168枚目 「砂塵にくゆる硝子玉」


 蹴り飛ばされた賊は、砂塵の向こうに行ってしまった。


「……どうして貴方がここに」

「その問いをそっくりそのまま返そうか。どうして君が前線で戦っているんだ? 鐘が鳴ったら町長宅に待機する手はずだっただろう」


 針鼠の強く窘めるような口ぶりに栗髪の少女は口を噤む。


 無茶をしているのはお互いさまだが、相手は自分より経験値がある大人だ。それは、今の攻防ひとつで嫌というほど思い知らされた。


 或いは、第三大陸の草原で顔を合わせた時には既に――思い知っていたはずだった。


「魔法具も用意してたし……二人なら大丈夫だとおもって……」

「……」

「魔法瓶が切れるまでは、順調だったの。でも、あの女の人に会って、兄さんが……本当なら逃げてでも報告しなきゃいけなかったのに……ごめんなさい」

「……うん。よく頑張ったね」


 鼠顔は何処からともなく魔力補給瓶ポーションを取り出して手渡す。

 全身をあちこち打撲して擦りむいている様子が痛々しくて見ていられなかったらしい。


「次からは、回線ラインに大声で助けを求めるようにして。不測の事態に立ち合わせたとき、他者のことを察してあげられる人は極めて稀だからね」


 レミーは針鼠の言葉に一人頷く。胸元に提げた回線硝子ラインビードロは通信中を示す点灯を続けていた。それを止めて、空になった矢筒を拾い上げる。


「……西地区の方でも、大きな音がしてたよ。何かあったんじゃないの?」


 蹴り飛ばした賊の方を向いて動かない針鼠に、レミーは言う。

 ハーミットは砕かれた石畳を横目に、首に痣がついた女の子の姿を見た。


「西側が気にならないといえば嘘になるけど。今の賊は俺が引き継いで対処するよ」

「……分かった」


 駆け寄って来る足音と共に、汗だくのカフス売りが姿を現す。

 ハーミットは栗髪の少女の肩を叩き、教会を指差した。


 それは彼なりの戦力外通告である。

 レミーは痛む足を引き摺りながら、伏せていた青い目を針鼠に向けた。


「あの賊、爆発するダートを投げて来るから。足元掬われないようにね」

「うん。情報提供感謝する」


 針鼠は背中から両手剣を引き抜いて、砂塵舞う町の中へ消えて行った。


 黄土色のコートを見送って、レミーはふらつきながらも踵を返す。

 走って来たのか息切れしているカフス売りは彼女に追い越され、慌てて後を追った。


「……遅れて、悪かった」

「……ここはイシクブールの中心部に近い。寧ろ、あの鼠の足が速すぎる。流石に城壁からじゃあ間に合わないだろうって覚悟は――してた」


 少女の言葉にグリッタの表情が翳る。周囲の賊を警戒しているのも相まって、眉間に入っていた皺がさらに深くなった。レミーはその顔を見て眉を顰める。


「どうして貴方が苦い顔をする必要があるの。カフス売りの商人」

「……大人が子どもを守れずにどうするって話だよ」

「……子どもが大人を守りたいと思っちゃ、駄目?」

「駄目じゃあ、ねぇけどさ。お兄さんは、せめて子どもの内ぐらいは能天気に笑っていて欲しいとか、そんな夢みたいなことを願っちまうわけよ」

「はぁ」


 納得したのかしていないのか。曖昧な相槌を打ちながら、ボロボロになった栗色のドレッドヘアを気にするレミーは商人の隣を歩く。


「そういやぁ、一緒に行動してた兄貴の方は何処をほっつき歩いているんだ」

「賊のお姉さんに声をかけて、おでこにチューされて撃沈したわ」

「は?」

「言っておくけれど、脚色とかしてないから」

「いや、嘘を吐いてるとは思わないが。えぇ……?」


 少女は溜め息と共にカフス売りを追い越して、兄が居るであろう場所を目指す。


 レミージュ・スカルペッロと、カリーナ・スカルペッロ。それが彼らの名前。

 父親の顔は、まだ知らない。







「――ぺっ。ぺっ! 口の中に砂が入っちゃったじゃん、もう!」


 血沸き肉躍るじゃれあいを邪魔された賊の首領は、割れたビーズを指の腹で砕いた。

 前髪を上げる為に使用していた只の留め具がぱらぱらと砂に還る。


 渥地あつしち酸土テラロッサを束ねる彼女は第二産まれ第一育ち、盗賊の一団の中で物心を養った。死人がよく出る故にリーダー交代が頻繁な盗賊同盟の中でも、常にトップ争いをしていた幹部の一人である。


(人をまとめるのとか面倒臭いことは、全部年上の奴らに投げて来た)


 第一から第二に渡る途中で死んだ両親。第二で生き残れなかった二代目と三代目。第三で行方不明になった四代目だって――彼女にとっては産まれた時から顔見知りで、見知った間柄だった。


(それがまあ、死ぬわ消えるわ、中には助けようがないほどの自業自得もあったけれども、それでも歴戦の大人がこうも簡単に居なくなるとは思わないでしょ?)


 特に、東市場バザールの襲撃は、全くもって予想外だった。


 魔王城が目の前に浮いているこの大陸で何を血迷ったのか、なにもそんな目立つことないじゃないかと思った――どうやら、ぼんやりするだけで満足していたのは自分だけだったらしい。


 迫害され、強奪され、居場所すら失くして放浪し。


 そんなはぐれモノが集まっただけだった筈の構成員は何時からか、守る意義のある規範すら守れないような、守ろうとしないような。そんな理性が吹っ飛んだ人間まで内包していた。


 組織は、大きくなれば大きくなるほど管理が行き届かなくなる。


(アタシ本当はこんなことしたくなかったの、正直子どもとか好きだしさあ、もういいと思わない? 思い切り生きて、やりたいことはやりつくしたでしょう?)


 なんて。


(本当、ここらが潮時だと思うの)


 なんて、ねぇ。


 砕けた石と砂を踏む足音。近付く気配と歩数の計算が合わないが、多分さっきの少年だろう。

 ……少年というには、あの子どもたちよりも身のこなしが慣れすぎのようにも思うが。


(しくったなぁ。遊ぶのに夢中で、肝心の紫目の娘を探しそびれてるじゃん)


 正直、彼の隣にいた筈の商人ならともかく、鼠顔の少年とは闘いたくない。


 彼女は町へ入った後、こっそりと城門の外で行われた戦闘を目の当たりにしている。

 あれを見た後では、とても勝てる気がしない。


 そうして少年がドルー・ブルダレ・スキンコモルの前に立つ。


 血の通わない鼠顔に嵌め込まれた硝子玉。両腕には返り血のように真赤なグローブ。

 黄土色のコートの襟を立て、首回りから背中へ灰色の棘が覆っている。


 鼠顔の少年は、身長に見合わぬ重たげな両手剣を握っていた。


 獣人とのダブルであるスキンコモルは、彼が獣人ではないと分かっている。

 だが、例え自身の体力や体格にアドバンテージがあろうと、彼の速さには決して追いつけないだろうと本能的に知っていた。


(だから、考える暇すら与えてやらない!)


 スキンコモルは懐に隠していた幾本ものダートを投擲する。


 当たらなくていい、近くの地面に刺さってくれればそこを発破して体制を崩してやろうと。

 せめて、足の一つくらいは使い物にならなくなってくれと――。


「おっと」


 足元に突き刺さったダートを一目見て、顔を狙った二本目のダートを難なく躱し、彼はしゃがみこんで三本目のダートを左手で受け止めると、右腕を覆っていた赤い革の先を噛み、引き抜いた。


 左手に持っていたダートを右手に持ち替え、生身の腕を地面のダートに密着させる。


 唯一少年が避けて後方に突き刺さっていたダートだけが、爆発した。


「……!!」

「後から魔力を流し込むことで発動する魔法具か。久々に見たかもしれないな」


 爆風で飛んできた小石を針頭から払い落として、鼠顔の少年は不発したアガットバレルを手放す。ガラガラと石畳に転がったそれらは、既に使い物にならなくなっていた。


「さて」


 距離を詰めた少年は両手剣を肩に担ぐ。襟を開けると、笑って見せた。

 賊の女性はその様に目を丸く……いや、瞳孔を細める。


「グリーンアッシュの髪に術式刻印が刻まれた舌、人族の耳に鱗の肌。貴女が、ドルー・ブルダレ・スキンコモルさんで間違いないですか?」

「そう、だけど」

「やっぱり。聞いていた通りだ」


 賊の首領は、その名前が針鼠の口から出たことに驚きの眼差しを向ける。

 灼熱の太陽の下、獣人もどきの表情は逆光になって良く見えない。


 砂塵に覆われた視界を晴らすように、柔らかい風が二人の間を吹き抜けた。


 スキンコモルは引きつるほど口角を上げ、黄色の瞳を燃やす様に見開いてみせた。


「……っ!! ようやく案内人のお出ましってわけ。遅すぎる上に手荒じゃない!?」

「私の性格上、これぐらいやらなければ騙くらかすことが難しく。非常に申し訳ない」

「全く!! 私たちを舐めるなって『彼』にも伝えてて。次はないって」


 まくしたてるようなスキンコモルの言葉に被らぬよう、少年は十分な間をとって肯定の意を示した。


 賊の首領は仲間を得た気分になったのか、内心不安だったのかあれこれ愚痴に混ぜて吐き出し始める。この町に来た経緯を、第三者から持ちかけられた取引の概要を。針鼠が聞いてもいないことをぺらぺらと流暢に暴露した。


 鼠顔の少年は爽やかな笑顔をして、女性の言葉にただただ頷く。

 最後は無言のまま、魔法瓶を振り下ろした。




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