47枚目 「ステーキとコバルト」


 魔導王国、浮島。ここは魔族の王が住まう魔王城そのものだ。


 「嫉妬」「強欲」「傲慢」「色欲」――それらを束ねる「暴食」。

 以前は「怠惰」が居たが、「色欲」と入れ替わりになった。理由は人数が多くなったから。とのこと。


 仕事の引継ぎが上手くいったのか、役職を降りても「怠惰」の仕事内容に大した変化がないからなのか。四天王の面子が変わった今でも、城は極めて平和そのものである。







 城内三棟の東端、焼き肉専門店「ダッグリズリー」にて。


「本日ゼロゼロより一二九〇にかけての監視対象一〇六番についての報告。起床時間四時四十五分、外出確認五時五分、モスリーキッチンにて五時十二分から八時五十分まで勤務、その後アネモネと会話を確認、資料室に四十分在、十時から昼時間の勤務開始、勤務中烈火隊隊員筋肉娘二人組に拉致されるがモスリーさん黙認、そのまま烈火隊の演習に参加。十六時八十分頃に開放され、十七時にはモスリーキッチンに戻る。そのまま八時まで働いて部屋に戻り、読書後に就寝。現在も寝ている事が確認されている。明日はモスリーキッチンにて朝五時半からシフトが入っている。明後日は食堂のシフトより早い四時にドクタースフェーンの定期健診が入っている。貸し出した書籍は一日読んだら毎度返却している様なので延滞の心配はなし。仕事先のモスリーさんとの関係も良好、最近オムレイツの作り方を覚えたそうだ。それはそうと、彼女から、支給されてる服がひらひらしてて動きづらい旨の相談を受けたので、今日の昼は何故か俺が対象と服屋を一緒に回ることになってる。以上」

「その情報量まるで追っかけのようだし後半はまんざらでもない顔をしている辺りツッコミどころが満載だねえ! しかし真面目な報告、実にいい!」


 口元に焼き上がった肉塊を運びつつ、城の主は言った。


 青紫の髪。赤みの少ないそのグラデーションを揺らし、コバルトの目が見開かれる。


「ほは、ほふりーはんひほはほふふへほひひひってははったほうへほははっはほ!」

「分からん。飲み込んで話してくれ。リピートアフタミー」

「 (もぐごっきゅん)良いだろう。まあ、モスリーさんにもあの娘を気に入って貰えたようで良かったよ! と私は言ったんだ。かの少女の魔導王国生活の順調な滑り出しに満足しているといったところかな」

「……」


 城主の向かいの席。鉄板を挟んで鳥串を焼く少年。身体の左側に鼠顔を置き、素顔を晒して会話をしている彼は金髪少年ことハーミット・ヘッジホッグである。


 魔王と、元勇者。


 知る人が見れば驚愕する様な組み合わせだが、今の彼等には関係ない。魔王にとって鼠顔で顔を隠す少年は四天王の一人「強欲」のヘッジホッグであり、元勇者にとって青目の男性は全身全霊をもって仕える相手である。それ以上でもそれ以下の関係でもない。


 負けた者が配下に入り、勝った者がそれを容認した――それだけの話だった。


「王様」

「なんだい? 今日は貸し切りだから、無礼講だぞぅハーミット君。いつも大広間で話している様な内容でも私は怒らないさ。 (ばっくん)むぅぎゅっもぎゅっもむっもむっ(んっくん)んんん、脂身が多いがこれはこれで癖になるなぁ」

「なあ、よ」

「ん」


 魔王と呼ばれて手を止める男性。


「何だい。質問があるなら話したまえ」

「……もっきゅっ、ごっくん」


 ひと口サイズの酸味の効いた鳥肉を飲み込んで、ハーミットは顔を上げる。


「どうして彼女をモスリー・キッチンへ?」


 金髪少年の言葉に答えまいと口に運ばれる肉。

 咀嚼音が暫く響いたが、それは間を繋ぐには足りなかった様だ。


 魔王は現在鉄板に乗っている最後の肉を飲み込んで、観念したのか口を開く。


? 『


 冷たい声だった。鉄板が熱を失うほどに。空気が凍ってキラキラ光るぐらいに。


 厨房がざわつくが、金髪少年は気に留めない。勿論魔王も涼しい顔をしていた。


「…………、意見する立場にないっていうのか?」

「ふふふ、だから答えているじゃないか。? と。私は何も知らないし何もしていない。彼女は彼女だからこそあの場所に落ち着いたんだ」

「信じがたいな」

「ほう」


 青い虹彩が丸められる。「怠惰」の目にもみられる、白でくり抜いた様な水晶体は保有魔力が豊富である証拠だ。いくらハーミット・ヘッジホッグの無魔法が『魔術無効化マジックキャンセル』であったとしても、その力を向けられればひとたまりもない。


 背筋に針金が入ったようになるが、金髪少年はこのような視線を何度も受けた事がある。


 魔王に。司書に。三つ編みの親友に。不愛想な白魔導士に。かつて信じた仲間の一人に。


 それらの記憶と比較すれば、今目の前に居る魔王が怒りを持ってその気を放っている訳では無いということは分かる――目の前のこいつの本気は、こんなものではない。


「推理かな? それとも理想かな?」

「違う。単純に見ただけだ。あんたの机の上に、あの娘の就職活動に関する資料が置かれてた。あんたは居なかった。俺はそれを読んだ。それだけだ」

「あー……これはこれは、弁解の余地がないね。よく調べたものだよ」


 プレッシャーを解き、笑う魔王。


 一触即発の気配が失せ、ダイヤモンドダストが溶けていく。

 金髪少年は肌寒かったのか腕をさすった。


「でも、結果的にはよかったんじゃないかな? 感情欠損ハートロスの患者は信頼度が低い。これは仕方がない、そういうイメージが広まってしまっているからね。彼女自身もあのパリーゼデルヴィンドの出身だというから、もしやと思ったんだ。保険だよ保険」

「……戦争の時、あの国で何が起きたのか王様は知っているのか?」

「いいや、分かっているのは結果だけだよ。君も調べたんだろうが、残念ながらそれ以上のことは私も知らない」


 金髪が動きを止める。顎の動きが止まったのだ。


 恐らく黒髪の少女は知らないだろう。魔導戦争の際、パリーゼデルヴィンドに侵攻した魔導王国の兵士は、一人を除いて帰還することなく戦死したという事実を。


 ただ一人の兵士だけが、感情欠損ハートロスになって帰還したことを――知らない。知らない方が、良いだろうとは思うが。


 奥歯で食んだ肉を喉に流し込む。


「王様。年頃の女の子が、自分を襲った相手を前にして淡々と会話を成立させるのって。どう思う」

「壊れているねぇ。私から見たら、きっとそういう結論を出すだろう」


 無理に直そうとも思わないがね。

 呟いて、新しく運ばれて来たブロック肉にナイフを入れる。


「そうか」


 琥珀が俯いた。


「ほうだ、はーひっほふん」

「ちょっと目を離した隙に食いながら喋るんじゃない分かんないって」

「もあもあ、ほんほはわはひのはなひほひいへふへよ (ごっきゅん)」


 謎の暗号を呟きながら、また一つ肉塊を飲み下した魔王。

 ハーミットは頭を抱えたまま、何となくその言葉に応じる。


「話って?」

「そうそう、そもそもこれが本題だ。君を今日食事に誘った理由だね」


 魔王は言って、ぱちんと指を鳴らす。目の前の空間が蜃気楼のように揺らいだと思うと、彼はそこに腕を突っ込んで何か紙を引き摺り出した。


 灼熱の鉄板の上で紙を扱うとは、資料保存のなんたるかを全く考えていない奴である。


「来月からね。君の準備ができ次第、第三大陸の情勢調査を頼みたい。なあに、首都を巡るだけの観光めいた調査になるだろうさ」

「視察、ねぇ」

「誰もお付きはいないよ。存分に羽を伸ばしてくるといい――もっとも、誰か付き人が欲しいというのであれば喜んで用意するけどね。要望は?」

「……欲を言えば、連絡手段としてノワールを連れて行きたいけど、必須ではないよ」

「では、その手筈で進めておくとするよ」


 紙に何やら書き込んで指を鳴らし、蜃気楼の向こうへ用紙を放り込む。一体何処に繋がっているのやら。


「話はお終いだ。時間を取らせて済まなかったね。日の出までは時間があるから、三時間超は眠れるだろう」

「了解、代金はこっちが払うよ」

「いやいや、今日は前払いなんだ。たまには見栄を張らせてほしい」


 魔王は言って笑う。喉ぼとけが上下した。

 金髪少年は琥珀を僅かに濁らせる。


「そう言わないでくれ。後で栄養剤送っておくから、そっちこそ寝ろ。

「ははっ。


 「暴食」は笑う。


 ハーミットは魔王が食べた分まで上乗せしたスカーロを机に積み、店を出た。







(結局、あの場で聞き返せなかったことがある)


 鼠顔で、ひと気のない廊下を行く。


(ラエル・イゥルポテーは、どうしてあんなことを言ったのか)


 監獄を出た時のことを思い出す。あの場には針鼠の彼と、受付の女性しか居なかったが、それは奇跡のような組み合わせだった。あの場に居たのがアネモネでもスフェーンでもカルツェでも、駄目だった。


『――イゥルポテーさん。罪人にあの言い方は駄目だよ、依存されてしまう――』

『――依存? 何を言っているのヘッジホッグさん――』


 黒髪の少女はジャケットを直しながら、さも当然のことであるかのように言ったのだ。


『――足枷を嵌めるのは簡単だけれど、それは足を断てば取り除けるでしょう? それなら頭の中に、をつけたとげを深くねじ込むのがいいわ。彼が死の際まで忘れられなくなるようなとげを、ね――』


 針鼠は、絶句した。


 少しは理解できたとばかり思っていた少女の本心に返す言葉を失った。

 彼女はあの一件に関して怒りを抱いていないわけではなかった。それが分かったのは一つの収穫だ。だが、彼女にやり返す思想があることも分かってしまった。


 それはいけない。


 目には目を、歯には歯を。人間として普通であるその反応が、感情欠損ハートロスである彼女にどう作用するのか、予想もつかない。


 資料でしか知らないが、パリーゼデルヴィンド君主国の二の舞になっては困るのだ。


 できることなら彼女には、誰も殺さず生きて欲しいのだ。


 彼女は素直で真っ直ぐな良い子だ。精神年齢は年相応であり、所々に野性味が垣間見えることもあるものの、仕事もしっかりこなしているし、他人とのトラブルが起きたなんて話も聞いた事がない。極めて健康で、生活態度が良好な人族である。


 だが。そんな少女を相手に今後どう接すればいいのか――分からなくなった。


「…………」


 それでも。

 ラエル・イゥルポテーはハーミット・ヘッジホッグを頼った。


 「怠惰」から予言を受けた彼女が真っ先に協力を仰いだのは、かつて鼠顔を被って自分を騙した金髪少年だった。


(……イゥルポテーさんを騙した宗教団体『アダンソン』は、第三大陸で勢力を広げている新興宗教――それがどうやら第五大陸や第二大陸にも飛び火しそうだということは分かったけれど、結局は実態も何も掴めないままだ。唯一確信をもって分かっていることといえば――)


 被り物からはみ出た金糸を、指で巻く。

 魔鏡素材マジックミラーが、道しるべとなるカンテラの灯りを映す。


(第三大陸の何処かに、確実に巣があるということだ)


 足を止める。

 思考するのに足音が邪魔だった。


(馬車の襲撃事件。乗り換えの無い馬車で増えた人間。乗り換えさせた人間。……最初の馬車は、彼女を何処へ連れて行こうとしていたんだろうか)


 考えて、針頭は首を振った。それは、今思考すべきことでは無いと判断したからだ。


(それよりも、彼女にどんな服が似合うのか目星をつけておかないと)


 心労絶えぬ針鼠は肩を落として、それから前を向いた。


 魔王城の回廊。


 ガラス張りの向こう側には一面の星が散っていて、しかし彼が幼い頃に学んだ星座は一つも見えない。


 眼下には、ひたすらに厚い雲が流れていくだけである。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る