64枚目 「ある一人の話」


 資料室の右脇、簡素な階段を一階に降りると黒髪の少女を二階以上の本棚が出迎えてくれた。小説や雑誌といった万人受けする書籍の殆どはこの一階に集められている。


 二階より広く作られたレファレンススペースには館長であるメルデルが座する席があるのだが、司書ロゼッタの日課である夕方の仮眠時間にはその姿も見えない。


 蝙蝠たちもこの時間は非番の様で、思い思いの欄干にぶら下がり目を閉じていた。


「メルデルさんは、丁度この時間に食事をとるのよぅ。つまり、あたしとあなた以外の人間は誰も資料室にいないってわけ」

「それは分かったけれど……何処に向かっているのかしら。このまま行っても資料室の外に出るだけでしょう?」

「ふふふ、安心なさいよぅ」


 言いながら、出入り口である巨大な絡繰り扉へ近づくロゼッタ。


 司書は巨大な稼働扉に手を当てると、中央にある丸い円盤を反時計回りに捻った。黒い真円の端に色が現れ繊月の様相をかもしたと思えば、重たい何かを床に落としたような音がして、床が震える。


 眉を寄せるラエルをニコニコと眺めながら、更に円盤を捻るロゼッタ。黒い真円はその半分を浸食され、上弦を超えた。


 糸車を回すような音と共に足元が揺れるのを気にしてか、黒髪の少女は立ち位置を変える。司書の後ろではなく、その隣に。


「せぇいかぁい」

「?」


 ロゼッタが円盤を回し終えると、白い満月が現れた。


 ついでに、先程までラエルが立っていた床板が、まるで落とし穴のような観音扉が地下に向かって開け放たれた。


 どう見ても、上に乗っていたら下に落ちる開閉方式である。


「……っちょ、教えてくれても良かったんじゃない!?」

「ラエルちゃんの行動は前に視てるからぁ」

「二割は外れるのよね!?」

『確率で私も巻き込まれていたです』

「んー、ノワールは知ってるし飛べるからぁ。いいかなぁって」


 使い魔が固まったところで。


 ラエルはおもむろに床下に現れた暗闇を覗き込む。

 風が通る訳でもなく、古書特有の鼻をつく臭いがした。段差の後には、手すり付きのスロープが奥に続いている。


「地下……」

「そうよぅ。隠し部屋っていうかぁ、実質倉庫みたいなものなんだけどねぇ」


 床に黒い口を開けた資料室正面玄関。利用者が真っ先に足をのせる場所に隠し部屋への入り口が隠されていたとは。立ち尽くすラエルの横を通り過ぎて、ロゼッタは一段地下へ潜る。


「ついておいでぇ。此処なら、誰にも干渉されないわよぅ」


 司書が振り向いた。赤い目を細める。

 暗がりに溶けるような赤紫の髪が、風に揺れるわけもなく肩へ落ちた。


「怖いなら、構わないわよぅ。あたしはその選択をする」

「……いえ。それだけは選んじゃいけないと思うから」


 ラエルはロゼッタの手を取る。


「それに私、『怖い』とかよく分からないの」


 引きつった声と共に、紫の瞳は強がった。







「そうねぇ。どこから話したものかしらぁ。


「っていうのもねぇ。あたし自身ができる予知って言うのは、全体の一部だけでぇ。あなたがどれだけの情報を掴んでいるのか、細かいところを含めてはっきり把握しているわけじゃあないのよぅ。


「魔術の限界みたいなものねぇ。その気になっても本当に欲しい情報までは予知できない。実際に確かめるしか道はない。引きこもりには辛い話よぅ。


「え? どうして資料室に人気のない所まで用意しているのかってぇ? そりゃあ、ラエルちゃんみたいな物好きが現れた時、教えてあげられなきゃ損って時があるからよぅ。


「情報はねぇ。知性ある者に平等なの。魔導王国は学ぶものに寛容だって言われるけどぅ、それは表向きじゃあなくてぇ、マジなのよねぇ。勿論、魔王様が駄目だっておっしゃったなら教えられないけれど。そうじゃないならぁ、一人分ぐらい抜け道というか、裏技があってもいいんじゃないかってことでぇ。


「そうそう。だから、あたし司書どまりなのよぅ。各方面から怒られたり恨まれたりもするしぃ、まあ、それだけじゃあないけどねぇ。ほら、あたし毎日有給を貰ってるようなものだしぃ。最早寝るのが仕事みたいなところもあるしぃ。


「そうだ。あなたが知りたい事の話だったわねぇ。分かってるわぁ、この辺りは予知でも知らないから教えて?


「……ふんふん。『ラエル・イゥルポテーは何故浮島から出られないのか』、ね。


「そうねぇ……その問いに関してあたしが言えるのは、所詮あたしたちは情報を提供することしかできないってことよぅ。あたしはあたしが知っている情報を元にして見解を出したり、提案したりすることはあるかもだけどぅ、それはあなたが求めている答えとは似て非なるものだからぁ。


「ええ、あなたが最後は決めるのよ。くれぐれもそれだけは間違えないでねぇ。


「ふふふ、そんなに固くならないでいいのよぅ。ほら、そこの椅子にでも座って。好きな魔術書を読んでもいいのよぅ? あぁ、それよりも知りたいのだっけ。良いわ良いわ、そのまま聞いて頂戴。


「まずねぇ、ラエルちゃん。あなたが浮島から出られない理由が幾つかあることは知ってるかしらぁ? 予想はついてるって顔ねぇ。一つ目は、第三大陸で起きた殺人事件についての疑いが完全に晴れたわけじゃあなくてぇ、その『可能性がある』っていうふんわりした理由での観察処分。その通り。これだけでも大当たり、なのよぅ?


「……でも納得はできなかったのねぇ。そう。知りたくなるのが普通よねぇ。良いわよう、あなたは他に、どんな可能性があると考えているのかしらぁ?


「……感情欠損ハートロス患者だから? あっはは! それはないわよぅ。捜そうと思えば幾らでも見つかるもの、感情欠損ハートロスの症例は。ただ、生きて会話ができて、比較的社会に適応できるぐらいに軽度の症例っていうのは、確かに珍しいかも知れないわねぇ。


「重症になるとねえ。会話をすることすらままならないのよぅ。感情欠損ハートロスっていうのは、原因も分かってない病気だからぁ。進行性の物なのかも判然としない。分かっているのは、白魔術では絶対に治せないってこと。心には魔力が通っていないものねぇ。


「まあそれはさておき。感情欠損ハートロス患者さんの中で私が知っているのは第二大陸に二人と、この浮島にもう一人。あとは噂でちらほら聞く位だしぃ、多数派じゃないことは確かよぅ。


「え? ラエルちゃんが聞いた話だともっと深刻そうだったって? 悔やむべき前例? ……ああ、成程ねぇ。誰に聞いたのぅ? ――あ。ベリシードさんから。あっはあ、ようやくつながったわねぇ。大方、何かヒントでも貰ったんじゃあなぁい?


「……そう、パリーゼデルヴィンド君主国。調べてみれば地図に名前が無かったと。


「んー、そうかぁ。そうねぇ、まあ、そういう事だろうとは思っていたけれど、そう。えぇ、そんなに睨まないでいいのよラエルちゃん。あたしはあなたじゃなくてある針鼠に話をつけなきゃいけないなぁと企んだだけぇ。ふふふ。


「パリーゼデルヴィンドはあなたの故郷でもあったわねぇ。……第三大陸北部にある白砂漠の北西端にあった城塞都市。典型的な人族主義でぇ、聖樹信仰を中心とした政策を行っていた。同じ城塞都市でも第一大陸の某国とは違って先の戦争でも結構奮戦したのよぅ。某国が財力で結界を掘っ立てて引きこもったのに比べれば、生身の戦闘力は魔族に引けを取らないぐらいだったらしいしぃ。周囲の地形とか砂漠の厳しさみたいなものが国民の地力を底上げしたのかもねぇ。


「でもねぇ、隣国の応援も呼ばず、パリーゼデルヴィンドは降伏したわぁ。魔族の軍隊と人族の軍隊じゃあ自力に差がありすぎたの。彼らは魔導王国と不可侵条約を結ぼうとした。丁度、南側の国は皆そうしていたからぁ、もし攻め込まれることになったらそうしようって事前に決めていたのかもしれないわねぇ。


「あなたの故郷の王様が死んだのは、その時よぅ。


「条約を結ぼうとした君主国の王様と魔族の兵士が、過激な人族主義者によって殺されてぇ。魔王様は交渉が決裂したと考えて軍を動かして魔導軍は攻め入った。ここまであなたも知っているわね?


「……重要なのはここからなのよぅ。かの国に派遣された魔族と獣人の連合軍は、ものの見事にしたの。


「ええ。壊滅。人族の数万の兵に対抗するために投入した魔導連合軍十数万が、一夜で壊滅。……あなたはどうしてだと、思う?







 新たな情報を与えられると共に、ここまで沈黙していたラエルは考え込んだ。

 埃っぽい古書室の長テーブル。背もたれのない椅子の上、天板の下で足を組む。


「……回答権は一度だけかしら」

「いいえ。でもそうねぇ、三回までにしようかしらぁ」

「……質問は?」

「一度だけなら」

「分かったわ」


 黒髪の少女は顎の下に折り曲げた人差し指を置く。俯いて瞼を下ろした。


 パリーゼデルヴィンド君主国は魔導王国と不可侵条約を結ぼうとして失敗したが、圧倒的な戦力差にも関わらず、自国に攻め入った魔導軍を壊滅させている。


 ラエル・イゥルポテーは戦術に詳しくない。理解できたのは、圧倒的に劣っている人族の軍が魔族と獣人の連合軍に勝利したという事実。


 あの時期に現れ、盤上をひっくり返せるような実力をもった人族がいたとすれば。


「……勇者一行の助力があった、とか?」

「ぶっぶー。不正解」


 違うようだ。ラエルは息を吐き、正面のロゼッタを見据える。


「あと二回ねぇ、質問はあるぅ?」

「……」


 勇者は関与していない。紫の瞳が過去の自分を探し、不安げに揺れる。


 黒髪の少女にとって戦時の記憶は非常に曖昧である。

 燃える街と、草花と、親と走って逃げたことだけ、憶えている。


 脳裏にこびりついた煙の匂い――つまり、燃えていた。


 火種は魔術である可能性が高い。魔術をもって攻め入られたと仮定するなら、人族国家であるパリーゼデルヴィンドはひとたまりも無かっただろう。基本的に人族はその専門職に就く家系でもない限り、魔術を専門的に学ぶ事すらないのだから――記憶の中の故郷は、無様な敗北を喫していたはずだ。


 間違っても、魔導軍を圧倒できる何かが足りない。

 あの状況で、あの国が巻き返して、魔導軍に勝てる訳がないのである。


(限りなく、不正解に近いだろうけど)


「……魔導軍の指揮を取っていた人が打ち取られて、統率できなくなった」

「違いまぁす。これで残り一回ねぇ」

「…………」


 少女は頭を抱えた。手詰まりである。


「んふふ、大苦戦ねぇ」

『そろそろ降参するです?』

「ノワールちゃんが撫でさせてくれたら閃くかも知れないわ」


 騒がしい蝙蝠の額に指を伸ばすラエル。指先は空を切り、ノワールは一歩だけ飛び退いた。

 指が届かない位置である。


『おちょくって悪かったです。というか貴女、私が絶対に噛みつかないとでも思っているんです? 警戒心がないにも程があるです』

「……ん?」


 その瞬間。何か、引っかかった。

 抵抗の意思を返した蝙蝠を、ラエルはふと凝視する。


「ノワールちゃん。今、最後の方なんて?」

『え? えっと、「警戒心が無いにも程が」……です』

「……警戒心」

『?』


 嫌がる蝙蝠に伸ばしていた掌を引っ込める。


 絶対に勝てるという慢心。それに足る実力。

 魔族は種族間の同族意識が非常に強い。

 身内には甘い彼らの調子を崩すなら、内側からが適当だろう。


(けど、これだけじゃあ足りない。それだけ仲間意識が強いなら身内への愛情は計り知れない筈だ。もし人族が潜入したとしてもすぐに捕まるだろうし、魔族が魔族を裏切るとは考え辛い。それこそ、無感情に家族同然の相手を切り殺せるような人間でもない限り――)


「…………」

「大丈夫? 顔色が悪いわよぅ」

「……ロゼッタさん。質問してもいいかしら」

「なぁに?」

「魔導軍を壊滅させたのは、魔導軍の人間?」

「そうよう」

「そう、なの。それじゃあ」


 ラエル・イゥルポテーが浮島を出られない理由は感情欠損ハートロスだからではない。


「魔導軍の中の誰かが、ひどい感情欠損ハートロスだったのね。そして軍を壊せるほどの力をもって、敵味方の区別もつかないまま双方を壊滅に追い込んだ――違う?」


 黒髪の少女が浮島を出られないのは、彼女が|ー感情欠損ハートロスだから。


「……七割、せいかぁい。おめでとう」


 七割。黒髪の少女の回答は満点では無かったが、その内容は一切否定されなかった。

 赤い半眼が寂し気に緩むのを見て、ラエルは何とも言えない感情に襲われる。


 これまでの生活で、年端もいかない少女に向けられた視線の意味を思う。


 魔族に比べて能力の劣る人族に、彼らがどうして侮蔑や軽蔑といった類ではない、哀れむような、それでいて避けるような目を向けることがあったのか。ようやく理解した。


 理解した。理解したが、あまりにも残酷である。

 この浮島に居るべきでない人族なのだと、突きつけられたも同然だった。


「……ロゼッタさん。私――浮島ここから、出て行かないと」


 始めから居場所が用意されていないのは当たり前だった。

 人族だから? 違う。人族は嫌われているだけだ。


 パリーゼデルヴィンド出身の感情欠損ハートロスがそこに居る。これこそが彼らが危惧する脅威だったのだ。


 誰だって、身内を殺した相手を想起させる人間を放って置けるわけがない。


 だから、手元に置いて、管理して、今度こそ誰にも被害が出ぬよう閉じ込めた。


 万が一があっても確実に仕留める為に――四天王や魔王が控える浮島に――何も知らないラエル・イゥルポテーの生活を保障する形で。


 ロゼッタは笑って、手にした魔導書を閉じる。


「それはぁ、あたしが決めることじゃあないわよぅ」

「だって、そんなの、貴女たちが辛いだけじゃない」

「それを言うならあなただって、自由を奪われて不便しているでしょう? あたしたちだって十分悪いことをしているわぁ。おあいこじゃあないかしらぁ」

「それでも」

「……あなたがそうやって割り切れているのに、大人のあたし達が割り切れていない筈がないでしょう? もう少し若ければぁ、違うかもしれなかったけどぅ」


 ロゼッタは口の端をきつく結び、言う。


「死にたくはなかった、でしょう?」

「ええ。死ぬべきじゃないと思って、やらなきゃいけないこともあるから生き残ろうとしてきた! でも、……でも、それとこれとは話が違う……私が過去の繰り返しになるんじゃないかって、少しでも思わなかったの!?」

『ラエルさん』


 頭に響いた声をきっかけに、高ぶっていた感情が冷めていく。

 ラエルは浮かせていた腰を元の椅子に降ろし、俯いた。


 赤眼の司書は一度目を伏せ、それから顔をあげる。


感情欠損ハートロスはねぇ、ある日突然なるものなの。昨日まで健康だった人が、気づいたら感情を失っている。そういう病で、後天的な欠損。だから、出兵するまで異常の無かった兵士が突然、感情欠損ハートロスになることだってある――だけど。もしそれに外的な原因が存在するなら? 王様はそう考えて、地図上から亡国の名前を消したわ」

『……原因があるかもしれないかの土地を悪用させないため、無辜の民の感情を第三者の手で人為的に消させない為に……です?』

「そうよぅ。賢いでしょう? だから、生き残りがいるなんて誰も予想していなかったの」


 でも良かった。と、言いながらロゼッタは笑う。


「ラエルちゃんは、他人の為に怒ることができる人間なのねぇ」


 悲しさも苦しさも押し込んだ顔で、笑う。

 その瞳の奥にどんな感情を秘めているのか。

 ラエル・イゥルポテーには分からなかった。




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