106枚目 「温菜ミルクスープを添えて」


「そう言えば、ラエルは『魔法』なら暴発しないんだね」

「え? 確かに言われてみれば……そうね」


 温菜スープのおかわりを注ぐとラエルは振り返る。今注いだのは自分用のつもりらしい。ハーミットは彼女からお玉のような調理器具を受け取って、自分が食べる分をよそった。


 煮詰めた後にとろみをつけたそれは、ミルクが入ったことで身体が温まりやすいものになっている。第三大陸の南部はひたすらに草原と平地が続く為に昼と夜の気温差が激しいので、あえてそのように調理したのだと少女は説明した。


 二杯目になるそれを一口飲み込んで、少年は先程の疑問を繰り返す。


「そもそも、魔法と魔術ってそんなに違うものなのか? 俺は体質的に魔法に関する経験は皆無なわけだけど……それなりに魔術音痴には出会って来たつもりではあるんだ。でも、魔法が使えない人間はあまり居なかったから、不思議でさ」

「うーん。上手く説明ができるかは分からないけれど、そうね。使い手からすれば、全然違うものよ」


 ラエルは三杯目のスープを飲み干すと、器を一度草の上に置いて右手を前に出す。

 手袋を外した人差し指から、黄色い光が灯る。土魔法の色だ。


「魔術の基本は魔力を練る所から始めるでしょう。土、水、火、風、雷の順。頭をよく使うのは雷で、一番魔力消費が大きい。これが汎用五属の特性で、これだけは魔法でも変わらないわ」


 少女は魔力の色を変えていく。黄、青、赤、緑、橙――そして、黄に戻る。


「貴方も知っているとは思うけれど、例えば魔力を流し込むだけなら魔法ね。カンテラを点けたり、そよ風を吹かせたり」

「……」

「けれどそこに『名称付け』をすると『魔術』として扱うことができる。発声によって発現結果を固定するひと手間を加えることで、普通は魔法で実現できない現象も簡単に発現できるようになるの」


 ラエル・イゥルポテーは、人差し指を天に向ける。


「『点火アンツ』」

「!」


 少年が止める間もなく、少女の魔術が暴発した――しかしそれは直線的なものだ。

 空に伸びた赤い火の帯は、ある程度の長さのままで実態を保つ。


 まだ出力調整は上手くいかないようだが、本人を巻き込むような暴発は起こらなかった。

 初めて会った時より体外に霧散していた魔力子を抑えることができているらしい。大きな進歩と言えるだろう。


「ハーミット。この火を憶えてて」

「わ、分かった」

「よし、消すわね。――今のが魔術なんだけど、魔法で似た感じの物を作ろうとすると、こうなるのよ」


 黒髪の少女は展開していた魔術を解術し、手のひらを開く。


 ――ボフッ。


 奇妙な音を立てて、少女の右手が火の粉に包まれた。


 金髪少年は飲み込み損ねたスープを吹き出しそうになったが、魔法で発現しているからか術者の肌が直接燃える事態にはならないようだ。


 それより、詠唱在りと無しとで明確化された、発現内容の差が気になる。

 安定した (暴発しているが)火を生み出す魔術と、火の粉までしか作り出せない魔法の違い。


 詠唱の有無とは別に、何か決定的に見落としている要素がある気がするのだが――ハーミットはまだ答えに届かないようだ。


「んー、やっぱり俺には何が違うのか全く分からないな。魔術も魔法も、魔力子を消費しているのは変わらない筈だ。それがどうしてこの差に繋がるんだろう」

「……まあ、この感覚は魔法や魔術を使う人にしか理解できないと思うわよ?」

「あー。昔、同じことを質問した相手も同じようなことを言っていたよ……。やっぱり、そういうものなのかな」

「そういうものなんじゃない? 私は『魔法』が使えることが、この世界で生きていく最低限の権利みたいなものなんじゃないかと思っていたけれど……まあ、魔力子が無い世界になったとしても、人間はそう簡単にくたばりはしないでしょう」


 少年の手元にあった空の器を受け取り、黒髪の少女は持ち歩いていた水に魔力を流し込むと水魔法で次々綺麗にしていく。

 無詠唱で扱える水の量はそう多くはないようだが、器や調理器具を片付けるにはこと足りるらしい。器用なものだった。


 最後は汚れを含んだ水分ごと沸騰、発火させて灰にする。

 パラパラと草原に散っていく原型の無い灰は、吹き抜ける風に絡んで飛んでいく。


「とはいっても、私の魔法が暴発しなくなったのはここ最近の事よ」

「そうなのか」

「ええ。過剰放出していた魔力子を抑えられるようになって、どうにか。身体から魔力子が漏れ出ていないことを前提に、多くの人は魔法と魔術を使っているんじゃないかしら」


 水の扱いに慣れたのは、モスリーキッチンで沢山お皿を洗ったからだろう。


 少女は言って、調理器具をポーチに突っ込んでいく――引き出しの箱ドロワーボックス搭載なので、これでもかと物を入れても詰まらないし腐らない――少年も魔石瓶を取り外した魔法具を自らの鞄に収納した。


 夕食を終えたタイミングで丁度日が落ちる。ハーミットは口元を拭って「ごちそうさま」と口にすると、外していた鼠顔を頭に被った。首元までを隠す長袖のタートルネックは瞬く間に黄土色の襟に包まれて消え、追加で毛皮を膝にかける。


 会話はこの辺りで打ち切りらしい。ラエルとしてもこれ以上教えられることは無いし、自身より知識を蓄えているであろう少年にあれこれ言うのも野暮だと思った。


 彼なら放っていても何かしら発見をするだろう、というのが彼女の楽観である。


「仮眠するの?」

「夜中の見張りを頼むわけにはいかないからね。今八時だから、十時には起こして欲しい」

「二時間睡眠なんてふざけたこと言わないの。せめて四時間は寝て頂戴」

「……」

「どうせその鼠顔の下で苦笑いしてるんでしょう?」


 紫の視線が魔鏡素材マジックミラーの瞳に向けられる。


 付き合いの浅い少女であっても、硝子の瞳から何も読み取れなくても、被り顔の下でどういう表情をしているかは何となく予想がつくというものだった。


「……分かったよ。じゃあ十二時までカンテラの番を頼んでもいいかな。ラエル」

「任されたわハーミット。安心しなさい、嫌な気配がしたら叩き起こすから」

「はは。容赦がないなぁ」


 ラエルは少年の言葉に返答することなく、静かに毛皮を身にまとう。編み込まれた体温調節魔術の作用で、冷え始めていた身体が芯からじんわりと温かくなる。


 ハーミットは少女との会話が終わったと認識したのか、直ぐに浅い寝息をたて始める。

 ラエルは橙の光を放つカンテラに時々魔力を注ぎながら、三日目になる日誌を開いた。


 朝は何を食べたとか話したとか、昼は何を食べたとか話したとか。

 他愛のない会話から学んだメモを元に、一日分の報告書をまとめていく。


 しかし、随分のんびりと時間かけて日誌を記録した割には。書き終わって手帳を閉じても、一時間ほどしか経過していなかった。


 ラエルはやることが無くなってしまって、踏み倒した草のベッドに丸くなるハーミットを眺めながら、膝を抱えた。


 カンテラの番をする、と言っても人の気配はおろか砂虫や砂魚のような灯りに突貫してくるような危険生物も周囲にはいない。育った白砂漠に比べてあまりにも平和なこの草原で、一体何を見張る必要があるのかと思うほどだった。


(ここは、そのが致命傷になる地域なのかもしれないわね)


 人間が相対する危機は命のやり取りに限るわけではない。

 それは、彼女が身をもって体感してきたことである。


 ……ラエルは、それが必要だと分かっていても即座に寝ることができない。


 恐怖感情が欠落している彼女には、その辺りのさじ加減を調節することが非常に困難だ。一度気を張りつめると、緊張を解くことがなかなかできない。

 普段から全てを疑ってかかるぐらいしなければ咄嗟の危険に身構えることすらできない、そう自覚しているからだった。


 一方、目の前に転がっている少年は必要な時に休息をとることができ、危機が迫れば即座に脳を覚醒させて飛びかかることも可能なのだろう。


 今のラエルにはできないことだ。


(他人に頼る事を覚える、ね……。二か月前の私なら夜襲には備えられても、夜間中走り続けようとして目的地前で行き倒れていたかもしれない)


 例え行き倒れなかったとしても、無理をしたつけを払うことになっていただろう。


 自身の限界や実力を認識している今だからこそ、一刻も早く目的地にたどり着きたい衝動を抑えてまで「野営」という判断を下すことができた。


 しかしそれは、一人では「できないこと」があることを受け入れるのと同義でもある。


(私は、彼らを一人で助けられると思い上がってた……そして、彼なら大丈夫だろうと責任転嫁している。確かにハーミットには実力があるし、彼の力があれば両親を助けるのもあの宗教団体を潰すことも可能じゃないかって……でもこれが、正しい選択だとは、思えない)


 紫の瞳はカンテラの橙に照らされて元の黒色に近くなる。深淵を覗くような黒い瞳と虹彩。泥の底を掬った様な漆黒――さながら燃え尽きた炭樹トレントの様な。


 ラエルは巡る思考を断って、それから空を仰ぐ。

 時計はまだ十時四十分を示したところだ。


 後二時間、何を考えて過ごそうか。


 明日の献立でもいいかもしれない。少女は食材の在庫を確認しながら、「明日はハーミットに作ってもらおうかな」とか思考を巡らせ、手帳の端のスペースにメモを取った。


 目の前にはカンテラの灯。継ぎ足された魔力子を燃料に、光が影を濃くする。

 傍には少年が使ったらしい魔石の欠片が落ちていた。




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