57枚目 「自問は夜に沈む」
「…………」
赤黒い瞳が僅かに伏せられる。どうやら聞いてはいけないことだったらしい。
ベリシードは巨大な眼鏡を外すと首に掛けた。背後では手袋が瓶の中でゴンゴン回っている。す、と見据えられた瞳には感情が無いようにも思えた。紫目に刺さる血の色の視線。
「……」
「……」
魔法具技師は黒髪の少女から視線を外す。追いかけた目線の先には、背中を針で覆った少年。彼は工房の中の引き出しを開けたり閉めたりしながら、何やら多種類の鉱物を腕に抱いている。
薬草学を研究しているという話だったが、いつか飛空船の甲板で魔法理論についても齧っていると言っていたし、もしかすると調合に関する知識も持っているかもしれないとラエルは思った。
机を叩く音で振り返る。
「な、なに?」
「ラエルちゃん。あたしは今から、設計図のなりそこないを捨てるよ」
「えっ」
間髪入れず投擲された紙の球は見事にラエルの額にヒットして、緩やかな軌道を描き閉じられた太ももの上に落下する。
「わ、ちょ」
「いいかい。あたしは捨てたんだ、だからそれをあんたが見ようが見まいが関係ないね。そもそも失敗作だし、武器の設計としても二流以下の駄作だ。それでもいいならくれてやるよ。あっはっははは! こんなものが欲しいだなんて、ラエルちゃんも物好きだよねえ! あたしのファンクラブでも作るつもりかい!?」
「作らないわよ!?」
「はっはっは! ――まあ、ね。いいかいラエルちゃん。信じる相手は選んだ方が良い」
「!」
「これは百歳を迎えて人生の折り返しに立ったあたしからの、長く生き残るためのアドバイス、さね」
一息に言い切ると、ベリシードは巨大な眼鏡を掛け直して何も無かった風に振る舞い始めた。察する時間も与えて貰えなかったラエルはというと、紙玉を一度広げてから――元の様に握り直した。
「……貴女、一体何を」
問い詰めようとしたラエルの細い首に、気配なく腕が回る。
椅子に座ったラエルを後ろから抱き寄せ、ハーミットは手を振った。
「そうだそうだ、難しい話をするなら俺も混ぜて欲しいんだけどなぁ」
「……!」
「何でもないさ獣人もどき。ああ、無断使用した工具使用料金もおまけしてやるから、ガールズトーク中の個人情報は秘匿されたし。だ」
「そう?」
「……何も聞いてないし、話してもないわよ」
首が締め上げられそうになる感覚を察知して、長袖越しの少年の腕をさするラエル。
ここで意識を失っても困る。
「そっか。ならこれは没収だね」
少年の言葉に首だけ振り向けば、解かれた腕と反対の手に握られていたのは先程の紙玉だ。そのまま腰にある
「ひゅう。検閲が厳しいねえ、そんなに警戒しなくてもいいじゃあないか。あたしの
わざとらしく煽る魔法具技師に唖然とする針鼠。ラエルは肯定の意を示す。あの紙にはベリシードの
「……それは失礼」
「べ、ベリシードさん。もう一度書いて欲しいわ、今度は丸めなくていいから」
「ラエルちゃんがそういうなら百枚でも万枚でも書きあげようじゃないか」
「一枚しか受け取らないわよ」
「あっはっは。はいよ」
大きな眼鏡を額に上げて、目をあらわにした魔法具技師は獲物を狩るような目で笑う。
「朝起きてすぐとか寝る前とか、
「ありがとうベリシードさん。有効活用するわ」
「はうあっ! 名前呼び頂きましたぁあ!! っしゃあっ!!」
叫び声をあげる魔法具技師を横目に、黒髪の少女は受け取った用紙の切れ端を自分のポーチに収納する。スルースキル「気にしない」を習得した彼女は無敵なのである。
「ベリシードさんは眼鏡 (?)を外すと僅かな人間らしさが消えるのね」
「眼鏡!? これは
魔力可視化という言葉に惹かれ、思わず二度見するラエル。
ただでさえ魔力操作が苦手なので、目で見て訓練できるのであれば是非欲しい。
「おいくらかしら」
「んえ? 三万スカーロだけど」
「私の四日分の給料とほぼ同じじゃない」
言ってみて、手袋の洗浄とメンテナンスに支払われた金額を思い出したラエルは身震いする。針鼠本人はぼったくられたと言っていたが、あの手袋も良い値が付く魔法具なのだろう。次は鍋などに落とすわけにはいかない。
「あはは。ごめんね、今日はもうまけられないんだ。じゃなきゃあ一日で大赤字だからねえ」
「大赤字って」
「ほら、あんたの後ろの獣人もどきが持ってる平たい小瓶の中身。普通に買ったら、ひと掬い五万スカーロはくだらないから」
「ごまんっ!?」
勢いをつけて振り向くと、背後に立っていた針鼠は首を傾げる。手のひらには二つの平たい瓶が乗っていた。内容物はキラキラと光る白っぽい粉末である。
「自分で調合してるからマツカサ印でもないしねえ。強いて言うなら鼠印か」
「調合!?」
「そうは言うけどさ……。そこの機材でこう、鉱石をがががががって。しかも結構静かなんだ。粉にしたら分量を計測して混ぜ合わせたら完成。簡単な作業だよ」
少年の言葉にラエルの頭の中では疑問符が飛ぶ。ベリシードはへの字に口を歪めたが、針鼠は意にも介さない。
「器具を貸してもらえるのはベリシードさんの所だけなんだよ。他は『職人泣かせ』って言われて追い返されちゃって」
「職人独自の手仕事代が請求できねえんだからそりゃあ嫌がられるわなあ! あたしも嫌だ!」
「素材と機材を仕入れて自分の部屋で作ろうにも夜な夜なこんな作業してたらお隣さんに迷惑がかかるじゃないか。五棟の鼠の巣も部屋は狭いし、粉が舞ったら
「他ならないベリーさんの工房に迷惑がかかってるんだよ。というかいっそのことあんたここで働けよ獣人もどき!」
「無茶を言わないでくれよ。『強欲』として走り回る場所が多すぎて部屋に引きこもる時間もほとんどないっていうのに、これ以上働いたら俺でも流石にもたないよ?」
「はあ!? 仕事また増えたのか!? 馬鹿か!?」
「あー、あー、聞こえなーい」
鼠顔の少年は頭上の耳を抑えながらわざとらしくそう繰り返すと、ラエルの手に瓶の片方を握らせた。店頭価格五万スカーロ相当、鼠印の謎の粉がきらきらと虹色に反射する。
「え……何? これをどうしろって?」
「どうしようもなにも。その粉が傷痕を隠すための魔法具だよ、奢るって言っただろう……奢られたからには、ちゃんと使ってくれよ?」
「は」
黒髪の少女はフリーズして、掌に乗った五万スカーロのきらめきを凝視する。
ベリシードは手にしていた設計図らしき紙 (多分書き損じではない)を握りつぶした。
「使うのラエルちゃんだったの!? 九割引きでサービスするのに!!」
「そんなことをしたらこの店の経営が破綻するだろう」
「可愛い女の子は正義なんだってば貢がせろよぉぉおおおお!!」
「彼女、今は俺の管轄だから。貢いでいいのは俺だけだ」
「鋭利なブーメランを全力投球する外道かあんたぁ!?」
「ごまんすかーろの消耗品……ごまんすかーろの消耗品……!?」
うわごとのように呟き続けるラエルと、その肩に手を置いて離れないハリネズミ。そしてそのハリネズミに言葉を叩き付ける魔法具技師。
染みの落ちた手袋が瓶から取り出されるのは、もうしばらくかかった。
三棟は縦に長い構造をしているので、階段横には昇降機が備え付けられている。
ベリシードと別れ、新品同様になった手袋を抱きつつ、ラエル・イゥルポテーは部屋のある十階までをショートカットした。話し込んでいる間にすっかり夜も更けている。明日も朝から仕込みがあるので夜更かしはできないのだ。
「……で。今日の予定は済んだはずなのだけど、どうして貴方も同乗しているのかしら」
「部屋まで送るのが監視役の務めなんだけど」
「貴方、私にばれたからって監視役だってことを包み隠さなすぎじゃあない?」
「ははは、まさか。――最近は夜な夜な変態が
「……」
それは、暗に気遣っているというわけでもなさそうな声音だった。
三階から十階に昇るのはあっという間だ。昇降機の網が開いた事を確認し、浮遊する網の箱からカンテラが照らす回廊へと足を向ける。
(普段の挙動からも分かっていたつもりだったけれど、監視が外れたわけじゃあない。第三大陸の件が既に無実になっていると言いつつ、私を魔導王国から開放しようとする様子もない)
黒髪の少女の一歩半後ろについて歩く四天王、強欲。鼠顔の下にどのような表情があるのか、ラエルには分からない。
だが、ベリシードから投げ渡された用紙を回収したその手つきは明らかに情報を隠す側に立つ人間のそれであった。
(私に知らされていることはほんの一部で。私が知りたいと思うこと以外にも、もっとちゃんと知らなくちゃいけないことが沢山あるってことなんだろう)
バルコニーを囲んで湾曲する灰色の床が、何故か壁の様に見えた。
ラエルは足を止めようとして、辞める。歩幅も変えず、直進する。
(信用する相手は、選んだ方が良い……か。どうして私が「蜘蛛」の宗教に騙されていたことを知っていたのか。それだって聞きたくても聞けないんじゃあ、信頼もなにも無いようなものじゃないの)
結局のところ、ラエルはかの獣人もどきのことを根の方では信用しきれていないのである。信じようとしてこなかった。
本当なら得だな、と。偶然の得を甘受して生活して来たに過ぎない。
もし裏切られたなら、困るから。
(……困るって。誰が?)
「イゥルポテーさん」
「へっ」
「どうしたの、そろそろ回廊を一周しちゃうけど」
「そ、そんなに歩いたかしら」
「昇降機が目の前だからね。一周はしそうだよ」
針鼠が指した方には確かに昇降機の網が見える。どうやら思考にふけりながら部屋の前を通り過ぎたらしい。
「ごめんなさい……」
「なんで謝る」
「考え事をしてて見てなかったのよ。だから」
「いや、人間なんだし考えごとぐらいするだろう。問題は、その悩みが一人でもどうにかできそうかってことなんだけど」
「どうして悩んでるって決めつけられるのよ」
「顔を見ててそうなのかなって思っただけだ」
「うぅ」
悩みの種である本人に指摘されてはますます言葉にし辛くなる。黒髪の少女は自室の番号を探し、あっという間に見つけてしまって溜め息を付いた。視線を逸らす場所がなくなってしまった少女は、辿り着いた扉の前でくるりと反転し、壁に背をつく。
顔をあげると、鼠頭は外されていて、金糸の髪を整える少年がいる。
濁りの無い琥珀を見て、紫目の少女は諦めた。
「……隠されていることを、知るのが嫌なのよ」
「うん?」
「何よ。意外な返答だったかしら」
「それは、理由を聞かせて貰ってもいいことなのか」
「……
だから何となく嫌で、思考にストッパーが掛かって踏み込めない。
行動を起こそうにも、衝動より理性が先走って、肝心の真相まで辿り着けない。
愛着とは似ても似つかないこの感情は、もしかすると依存と言い換えることもできる。だからこそ、ラエル・イゥルポテーはハーミット・ヘッジホッグを敵に回したくない。
琥珀の目を持つ少年に、嫌われたくない。
その感情の理由を少女はまだ理解しない。
「なるほど」
ハーミットは驚きを隠すこともせず、否定することもしなかった。
これまで彼は、魔導王国の役人として少女の敵に回らないとも、敵に回るとも明言せず黒髪の少女と関わってきた。その生活に関与してきた。
関係性に色をつけることはあまりよろしくないだろうが。と、少年は思考する。提案すべき内容を咀嚼する。
ラエル・イゥルポテーにとっての最善を。
「それなら――俺は君の敵になろうか」
「……」
無言をもって問当はお開きとなった。
部屋のベッドに倒れ込んだラエルは、最後に一つだけ思い出して、それから力無く目を閉じる。
少年に回収された紙に綴られていた、ベリシードの連絡先。
その下にはもう一言だけ。
パリーゼデルヴィンド、とも。
「……どうして」
自問は、夜に沈む。
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