151枚目 「鉄線と瓶蓋」
しゅるる。と、長い舌が鳴る。体温調節と匂いの情報を手に入れる為だ。
目の前の獣人もどきは香水に包まれているが、汗の匂いの変化までは隠し通すことはできない。
「……オレが、第三大陸に来たことを後悔しているんじゃないか、だって? 何を根拠に?」
蜥蜴の獣人は逃げ出そうとするそぶりこそ無かったが、それは針鼠の注意がまったく逸れる様子がないからである。サインが欲しいだの毒でも食らうだの、その場を和ませる様なハッタリをかましたのはそのためだったのだが、四天王を名乗るだけあって手ごわい相手らしい。
(ヘッジホッグっていう名前を知ってたのは本当だけどなぁ)
蜥蜴は、縦に伸びた黄金の瞳孔を懐かしそうに細めた。
今でこそ人身売買や生贄収集が目立たない第二大陸だが、数年前まではとても酷かったのだ。魔導戦争が終戦してからも内乱が続き、一部の組織が必要以上の権力を持ってやりたい放題したあげく大量の奴隷を虐殺した事件すら、珍しくないほどに。
そして、二年前。特に質が悪いことで有名だった数千人規模の組織二つの間で価値観の相違による抗争が勃発――その引き金を背後から引いたのが、魔導王国のヘッジホッグだという風に、噂で聞いている。
(今でも組織がないわけじゃぁないが、当時逃げおおせた奴等も数か月前のセンチュアリッジ即売会で大半がお縄についたらしいしなぁ。二年前の抗争勃発が効いてるんだろう)
そもそも「ヘッジホッグ」という名は獣人の系譜の響きを模してこそいるが、第二大陸には存在していない言葉だ。諱でないからこそあっという間に広まる愛称のようなものだろうか。
(まぁ、第四と第一に行って法改正の手伝いをしたとか、魔導王国に所属する人族で唯一小隊を任されてるとか、魔法学の研究してるとか、化粧品の開発者の中に何故か名前があるとか、
舌なめずり。口腔内には先程食べたアプルの味が染みている。
底知れない相手から問われた質問だ。どのような魔術を得意としているかが分からない以上、蜥蜴の獣人は下手に動くことを良しとしなかった。
獲物を待ち伏せるのも、好機を狙うのも得意分野。
だから彼は、少年が次に発した言葉に不意を突かれることになる。
「この大陸に来なければ、貴方たちのお仲間も殺されはしなかったんじゃないのか?」
「……あ?」
身体を巡る血の温度が、下がったような。
酔いが醒める瞬間に似た感覚に、獣人は口の端をひきつらせた。
針鼠は淡々と、変わらぬ声で追及する。
「確かにこの大陸は第二に比べたら平和だし、行商人も簡単に襲う事ができるだろう。手っ取り早く成果を上げるにはもってこいの狩り場だ――けれど、大陸内で悪事を働き続けるにはいささか国土面積が狭い。生存競争が激しい第二からこちらに渡った時に入念に下調べしていたなら、そのことは理解していただろう?」
第二大陸から第三大陸へやって来る獣人は、ペンタスやアイベックを含めほとんどが弱者だ。何かしらの理由があって、第二で生きていくことができなくなった住民が、第一よりもマシだからという理由で第三へ移住することが殆どなのである。
そして、盗賊同盟を続けるつもりであれば――第三大陸ほどやり辛い土地は無い。
国土の殆どが草原で、都市や町は海風をしのぐための石壁に覆われている。
かといって強襲の頻度を減らせば、盗賊同盟の人員全体に十分な食料や水が維持できない。
そもそも第三では他人から物を奪うより、素直に働いた方が食事にありつけるのだ。同盟から抜けた者もいただろう。……その後、無事にやり直せるかどうかは別として。
取り返しのつかない怪我をした人が居ただろう。餓死者が出ただろう。病死者が出ただろう。第三大陸は狭い。捕まりたくないのであれば別の大陸へ逃げるというのが一番の策だ。
にも拘らず。捕縛の危険を冒してまでこの大陸に留まるのなら、理由があるはず。
針鼠は淡々とした口調のまま、指を天井へと指し向ける。
「そも、活動拠点を移す為に第三に来たわけじゃなかった。という仮説を立ててみたんだ」
例えば。
第二大陸から勢力を拡大する為ではなく「消失」する為に第三大陸へ来たのであれば、辻褄は合う。第一大陸の人間が第二大陸を突破して第三大陸まで逃げて来ることも珍しくはない。
だが、実際には盗賊同盟は解消されていない。
なら、盗賊として第二大陸にやって来たと考える方が自然だ。拠点を移す為ではなく、どうしても第三大陸に来なければならない理由があったのだとしたら――元々必要としていたのは活動資金だろうか。
「……盗賊同盟というからにはお得意様がいるはずだからね。大方、仕事をしに来たんだろうと予測する。盗賊をする為ではなく、盗賊として受けた仕事の為に、貴方たちはこの第三大陸にやって来た」
実際、きっかけはあたらずとも遠からずだろう。それなのになぜ、
捕縛の危険を冒してまで、この大陸に留まる理由は?
「――二か月前。第三大陸の南西部で、行商人に扮した盗賊の馬車が襲われる事件があった」
少年は、惜しむことなく情報を開示する。
紐づけたことで明らかになる真実を突きつける。
「構成員と思われる数名の死亡が確認されている。それだけじゃない。イシクブールへ向かった馬車の内、
そう。彼らは少なくとも三度に分けて人間を運んだのだ――そして、町に入った後の記録は途絶えている。
煙に巻かれるように。町から出た痕跡も無く消えている。
それが意味するのは失踪か誘拐か――殺害か。
針鼠は小首を傾げる。可愛らしく見せる為にではなく、疑問を呈すために。
「もう一度聞くよ。第三に来なければ良かったとは、思わなかった?」
獣人は黄金の瞳を瞬かせ、口の端を歪めた。
「しゅるる。思わねぇなぁ。草原の草も、煮りゃあ腹の足しにはなる。人の警戒心は薄いし手練れも少ない。労力を使わずに狩りができるなんてさぁ、文字通り絶好の狩場だろう?」
「……身内に被害をもたらした依頼人が、この町周辺の人間だったとしてもか?」
「依頼人は信用するものだぜ? 誰が疑うかっての――疑わしいのは、あんたらが必死に隠そうとしてる紫目の女子だろうが。オレたちの人運びを邪魔できたのは、後にも先にもあの女子一人しか居ねぇんだよ」
「…………」
紫目の少女を探す理由については聞き出せたものの、少年は獣人の言葉に閉口した。
確かに、メディアを通して明かされた情報を組み合わせて辿り着ける犯人候補は、状況証拠からして紫目の少女ラエル・イゥルポテーだけだ。
当時の彼女が気絶していた故に何一つ憶えていないことも、浮島を襲撃したスターリング・パーカーが殺害を自白したという事実も、当事者しか知り得ない情報である。
今この場でその事実を明かしたとして。獣人は納得するだろうか。
(……しないだろうな)
針鼠は口の端を歪める。相手がこちらの隙を伺っているのは態度からしても明白だ。気を緩められない状況は、あとどれだけ続くのか。
何より、今話した内容は全て針鼠の「仮説」に過ぎない。必要な証拠は愚か、根拠のない推測も多く含まれている。予測はできても真相には辿り着けない。むずがゆいが、この辺りが引き時だろう。少年は魔法瓶を手に立ちあがった。
「今日は話をしてくれてありがとう。それじゃあ、またしばらく拘留されてくれるかな」
「しゅるるる! 辛辣だなぁ、まあ、そういうところに憧れてたんですがねぇ?」
「演技は要らないよ。瓶蓋、要らないならテーブルにでも置いていいからさ」
「……なぁんだ、バレてやんの?」
裂けた口で薄笑いし、獣人は机の上に瓶蓋を乱暴に放った。石製の机にぶつかった瓶蓋は中心に派手な罅を刻んで床に落ちる。少年は調度品に入った傷について、後で修理費を請求しておこうかなとぼんやり思った。
魔法瓶を振り下ろす少年の腕と、獣人の鋭利な爪が交差する。
一触即発、喉元に迫る爪の存在に少年が気がついたところで。
――部屋の扉が乱暴にノックされ、返事を待たず秒で開け放たれるまでは。
「ハーミット!! 不審な馬車の記録、見つかったわ!!」
走って来たのだろう。うねる黒髪が簡単に束ねられただけで揺れている。
ネグリジェ姿のラエル・イゥルポテーは、紫目をぎらつかせながら「にい」と笑った。
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