150枚目 「署名の価値」


 三分後。

 針鼠の手元で黒ペンが蓋を閉じ、蜥蜴頭の獣人はびたんびたんと喜んだ。


「しゅるるるる!! いやぁあ、あの有名な組織潰しに生きてる内に会えるとは思いもしなかったぜ!! 長生きはしてみるもんだぁなぁ!!」

「……本当によかったの。それ、魔法瓶の蓋だよ?」


 役目を終えた魔法瓶の蓋――硝子の曲面には「ヘッジホッグ」の名が綴られている。

 東市場を襲撃した賊は、どういう訳かハーミット・ヘッジホッグのファンだったらしい。


「構やしねぇよ。何もなけりゃあ引っぺがした鱗に書いて貰おうと思ったぐらいなんだからさ」


 鳥肌代わりに逆立った鱗の一枚に爪をかけた獣人に、針鼠はぎょっとして待ったをかける。可動するとはいえ鱗は皮膚の一部だ。目の前の自傷を眺めていられるほど心が冷たい訳ではない。


 獣人は針鼠の反応が面白かったのか「ぎぃ」と裂けた大口を開けた。

 どうやら鱗を剥ごうとしたのは冗談だったらしい。血が滲んだ舌が空気を舐めとる。


「しゅるる。で、オレは何をしたらいいんだ?」

「えっと……毒も薬も入ってない無農薬の果物を持ってきたんだけど。食べてくれる?」

「食べることが拷問せっとくの内容……?」

「説得を拷問と受け取らないで欲しいんだけどな……?」


 蜥蜴顔の表情の変化はよく分からなかったが、テンションが上がってびたんびたんとうるさくしていた尻尾の動きは鈍くなった。


 威嚇的な態度はないものの、全面的な信頼を得ているようには感じられない。


(こう見えても相手は盗賊だ、最初から全て演技をしている可能性も考えられるし……)


 判断に悩む少年をちらちらと伺い、蜥蜴顔は尻尾の先をくるりと曲げる。先程まで自身を閉じ込めていた魔法瓶の蓋 (針鼠の直筆サイン入り)を大切そうに両手で持つと、大柄な背を小さくしてみせた。針鼠は至って真面目な声音で問い掛ける。


「……捕まってから毒入りの食べ物を出された覚えがあるのか?」

「いや、そんなことは一度も?」

「……そ、そっかぁ……。それじゃあ、席に座って食べたいだけ食べてくれると助かるかなぁ」

「しゅるるる」


 俊敏な身のこなしで空いたソファに着席する盗賊。魔法瓶の中から向けていた剣呑な目つきは何処へやら。針鼠が言ったからだろうか、籠のアプルに躊躇なくかじりついた。


 休眠が可能とはいえ胃の中は空っぽだったはずだ。用意した籠から次々姿を消す果実を目で追いかけて、針鼠は獣人と対面する席へ腰を下ろす。


(さて、どうしたものか。「食事をさせる」という当初の目的は果たされてしまったし)


 ハーミット・ヘッジホッグは犯罪者とのやり取りが苦手である。できることなら目の前の獣人を瓶に詰め直し、さっさとレーテに引き渡してしまいたいとすら思っていた。


 幸い、虎視眈々とその時を待ちわびていたらしいこの獣人は体力も気力も有り余っているらしい。心身共に健康であるということは、もうしばらく魔法瓶に詰めていても平気だろう。首都へ引き渡すことになったとしても、問題はなさそうだ。


 彼がどのような人間だろうと法を犯した以上――瓶詰めの末来は不動である。


「質問があるなら言って欲しいな。答えられる範囲の質問には答えるつもりだよ」


 針鼠の言葉に黄色い鱗背がのそりと起き上がり、膝の上に肘をつく。

 棘の鎧をまとった蜥蜴は、爪牙有鱗の獣人に独特な「捕食者」らしい圧を纏っていた。


「他の構成員はこの部屋の近くにいるのか?」

「居ない。貴方をこの部屋から逃がすような予定も無い」

「オレを含め、あいつらの処遇は決まっているのか?」

「決まっていない。罪の重さによっては終身形かもね」

「移送の時期は?」

「知らないし、知ってても教えないよ」

「しゅる。……まあ、そんなもんだよなぁ」


 蜥蜴の獣人は呟いて、それから沈黙した。針鼠の側から話かけることもない。


 今回の面会は、あくまでも食事をしないことに対する説得を目的としたものである。


 なので、情報を引き出すような交渉をする際に用いる情報ネタ物資ブツといった交換条件を用意できなかった――針鼠は取引をもちかけられる状況ではないのだ。


 ここは第三大陸イシクブール。クァリィ共和国の役人ではない彼が行使できる権限にも制限がある。


 捕縛はできても裁けはしない。司法取引のような形で罪の裁量を酌量するなどもってのほか。

 奇跡的に罪人側から口を滑らせてくれるのを待つしか方法は無い。


(しかし、簡単に口を割るようにも思えない。身のこなしから戦闘慣れしてるのは一目瞭然だし、さっさと切り上げて瓶の中に戻ってもらうのも一つの手かな)


 本心を言えば、この獣人の口から盗賊同盟の活動主旨や行動理念、第三大陸に来た目的や二カ月前の馬車の件など、根掘り葉掘り聞き出したいところなのだが。


(……問いただすには、立場が邪魔か)


 一方、悩みの種となっている獣人は机にのっていた十七個のアプルの実をぺろりと平らげて、まだ足りないのか舌をなめずっていた。


 身長差もかなりのものがあるので、少年は「蜥蜴じゃなくて蛇だったら丸呑みだろうなぁ」などと、思考する。


 縦に割れた瞳は、じっくりと内装を観察しているようだ。

 やがて気が済んだのか、黄金の目が硝子玉に向けられる。


「しゅるる。オレからなにか聞き出そうとか思わねぇの?」

「……東市場バザールを襲った経緯と、渥地あつしち酸土テラロッサが、黒髪で紫の目をした人間を捜している理由には、興味があるね」


 ハーミットがなるべく感情を込めずに言うと、蜥蜴は怪訝そうに顔を歪めた。

 針鼠には蜥蜴の表情変化は理解できない。鱗が軋んだ音と視線だけが届く。


 酔いが醒めた狩人のような。割れた石の切っ先を突きつけられたような気分がした。


「残念だ。オレが話せるような内容なら、吐いても良かったんだが」


 しゅるる、と。

 長く、細い舌先が鱗の顔を舐め回す。


「……ただ、最大限譲歩して。市場バザールを襲撃したのは『ついで』だった。とだけ白状しておこうか」

「ついで、か」


 東市場バザールの火災は、大規模なものだった。商人たちが生活の糧にしている物が殆ど炭となった。日常茶飯事だと笑う彼らにだって、日々を過ごす為にお金も食料も水も必要だ。


 そも、人死にが無かったというのは結果論であり奇跡も同然。


 もし火災の現場が宿屋や夜市も集まる西市場バザールだったなら、多くの怪我人と犠牲者が出ただろう。商人の籠城部屋だって、一度外に出てしまったら二度は使えない消耗品である。そしてなにより。


 ペンタス・マーコールは、あの火災で死にかけている。


 彼らは『ついで』で、人が死ぬかもしれない事件を起こしたのだ。辛抱強い商人たちの冷静な判断があったおかげで、人死にや怪我人がなかっただけにすぎない。

 そして、命は助かれど多くの人が困窮に追い込まれかねない被害を被った。それを引き起こした本人に――ついでだった、の一言で済ませられては。堪らない。


 感情が燻る音がする。

 針鼠は鼠顔の下、その火種を踏みつぶして顔を上げた。


「……貴方こそ、って。今になって後悔しているんじゃないか?」


 少年は口角を上げ、地雷原に踏み入った。







 町長宅庭、ポータブルハウス。


 ラエルは束ねた資料を片っ端から捲って、それから閉じた。数か月分の通行記録となれば量は膨大でやはり一夜で済むような作業ではない。


「っていうか、この量を一日で捌いたなんて……あの人、頭の中どうなってるのよ」

『さあ。昔から妙に本を読む速さだけはあったので、それじゃないです?』

「彼が幾ら速読だとしても、この文字量を一瞬で読み終わるのは無理でしょう!?」

『実際に彼は仕事を済ませたわけですから、単純に力量差ではないです?』

「ううううう」


 資料の山から顔を出した黒髪の少女。彼女は少年から任された資料の照会作業を続けていた。一週間分の資料を片づけたラエルに対し、蝙蝠は無慈悲に次の資料束を受け渡す。


『こっちの資料は情報量少な目のように感じますです。休憩がてらチェックをどうぞです』

「そんなこと言って、やっぱり上から下までぎっちりじゃないの……」

『……』


 ノワールはラエルの言葉に首を傾げると、舌で突いていた皮膜を畳んで資料の山から飛び降りた。木製の天板に蝙蝠の爪痕がつく。


「どうしたの、ノワールちゃん」

『ラエル。今、貴方はどのページを見て「ぎっちり」と言ったんです』

「どのページって……これとか、これとか、これも。殆ど全部だけれど?」

『……』

「ノワールちゃん?」


 もの凄いジト目をラエルに向けたかと思えば、無言で資料を睨みつける蝙蝠。

 閉じるか閉じないか、という目の細め方だ。黒髪の少女はポンと手を打つ。


「目が悪いのね?」

『違うです。人並みに本は読めますし、近視でも乱視でもないです』

「キンシとランシが何なのかは知らないけれど。……何か変な見え方でもしてるの?」

『……キェエエエ!!』

「!?」

『失礼。ですがこのノワール、ひらめきましたです』


 そう呟くと、ノワールはどこかへパタパタ飛んで行ってしまった。


 蝙蝠が嬉々として行動する様子を見たことがなかったラエルは、戻って来たその額に皺が寄っていないことよりも、その足に引っかかった魔法具に気を取られた。


 それは、魔法具技師が作業時に使用している作業道具を一般式にした物だ。

 スイッチ一つで周囲に受け流す壁パリングを展開し、かけた人間の目には魔力の色をより鮮やかに可視化する――ゴーグルーである。


 蝙蝠曰く、これを使って書類を読めということらしい。


 ラエルは首を傾げながらゴーグルーを目にかけると書類に目を落とした。魔力可視は発動しているはずだが、特に視界に変化は見られない。


「……何も変わらないわよ?」

『魔力可視最大で見てるです?』

「ええ」

『それなら真逆にするです。確かそのゴーグルー、魔力を見えなくすることもできた筈です』

「魔力を……見えなくする?」

『です』


 ラエルはゴーグルーを装着した状態で説明書マニュアルを起動する。指示に従ってゴーグルの縁についた飾りのような歯車を回してみた。


 巻き上げれば視界は一層鮮やかに。真逆に回せば、裸眼で見るよりいくらか透明感がある世界が視界を支配した。

 カンテラの橙の赤みは消え失せて白く、首に提げたままだった回線硝子ラインビードロは薄い赤色に見える。蝙蝠のノワールも、どこか青みが抜けたような気がした。


(魔力由来で見えている色って、案外多いものなのね)


 部屋を見回すばかりで資料を読もうとしないラエルの顎に蝙蝠の頭突きがヒットする。

 少女自身、興味関心に注意を引っ張られやすい自覚はある。気を取り直し「視界から魔力を排除した状態」で資料を目にした。


『どうです』

「……!」


 変化は、目に見える形で現れ――正確には、目に見えない形に消失した。


「……何行か見えなくなったわ。まさか、魔力文字とインク文字を混ぜて記録されていたなんて――」


 ラエルは一度ゴーグルーを額に退けて、もう一度かけ直す。ハーミット・ヘッジホッグが何故、あんなに速く作業を終わらせることができたのか――なぜ、彼が違和感を抱いたのか。ラエルにこの作業を任せたのか。理解できた。


 同じ人間といっても、見える世界が全く同じとは限らない。


 ラエルの目には、七列三十行の記録が箇条書きに綴られているように見えていた。

 その内、魔力文字で綴られた通行記録が――五行もある。




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