116枚目 「ハーフリムゴールド」


 冷静に考えるならば、宿屋は建築時に部屋数が決まっているのが普通である。


 空間構成士が常駐している魔導王国の様に、部屋のスペースを他の土地に間借りするには民間の技術とコストが足りないのだ。


 浮島の生活様式は膨大な魔力を提供かつ操る技量がある王様が居るからこそ成立する便利であり――現実には、国の機関のような重要施設にしか最先端の技術は採用されていないのである。


 都市から離れた町、イシクブール。その宿屋に最先端の技術は当たり前だが搭載されていない。

 引き出しの箱ドロワーボックスの様に巨大な空間を生成して部屋数を増やすこともしないし、他の場所に部屋を用意して空間術式で繋ぐための予算もない。


 つまり、この町の宿屋の予約と当日宿泊の枠は夕方の時点でほぼ、いや、ほとんどすべて埋まっていた。辛うじて残っているのは、未成年には泊まれないしとねの宿ぐらいである。


 ……年齢を詐称するにしても、少年少女の外見はとても成年に見えはしない上、ラエル・イゥルポテーが肩にかけているケープの背面には魔導王国の紋章があしらわれている。


 四天王の針鼠と行動を共にしているとはいえ、黒髪の少女がサンドクォーツクや市場の人混みの中を自由に歩いても下手な悪党に絡まれなかった理由は、その紋章が傍目から「魔導王国の関係者」だと認識される指標になっているからだ。


 そんな風に一目で「魔導王国の関係者」だと分かる見た目をしている少女を連れた胡散臭い針鼠の少年がしとねの宿に泊まるなど立場上許されることではない。悪目立ちし過ぎる。


 そういう訳でイシクブール到着初日早々、少年少女は野営することになったのであった。


 夜も更けた喪に服す町で、少女に頭を深々と下げる針鼠は大層浮いている。

 一方、頭を下げられている黒髪の少女は呆れた様子で少年の両肩に手を置いていた。


 頭を下げる少年の肩を少女が抑えつけている――ように傍からは見える――その珍風景を目撃した通行人はというと、ある者は白い視線を投げ、ある者は見なかったフリをした。


 当のラエルはというと頭を下げている少年の黒い肩を両腕で起こそうとしているのだが、ハーミット・ヘッジホッグは見た目に寄らず筋力があるので中々思うようにいかない。


「頭を上げて頂戴……! 別に怒ってないわよ。最近慌ただしかったもの!」

「うぐぐぐ」

「部屋がとれなかったのは仕方がないじゃない、予定が狂うのは旅の醍醐味じゃないの!?」

「ぐぐぐぐぐ」

「……」

「ぐぐぐ」

「貴方……もしかしなくてもこの状況を楽しんでるわね……!?」

「ふはっ」


 ラエルの怒り混じりの追及でようやく重い頭を上げたハーミットは、けらけら笑いながらやれやれと両の手を返した。お手上げのポーズである。


「参ったな。こんなに早く気付かれるとは」

「現実逃避もほどほどにしなさいよ。野営場所これから決めないといけないんだから」

「うん。その、本当にすみませんでした」

「だから怒ってないってば」


 ラエルはウエストポーチからカンテラと地図を取り出すとその辺にあった階段にしゃがみ込み、町の近辺に手ごろで平坦な丘陵がないか調べ始めた。


 少年はその真剣な横顔を見て気まずくなったのか、針頭をもさもさと撫でる。

 彼の脳内には事前知識として第三大陸南部の地形があらかた頭の中に入っているのだが――こういう時こそ、人の仕事を奪ってはいけないというのが暗黙のルールである。


 ハーミットは地形図とにらめっこするラエルの代わりに、先程からこちらを見て棒立ちしている人物を観察することにした。


 ぱちりと、目が合ったような気がする。


 針鼠の頭を被った少年の琥珀はカンテラの橙で隠されているが……そのことを意識したのは針鼠だけだったようだ。


 一面塗りつぶされた黒い町に浮かぶ灰色の髪。金の飾り縁がついた眼鏡をかけたその人は針鼠から視線を外すと、隣に居たツノの生えた獣人と小言の応酬を始めてしまった。


 遠目からでも仲の良さが伺える微笑ましいやりとりである。鼠顔の下で、ふと目を細める。


(いやちょっと待てよ、あの背格好でツノ付きの獣人って……)


「……もしかして、ペタくん?」

「へっ!?」


 少年の呟きに、大分距離がある筈の彼が振り向いた。間違いない。

 ツノ付きの獣人は市場からイシクブールへ早馬で帰った青年、ペンタスだった。


 耳をぱたぱたとさせ、目の前にいる灰髪の人物とこちらとを交互に見る青年。町の外で会った時に比べると、今は燃え盛る天幕市場テントバザールで盛大に号泣していた時の雰囲気に近い。


 灰色髪はツノ付き獣人の背中を叩く。


「めっ、ぇと、えっと」

「……はぁー。何してんだよペタ。ほら、早くいけって。僕はここで待ってるからさぁ」

「う、あ、ありがとうキーナ」


 背中を押された青年は、黒い角をカンテラの灯りに反射させながらこちらに近づいてきた――両の目の下に黒い隈ができている。ハーミットはそのことに気が付くと、少しだけ鼠頭を俯かせた。


「いやぁ、一日ぶりですね! あの市場バザール端からここまでだと、結構距離があるはずなんですけど。早かったですね。めぇ!」

「……ああ」

「グリッタさんには、お会いになりましたか? ボクのわがままを聞いて下さったにも拘らず、彼、ボクを降ろした後に何処かへ行ってしまって。探してるんですけど……」

「……そうなのか。実は俺たちも会っていないんだ、力になれなくて申し訳ない」

「いえいえいえ。ハーミットさんたちに聞いても仕方ないですよね……めぇ!」

「……ペタくん」


 明るくしようと必死な青年の言葉を遮り、少女もそれに気が付いて顔を上げる。

 青年の見ていられない顔が目に入ったらしい。驚いた顔で立ち上がった。


「だ、大丈夫? ペタさん、ぼろぼろじゃない」

「だ、だいじょうぶ、です」

「……俺たちを気にかけてくれてありがとう」


 ハーミットは言って、ラエルのケープを少し引っ張った。この場をさりげなく離れる為の合図で、青年の視界に入らない位置での行動である。それは今のペンタスには休息が必要だと察したが故の判断だったのだが――結果としてその気遣いは無為に帰す。


 というのも青年の背後に、音も無くあの灰髪が立ったのだ。


「――ったく、黙って見ていれば。言いたいことも吐き出せねぇのかペタぁあ!!」


 青年の両脇腹に細い指が軽やかに走る!!


「めぇぇえええええええ!?」


 雄たけびのような断末魔のような、要は不意を突かれてくすぐられただけなのだが、それだけでペンタスはへなへなとその場に座り込んで細かく震える肩を抱くなり生理的にこみ上げるおかしな笑いへの抵抗を余儀なくされる。


 一方、主犯である灰髪は金縁の眼鏡をカンテラの橙に反射させると、悪童らしい嘲笑を浮かべて見せた。


 呆気にとられたラエルらをさて置き、ペンタスは瞳を歪ませてと振り返る。


「死角から不意打ちなんてっ、卑怯だぞキーナ……!!」

「はぁ? 五分も本題を切り出せずにもたついてたのは何処のどいつだよ。ほら、そこの観光客もポカンとしてるじゃないか」

「かっ、観光客!? 君には彼らが観光客に見えるの!?」

「お前の恩人ってことを知らなきゃあ只の観光客に違いないさ。で。本題を早く言え。言っちまえば楽になるんだろ? ん?」

「わ、わわわ分かった!! 分かったからくすぐるのは辞めて!?」


 再び十指を構えた灰髪――キーナと呼ばれているが、少年なのか少女なのか見た目にはよく分からない中性的な顔立ちと声をしている――を必死に静止して、ペタは場の空気に飲み込まれて口を噤んでいた二人に向き直った。


 再び顔を上げたまなざしに悲壮さは感じられず、在るのはただ信念に似た志。


「……ま、町の宿が埋まっていると聞いて、お二人を捜していたんです。ボク自身も個人的に、説明というかお話を、したいので、その。ボクの家で良ければ、屋根付きの寝所を用意させてくれませんか?」

「え?」

「……俺たちを捜してたって、まさかその為に?」

「はい。困ったときはお互い様ですめぇ」


 ニコニコとするペンタス。眉間によった皺は消えないが、どうやら本心で言っているらしい。

 ラエルとハーミットは顔を見合わせる。今のペンタスに必要なのは一人の時間ではないという解釈でいいのだろうか。


 二人が遠慮がちにも頷くと、灰髪は硝子の反射で目元を隠す。

 口元は笑っているので、元からこの展開になると予測していたのだろう。


「全く、手間がかかるやつ」

「はは。ありがとう、キーナ」

「良いよ。……それじゃ、観光客さん、ペタのことよろしくなー」


 灰髪はそう言って、町の東の方に駆けていった。


 ハーミットは戸惑いつつもペンタスと細かい話を始めたようだが、ラエルはその灰髪の背を目で追っていた。すれ違った際に一瞬だけ見えた金縁の内側には、草原の様な鮮やかな黄緑の瞳。


 白き者エルフ特有の蛍光の虹彩――僅かに乳白した水晶体と、けれど人族や魔族特有の丸い耳をしていた――ちぐはぐな後姿が、町の黒に溶けるまで。




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