96枚目 「暮れ合いの戯れ」


 四天王「強欲」が第三大陸へ出張するという話は、ラエルと王様の公開対談を皮切りに四棟の掲示板に速報が伝えられたこともあってあっという間に浮島中に広がった。


 時箱クロノス・アーク事件から左程期間が開いていないこともあり、首謀者を追いかけにいくのだろう、と憶測と噂が立つほどである。


 ただ当の本人からすれば、体裁上はお仕事となっている「休暇」をどのように消化したものか、頭を悩ませているというのが正直なところだった。


「やりたいことをすりゃあ、いーんじゃねーの? お前、頭硬いところあるし、丁度良いだろ」

「そうかなぁ……結構うまくやってきたつもりなんだけど」

「月一回のペースでぶっ倒れるやつがどう上手く仕事をやりくりしてるってんだよ。それぐらい俺でも分かるぞ」


 働き過ぎなんだよ――そう言って、手刀を繰り出す赤い軍服。


 半袖の訓練着に灰色のケープを羽織った少年は、その黒い手袋に素手で応じる。


 普段手袋の下に隠れているハーミットの腕は、所々に裂傷痕や火傷痕のようなものが散りばめられていて。左手の甲には三角形の鱗が三枚並んだような刺青があった。


「途中で止められると引継ぎに苦労する仕事も多いんだよ……今回だって急に決まったもんだからこの一か月どんな思いで仕事を引き継いで内容教えるのに駆けずり回って説明しまくったことか……!」

「おうおう、溜まってんなー」


 顔に向けられた拳を回避して、少年の抜き手を捕獲するのは烈火隊を束ねる四天王「嫉妬」のアネモネだ。


 赤い瞳に映るのは黄金の琥珀。相手になっている少年は徒手空拳、普段被っている鼠顔も今は外野ベンチの上である。


 一棟、訓練場。

 つい最近、ラエルとストレンが大喧嘩したその現場に彼らは立っている。


「しかし、こんなに早く遊べるとは思わなかったぜハーミット。お前、俺との稽古を条件に上げてもほぼ守ってくれねーじゃねーかよっ!」


 捕まえた腕をいなし、胸ぐらを握ると地面に叩き付ける。

 受け身を取った少年は苦笑いしながら、追撃の拳を回避する。


「し、仕方がないだろう、俺は戦闘要員じゃないんだから! 鍛えようにも立場的にこういうじゃれあいぐらいしか許されてないし!」

「んなこと言って、王様の目を盗んで毎日石壁砕いてんのはどこのどいつだっけな!」

「あれはベリシードさんが大体悪いんだ、俺のせいじゃあない!」


 いつの間にか引き抜かれていた銀の剣先が少年の首筋を狙う。ハーミットはその切っ先を側方から勢いよく掴みとった。


「うぉい、多少は鈍ったんじゃなかったのか?」

「誰が、元軍隊長を相手にそんなへまをするかよ」


 魔族であるアネモネが引き抜こうとしてもびくともしない刀身。それまで宙に浮いていた赤い三つ編みが重力に従って背中に落ちる。


「ハーミットさーん、放してくんねぇ?」

「……」


(あ、やべえなこれは)


 固定されたレイピアを軸に金髪少年の懐に潜る。

 赤い三つ編みの先、花飾りが揺れるがアネモネが左足で払おうとした少年の足は浮いていた。


 レイピアから掌は離れている。


「ふっ」


 体制を崩した騎士の顎を掠める革靴。摩擦で熱を持った革の匂いが鼻に衝く。

 右足の先は、そのままアネモネの胸部に打ち込まれた。


「っつうお!? あっぶねぇ!!」


 咄嗟に自由になった左腕とレイピアの柄で防いだが、支給された練習用であるそれは簡単に歪んだ。持ち手が少年の踵型に凹んでいる。


「あ、ごめん。強く入りすぎた」

「『あ、ごめん』じゃねーよ、狙いがえげつないってんの」


 歪んだ剣は使い物にならないと言いたげに、腰回りのベルトを取り外すアネモネ。レイピアを提げていたホルスターが邪魔になった様だ。


「お前がそんな風に血の気が多いの、久しぶりに見るぞ。今回の件で逃した相手、そんなにやばかったのか?」

「……ん、まあ。うん」


 金糸をがしがしと掻き乱し、普段は整えるそれを直そうとはせず。ハーミットは構えを解く。アネモネとの距離が離れたので、今は無駄な体力を使うタイミングではないと判断したようだ。


「アネモネはセンチュアリッジの時に会ってたんだよね、あの男に」

「ああ、記憶に蓋はされてるみたいだけどな。認識阻害系の魔術だぜ、きっと」

「認識阻害……そうか、まあ『魔法の無効化マジックキャンセル』が弾いて効かないだろうから、俺が顔さえ覚えていれば良いんだろうけど」

「余所見したな!?」

「してない」


 少しだけ身軽になったアネモネの拳を回避し、言葉を返す金髪少年。

 振り抜いた腕の力がそのまま、赤髪騎士の華麗なる顔面スライディングに上乗せされる。


「おまっ、魔法縛りの組手とはいえもうちょい楽しく遊べねぇのかよ!?」

「組手は遊びじゃないし、アネモネ相手に遊んだら俺は確実に怪我をする」

「訓練にならねぇだろそれ!」

「俺だって考えごとがしたくてアネモネに会いに来たわけじゃないんだよなぁー」


 金髪少年は言って、土を払って簡単な治癒を施すアネモネに琥珀を向ける。


「……いや、」アネモネは頭を抑える。「お前が望むように俺と手合わせなんかしてみろ。終わった後でラエルちゃんがドン引くぞ」


 びくりと肩を波打たせ、少年は先程乱した髪をさらにぐちゃぐちゃに掻きまわす。その姿にアネモネは溜め息まじりに息を吐く。


「絆されたかぁ? 強欲ともあろうものが」

「勝手に言ってろ」


 すっくと立ちあがり、何事も無かったように構えを取るハーミット。乱れた髪の下、上気して赤らんだ首筋から湯気が立った。


 少年は目の前に立つ軍服の青年を相手に、拳を握り込んで腰を落とす。


「で、例の男と相対しての話だけど」

「おう」


 振り抜かれた拳を紙一重で避け、アネモネは少年へ言葉を返す。


「アネモネは、時系統を扱う魔族に覚えはあるか?」


 いなされた右腕を折りたたみ、左足で蹴りを入れる。アネモネはそれを受け止めると、足を掴んで投げ飛ばした。細身の少年は宙を舞い、くるくると回転して着地する。


 追撃する為に距離を詰めた赤髪の青年は軍服をひらめかせながら少年へ拳を奮う。


「時、系統に覚えはねーな。居たとしても、同じ魔法系統を扱う奴じゃなきゃあ認識できないだろうよっ!」

「そうか。うーん、後は壁を蹴り砕くことができる魔族だけど。それぐらい皆できるみたいだしなぁ」

「間違っても一般人はそんなことしねぇよ。お前、魔族は脳筋じゃあないんだからさぁ」

「人族より筋力値は高いだろう。それに、浮島の人達は多分できる」

「非戦闘員以外はな!?」


 ばしん! と、派手な音を立てて黒手袋の拳が受け止められる。少年は次いで放たれた黒手袋も同じように受け止めると眉間に皺を寄せた。


「だとしたら。非戦闘員にも、多少は攻撃をいなせるようになってもらう必要があるのかなぁ」

「……」


 赤い瞳が歪む。アネモネも今回の一件を通し、戦えない貧弱な白魔術士と導士をどう育てていくべきかという問題が浮上したことは知っている。しかし。


「微妙、だな。それは」

「だよね。俺も薬学やってるけど、何となくそんな気がする」


 研究に没頭する人間がいるからこそ、この国の技術は進んでいる。


 生まれた人間全員が身体を動かすことに特化しているわけでは無いのだ。何十年も頭脳労働を中心に国に貢献している相手に、今更身体を動かせるようになれと言っても反感を買うだけだろう。


「有事は動ける奴らがどうにかする――今のところは、それしかねぇよ。最低限の布石はしたんだろ」

「まあ。一応、ね!」


 アネモネの拳を下方向に叩き落としたハーミットは、体制が崩れたその長い足元を払う。


「っはぁあっ!」


 軍服の肩に革靴をのせ、少年はそのまま地面に踏みつけた。

 砂埃が僅かに立つ。アネモネは三つ編みを胸の上に乗せた状態で背中を着いていた。


 風圧で舞い上がっていた金の髪が頬にはりつく。


「はー。

「そんなもんだろ、短時間で五十回も繰り返せば相手が俺じゃなくても勝てるっつーの」

「何言ってるんだ。俺がアネモネに真っ向から当たって勝てるわけないだろ……俺は只の人族なんだからな……?」


 土の上に腰を下ろして脱力するハーミット。息が上がっているものの、苦しそうな様子は見られない。少年にとってはきつめの持久走をした程度の感覚なのだろう。


 対するアネモネはまだまだ元気が有り余っているようで、反動をつけることなく起き上がる。


「四時間も殴り合えて、発散は十分かよ」

「……いい運動にはなった」

「はっ、だろーな。気が合うもんだ」


 少年の真似をして、アネモネも胡坐をかく。噴き出した汗をタオルで拭うと、ベンチに置いてあった二人分の水筒を魔法で引き寄せ手に取った。


「ほれ、水だぞ」

「助かる」


 心拍数が落ち着くのに時間がかかるのか、クールダウンが苦手なのか。金髪少年は自ら乱した金糸を整えながら短く息を吸い込んだ。


「そういやあ、今日の朝練の時に聞いたんだが。うちのストレン、赤魔術士目指すんだとよ」

「……そう」

「肉弾戦と白黒問わず使える新職か。はぁ、よりにもよってうちの隊の人間を赤魔術の沼に落としやがって――これから忙しくなるぜ」


 言葉とは裏腹に楽しそうに口角を上げ、アネモネはハーミットの腕を取ると立ち上がらせた。


「出発は明日、だったよな」

「ああ」


 ベンチに置いていた鼠頭を被り、普段の獣人もどきの装いとなった少年は手袋をしつつ言葉を返す。


「今回の調査の概要は?」

「第三大陸にある人里の情勢調査だよ。去年はアネモネが担当しただろう? あれだ」

「――ああ! あんまり退屈だったから七日で終わらせたあれか!」

「んー……だから今年は俺なのかな……」

「あ? どういう意味だよ」

「そのままの意味」


 カクンと上下した被り物の頭を押し上げ、じとりと睨みをきかせるハーミット。

 アネモネはそ知らぬふりをするばかりだった。


「残火の人達はほぼ浮島に残す予定だから、よろしくね」

「おう、言われずとも任されてやる。何かあれば連絡してくれ」

「頼もしいね。――あ、そうだ」


 訓練場の照明を落とし、扉を施錠したところで針鼠は顔を上げた。

 外はすっかり夕刻を過ぎていて、星すら見えはじめている。


「どうした」

「いや、ちょっとだけ教えて欲しいことがあったんだけど」

「なんだよ」


 ハーミット・ヘッジホッグはきょろきょろと周囲を見回して誰も居ないことを確認すると、背をかがめたアネモネに耳打ちする。


「……」

「……」


 内容を理解したアネモネは、にい、と笑みを浮かべた。


「それは勢いが全てだろ。っつーかマジで絆されてんなぁ!」

「ち、違うよ! 違う、と思う!」

「ははは。……まあそーだよな。お前、ぜんっぜんそんな気が微塵も無くてもそういう行動が取れたりするもんなぁ、この人たらし」

「!?」


 何処か遠くを見る三つ編み騎士の言動を飲み込めない少年に、黒手袋が肩に置かれる。


「そして、お前はそのままでいいんだぜ」

「……」

「つーか、それぐらい悩まずに普通に聞けよ。お前なら余裕だろ――ほら、鍵は引き受けたから行ってこいよ」

「え、ああ。確かに。普通に聞けば良かったな……ありがとうアネモネ」

「どーいたしましてー」


 三棟方面へ歩いていく針頭の少年を見送る。


 どうやらここ数日調子が出ていないと聞いていたが、悩みの種はそれだったらしい。

 なんて平凡で、緊急性が皆無な悩みだったことだろう。


「つーか。なんであいつ、自分の事になると急にポンコツになるんだろーなぁ……仕事はできる癖によ」


 嫉妬混じりの独白は灰色の廊下に染みて消えた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る