126枚目 「夜更かしはコーフィーと共に」


「……えっと。夕食をスカルペッロさんたちと頂いて、ベリシードさんから渡されていた『ポフの使い心地アンケート』に答える為に今日から数日この家を使うことになった訳だけれど」

「うん」

「キッチンとリビングが一体になってて料理も運びやすいし、洗濯は魔法具が乾燥までやってくれるし、なんならシャワーもろもろも充実していて、しかも一人一部屋あると知って吃驚したのだけれど」

「うん」

「……」


 先程から空返事を続けるハーミット・ヘッジホッグ――今は鼠頭を外して金髪を晒しているが――ラエル・イゥルポテーは琥珀の濁りを見逃さなかった。


 リビングの中心に置かれたテーブルは最大で四人が余裕をもって囲めるほどのサイズが確保されている。にもかかわらず、現在は皿を置く余裕が見当たらない。


 夜にも拘らず昼間の様に明るいカンテラの光が備え付けられたこの部屋は、十分夜通しの作業に向いている――例えば、町の長に提出してもらった馬車の通行記録に関する書類を仕分けるにはもってこいの環境だ。


 よって、机の上には分野ごとに整理された資料が広げられていた。


 ハーミットは机に広げた資料を片っ端から捲って内容を目に入れていく。


「はは。提出してもらった資料が予想より少なかったからね。この量なら今夜中に捌けるんじゃないかと思ってさ」

「……」

「大丈夫。先に寝てていいよ」

「はぁ。そう言われて大人しく眠れるとでも?」


 ラエルは苦笑して、しかしまんざらでもない様子で斜め向かいの席についた。


「……何をどう確認すればいいか分からないわ。教えて頂戴」

「えっと、こっちが町から出ていく馬車の記録。そっちは町にやって来た馬車の記録だ」


 月ごとに分けてファイリングされた資料を二部手に取って差し出す金髪少年。


 観光地として有名なイシクブールの関所の記録である。殆どは視認性のある筆致だが、時折殴り書いた様な羅列が並んでいるのを見て、ラエルは息をのんだ。


「……これを、どうするの?」

「見比べて、外から来たにもかかわらず町を出なかった馬車をリストにするんだ。この辺りの馬車には必ず登録名があるからね」

「何か月分?」

「君が拉致された時期から調べるとしても、二カ月分ぐらいかなぁ」


 少女はそれを聞いて、手元の資料へと目を落とす。一枚あたりに記録されている馬車の数は三十。しかし一、二枚めくった程度で記入されている日付が変動しないのである。目を通すだけでも相応の時間がいるに違いない。


 しかし他に手がかりもないので、眉間に皺を寄せつつも作業を始めることにする。

 そんなラエルを見て、ハーミットは琥珀の目を歪めた。


「幸いにもテーブルは広いし、何か飲みながら作業しようか」

「そうね。そうだといいわ……ええっと……サンドクォーツクから行商人……所属は第二大陸、馬車名はアプルサークレット……」


 金髪少年の呟きは既に耳に入っていない様子である。ハーミットはやれやれと腰を上げ、魔石を火打石代わりに魔法具へ着火するとお湯を沸かし始めた。備え付けの棚からいつも通り、コーフィーを作る為の黒い粉と露紙、粉のミルクと砂糖を取り出して台に並べる。


 そうして、二人分用意した片方のカップに色のついた粉薬を入れた。

 上からコーフィーを淹れ、ミルクと砂糖を足す。マドラーでかき混ぜる。


「はい。カフィオレだよ。夜は目が覚めて良いんだ」

「あ、ありがとう」


 ハーミットはミルクも入れずにブラックのままコーフィーを飲み、それから作業に戻る。

 表紙を開いて表情を隠しつつ、黒髪の少女がそれを飲むのを待った。


 ラエルはしばらくの間カフィオレに手をつけなかったが、手元の資料の半分に目を通したところで、温くなってしまったそれに口をつけた。熱くないからか、カップに入っていたカフィオレが少量だったからか、一息に飲み干す。


 ハーミットはそれを見届けて。手元の資料をまた一つ、片付けた。


「……」

「……」

「ねぇ。なんだか凄く眠くなってきたのだけど」

「そうか。仕方がないよ、一日中動き回ったんだ。無理はするもんじゃないさ」

「それは……そうだけれど……いいえ、絶対違う、これ、ハーミット貴方、何か盛っ……」


 最後まで言い切ることも叶わず、ラエルはその場に突っ伏す。

 おぼろげに意識があるのか、ゆっくりと瞬きを繰り返そうとするも――睡魔に負けて瞼を閉じた。


 金髪少年はカップの縁から口を放して、それから苦笑する。


「おかえり。ノワール」

『……なんだ、気付いてたんです』


 背後に降り立った蝙蝠に声をかけたハーミットは席を立ち、テーブルに突っ伏して眠りこけたラエルを軽々と抱きあげた。ノワールはその後を追い、開いた扉の先を滑空する。


『部屋は個室です?』

「ああ。ベリシードさんが用意してくれてる……内装からして、こっちが彼女の部屋だろう」

『開けますです』

「助かる」


 女性の部屋に土足で上がるのは気が引けるが強制的に寝かしつけたのは自分だ。浄化魔法の作用を信じて踏み込むと、ラエルをベッドの上にのせてシーツをかけた。


 リリアンで結えられた黒髪を解けば、数日ぶりにシャワーを浴びて艶々とした黒髪のうねりが手袋越しの手のひらに絡まりそうになるので、恐る恐る梳く。


(ただでさえポフの起動には魔力が必要だから、起動後はしっかり休息をとるよう散々説明をうけたっていうのに……。まさか夜更かししようとするとは)


 その原因は己にあるとはいえ、だ。ハードワークが常の少年と目の前で眠っている少女とでは、健康に活動するために必要な休息の時間に差がある。

 あまり使いたくなかった手段だったとはいえ、背に腹は代えられない。長期戦において、健康に勝る武器などないのだから。


『……さっさと出るです』

「ははは、それもそうだな」


 天井の梁から降った言葉に頷き、部屋を出た。


 リビングに戻れば四割ほど残った仕分け作業が待っている。ノワールは机の上に座って、それからジトリとハーミットを睨んだ。


『……広場で少年たちと別れるなり、そのまま「追いかけろ」と言われるとは思ってもなかったです』

「そのことは謝るよ。でも、結果として追いかけて良かったんじゃないかな」

『……えぇ。まあそうです』


 不服そうに言って、ノワールは皮膜を舌でつつき始めた。


『同調して気持ちの良い感情ではありませんでしたが』


 何処を見ているかも分からない、真黒の瞳が琥珀を射る。

 ノワールは先の戦争を生きのこった猛者である。疲れを見せることも無く、毛づくろいをしながら報告は続けられた。


『キニーネ・スカルペッロ=ラールギロス。彼は貴方たちゆうしゃがこの町に来た事によって人生を破滅させられたようです』

「……」


 金髪少年は「やっぱり」とも「そうか」とも言わない。

 けれど資料を捲る手が止まった。


 昔の話だといって、過去の自分が影響した事象に対して知らぬ存ぜぬでは流せない。

 そのように、ハーミットは生きている。


「過去形だな。今更、俺がどうにかできる問題でもないって言いたいのか」

『です。現に六年前も二年前も、貴方はイシクブールを訪れていないでしょう。あれは魔王様が貴方に課した贖罪の旅でしたが、今回の件はその時既に終わっていたことです。取り返しはつきませんです』

「…………」


 大して好きでもないコーフィーを飲み込んで、胃を荒らす。空になったカップはソーサーの上に優しく置かれた。


 資料を捲る作業が再開される。喉は乾いたままだ。


『まぁ、六年前の貴方は当時の彼と全く接触していなかったです。後姿を見られていたとしても、その目立つ髪と目を隠し通せば済む話。どうせなら全身全霊をかけて欺くですよ』

「……」

『不満です? 目の前の問題を解決する手段がない現実をつきつけられて』

「……不満だよ」

『です』


 予想通りの反応だ。とでも言いたげな視線を向けるノワール。


『気持ちは分からないでもないです。ですが今、貴方がするべき仕事はなんです』

「……ラエルの両親を探し出して保護すること、第三大陸の情勢調査をすること――」

『いいえ。貴方がかつて勇者だったその責から一旦距離を置き、休息をとることです』


 琥珀が僅かに見開かれ、濁る。

 蝙蝠の目は黒く澄んだままだ。


「休息って」

『いつまでも過去に囚われていては困るです。仮にも、四天王の責を負う立場であれば――今の立場を貫き通すこと等、造作もないです?』


(……あの少年には必要以上に関わるな、ということか)


 暗に忠告しているのだろう。その「既に終わってしまった事」が何なのか、キニーネという少年が何故勇者を探し出そうとしているのか。きっとこの蝙蝠は明かさない。ハーミットには、知る機会すら与えられない。


『因みに、そのムカつくガキですが』

「……っ、一気に空気が弛緩したな……え? ムカつくって誰のことだ」

『貴方以外にムカつくと言えば、そのラールギロス家のお坊ちゃんに決まっているでしょう。自己中心的で無鉄砲、目的の為なら周囲を最大限利用する。いち蝙蝠的に好まない人格です』


 見た目は顔の整った少年で、キュートな顔を武器に自らの要求をのませようとしたり、そのくせ自分が決めたことは曲げず、周囲の目をかいくぐって確実に実行に移す。


 そんな捻くれ者のシルエットがハーミットの脳裏に浮かぶ。

 言うまでもなく客観視した現在の自分なのだが。


 金髪少年はわざとらしく咳払いをした。


『貴方は自覚した上でわきまえているからましなのです。……彼は獣人くんと賭けをしているそうで、勇者を見つけられなかった方が使用人の服を纏って蚤の市に出るとかなんとか言ってたです。あのガキが負けるとノワールの溜飲が下りますので、ぜひぜひ隠し通してくださいです』

「……言われなくてもそうするよ。洗った火鼠の衣コートも明日には乾くだろうし、例え相手の片方が獣人と言えど『香水』があればある程度のごまかしはきく」

『……』

「何だよ」

『いえ。匂いや見た目に気を張るのは結構です……が』


 隠し通さねばならない相手は、何も子どもたちだけではないでしょう。


 蝙蝠は言って溜め息をつき、少年は苦笑いして資料の仕分けを再開した。

 一枚あたり二十五名ほどの名前がのった名簿である。さて、日が昇るまでに仕分け終えられるだろうか――。




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