶる。


 アッシュブラックの髪をした男は陽炎のように存在を揺らめかせた。その「揺らいだ本人」が次の瞬間には実体を伴って反撃するのだから厄介この上ない。


 屋根が歪んだ民家を背に、少女は突きだされたナイフを避ける。

 リズムよく土壁に開いた穴はいびつなもので、本人の技量不足は明らか。


 だが、技量が伴なわない素人でも刃物を奮ううことは可能である。

 黒魔術士の少女がそうであるように、賊の男もそうだった。それだけの話だ。


 そして現状――少女の方が、幾分か押されている。


「……っ!!」


 男女の体格差に加え、筋力も腕力も賊の方に分がある。腕の長さや足の長さは素早い身のこなしでカバーできるものの、肝心のナイフが当たらないのでは決定打には至らない。


 体力差を考えれば、少女と男のどちらが先に倒れるかなど自明の理だった。


「――さいっあく!! 本当に最悪!! 正々堂々って言葉を知らないのかしら!?」

「君こそ、頭か首か心臓かしか狙わないじゃないか――殺す気か?」

「どうせなら必死に避けて貰った方が気が散ってくれるでしょう!?」


 ひと薙ぎ、右足を前に踏み込んで振り抜いた右手に手ごたえはない。

 ラエルはそのまま出した足に重心を移して蹴り上げようとするが、こちらも空ぶった。


 まるで砂の上に浮かぶ陽炎を追いかけている気分である。


(ああ、うっとうしい! これじゃあ私が足止めされているみたいじゃない!)


 キーナとペンタスは無事に針鼠と合流できただろうか――そう他人の行動を気にする程の余裕も無く、ラエルは振るわれた無軌道のナイフを紙一重で躱す。


 ベイツ・バレルボルトを名乗った賊はアッシュブラックの髪を振り乱し、ラエル・イゥルポテーを間合いから叩き出した。


「君こそひらひらひらひら避けてくれるな。一度当たれば楽になれるんだぞ」

「避けるに決まってるじゃない、刺さったら痛いんだから!!」


 西地区中に響き渡るほどの大声で言い争いながら刃物を構えては振るって避け、擦り傷を増やしながら格闘する。手だし無用を言い渡された賊たちはそんな二人の様子を肴に、手持ちの食料を摘まみつつ飲み始める始末。


 話題の内容は専ら「どちらが先に膝をつくか」、だ。

 酒が入って顔を赤くした賊が、隣で舟をこぐ賊の頬をぺちぺちと叩いて起こす。


「なぁー、どっちが勝つと思う? あっちの娘もまあまあの動きをしてるぜ」

「おいおい……バレルボルトの旦那だって負けちゃあ居ねえだろよ。そも、鍛えた男が女に負けてちゃあ洒落にならんぞ」

「いやいや、ベイツの奴は基本回避で相手の体力を削る戦法だろう? あの娘の体力はそうとうなもんだぜ。この石畳の橋の上で乱闘したあとにも関わらずアレだからな」

「……なんだい、あんたはあの娘を応援するってか?」

「まさか! だが、もし賭けをするんならあっちに賭けるってえ話だよ。あねさんはどうよその辺りさ。もし一世一代の大勝負、大金がかかってるとしたら!?」

「……あたしぁ……バレルボルトの旦那だねぇ……まあ、長引く用なら近い内足腰立たなくなるんじゃねぇの。わけぇ身空であんな酷い魔術の使い方をして、何処も壊れてないはずがねぇのさ」


 揺り起こされたことで眠気が覚めたのか、賊はうんと伸びをして立ち上がる。


 ふらふらとした歩調で鋸壁に寄りかかると、白い通路に引き摺っていた長い長い三つ編みを、のんびりとした動きで首に巻きつけた。


 赤い顔をした賊は首を傾げる。

 はて、このような長髪の人間が身内に居ただろうか?


 その人は腰に提げていた水筒に口をつけ、一息に飲み下す。

 苦虫を食んだような顔が――まるでノハナ草の濃い煮汁を口に含んだような。そんな表情が印象的だった。


「いけないいけない。あの子たちの手前七年も禁酒してたのにね」

「……?」

「何だい、まだ夢見心地か。周りを見てみなよ、周りを」


 賊は、ぼやけた視界で首を振る。白い通路にごろごろと仲間が転がっている。酒を飲んだような顔をして静かに寝息を立てている。


 背後で栗色の前髪がざあとなびく。背筋が凍る心地がして振り向けば、青い細い瞳が酔いが醒めて青くなった顔を射抜いた。


 今この場で立っているのは。隣にいる髪の長い、見知らぬ女がただ一人。


「さて。けなげな少女が戦うさまは余程の見ものだったようだ。片や身内とはいえ、若者たちが殺し合うのを見て飲む酒は……そんなに美味かったか?」

「は――」


 返答を待たず男のあご骨が砕かれる。

 吹っ飛んだ男は酒を手放し内容物を白い通路にぶちまける。酒精の匂いが鼻を衝いた。


「……全くもって、度し難い」


 黒い煙管を指先で回し、白目を剥いた賊を蔑むような視線で射る女。

 青い瞳はそれから橋の下を伺って煙管をふかすと、躊躇うことなく飛び降りた。







 息が上がる。紫目の少女がまた喉を鳴らした。

 一度の呼吸で取り込む空気が少ないのか、その目には陰りが見え始めている。


(……やっとか。案外手こずらせてくれたな)


 慣れない武器を構え、ベイツは必死にナイフを振り下ろす。

 ラエルは振り下ろされた一撃をどうにか弾いたものの体制を崩した。ふらついた足元を気にするように、数歩後退する。


 ベイツはそれを無理に追うことをしない。竜の肋骨ドラゴン・コックスの上で戦闘をこなせる身体能力からして、正攻法で敵う相手ではないと分かっているからだった。


 ベイツ・バレルボルトは近接戦闘特化の人間ではない。彼は魔術師だ。

 常に補充し続けている錬度の高い『身代わりサブスター』がその証拠である。


 彼は慣れない武器を全力で振り回すことで相手を混乱させつつ、その身に一度も攻撃を受けていないと……言えば聞こえはいいが、もし一撃でも刃を受ければ彼は痛みに耐えかねて地面を転がり、泣き叫びながら戦闘不能となることだろう。


 黒髪の少女が身代わりサブスターを突破できない理由は、ひとえにベイツ自身が死に物狂いだからなのだ。


 紫目の娘にとって、この戦いが生き残るための耐久戦であるように。


(そも。捕縛なんかされた日には、どんな方法で殺されるものか分からない)


 賊の彼らは、針鼠がサンゲイザーと行った取引の内容を知らない。


 故に、目の前の少女が必死になりながら少年たちを逃がした後、何故決定的な一撃を入れてこようとしないのか心底不思議でならなかった。


(……あちらがこちらを殺せないというなら、それを利用させてもらうだけなんだがな)


 ベイツは手汗で滑りそうになる柄を握り直し、不敵な笑みをたたえる。


「……」


 攻防の中、ベイツには一つ確信めいた直観があった。


(このような少女が。人をなますに卸せるものか)


 ベイツが味方を遠ざけてまでタイマンに持ち込んだ理由に疑問すら抱かず、素直に真っ直ぐ突っ込んでくるそのさまは純粋で、真摯で、限りなく殺し合いに向いていない。


 ベイツらは、第三大陸で失踪した構成員の行方を聞き出す手段として、殺害された元首領の敵討ちとして……それら全ての起点に、紫目の少女の首一つでこと足りると考えていた。


 しかしそれは本当に必要だろうか。


 もしかすれば、彼女の首でなくとも。彼女の声で、彼女の身の振る舞いを提示するだけで、理解できるんじゃあなかろうか。証明できるのではないだろうか。


 怒りと衝動に任せて略奪を繰り返し、理性を失ったように悪徳を重ねる。賊の構成員の一部は、首領が殺されたと分かってからずっとそのようにしてきた。アッシュブラックの髪を掻きむしる彼だって、首領が殺されたことに何も思わなかったわけではない。


 だが。「無実」を「事実」として目の前にいる彼女が語ったなら――恐らく疑う者は誰もいないだろう。どうしてか、そんな予感がして――瞬間、男の全身に鳥肌が立った。


 紫の瞳がこちらを見据えている。その唇は渇き、どうやら瞬きをするのも苦痛らしい。


 少女は二、三度咳き込むと、得心がいったように引き攣った笑みを向けた。


(ああ、このような殺気を向けられては……無視できないな)


 男は少女の様子に茶色の瞳を歪め、下卑た笑みを作る。


「そろそろ息をするのも苦しいだろうに。無理をするもんだ」

「……これ、魔術よね。道理で喉が渇くと思ったわ」


 ラエルは言って、上あごに貼りついた舌を引き剥がす。


 中級火系統魔術『枯れ渇く虚アリアセッカ』。


 これは主に汎用魔術として乾燥装置などに使用されるものだ。発現範囲内の空気を熱し、水蒸気を気化させる魔術である。


「お仲間を下に呼ばなかったのは、魔術の対象範囲を私一人に絞るため。ね?」

「ああそうだ。俺は見ての通り『魔術師』なもので、刃物の扱いには疎くてね。だから君の体力を削るには何が効率的か。色々と考えてみた」

「……貼りつく湿気に加えて汗まで乾かされたら、体温調節が上手くいかなくなるわね?」

「その通り。そして人間の身体は『熱』にめっぽう弱い」


 ぐらり、と。少女の視界が歪む。陽炎を見るように風景が揺らぐ。

 身代わりサブスターの残像のように、刃が届かない男の姿が幾重にもなった。


「終わりだ、紫目の女。まさか砂漠の民ではあるまいし、この渇きには耐えられまい!!」

「……っ!!」


 ラエルは顔を歪め、じりじりと距離を詰めて来る男の勝ち誇った顔を見る。


(――ああ)


 もうここで終わりなのか。これで私の役目は終わってしまうのか。死にたくないなぁ――などと、ラエル・イゥルポテーは決して思わない。


 彼女には恐怖感情が欠けているので死ぬことに恐れはないし、傷つくことに躊躇がないのである。勿論前提として痛みは嫌うし「死ぬことは悪いこと」だと思っているのでそれらは回避しうる事柄だが、避ける理由としてはそれだけだ。


 なので、傍から見れば絶体絶命の状況で、少女はぼんやりと思考する。


(なんて楽しそうな顔だろう。これは邪魔をしては悪いかもしれない)


 ……因みに、先刻彼女の足元がふらついたのは、後退時に足がもつれたからである。

 もっと言えば、過集中状態に陥った際にドライアイになるのは誰しも共通のことだ。

 唇も口の中もカサカサだが、彼女は肌の質を気にするような美容家でもない。


 それに加えて。


(実は砂漠産まれの人間で、これより酷い日照りを経験してる上に疲労以外は全く堪えてないなんて、とても言えない……)


 少女の葛藤を余所に、男は満面の笑みでこちらへ駆け寄ってくる――!!


「――というわけで大人しく殺されてくれ!!」

「――んなの、嫌に決まってるでしょうが!!」


 両腕同時に振り下ろされた大小の刃物を躱し、ラエルは支給ナイフの柄を固く握りしめて前方に突き出す!!


 ごすっ!!


 そう鈍い音がして、額にナイフのを受けた賊の男は、その場に倒れ伏した。


 ぴくぴくと軽い痙攣で済んでいるのは、以前振るったことがある鉄枷のスイングほど威力がなかった故だろう。どうやら頭蓋骨骨折まではいかず気絶程度で済んだらしい。


「……はぁ……」


 術者を倒したことで解術されたのか、周囲の空気が随分と喉に優しくなった。

 乾いた両目を瞬かせ、一息つく間もなくラエルは周囲に気を配る。


 上方からの追撃がない。

 魔術の一つや二つ降って来るかと思ったのだが――代わりに、人が降って来た。


 寸分狂わず、少女の目と鼻の先を黒いつま先が通過する。

 少しでも前に出ていたら踏みつぶされていただろう。


 衝撃で尻もちをついたラエルの開いた足の間に着地したのは、一人の女性だった。


 彼女より一回りは大きい背で肩にカーディガンをかけている。夏だというのに袖も裾も長い服を腰帯で締め、長い長い栗色の髪を器用にも首に巻きとめている。


 あまりの出来事に呆気にとられたまま、ラエルは女性を見上げる。


「……貴女は? 敵?」

「いいえ? 針鼠の便りを元に、西の残党狩りのついで、子どもたちの迎えに参りました」


 女性は振り向くと、目尻に塗りつけた紅を歪ませた。


みなには『親方さま』などと呼ばれていますが――私のことはウィズリィとお呼びください。ラエル・イゥルポテー」




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