105枚目 「大陸横断グラスクラフト」


 第三大陸は乾燥地帯と温帯を竜の尾骨ドラゴン・コックスという白い山脈によって二分されている。


 南側は比較的年中を通して過ごしやすい気候だが、生息する生物の種類は少ない。


 北の白砂漠では炭樹トレントの野生化で時々森ができるものの (とはいえ暑さですぐ枯れる)、その胞子は山を挟んだ南側には届かない。山の麓には林ができる程度で、森になるほど木々が成長する訳でもない――そうした事情もあり、クァリイ共和国の産業は石材の産出と周辺海域で獲れる海産物に関する交易が主だ。


 積極的に街を広げようとする動きは無く、昔転々とあった村々も今は無くなり草原の一部と化している。第三大陸の中で人が生活しているコミュニティは、サンドクォーツクとイシクブールを合わせても手のひらに納まるほどの数しか残っていない。


 季節になると飛来する渡り鳥と、海から揚がる魚類と、貿易で手に入れる野菜と、地元で作る穀物とパン。そして、大陸に横たわる竜の亡骸を管理する骨守。


 それだけあればいい――そう、思っているのだとか。







 日が傾いたせいで一面枯れ葉の様に色づく草原を、一台のクラフトが駆けてゆく。


 普通一人乗り仕様が多いクラフト――魔力駆動という技術で推進力を生む乗り物である――だが、その人影は二つ見受けられた。

 後部座席に跨っているのがゴーグルーをかけた鼠頭の獣人で、ハンドルを握っているのはゴーグルーをかけた黒髪の少女である。


「だとか、って。含みのある言い方ね」

「事実なんだから仕方がない。『国』と名がついている以上一枚岩な訳がないだろう?」

「確かに。建前が綺麗すぎる気もするけれど」


 ラエルは返答しつつ、ギアを変えて走行速度を安定させる。


 走り続ける間にバランスをとるコツを掴んだのか、後部座席の少年は下り坂に入ると少女と同じように前傾姿勢を取る。黄土色の腕が少女の腰に回された。


「……それにしてもさ」

「なあに」

「走らせるの上手いね」

「気のせいよ。初心者なんだから」


 嘘である。なんなら二人乗りの現在でも重心がぶれない程には乗りこなしている。


「……そうだね。――あ、ラエル。そこのちょっと開けたところにしようか」

「分かった。その辺に停めるわよ」


 緩やかに減速して指定された位置に着くと、少女はクラフトのスイッチを切って魔力駆動を停止させた――最新式のクラフトである。王様が飲んでいた真赤な紅茶を思わせる紅蓮色のフレームは、少女の左腕に嵌った腕輪の中に物理法則を無視して収納される。


 ハンドルを握っていた黒髪の少女は、運転用の手袋を外しながら恍惚の笑みを浮かべた。


「はぁ……すっごいわね。乗り心地が……革張りが……」

「やっぱり乗り慣れてるじゃんか」

「そ、そんなことないわよ! ……ただ、これでも私、砂漠で生きるサバイバルのに必死だったものだから」

「そうじゃなくて。誰に教わったんだ?」

「……主に父からよ。母にハンドルを握らせると碌な目に合わなかったから、魔術と同じぐらい練習せざるを得なかったの」


 黒髪の少女はゴーグルーを外し、全身に纏っていた受け流す壁パリングの術式を解除した。少年も同じように魔法具を取り外す。黄土色のコート越しに展開されていた黄色い魔力子の残滓がキラキラと輝いて霧散した。


「グラスクラフトはサンドクラフトと違うところもあるけれど、操作の要領は同じなのよ。それにこの草原はひたすらに平和だし、砂の上を走るより気を張らずに済んだわ――余裕を持って運転できたのはそういう要因もあってのことよ」

「……?」

「ほら。ここは土の下に飢えた虫とか魚とか、あんまり居ないみたいだし?」

「それは」


(それは、かなり特殊な環境じゃないかな)


 とは、流石に突っ込めず。少年は鼠頭を揺らしながら周囲に気を向けた。


 幸い、彼らの周りにそれらしい気配はない。

 数時間以内に凶暴な生物や盗賊に襲われる心配はなさそうだった。


 ラエルとハーミットは現在イシクブールへ向けて最短距離を突っ切っている最中だ。草の上を走るのに特化したグラスクラフトを駆使し、馬車道を無視して草原を走り抜けてきた。速度だけなら馬にも勝るだろう。


(休憩をしっかりとるとなると、商人の馬車より早く着くことはないだろうけど)


「野営の準備しちゃおうか」

「そうね。まだ雨も降っていないし――明日もクラフトの運転をするとなると、できるだけ魔力を消費するのは避けたいわ」

「うん。雨はしのげなくても風はしのげるだろうから、もし曇るようなら起こすよ」

「どうして私を寝かせる気満々なの……見張りは交代制よ。異論は認めないわ」


 どさくさに紛れて徹夜する気でしょう。と、二時間おきにクラフトのハンドルを握っていた少年の腕を掴む。これだけ長い間運転する経験は無かったらしい。ハーミットの腕は普段より熱を持っているように感じた。


 コート越しに少年の腕の感触を確かめたラエルはポーチからタオルを二枚取り出す。魔法で水を作ると布を湿らせて軽く絞り、一つを少年に手渡した。


「気休めかも知れないけれど、冷やしてて」

「慣れてるなぁ」

「場数を踏んでるだけよ。やってることは貴方と変わらないわ」


(経験が浅いのは寧ろ私の方。ただでさえ小柄なハーミットにハンドルを握らせるには、やっぱりあのクラフトは大きすぎるように思うし)


 視線を銀の腕輪に落とす。あのクラフトはラエルにしか呼び出すことはできない召喚式で結ばれた特注品だ (勿論マツカサ工房製である)。故にスペックは申し分ないのだが、急ごしらえになったので調整する時間があまり取れなかった――少女は大型のサンドクラフトのハンドルしか握ったことが無かったので、そのようにカスタマイズしてもらったのだが、まさか少年も運転するとは考えていなかったのである。


(とはいえ、私たちの採寸記録からどちらも乗れる形にまで調整してくれたのだから――クラフト本体を仕入れてから二日で駆動核も車高も装甲も足回りもここまでバランス良く調整されたとなると、本当にとんでもない技術者ね、あの親子……)


「よっこいせ」


 思考の海から顔を上げれば、少年は鼠顔とコートを外していた。汗で貼りついた金の髪と、その手に握られたカンテラの橙。


 先程まで只の草原だった場所には人の足で踏み慣らされたサークルが作られている。

 金髪少年は円の中心にカンテラを突き刺して固定すると乱れた前髪を払って、持参した魔法具を設置する。


「ごめんなさい。私は何を用意したらいいかしら」

「ん。あぁいや、長考してるようだったし、気にしないで。それに見張りを交換するのなら、先に俺が仮眠を取らなきゃだからね」

「夜更かしするのは決定事項なのね」

「うん、見張りをゼロにするわけにはいかない。第一、この腕で明日の朝一番でハンドル握れるか怪しい……一応、念には念をってね」

「簡単に食べられるもので良いのなら、私が晩御飯作っても構わない?」

「え、いいのか? それは助かるけど」


 ラエルは相槌を打ちながら、ウエストポーチから引き出した肉類――腐らないように結界魔術で薄く膜が張られていたのを解術して――をまな板に乗せ、ナイフで一口大に切り分けると油と共に鍋へ突っ込んだ。


 木のヘラを少年に渡すと、魔石コンロにのせたそれを焦げつかないように混ぜるよう指示する。


「クラフトのことだってそうよ。なんなら私がずっと運転しても良いけれど」

「それは……最終手段に取っていて欲しいかな」


 「いつどこで不測の事態が起きるかはわからない」と、ハーミットは言いながら琥珀を濁らせる――がしかし、濁った琥珀はすぐに光を取り戻す。目の前にある貴重な食材を焦がすわけにはいかなかった。


 魔石コンロの外側、液体の中には親指程の大きさの魔石を閉じ込めた瓶が嵌め込まれている。魔力を注がれた合金の板は熱せられ、肉に火が通っていった。


「これは?」

「肉を巻いた野菜にソースをつけて食べる『チシャ巻き肉串』にするわ。あと、その鍋でパンに合うスープを作る予定」

「献立聞くだけで腹減ってくるんだけど」

「……モスリーキッチンで習ったメニューの一つなの。美味しかったなら、それはモスリーさんのレシピがよくできてるってことよ」


 とはいえ褒められたことは嬉しいのか、ラエルはポニテを揺らしながら葉野菜を皿に盛っていく。器は一つずつで、メインディッシュを食べ終わってからスープを注ぐつもりのようである。


 魔法具の熱を止め鍋から肉を取り出すと、それを葉っぱで包んでいく。


 しゃきしゃきとした歯ごたえが特徴のこの野菜は火を通さずに生で食べられるものだ。ラエルは手際よく肉を巻き、金属製の串に突き刺し固定する。


 魔法を使っての調理なので少女は食材に一度も触れていない――衛生的にも花丸だった。


「はい」

「……すっげぇ……本当に食堂で見たことあるアレだ……!」

「何を疑ってたのよ」

「いただきます。うん、美味しい」

「そして感想が早い」


 美味しいならいいけど。


 照れくさそうに言いながら、金髪少年の器に調味料のつけダレを注いで手渡すと、ラエルは自ら食べる分を自作する。ハーミットの物は丁寧に仕上げていたが、自分が食べる物となると途端に雑になった。その間にさくさくと次の調理を進める。


 肉の油が残る鍋に香辛料を突っ込み、少しのミルクと赤みのある野菜を投入する。

 後は魔法具に任せて、コトコト根気強く煮込むだけだ。


 ラエルは最後にバスケット入りのパンを取り出すと、対面している少年と自分との間に置く。


「スープは五分ぐらいでできるはずよ。パンはそこのバスケットから串で刺し取って頂戴」

「ありがとうラエル」

「どういたしまして。いただきます」


 赤茶の香ばしいソースを黄緑の葉に絡め、口に放り込む。

 咀嚼と共に肉汁が溢れた。どうやら良い肉を引き当てたらしい。思わず頬が緩む。


 一方、既に串肉を平らげて一つ目のパンに歯を立てた少年は、引き千切ったそれに加えて水筒の水を口に含み、噛む。


(王様……正直今日まで、どうしてラエルをモスリーキッチンに就職させたのか全く理解できてなかったけど今なら分かる……いうならばもの凄いファインプレーだ!! 感謝!!)


「どうしたの?」

「え、いや、――美味しいなって」


(いやあ、――、とばかり思っていたとは言えない……)


 麦の味が強いパンを飲み込んで、ハーミットは空になった皿を名残惜し気に眺めるのだった。




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