55枚目 「魔法具・マツカサ」


 三棟三階、魔法具マツカサ。ここが目的の工房らしい。

 ハーミットがしゃがみ込むと、そこには指先が僅かに差し込めるくぼみがあった。


 何をするのかと思えば、彼はそのまま木の扉を上部に向けて持ち上げ始める。重いのか、何か堪えるような呟きが漏れるものの、上下開閉式の扉を一定の高さまで持ち上げると肩にのせて固定し、一息ついた。


 扉が上に向かってスライドするのを始めて見たラエルは目を瞬かせる。


「……ここが?」

「そうだよっと」


 上に昇った扉を潜って、少年の手招きを追いかける。


 まず目に飛び込んできたのは宙に浮く巨大な風切り羽だった。


 室内の空気を循環させる為なのか、七枚ほど束ねられた風車の羽の様なものが幾重にも重なって天上からぶら下がりグルグルと回っている。


 壁にはおびただしい数の注文票が釘打ちされたボードと、量産型の商品が整然と飾られている。


 魔導王国というだけあって魔術師用の服や武器も豊富にあるようだが、入ってすぐの看板には「基本、オーダーのみ受〼」と表記されていた。


 扉を元の通り下ろした針鼠は黒髪の少女の様にその場で立ち止まることはせず、目の前にある木の階段を下ってゆく――そう、下の層にもスペースがある。

 そこは手すり越しに眺めても分かる程にとっ散らかった。埃とスクラップで足の踏み場もない床を進めば、作業台に向き合って、ぼそぼそと何かを呟く女性がいた。


 受け流す壁パリングで全身を保護しつつ、角材に固定した赤みのある板に金属製の義爪で火花を散らして術式を刻む女性。前髪は目元を覆う大きな眼鏡のような物に掻き上げられ、黄色みの強い茶髪が汗ばんでいる。


 瞳は黒味の強い赤。革のコルセットと共にぶら下がる工具。

 シャツの袖は捲し上げられており、腰には上着、正面には分厚いエプロンのような物が首から垂れ下がるようにかけられていた。


 ハーミットは鼠顔のまま、作業中の女性の背に向かって掌を口の横に添える。


「ベリシードさーん」

「……(ぢゅいいいいいいいいいいいいいいいいい)」

「ベリシードさ――――――んっ!!!」

「……(ぢゅいいいいいいいいいいいいいいいいい)」

「このように、作業中は一切こちらを鑑みてくれないので、大人しく待つのが吉だよ」

「そ、そう」


 仕方がないので、その辺に転がっていた椅子を立てる。膝の高さほどの小さな腰かけだ。

 職人が作ったものなのか、赤い木材の表面はしっかりと磨かれていた。


「……(ぢゅいいいいいいいいいいいいいいいいい)」

「一応紹介しておくけれど、今目の前で作業してる人がベリシードさん。彼女がこの店のオーナーだよ!」

「……ねぇ、ヘッジホッグさん。この国の人達って皆こんな感じなの」

「いやいや。魔導王国に出店している店の中でも、彼女は変人の部類だよ」

「貴方が言うとそうは思えないのよね……」

「手厳しいなあ」


 ハリネズミは笑いながら、被っている鼠頭の位置を調整する。どうやら食堂のように気軽に外せる場所ではないということらしい。


「……(ぢゅいいいいいいいいいいいいいいいいい)」

「……」

「……」

「イゥルポテーさん」

「なに、ヘッジホッグさん」

「ここでの生活、どう。無理してることとか、ない?」

「……なによいきなり」

「本音で構わないんだ。この場所なら、他の誰の耳にも入らないから」


 ハーミットは言って鼠顔を揺らす。彼の腰にあるチェーンには青いキラキラした魔石の飾りがあるのだが、それを革手袋で覆って見せた。


「本音って、言ってもねえ。貴方も役人でしょう?」

「俺は、個人的に興味があるだけだよ」

「へえ、そう?」


 ラエルは黒髪を指に絡めて耳にかけると、思い至ったかのように髪を解いた。

 螺旋を描く艶の薄い黒髪が肩と背中に降りる。


 日に当たる時間が少なくなったことで白っぽくなってきた指先をこめかみに滑らせる。


「……本当なら一刻も早く下の大陸へ降りたいわ。親が何処に連れて行かれたのかは知らないけれど、時間がないのは嫌でも分かる。私自身の傷は癒えたのかも知れないけれど、私には私以外の痛みは分からない。それは、もし彼らが酷い目に遭っていてもどうしようもないということ――ほら、そもそも『怖い』が分からないから尚更ね」


 背中まである黒髪を編み上げた少女は、カルツェから貰ったリリアンを人差し指に絡めてハーミットへと目を向ける。


「そうね。貴方に、私にもあるわよ」

「……」

「でもそれは、些細なことなの。貴方の口から教えてもらうまでは知らなくていい」


 リリアンで結び留め、羽の様な輪っかが二本できあがる。


 尾を引く飾り羽のついた鳥。色こそ違うが魔族が信仰する不死鳥。その肢体の如く。


 白木聖樹を信仰し、八つ目の蜘蛛を信仰し――その両方を捨てた少女の背中で、羽ばたく。


「問いただしたいとは思わないのか? 君がどうしてこの島に居る必要があるのか。俺がどうして、こんなことを君に聞くのか」

「聞かないわ。それが良い判断だとは思わないから」

「……そうか」


 時間切れということだろうか、おもむろに膝にのせた手を退けるハーミット。

 影の中にあった青い魔石が、カンテラの灯で鮮やかさを取り戻す。


「ありがとう、イゥルポテーさん」

「どうして貴方がお礼を言う訳?」

「何となく?」

「何それ」


 ラエルは苦笑しようとして、耳についていた作業音が途切れていたことに気づいた。


 女性が黒い前掛けを外して台に引っ掛ける。


 加工に使っていた錐状のナイフを腰のホルスターに収納し、膝に付着した金属片を払い落とす。その動作によって下がった女性の視線に、ようやく針鼠の姿が入った。


 黒い瞳の内側、僅かな赤みがカンテラの灯りに反射する。


「あー、こんな夜更けに何か用かい獣人もどき」


 女性は口を開き、目元を覆っていた妙な形状の眼鏡を額に押し上げる。

 同時に、展開していた受け流す壁パリングが解除された。


「声をかけても返答してもらえなかったからね、勝手に待たせてもらった次第だよ」

「はぁ。これ納品先烈火隊なんだけど、刻印ミスっても良かったっていうのかな?」

「それは困るよ。だから咎めることはしないし、俺も怒ってないだろう」


 軽口を叩く針鼠に対し、目の座った女性は口角を下げる。


「んー、天下のベリーさんはそういうあんたがすっごい苦手なんだけど。で、何用? あんたの手袋と針衣はつい三日前に点検しただろうが。ついでに回線硝子ラインビードロも」

「その件はホント世話になりました……でも今回は別件だよ」

「べっけん? 新しい案件とか昼間に持ってこいやアホか」

「昼間は十割寝てる人が何を言ってるんだ夜型職人」

「結構仲良しなのね……」

「あー? 誰と誰が、なかよしだってえ?」


 ぐりんと振り向くベリシード。


「あ、あははは、聞き流していいわよ」


 慌てて前言撤回するラエルを、職人は足の先から頭の天辺まで、ベリシードは眼光鋭くねめつける。


 生来悪い目つきと唇を、弧状に歪めて。


「……はっ、じょーだんだよじょーだん! 本気にしちゃあ困るよ可愛こちゃあん!」

「かわいこちゃん!?」

「なんだようなんだよう、獣人もどき! 日頃から女っ気のないあんたが、こんな美人を連れ回してるってのかあ!? あたしにも尊みを分けな! ほら! その超絶細い腰回りを遠慮なくもふらせなあ!」

「ぎゃああ!?」


 ラエルは奇声を上げながら、ひっくり返った虫の足の如く柔軟に動く魔手から逃れ、本能的にハーミットを盾にする。生きた盾とされた少年はホールドアップを崩さない。


「ちっ、逃げられた (わきわき)」

「逃走本能よ!!」

「……えっとね。彼女は女性を愛でることを趣味、特技としているんだ。男には優しくない」

「もー、一言多いなあ獣人もどきよ。いいじゃんか。女が女を好きになる質だって――そも、いつの時代も可愛いと綺麗は正義だろう?」

「恋愛対象はともかく、可愛いと綺麗はたまに国を滅ぼすけどね」

「傾国の美女とか? あっはっは! いいねえ、そそるう、分かっているじゃないか!」

「成程と言いたいところだけれど理解が追いつかないから考える時間が欲しいわ」


 変態絵描きがラエル・イゥルポテーに迫ったのは作品の為だろうが、今目の前に居る職人が狙っているのは明らかに黒髪の少女本体である。故に危機感が好奇心を打ち消すには充分なのだが、針鼠はそれを許してはくれない。


 少年は非情にも人族らしくない腕力で、丁寧に少女の指を引き剥がしていった。


「残念ながらその時間はないかなー。ほら、用件があるのは君なんだから。しっかり説明してよイゥルポテーさん。ほらほら、ベリシードさんも暇じゃないんだから」

「分かってるわよ! 分かってるから押さないで!」

「んん? 可愛こちゃんが依頼人なの? やったねんんーっぐふふふっ」

「――ねぇ本当に任せていいの!? この人も大層変人に見えるんだけれど!?」

「変人なのは認めるけど分をわきまえない変態ではないよ。仕事の仕上がりは保証する」

「その言い方、遠回しに変態を認めたようなものじゃない!?」

「さあ、さあさあさあ! 後ろ手に隠した巾着袋の中身をみせてちょーだーいっ!」

「ああああああもうどうにでもなれぇ――――っ!」


 ラエルは観念して半眼の女性の腕に巾着を渡す。


 ベリシードは袋の中から例の手袋を取り出すと、目をぱちくりとさせる。

 そして一度針鼠の方を見て、それからラエルの方へ向き。


「……駄目だよ。手袋を料理と一緒に煮込んじゃあ」

「正論ね! 心の底から申し訳ないわ! ごめんなさい!」


 それはそれは綺麗な発音で。彼女のこの日一番の謝罪だったという。




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