63枚目 「逆説」
『それで、どうなんです』
「どうなんですって?」
『とぼけないでいただきたい。ノワールは夜なべしてまで第三大陸の事件について調べてまとめましたが、それが貴女の求めていた結果になったのか。役に立ったのか、という話です』
黒髪の少女はジト目の蝙蝠に詰め寄られ、声を漏らす。
「……一歩前進、ってところかしら。欲しい情報がすべて手に入ったわけじゃあないわ」
第三大陸の殺人事件については当初から全く身に覚えのない疑いである。しかし、調べた結果ラエルの容疑が完全に否定できないということも明らかになった。
残る容疑者は、ラエルのことを「仕入れた」と明言した謎の多い苔フード。センチュアリッジ島で開かれた人身即売会に参加して黒髪の少女を競り落とそうとした挙句、島の怪魚を呼び覚まして逃げおおせた謎の多い人物。
だが、彼が事件の犯人であっても証拠を残すようなへまはしないだろう――故に、あの状況で魔法が使用できたラエルに疑いがかかるのは当然のことである。
「ねえ、ノワールちゃん。私がセンチュアリッジ島向けの馬車に乗っていた時、他にも同乗者が居たのだけれど、彼らはもう大陸に降りているのかしら」
『ラエルさんが乗せられたのは、確か最後の馬車です。魔導王国側の記録によれば、それを確認したのはハーミット・ヘッジホッグ。そして最後の馬車に乗っていた貴女以外の人間は、全員魔導王国の役人です。浮島の何処かにいらっしゃるです』
「そうだったの!?」
(あの時馬車の外に出られなくて苛立っていたのも、迫真の演技だったというわけか……)
『まあ、多少は驚いたみたいです。「知らない女の子がいきなり現れて非常に焦った」と聞き取りにはあるです』
「そんな扱いだったの私」
『スパイの疑いがガンガンかかってたみたいです。島に着くなり脱走騒ぎを起こすわ、会場の外で待機していた四天王と接触するわで……皆さん過剰に反応したです』
「な、なるほどねぇ」
実際の少女はそのような頭脳労働を要する様な駒には向いていなかったし、何処かからの回し者でもなく飛び入り商品だったのだが――緊迫した状況でそのような行動を取る謎の多い少女の姿は特異に思えたことだろう。
檻の場所を移されたのにも、監視しやすくするという意味があったのだ。
ラエルは一か月越しに、当時の針鼠と白魔導士が自分を疑っていた理由に納得した。
『そもそも、貴女は最初の馬車に乗った時点で『
「んー、そうね。始めにのせられた馬車の中で腕枷も足枷も嵌ってて。口も利けなくなるぐらいぼっこぼこに殴られてねぇ。呪術を喰らうとしたらその前後じゃないかしら。本調子なら気合で解除できる程度のものだったんだけれど、詠唱できないとなると解術が難しくって」
『…………そのエピソード、誰かに説明しましたです?』
「していないけれど。ああでも、乗り換えさせられた後に痛みが引いていたから、誰かが治してくれたんだろうなぁ、親切な人売りが居たもんだなぁとは思ったわね」
『はぁ?』
言葉遣いが崩壊した顎からギリギリと異音が流れる。相当頭に血が上っているのは分かるがラエルにはその理由が分からないようで、咄嗟に耳を塞いだ。鼓膜に響く歯ぎしりである。
『貴女、恐怖だけじゃなくて怒りも失ってるんじゃないです?』
「……少し前にヘッジホッグさんにも似たようなことを言われた気がするわ」
『いいです、代わりといってはなんですが、ノワールが勝手に怒るです。むすーっ』
「あはははは。ありがとう、気持ちは嬉しいわ」
『本当に変な人族です……』
ともあれ、第三大陸の殺人事件の容疑者としてラエルが疑われることになったのかは、充分理解できた。
しかし問題は解決していない。ノワールとの情報共有で辿り着けたのは、ラエルがどのようにして砂漠から南側へとやってきて、何処で馬車を乗り継いで島に渡ったのか、が明確になったぐらいでアリバイが見つかったわけでもないのだ。
「でも、アネモネさんは『容疑は殆ど晴れたようなものだ』って言っていたのよね――それが真実でないなら、私は今頃地下牢に入っていることだろうし」
『逆説的な考察です』
「そうなると、浮島から出して貰えない理由は何なのか、っていう疑問に戻って来ちゃうのね」
『です』
「じゃあやっぱり。
『…………』
第三大陸の事件が出国禁止の原因ではない。しっかり調べたことで、この線は消えた。
なら、他に気になっていたことを徹底的に調べ、残ったものが答えだろう。
(流石に、ノワールちゃんはこれ以上巻き込んじゃいけないような気がするけれど)
今のラエルには、第三大陸に降りるという明確な目標がある。
イシクブールという町に、両親の手がかりがあるかもしれないと思うと、たまらない気持ちになる。
(どれだけ傷つこうと。傷つかないように守られてきたのかも知れなくても)
黒髪の少女を浮島に縛る鎖が何なのか。知らなければ――
「百面相は終わったかしらぁ」
声が降って、舌の根が一瞬で乾いた。
蝙蝠が首を回すより早く、少女はその足を掴み取り自らの側に引き寄せた。
黒い双眸が少女の胸元に押し当てられ、開こうとした翼ごと羽交い絞めにされる。
ノワールの口元は食性上、花の蜜を飲むのに特化した顎の形状をしていた。それはそのまま、外部から加えられる上下方向からの圧力に弱いことを意味する――掌で握りしめられると口を開けられなくなる程に――生態は、生物図鑑に載っていた。
尤も、ノワールは
「……」
「……」
この蝙蝠まで巻き込むつもりはラエルには無かった。間違っても、調べ物に手助けしていたと思われては困るのである。
ラエルは蝙蝠の口を抑えた指の一部を開き、その喉元にあてがった。
紫の視線の先には、赤い半眼の司書。
資料室のレファレンス係、ロゼッタ。
『怠惰の舌』と呼ばれる、予言を体質としている魔族である。
「……どういうつもりで、今このタイミングを選んだの」
「選んでなんかいないわよぅ。ノワールが叫んだのが珍しかったからぁ、ちょっと早めにお昼寝を辞めただけ。なあに、その子に危害を加えるつもりもないのに、可愛い抵抗ねぇ」
ラエルがノワールを引き寄せた際に床に落ちた地図を手に取り、埃を払う司書。巻きの強い赤紫の髪が、肩の上で揺れている。
「どうしたのぅ、続けなさいよぅ。結構面白かったんだから、貴女の推理」
「……」
「ふふ、怖いわねぇ――それでぇ、何処から分かんないのぅ?」
「はい?」
赤い瞳が得意げに歪むのを見て、顔を見合わせる少女と蝙蝠。
「まさかとは思うけれど、知っていて放置してたってことかしら」
「あったり前でしょう、危険因子なら潰してるわぁ。分かるもの」
『……です』
予言者は伊達ではなかったようだ。
対立する様子が見られないので、黒髪の少女はノワールを解放する。
あまり強く掴んだつもりは無かったのだが綺麗な毛並みが乱れてしまった。謝りながら指櫛を通す。
ノワールは皮膜を舌でつついた。
『叫び声を上げる暇すらなかったです。二度としないで欲しいです』
「命の危機があったらやるわよ」
そう言うと、凄い目で睨まれた。可愛らしい黒目の間に極太の皺が寄っている。
「まぁまぁ、ラエルちゃんも反応速度は悪くなかったからぁ。さっさと機嫌直しなさいよぅ」
『…………』
(主人に撫でられているのに機嫌が悪くなっているように見えるのは気のせいだろうか)
「……ロゼッタさん」
「なぁに?」
「私が知りたい事は――多分、ヘッジホッグさんが隠していることなのよ」
「それがどうかしたの? あなたは、彼が隠すなら知らなくても良いって思えたぁ? 知らなくても良いと判断するに足る理由だってぇ、納得できたぁ?」
司書の返しに、ラエルは口を噤む。
「沈黙が答えねぇ」
再度口を開く前に先回りされ、代弁された感情を飲み込んだ。
赤眼の司書は髪を指に巻き、周囲を見回す。
衝立の立てられた個人スペースの周囲には、それといった人影が見られない。どころか、ラエル達が使用していた二階には他の利用者がいなかった。
口角がきゅ、と上がる。
「それならぁ、私はあなたの味方よぅ。ラエルちゃん」
ぼーん、ぼーん、と。鐘の音がする。時間を知らせる音だ。
一時間経ったことを示し、これから一時間の間、資料室の出入りを禁じる合図。
夕方の一時間。司書が眠りにつく時間。
一階の足音がいくつも出口へ向かう。暫くすると資料室は静まり返って、天井の照明は色を落とし、間接照明が辺りを照らした。
普段通りであればこの時間にロゼッタが起床していることは有り得ない。それこそ、予定を組み直して昼寝の時間を調整し、直前に睡眠を充分とっていなければ彼女は起きていられない筈だった。
資料室内の鐘が鳴り終えた現在、ロゼッタは何食わぬ顔で少女の前に立っている。
決して不可能ではないその調節は、予言を利用したなら――可能。
「……一体、何時から」
「あなたが浮島に来る前から、少しずつ。ねぇ」
『最近やけに寝だめが長いと思えば、そういうことでしたです』
「んふふー。『怠惰』でもぉ、たまには頑張るのよぅ」
予言者は笑って、ラエルの向かいの席に腰を下ろす。
頬杖をついて目を開いた。白い水晶体が照明に反射する。
向けられた瞳は僅かに揺らぐ。ラエルは息を呑んだ。
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