102枚目 「雲海泳ぐは硝子の螺旋」


 二日前、浮島。

 三棟商業区画、マツカサ工房。


「おっはようなんだよ可愛こちゃぁあああん!! ベリーさんは朝まで起きて作業してたんだぁ!! あーっはははは!! 実は三徹目だったりした!!」

「間違っても『満足した』とか『完成した』とか頑なに言おうとしないところがベリシードさんらしいわね……」

「あーっはははは! 納得できる妥協点まではもってったからさぁ! ――ぐぅ」

「あっ、寝た」


 装備の調整が当日にまで食い込んだ為に出発当日の早朝に訪問したラエルの膝は、すぐに工房の主――ベリシード・フランベルの枕となってしまった。

 工房に足を踏み入れて早々に華麗なるタックルを食らった身からすれば、抱きつかれ損とでも言おうか。


 少女の細い腰をホールドしながら作業服に身を包んだ魔法具技師は寝息をたてる。それだけ彼女が根を詰めて調整を繰り返していたという証拠だろう。時折「ぐへ」と声が漏れるので心配になるが。


 ラエルは工房主の乱れた薄い茶髪ごと軽く撫でると、同じ髪の色をした少年へ視線を向ける。


 母親が眠りにつくと子どもが目覚めるシステムでも組んでいたのだろうか。少女が訪れた時は机に突っ伏していた彼は、目元まで覆い尽くすぼさぼさ髪を搔き乱しながら欠伸をした。睡眠不足なのか、眉間を抑えて顔を歪ませ。赤い瞳が潤いを増して向けられる。


 工房主の息子――フランはラエルと母親の姿を一瞥すると、所在なさげに「……三分……下さい」と呟いて店の裏へ行ってしまった。


(職人さんって皆こうなのかしら……次からは軽々しく「これ作って」とか言えないわね)


 さて。フランを見送ったのはいいが、腰に腕を巻き付けて離れないベリシードをどうしたものか。ラエルがそんなことを考え始めたタイミングで、背後の上下開閉式扉が稼働した。


 扉の下に添えられているのは、茶色の見慣れた手袋だ。


「天体観測は飽きたのかしら」

「はは。日が昇ったら月と太陽しか見るものが無いからね」

「……まだ外は暗いはずだけれど?」

「そう? 久しぶりの外出に気がはやったのかもしれないな」

「あはは、なぁんだ。調子良いじゃないの」


 おはよう。と声をかける。

 鼠頭を外したハーミットは金糸を解して挨拶を返した。


「で、それはどういう状況?」

「ベリシードさん、この体制で寝ちゃったの。どうしたらいいかしら」

「……」

「ヘッ……ハーミット?」


 ベリシードを引き剥がそうとして手を伸ばした金髪少年はふと、何かを思い出したのか手を引っ込めた。眉間にしわを寄せて苦笑いする。


「あぁいや、って。フランは?」

「フランさんなら裏に行っちゃったわ。三分で戻るって」

「そっか。なら、ラエルはそのまま待機だね」

「そう。まぁ三分ぐらいなら良いけれど」


 内股座りの少女にしがみつき、恍惚の笑みを浮かべながら夢に落ちている変態を心配そうに見つめながら、ラエルはそのぼさついた髪を撫でた。


「……お待たせしました……」

「おっ、噂をすれば」

「ああ……人が増えてる……」


 乾燥装置で一気に乾かしたのだろう、ホカホカと湯気が上がる髪を細長いタオルで巻き、フランは前髪を上げている。金髪少年が追加されていることに気付いて何故か悔しそうにする彼は、腕に木の箱を抱えていた。


 目元が見える状況で人前に出るのは珍しいなと、ハーミットは目を丸くする。


「……おれだって……きっかけがあれば、多少は気にしますよ」


 魔法具技師の少年は呟き、静かに口角を上げる。

 普段目元を隠している分、そのような優しい表情ができることに驚くほど綺麗な笑みだった。


「……さて、母さんを運びましょうか。……このままだと、装備の受け渡しも、できないから」

「分かったわ。何処まで運べばいいの?」

「いえ、魔術で……運びます」


 フランはそう言って、『旋風ワールウィンド』と呟く。ラエルの腰に憑りついていたベリシードは宙に浮き、そのまま奥の部屋へ突っ込まれた。


 息子は母親の行く先を確認することなく、適当なタイミングで魔術を解除する。


 部屋の奥から何かがひっくり返ったような音がした。


「……よし……」

「いいのか……」

「いいんだ……」

「では、装備の合わせに入りましょうか……ふふ、良いもの、できたと思うから……」


 フランはそう言って木箱を開き。

 新たに手甲が追加された水色の手袋を取り出してみせた。







 ――第三大陸、出入国管理局。


「確か……工房でベリシードさんが寝ちゃって、フランさんから装備の説明をしてもらって」


 黒髪の少女は指折り記憶を辿っていくが、工房を出て後の記憶が曖昧だ。


「仮眠したベリシードさんとフランさんと一緒に、一棟まで向かったのよね?」

「うん、そうだね。その辺りから忘れてるのかな?」

「おかしいわね、恐怖感覚が無い私に意識を失うほどの衝撃を与えるなんて……」

「あー。衝撃的だったかどうかはさて置いて、君が気絶した原因は俺だよ」

「へぇ、そうなんだ――……ん?」

「めぇ……」


 目を線にしていた受付係はひと鳴きして、中指と薬指を手持無沙汰にカチカチ鳴らす。書類が戻って来るまでの間、どうやら暇があるらしい。

 黒髪の少女は少年の方に睨みを効かせた。針鼠の内側には、新鮮な冷や汗が滝の様に流れているに違いない。


「まさか、一昨日この宿に泊まった初日に右頬と左腕を庇っていたのって……」

「あー、君を失神させた瞬間に赤魔術士の蹴りと白魔導士の棍が飛んできたからね」

「出発直前に怪我を誘発してどうするのよ!?」


 黄土色のコート越しに軽く小突かれて、ハーミットが揺れる鼠顔を抑えた。

 まだ痣が残っているらしい右頬が、振動でピリピリと痛むらしい。


 頬の打撲もそうだが、棍を受け止めた腕の方が実は重症だったりするのである。墓穴を掘った身とはいえ、少年は左側に黒髪の少女が居なくて良かったと胸を撫で下ろした。


 ただし、この状況下において少年は、立場なのだが。


「……あの道を抵抗無しに通ってくれるとも思わなかったから。まあ、記憶が無いなら結果オーライだよ。二度目があればその時は頑張って欲しいけど」

「……!? っていうか私はそういう感覚鈍いから大抵のことは問題ないと思うんだけれど」

「ははは。それは忘れてた。でもそうだね、正直に言うと背中がガラ空きだったからソワソワしちゃってさ」

「何か理由があるのかと思えば!?」


 ああいえばこう言うの応酬で、少年と少女は言葉でじゃれあう。もっとも彼らにそのつもりは微塵もないし、少女に至っては割と怒っている――。


「公共の場でいちゃつくのは結構ですが。手続き終わりましたよ。めぇ」


 何処からか飛んできたペンをキャッチして、目を線にしたままテラは呟く。


 「公共の」という単語が耳に刺さったようだ。ハーミットに詰め寄っていたラエルは渋々と元の席に着いた。


「……ともかくハーミットさん。魔導王国には『滑り台』ではなく『ランウェイ』が必要だと進言して頂きたいです。めぇ」

「あー、言うだけ言ってみるけど……あまり期待しないで欲しい」

「四天王が何を仰りますか。めぇ」

「名ばかりの立場だからなぁ、俺のは」


 言いながら、受付係に差し出された回線硝子ラインビードロを受け取る。


 それは華奢なピンの形をしていた。頭の方についた緑色の球状の硝子にはクァリイ共和国の紋章である牙魚とタイルの意匠がある。


 二つ出された内の一つをハーミットが手に取り、残った方をラエルが手に取った。

 個人承認がなされるのか、手にした瞬間に魔力の熱が身体を掠めたことを認識する。


「こちらの回線硝子ラインビードロは出国時に返却してくださいね。その際に行動履歴を記録した硝子は破棄させて頂きます。ピン部分は持ち帰って頂けますよ。めぇ」


 手にしたピンを天井の照明に透かすようにしてみる。


 緑の回線硝子ラインビードロは何処に繋ぐためのものなのだろうか――興味は尽きないが、ラエルは用途を聞いてみることにした。


 テラは目を丸くしたが、直ぐに営業スマイルモードに戻る。


「それが入国・在国許可証になるんです。失くさないようにしてくださいね。もし紛失したら直ぐにここに連絡してください。不携帯だと検問で捕まります。めぇ」


 獣人は言いながらニコニコとする。初めての入国者にどう説明すると通じるのか、適切な解説方法が染みついているようだった。この仕事をして長いのかもしれない。


「分かったわ。ありがとう」


 ラエルはピンに目を奪われながら空返事した。

 細工がある訳ではないが、設計者は良い趣味をしているようだ。


 少女がしげしげとピンを観察しているのを眺めながら、獣人もどきの少年は鞄にピンを収納する。


「俺は引き出しの箱ドロワーボックスに入れて持ち歩くけど、基本は肌身離さず身に着けると良いよ。提示を促された時にぱっと出せた方がいいから」

「見えるところがいいの?」

「んー、オススメはケープの内側とかだな。周りから見えないところがいい」

「どうして」

「旅行慣れしていない観光客だと思われると、妙な勧誘とかぼったくりにあったりする」

「……理解したわ」


 この数か月に渡ってトラブルに巻き込まれまくっている自覚があったラエルは、ハーミットの忠告を素直に飲んでおくことにした。そも、トラブルを解決することを中心に仕事をしている彼が言うのだから間違いない。ここは、浮島ではないのである。


 ピンは、ケープの内側に留めておくことにした。


 二人の会話に区切りがついたのを見計らって、もこもこ毛並みの獣人は席を立つ。

 ペンを振ると、先程まで消えていた扉と同じものがラエルたちの背後に現れた。


 どうやらこれで、手続きは終了らしい。二日強待たされた割にはスムーズに進んだものである。テラは、ぐにゃりと瞳を歪めて笑う。


「それでは入国審査を終了します。お二方共に良いお仕事ができますように。めぇ」

「ああ。ありがとう、テラさん」

「ありがとうございました、テラさん」


 出入国管理局の獣人は会釈して、ゆらゆら腕を振って少年少女を送り出す。

 後には、擦り硝子のような箱部屋が残るのみである。







「……ねぇ。ねえ、ハーミット」

「うん? どうかした?」

「どうかした? じゃないわよ。結局、はぐらかすだけはぐらかして……魔導王国の滑り台ってなに?」

「あー、あれはね。思い出さない方が良いよ」

「同じ答えを繰り返さないの」

「……そんなに聞きたいのか? 後悔しない? 俺でも流石に、二度は意識飛ばしてあげられないよ?」

「?」


 ラエルは少しばかり思案するが、結果として好奇心が勝ったようで。すっかり見慣れてしまった宿屋のタイルに革靴の踵を鳴らしながら、少年の方へ寄っていく。


「はあ。分かったよ。ちょっとしゃがんで、耳貸して」


 ハーミットは鼠頭を少しだけずらし、口元を少女の耳元に近づける――。


「君は、他国へつながる空洞体パイプライン仕掛けの扉が浮島の外側に浮いていると知って。そこまでの道が不可視の床で組まれた滑り台でできているって聞いて――その上を移動することを拒否したんだよ」

「?」


 ラエルは、聞きながら首を傾げる。

 我が事ながら全く身に覚えがなかった。


「雲海の上を滑るなんて嫌だ。浮島の外側にある扉にまでとても辿り着けそうにない。って。つまるところ、君は本能を優先するあまりに盛大な駄々をこねたんだよ」

「記憶にないわよ」

「そりゃあね。見送りの全員の前で駄々こねてたし。記憶を消したくもなると思う」

「……」

「まぁ、気絶させるっていう手段は手荒ではあったけどさ」

「……本当に?」


 全く思い出せないらしい少女と距離を取った少年は、悪戯好きの子どもの如く趣味の悪い笑みを口元に浮かべてみせた。


「まあ仕事を済ませて浮島に戻ったら、嫌でも詳しい話が聞けると思うよ」

「まって。それ、いつもの虚言じゃないの? 嘘でも方便でもなく……?」

「ははははは」

「えっ、ちょっ、ハーミット!! それが事実なら私、浮島に帰る為の覚悟が必要になるんじゃないかしら!?」

「ははははは」


 空笑いしながらロビーへ戻っていく黄土色の背中を追って、少女の黒髪がなびく。

 幸先の悪いこの旅路に、一抹の不安を覚えていた。




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