73枚目 「赤銅の意思」


 行方不明になっていたストレンがラエルの部屋を襲撃した事。


 襲撃した人間は恐らく禁術で誘導されているだろうと理論立てた事。


 情報を飲み込んだラエルは禁術の解除方法を説明した後、一人でストレンと相対する道を選んだ。その場にいた全員が引き留めようと一度は思案したが、少女は頑なに拒否した。


 意固地な少女に対してアネモネが出した条件は、訓練場に入って半時間以内に出てこなかった場合、扉を破って突入すること。それを飲む代わりに、黒髪の少女はアネモネとハーミットに門番役を頼む事にした。


 カルツェはいつの間にか居なくなっていた。スフェーンに意見を求めに行ったのだろう。


 そして扉の前。鼠顔の少年は、扉に手を掛けたラエルを引き留める。


「なあに、ヘッジホッグさん」

「一応、一応助言しようと思って」

「それは嬉しいわね、聞くわよ」


 にこやかに振り向くラエル。ハーミットとは久しく顔を合わせて話をしていなかったので、以前どのような方法で切り返していたのか忘れかけていたものの、どうにかなったらしい。


 少女は背をかがめて、金髪少年の目線に合わせる。


「今日は気分が良いから、一言多いのも気にしないであげるわ」

 

 気迫に押され、一歩後退する針鼠。


「……うん、まずは死力を尽くさないこと。白魔術士だろうと相手は軍人だからね。やばいと思ったら迷わず引いて構わないよ」

「加減しろっていうわけ?」

「いいや、加減する余裕なんかなくて死に物狂いになるだろう――あ、あともう一つ。もし、そうなったらで構わないんだけど」

「?」

「訓練後にぶっ倒れるようなことがあったら、気絶する前に死ぬ気で腕を上げてくれ」

「……何それ?」

「保険のようなものさ。そうはならないと信じているけどね」


 鼠頭を深く被り直し、笑いながらハーミットは言った。

 黒髪の少女は眉を顰めつつも、二つ返事で了承し――そして振り返る。


「じゃあ、私からも一ついいかしら」


 私が勝ったら、貴方が隠していることを一つだけ教えて。







 さて。現在ラエルが使用できる魔術といえば、魔術訓練で魔力の調整方法を覚えて何とか会得した『旋風ワールウィンド』と『霹靂フルミネート』ぐらいである。しかもその両方が五割強の確率で暴発するというおまけつきである。


 因みに、あれだけ部屋で練習した火魔術『点火アンツ』は未だに暴発率十割を破られていない。清々しい進歩状況なのでこれは使えない。


(『霹靂フルミネート』は一発使っちゃったけれど、当てられない相手じゃないことは分かった。ただ、初撃は油断してくれていたはずだから二度目は簡単に当たらない)


 もし、運よく先程の様に掠ったとしても、彼女は回復術であっという間に再生してしまうだろう。それでは手詰まりだ。


 そもそも『霹靂フルミネート』は初撃こそ威力を発揮する諸刃の剣。術者が内包する魔力の半分を使用して発現するので、二撃目からは格段に威力が低下する。


(『旋風ワールウィンド』はぶっつけ本番でやってみたけれど、イメージ元がアネモネさんの風魔術だから随分と荒々しいし……)


 思考しつつ、相手の出方を見る。すっかり元の位置に戻っているストレンは、弦を張った魔弓を下ろしているが、指には新たな矢がつがえられている。


(魔力で練り上げた弓矢。正直かなり燃費の悪い魔力の使い方だと思っていたけれど……そうよね。人族の私の常識と、彼女たち魔族の常識とでは差がある)


 肉体的耐久力、魔力子の保有量。見た目や寿命に至るまで人族と魔族の性質はかなり違うのだ。ラエルには乱発できない魔術も、ストレンにとっては些細な魔力消費なのだろう。


(でも、圧倒的な戦力差で私を叩きつぶしたとして――彼女は本当に?)


 紫の瞳が一度、瞬く。思考は途中で中断した。


 放たれた矢が、今度は仰け反った額を掠める。そのまま後方に下がり、石の壁に足を着いた。


 眼前の矢を思いっ切り蹴りつける。殴りつける。


 上方の観覧席に設置された欄干の足元に手を掛けて支点にし、ラエルは現状放たれた矢を全て払い落とした。


 相変わらずのんびりと弓を下ろすストレンに対して、ラエルは眉間の皺を深くする。


「ねぇストレンさん」

「どうしました、降参ですか」

「いいえ。貴女が先に謝ってくれるっていうならそうしてもいいけれど、そうね。どうしてあんな風に火系統の基本式を上書きしたのか、理由が聞きたいわ」


 決して発動しない魔法陣。そもそも、魔力を通す導火線の役目を果たす陣を何陣も重ね書きする等、染料の無駄に等しい。入り口の上方に嫌がらせの悪戯を設置したのとは別に、どうして意味のない陣を書き足したのか。


 ストレンはラエルの問いに、ぐらりと身体を揺らす。禁術の効力で負の感情を引き出されているからか、本人には相当の負担がかかっているらしい。


「……そうですねぇ」白魔術士は、額を押さえつけるようにして言葉を吐き出す。「何か……伝わって、欲しかったのかも……」


 まあ、杞憂なんですけどねぇ。

 赤い瞳を濁らせ、虚ろな表情を晒す白魔術士。


 ……今の会話で、切れかかっていた糸が完全に千切れたようだ。


 黒髪の少女は想像通りの展開になったことに警戒する。しかし、予定通りでもある。完全に催眠に呑まれていない限り、この禁術を解く事はできないからだ。


 『催眠ヒュプシス』の解呪条件は、被術者の欲望を満たすこと。


 解呪の為に用意された手段はそれ一つ――できなければ、彼女の魔力導線がどうなるか分からない。無理に解術すれば死ぬまで廃人になる可能性もある。


(書物によれば、この禁術が引き出す欲望は本人が望む形で満たされなければならない。つまり、彼女が心の底から私をフルボッコにしたいと望むのなら、残念ながら殴られるしかない)


 黒髪の少女は怪我が嫌いである。痛みを伴う外傷を受けて、治療を受ける事が苦手なのだ。


 正気を失ったストレンは左右に身体を揺らしつつ、ラエルの姿を目にとらえる。にらみ合いが続くが、ふと、思い立ったようにストレンは口を開いた。


 切れた理性の先、彼女の欲するものが何なのか。

 ラエルは僅かでも手がかりを得る為、耳を澄ませた。


「黒い髪、長い髪、運動ができて、仕事ができて、皆と仲良くできて、友達が作れて」

「?」


(なんだかぶつくさ言い始めたけれど……)


「私より背が高くて、私よりコミュ力高くて、隊長とも強欲さんとも師匠とも仲良しで」

「?」

「生まれ故郷じゃない場所なのにあっと言う間に適応してて、私の唯一の友人にも気に入られちゃって、資料室もガンガン利用するし、人の目は気にしないし、皆貴女の存在に慣れていくし、紫の目をしてるくせに全然危険人物と程遠いし、料理は意外にも美味しいし」

「んん?」

「初対面の時からワザとらしく力量差を見せつけようと自慢したのに無反応! 女子会を知らない事を煽ったのに無反応! 人混み嫌いそうなのをリサーチして人混みに連れて行ったのに克服されましたし、髪が長いのが気に食わなかったので切らせようとしたらハリネズミに邪魔されて前髪揃えるだけになってお金は払わせたけどなんか反応が腑に落ちないし! 就職が決まった後にドタキャンさせてもモスリーさんの貴女への評価は落ちなかった! だからといって朝練に逆に誘わなくなったら魔術訓練に参加しだすし、弁当の担当になったと知ってから弁当を大量注文して睡眠時間を削ろうとしたのにびくともしないし、何か機密を調べようとしてるから皮肉を込めて応援したのに気づいたらすっきりした顔して歩いてるし何より私より背が高くて胸が大きいんですよぅううう!!」

「んんんんん!?」


 黒髪の少女は全力で脳内に疑問符を浮かべた。それ以外のリアクションを用意していなかったのである。


「――それ、別に人族が嫌いとか感情欠損が怖いとか関係なくって、ラエル・イゥルポテーという一個人が本能的に気に食わないって言ってるのと同じじゃあないかしら!?」

「まさしくその通り!! 今までで初めて気が合いましたね私達!!」

「貴女目の前にいる知性持つ人間に喧嘩を売ってるのよ!? さっきまであったプライドは何処に捨てて来たって言うの!?」

「あっはは。おかしなことをいいますねぇ! そもそも、私は白魔術士ですが、黒魔術が使えない訳では無いのですよぅ!! 見ますぅ!? 崇め奉りますぅ!?」

「話が全く通じない!!」


 子どもの様に目をキラキラさせて、弓を投げ捨てるストレン。


 いや、待ってそれ投げていい物なの? 見間違いじゃ無ければ地面に叩き付けていなかった? 明らかに変な音がしたんだけど? 愛用の魔弓じゃあないの? 相当距離があるこっちからでもきこえたんだけど大丈夫? と、ラエルの疑問はさておき、羽織っていた黒いポンチョすらはぎ取ったストレンは、手にした布を畳む事もせず球状にまとめて投擲する。


 黒い布製剛速球がラエルの足元を掠めた。慌てて回避する黒髪の少女。

 予告も無く、予備動作は見ていたのに掠った。


 流石に、適当に放たれたそれを見て何かが切れる音がした。


「貴女……もしかして黒魔術の才能あるんじゃないかしら……?」

「あらあら杞憂ですねぇ! 私もそんな風に思っていましたよぅ、貴女よりは使いこなせる自信あるんですからぁ!」

「ええ!! 喧嘩を売られたとみなすわ!!」

「あっはははは!! 何をおっしゃりますか蛮族ですねぇ、この浮島で私闘は厳禁ですよぅ!! これは訓練ですぅ!!」


 全身が震える程の魔力量。壁のランタンが軋み、硝子の破片が飛び散る。

 ラエルは苦笑いのまま構えをとる。


 成程、これは確かに普通ではない――彼女が抑え込んできた「」がこれであるならば、白魔術士という立場はもの凄く窮屈なものだったんじゃあなかろうか。


 ラエルはそれを目の当たりにして、思わず震えた。

 恐怖からではなく、対峙した相手の底知れなさに共鳴した。


 訳が分からなくて自己中心的で、誰に頼まれた訳でもなく自己愛が激しくて、周りを巻き込んでまで幸せを目指して生きようと足掻く、


 ああ、この人も同じ色の血が巡ったヒトなんだと。


「……ふ、あは、あははははは! 悪かったわね! 私、貴女の事今まで知った気になっていたみたい! 私はラエル・イゥルポテー! 諱は知らない! さあ、気に食わない同士で楽しい訓練といきましょう!」


 黒髪の少女が告げた口上に、ストレンの口角が上がる。

 心の底から、それはそれは嬉しそうに。


「そうですかそうですか! いいですよう! 受けて立ちましょう! しかし、野蛮なのはお互い様として、人族の身で魔族に挑むその姿勢気に入りません! せめてものハンデを差し上げますよう!」


 弓を捨て、顔を隠す布を捨て、赤い火を纏った白魔術士は叫ぶ。

 心を燃やす様に、己が身に流れる血潮を焦がす様に。


「私の諱は、ストリング・レイシー! 魔導王国烈火隊所属の白魔術士! ――人族よ、その分際で私を傷つけてみせろ!」


 外れたタガを気にすることなく。理性も道徳もかなぐり捨て。

 誇りをもって、諱を告げた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る