101枚目 「山羊と甘藍の両方に」


 状況が進展したのは昼食を終えた後の話だった。


 コツコツと足音を立てて近づく気配に針鼠が顔を上げると、毛糸で編まれた緑と黄のショールを肩にかけた男性が現れた。


 白い髪を首の後ろで纏めた、背の高い職員である。


 尖った耳の形から白き者エルフだという事が分かる。鼻筋が通った端麗な容姿は種族に共通するものだ――パステルのグリーンアイは、無感情にこちらへ向けられた。


 ハーミットは本を閉じて席を立つと、うつらうつらと船を漕いでいた黒髪の少女の肩を揺らし、紫の瞳が瞬いて睡魔を弾き飛ばしたのを確認して。


「君の入国手続きが済んだみたいだ。行こう」


 ハーミットとラエルは案内されるままに廊下を行く。

 職員は最初に一言二言、完結に用件を述べただけでその後は無言だった。


 タイルの色はエントランスのベージュから変わって黄緑色に。どうやら区域ごとに床の色を変えているらしい。


 ラエルは辺りをきょろきょろと見回しながら、壁飾りや照明のモチーフを観察する。魔導王国では不死鳥信仰に基づいた鳥のモチーフがあちこちに見られたが、この通路はそうではない。


 鳥も、月も、模していない。壁紙も装飾も蔦模様だった。


 ハーミットはというと、このような対応を初めて受けるわけではないのだろう。実に落ち着き払ったようすだ。


 少女は観察に飽きると、ポニテにしている黒髪を弄りながら少年の隣りに立つ。


「……ねぇ、ハーミット。この人とは知り合いなの?」

「ああ。彼はここでよく顔を合わせる職員さんだよ。名前までは知らないけど」

「ふぅん。素直についていくから不思議だったんだけれど、そういうこと」


 言って、水色の指先を揃えて撫でる黒髪の少女。

 ハーミットはやんわりとした口調で、ラエルに手袋を下ろすよう窘めた。


 しばらく歩くと、足元のタイルは緑色から白色に変わる。


 緑と黄のショールを肩にかけた男性が足を止めたのは、飴色の木材で組み上げられた扉の前だった。エントランスからさほど離れた位置にある訳でもなく、道中にあった他の扉とデザインが違うようには見えないが――男性は振り向くと、おもむろに口を開く。


「……再度確認させていただきますが。お二方共に、魔導王国から入国されるという手続きでよろしいでしょうか」

「はい」

「えぇ」


 少女はエントランスでも同じような質問をされたことを思い出しながら、扉の鍵を回す男性の手元を注視する。細身にしては筋肉質で、筋が張った甲だった。


「承りました。それでは案内いたします」


 がちゃん。と、これまた素朴な音と共に、鍵は開錠される。

 空間魔術で繋がれたその先に、二人は足を踏み入れた。







 扉を潜った向こうにあったのは素朴な受付だった。


 卓が広いわけでもなく、席を二つ置くのでギリギリの横幅だ。卓の上には、あちら側とこちら側を仕切るように透明な結界が揺れている。


 ラエルらを招き入れた扉は閉じられたが、ハーミットは当然の様にそれを受け入れる。

 扉が閉まる気配に振り向いたラエルだけが、完全にアウェイの状態だった。


「ここは第三大陸の出入国管理局――実際にサンドクォーツクの中にあるわけじゃあないんだ。いわ空間魔術で区切られた向こう側さ」

「いわゆるとか言われても、こっちは全然理解できてないんだけ、れど……!?」


 ハーミットの背を追う足が、徐々に失速する。

 ラエルの視線は目の前の受付ではなく、天井部分へと向けられていた。


 結界を挟んだ向こう側で、魔法具や使い魔が飛び交っている。


 低い天井を這うように、鳥の形をした魔力子の塊が書類を運ぶ。

 光る虫の集合体が形を成して、何か四角いものを頭に乗せて飛んでいる。

 書類を括りつけた万年筆や鉛筆まで右往左往しながら――「壁」を幾つも突き抜けていく。


 そう。ラエルとハーミットが足を踏み入れた空間は、床以外の全ての壁が空間魔術結界で囲まれていた――半透明の擦り硝子に包まれているようで目眩がする。


 右から左へ。左から右へ。奥から手前へ。手前から奥へ。


 ペンが飛ぶ鳥が飛ぶ書類が飛ぶ。視覚的に様々な荷物を運ぶ様は、魔術を生活に取り込んだ最新鋭なシステムに見えないこともない。事実、ラエルがこのような光景を目にするのは初めてのことだった。


 魔導王国の様に空間魔術を豊富に取り入れる事ができれば、このやり取りが可視化されることはないのだろうが……人族が中心に生活していくとなると、今はこれが限界なのだろう。


 足を止めたラエルの肩をつつき、針鼠が首をこてりと傾ける。


「さ。受付しようよ、ラエル。待たせちゃ悪い」


 そう言って、二人はカウンターの向こうへ視線を移した。


「あぁ。別に構いませんよ? 入国承認までの時間が伸びるだけです。めぇ」


 受付の女性はそう言って、営業スマイルを浮かべた。

 もこもこした白い毛の獣人だ。頭の左右から中指程の長さの耳がちょこんと垂れている。


 ハーミットは鼠顔のまま受付の方へ向き直る。琥珀が歪んだ気配がした。


「……ここ数日、忙しかったりしたんですか?」

「そうですねー。暖かい時期になると観光客も増えます。めぇ」


 フェルトのような毛をした獣人は、中指と薬指の爪を「がちがち」と鳴らしてみせた。瞳の形は潰れた硬貨のように歪んでいる。


「アタシはクァリィ共和国と魔導王国間の入国手続きを担当する『テラ』と申します。久しぶりねー。獣人もどきハリネズミ君。そして初めまして。紫目の人族ちゃん――宜しくね。めぇ」

「テラ……さん?」

「そう。兄妹の中で四番目だから。アタシのあだ名はテラなんです。めぇ」


 獣人は、言い足りなかったのかもう一度「めぇ」と語尾を付け加えた。


 人が国と国を跨ぐ時、国家間の問題が起きることを避けるために「入国手続き」というものが必要になることがしばしばある。その監査と承認を行うのが出入国管理局だ。


 国を跨ぐ人間に捕縛歴やお尋ね者の箔がついていないか。どのような経緯で来国したのか。出国したのか――確認する項目が多ければ多いほど、入国許可が出るまでに時間を要するのだ。


 勿論その項目には。


「ああ。でも手続きを完了させる前に。紫目の人族ちゃん。一つだけ確認させてね。えっとね。貴女の所属国は何処ですか? めぇ」

「!」


 も、含まれている。


 当たり前だが、無国籍の人間が入国審査を通るのは面倒だ。それまでの経歴や来歴が遡り辛いだけではなく、万が一犯罪を起こした場合の対処にも困るのでどうしても時間がかかる。


 とはいえ、ラエル・イゥルポテーにとって母国と言える国は文字通り地図上から消えてしまっているし――しかし彼女が魔導王国に籍を置くと明言したことは無い。


 ハーミットは鼠頭をポリポリと、極めて申し訳なさそうにする。思わず助けを求めようとしたラエルは硬直して、錆びた駆動のような動きで受付の獣人に問うしかなかった。


「えっと……所属国って記入欄無かったわよね?」

「それは。調べれば自ずと情報がこちらに回って来るからでして。ただ貴女の場合。魔導王国が所属国になっているわけでも。そうなるように貴方自身が申請しているわけでもないみたいですからね。めぇ」


 テラは言って、短い角をくりくりと弄る。


 獣人は特に憤りを感じている訳ではないらしい。寧ろ「面倒臭いから早く片付けたい」と言いたげなオーラを放っていた。かもす雰囲気は浮島の資料室で眠る「怠惰」と似ているが、こちらは大分後ろ向きの怠惰さであるように見える。


「……第三大陸の国名一覧とか、あったりするのかしら?」

「ありますよ。めぇ」


 テラは答えて、愛想よくパンフレットを取り出した。


 ラエルはカウンターの結界を透過して手渡されたそれに目を通す。とはいえ、第三大陸は南半分がほぼ共和国としてまとまっているので、表記されている国数は多くない。


 大陸の西端にある船都市を首都とする、牙魚と石切りの国「クァリィ共和国」。


 大陸を南北に分断する山脈、竜の尾骨ドラゴンコックス一帯を管理する住民を指した「骨守ほねもり」。


 ラエルがかつてサバイバル生活をしていた北の白砂漠は「白砂塵の領域ホワイトダスト・テリトリー」――選択肢はその三つだけだ。


 やはりパリーゼデルヴィンド君主国の表記は見当たらないので、ラエルはどうしたものかと思案する。ここぞというところで助け舟を出そうとしない鼠頭の獣人はさておき、どうにかこの場を切り抜けるための算段をする。


(……真正直に白砂漠を所属国にしたところでどうなの、っていう……かと言って魔導王国を選ぶのは何だか違う気もするのよね)


 ラエルはできる限り自分で解決しようと思考を巡らせたが、ふと、この部屋に案内される前にハーミットに言われたことを思い出した。


「……ハーミット。貴方、所属国はどう申請しているの?」

「俺? 俺は。所属国は無いよ」

「よくも聞かれるの待ってましたみたいな声音で答えてくれたわね」


 「人が百面相して悩んでる横で何楽しんでるのよ」と、恨み言を吐くラエルにハーミットはとぼけた様子で両の手のひらを天井へ向ける。


 被った鼠頭で表情は伺えないが、少女をおちょくって楽しんでいるのだろう。


「よくよく考えてみたら、テラさんも『入国手続きが伸びるだけ』って言ってたし……もしかして私が悩むの分かっていて聞いたのかしら?」

「まさか。確認は必須なので。めぇ」


 獣人もどき君も。紫目の人族ちゃんも。無所属で登録しておくね。めぇ。


 受付のテラはそう言ってはにかむと、胸元のペンを引き抜いて書類を挟み、カチカチカチと三回蓋を鳴らした。

 途端にペンの表面に術式刻印が現れて宙に浮きあがったと思うと、ひらり、ひゅん――ラエルとハーミットの間を真っ直ぐ低空飛行して、書類を括りつけた蓋付きのペンが擦り硝子の向こう側へと消えて行く。


 ラエルは擦り硝子のような結界の向こう側に人の気配のようなものを感じた。

 きっと、この部屋と同じような仕組みの部屋が幾つも用意されているのだろう。


「五分もかからず申請は済みますから。少しばかりお待ちください。めぇ」

「ありがとうございます」

「めぇ。――あぁ。そういえば。魔導王国の役員宛てに苦情があります。めぇ」

「苦情?」


 少女が首を傾げて少年の方を見る。針頭はゆらゆらと揺れるだけだが、どうやら心当たりがあるらしい。

 はて、今回入国するにあたって手続きに支障が出たのだろうか。だとしたら四天王である彼にしては珍しいミスだろう。ラエルはそう予想したが、どうやら違うようだ。


「毎度毎度。入国するのには辞めて欲しい。めぇ」


 滑り台。


「……滑り台……?」

「あー、憶えてない?」

「憶えてないわ」

「そっかぁ」


 ハーミットは苦笑する。テラは目を「じとり」としていた。

 ラエルは二日前に己が身に起こったことを想起しようとする。


 言われてみれば不思議な話である。彼女には、浮島を出た瞬間とサンドクォーツクの宿屋に着いた時の記憶しか存在していない。それまでの間……つまり、浮島から船都市までの移動はどうしたのだったか?


「……それは……俺の管轄じゃないからなぁ……なんとも言えないな……」

「分かってはいますが。愚痴ぐらいは。許されて欲しい。めぇ」


 苦笑いするハーミットにテラは言って、心労を隠そうとしない溜め息をつく。

 ラエルは、徐々に旅の始まりを思い出すことにした。


 二日前。浮島を出る際の記憶である。




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