154枚目 「開いた箱には潰れた鍵を」


 蚤の市当日まで、あと半日。


 釣鐘の白い花と、腕に通した蔦のリース。硬貨を潰したような瞳を真っ直ぐ西に向けて、ペンタス・マーコールは立ち尽くしていた。


 青年が花と蔦で編んだ輪っかを持っている理由はそれらを墓前に供えるためなのだが、真正面に見える彼女の墓に、見慣れない人影を見つけたのである。


 花を抱いたペンタスは、祖母の墓前で座り込む男性に近づいたものか逡巡していた。


 ペンタスと同じ有角偶蹄の系譜。黒い毛並みに黒い角――ペンタスの毛並みの色はマーコール家の母親に似て明るい茶色だが、黒い角は彼譲りのものである。


 普段は工房に入り浸って出て来ない父親を前に、ペンタスは苦い顔をして。

 けれど、花が萎れては勿体ないという気持ちが勝った。


 息子の接近には気付いているだろうに、黒毛の獣人は墓石に刻まれた名を眺めながら微動だにしない。


 青年は、諦め半分呆れ半分といった様子で、リースを墓石に引っ掛けた。


(父さんも、六年前まではまともだったんだけどな)


 ペンタスは、父親が工房に引きこもるようになった理由を知らない。


 キーナが彼を嫌うきっかけになった「習作を勝手に大会に出された事件」が原因でないことは、以前大喧嘩をした時に本人の口から聞いていた。


 そんなことが理由ではないんだ、と――彫刻に身を捧げてきた彼の口から出た言葉には、どうしても違和感があった。彫刻を後回しにするだけの何かが、彼に起きたということだ。


 愛した妻が死んだ時でさえ泣きながら石を削っていた彼が「掘れなくなった」理由など、ペンタスには想像もつかなかった。


 想像もつかなかったのだ――二日前までは。

 魔導王国から来た獣人を見て、酷く動揺する父親の姿を見るまでは。


(…………)


 そのまま何も言わずに戻ろうかとも思ったが、ただでさえ蚤の市の一件でバタバタしてこの先何が起こるかも予想がつかない状況だ。ペンタスは不安を隠せないまま、震える口を開いた。枕詞に「ひゃ」やら「ぇ」やら、言葉にならない音が零れる。


 しばらくどもり声が続き、結局は父親の方が先に口を開くことになった。


「……あの婆さんは、本当に死んだんだな」


 その言葉を聞いて、ペンタスは父親の隣に腰をかがめた。


「めぇ。アルストロ・マーコールは、死んだよ」


 目を合わせることなく、答えた。


 黒毛の獣人――フォ・サイシ・アイベックは、息子の声に力無く頷く。口の端から零れたのは皮肉と罪悪感混じりの苦笑だった。


「崖から落っこちても死なないような人だったのになぁ。まだ、あの奇妙な笑い声が聞こえてくるような気すらする……石に命を吹き込む音も、砥石が擦れる音も、まだ耳に残っている気がする」

「父さんは工房生時代からの付き合いだもんね」

「ああ。人の話は聞かないし人の角折るしひづめ割るし……そのかわり、作品だけは凄かった」

「めぇ。努力の塊だったもんね。天才が努力なんてしたら周囲がどうなるのか全然自覚してなくて、ボクが産まれた後も振り落とされる彫刻士が続出してたし」

「べぇ。振り回されて振り回されて、振り回され続けた六十年だった……」

「……はは……」


(けど父さんは、ばあちゃんに振り回されたおかげで母さんと出会って。ボクはこうして産まれている――生きている)


 ペンタスは一人、今までのことを思い出す。


 黒い塔のような見た目をした石造りの墓標。彼女の葬送が終わって数日になるが、未だに彼女の墓に花やリースを供える住人は後を絶たない。


 ペンタスが残念に思うのは――イシクブールに多大なる貢献をした彼女の活躍と生き様が、この町の外で語られることはないだろうということだった。


 この町が一つの国だったとき。魔導戦争が始まるより前。

 ペンタスとその祖母がこの土地へ移住したのは、今から十年以上も前になる。


 ペンタスたちを追って姉と父がこの土地を踏んだのは……戦時のことだ。


(母さんが第二で死んで、やってられないと思って第三に来たけど戦争になって……そうか。もう終戦から六年になるんだ……)


 そうして二人は無言のまま、同じようなことを思う。

 彼女が息を引き取った場所が――本当に、この町でよかったと。


「めぇ、父さん」

「べぇ……なんだ。ペタ」

「あの人は、勇者だと思う?」


 「あの人」というのは、数日前にペンタスが父親と鉢合わせたときに隣に居た獣人もどきのことだ。後から住民に聞き回って、二人が会っていたことも。ペンタスは知っている。


 アイベックは息子の言葉に口を固く結んで、押し黙った。


 否定しないということは、そういうことなのだろう――青年はふと笑みを浮かべる。


「そっかぁ。、案外沸かないもんだ。めぇ」

「……」


 夢のような時間には、納得できるような種と仕掛けがあったようだ。


 第二大陸、獣人が統べる王国では月を信仰する月華教が生活の中心になっている。

 月華教はその性質から聖典の原書を「禁書」として保管しているのだが――本都の巨大な資料室の中に所蔵されている原書は、数年に一度の頻度でそれを手にし、読んでしまう人がいるということが噂程度に知られている。


 曰く、その聖典にはあらゆる末来のことと、少しの過去が記されている。例えば、今生きている人間が死ぬ日付や経緯などもしっかりと記載されており。そして、その通りに死ぬのだと。


 ……ペンタスは、それを開いてしまった内の一人である。


(けど、ボクは中途半端に本を開いたものだから、自分の死期までは読み取れなかった)


 ペンタスはそのあと彫刻士のアルストロと共に第三へ移住し。そして読み取った内容が訪れる日を怯えながら待ち続けた。


 いつの日か燃え盛る市場バザールに巻き込まれることは確定していた。けれどその時、自分を助ける人間が「勇者」だと綴られていたことが信じられなかったのだ。


 その不安が的中するように。魔導戦争の終盤、勇者はイシクブールから魔王城へ向かって行方をくらませた。


 ただでさえ魔導戦争の決着は聖典で伝えられている内容と違っていた。生死不明の勇者に頼る心の余裕などなかった。年々と迫る予言の日。そうして焦ったあまりに、同居していた祖母と軽い口論になって家を飛び出して――青年はあの現場に居合わせた。


 ペンタスはハーミットたちと町で再会する前から、その正体に疑念を抱いていたのだ。


 「そんなことあるはずがない」と口で言いながら、グリッタに問い詰めてもらおうとしたのはその為である。


(助かったのは奇跡だと片付ける方が、遥かに楽だった……でも。戦時に本人と会ったことがある父さんが「そう」だというなら)


 あの炎が、確かに黄金を証明したというなら。


 ペンタスは静かに拳を握り締める。

 安堵すると共に、故郷で教えを信じていた日々が少しだけ報われたような気がした。


(……けど、どうしようか。「勇者を見つけた」という意味では、キーナとの賭けに勝ったことになるけど。かつての勇者が魔導王国の四天王になってるなんて情報が他に漏れたら、絶対国絡みの大事おおごとになる)


 子どもの頃から悩みの種だった人生の一大イベントは過ぎたかもしれないが、犯行予告が来ている明日の蚤の市でも当然、一波乱あるだろう。


(キーナにケーキを奢ってもらうのは、また別の機会にしよう)


「明日の蚤の市。父さんは、シグニスさんのところでパンを焼くの?」

「ああ。今年は彫れてないからな」

「……デフォルメした骨竜の置物とかなら、一日で用意できるんじゃない? 父さんがその気なら、ボクも磨くの手伝うけど」


 ペンタスの提案にアイベックは目を丸くして、照れくさいのか墓石に向き直る。


「べぇ。夜にでも工房に来るといい」

「めぇ」


 近すぎず、遠すぎず。三十年も生きれば、家族との付き合い方も変わっていくものだ。

 祖母の墓石に顔を突き合わせたまま動こうとしない父親は、もうしばらくそうしているつもりでいるのだろう。


 ペンタスはそんな父親に、もう一つだけ伝えておきたいことがあった。


「あとね。父さん。二日前のことなんだけどさ」

「ん?」

「――観光客か役人か見分けもつかない相手に対して、脈絡なく『とても良いモデルを見つけた』とか、『この洗練された鼠顔と隣り合わせで歩いてるなんて羨ましい妬ましい』って息子に縋りつくとか、挙句の果てに好き勝手自分好みに襟の角度までカスタマイズしようとして当たり前に拒否られて拗ねて、大の大人が地面の上をごろごろ転がりながら駄々をこねるとか。あれは、正直、ないから。あの場で父さんがとった一連の行動と、最終的に三徹したかのような叫び声を上げてハーミットさんに詰め寄った件について。後で、自分で謝りに行って欲しい。というか行く義務がある。いいね、めぇ」

「べ……べぇ…………」


 冷ややかな視線を向けるペンタス青年に、アイベックは亡き妻の面影を見た。







 左手首には、回線硝子ラインビードロ搭載の木製リストバンド。長い付き合いになる友人との会話を終え、キニーネ・スカルペッロ=ラールギロスは机に突っ伏した。


 忘れていたわけではないが、昨日の今日だというのにペンタスに引き分けを言い出されるとは完全に予想外だった。


(蚤の市当日の使用人服……あともう一着、ネオンに頼んでおかなきゃいけないな)


 蚤の市を明日に控え、日が落ちかけている空を隠すようにカーテンを閉じた。部屋を出る前に髪を梳いて、色彩変化鏡を身に着ける。


 夕食前は使用人が二階の調理室に集合するので、屋敷の中は一段と静まり返っていた。

 キーナはネオンを探して調理室を目指す。が、普段食事に使用している長机がある広間の部屋の手前で足を止めた。


 フレンチドアが僅かに開いている。使用人が閉め忘れたのだろうか。


 いや、まだ食事はできていない時間だ。テーブルメイクはそれこそ、食事を作り始める前には終わっているはず――。


(……誰か居るのか?)


 扉の近くへ寄って、恐る恐る部屋を覗きこんだ。


 皺ひとつなく伸ばされた白いテーブルクロス。一足先に置かれた皿と果物籠。そして窓を向いた使用人が一人、手袋を外した左手に言葉を投げかけている。


 遠目に、青銅の指輪が確認できた。恐らく回線硝子ラインビードロだろう。


 キーナは眼鏡の縁をなぞり視力強化する。ぼそぼそと呟く使用人の口元は窓の外を向いていて、とてもじゃないが読唇できない。


「……『風読書レッジィ・ヴェント』」


 情報収集が日常になって習得した盗聴魔術。肌を掠める風の流れは、灰髪の少年の耳にとある一文を届けた。


 ――そちらにかかっているのですよ。てらろっさ――


 そして、使用人は振り向いた。

 灰髪の少年は呆然と立ち尽くしたまま、動けない。


「な、何で……ネオンが……?」

「聞いてしまわれましたか。明日に響くのは本意ではありません。今日のところは忘れて下さい、キニーネ・スカルペッロ=ラールギロス」


 『開いた箱にはアリトゥコティ・シヴ潰れた鍵をリウェーノキーヴィ』。


 無慈悲な詠唱と共に、目を開いたまま倒れ込むキーナを支え。

 彼は何かを呟いて。それから灰髪の少年のことを力いっぱい抱きしめた。


 ――ああ、願わくば。この命が零れることだけは、ありませんように。







 日が落ちたイシクブールは赤く、黒く染まる。

 町のあちこちで橙色が点々と灯る。設営に追われる住人たちの笑い声がした。


 自室のベッドで目を覚ましたキーナは首の凝りを解し、伸びをして。時計を確認して飛び上がり、夕食に遅れまいと慌てて部屋を後にする。


 明日は蚤の市。


 方々ほうぼうの思惑を置き去りに、イシクブールの町は一面を市場バザールと化す。




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