46枚目 「朝っぱらから肉セット」


 魔導王国の朝はやや早い。


 烈火隊を率いるアネモネは、日が昇る時間に朝食をとるのがルーティンだ。


 今日も今日とて普段通りの訓練であろう。ここ最近は何か大きな事件が起こる訳でもなく、烈火隊の出番は無かった。平和はいいことである。


 起きてすぐ部屋で行うのは自主的な朝練。親指の先ほどの大きさをした丸い小石を抜き身の剣先にのせ、風のような素早さで一度腰に収めたそれで、宙に浮いた小石をまた受け止める。


 何度かそれを繰り返して後、小石を手に取りレイピアを納め、乱れた三つ編みを解き指で梳く。編み直した後に紐で縛った。


 結び目には深紅が花開く。そういう風に作ってくれたには、感謝してもしきれない。


 結え終わったアネモネは、結び目の紐を指で弾いた。


 部屋着から訓練着に装いを改めて、向かうは三棟モスリーキッチン。

 アネモネはいつものように「朝っぱらから肉セット」を注文し、番号札を手に取った。


「ん?」


 そこで気づく。


 食堂の席の端の方に、軍人の彼ですら見落としかねないぐらいに気配を薄めた一人の少女が居ることに。うねる黒髪をうなじの後ろでお団子にしているので一瞬誰か分からなかったが、監視対象を見間違うはずがない。


 とはいってもここ数週間はハーミットやカルツェなんかが見てくれていたらしいので、すっかり訓練に打ち込んでいたアネモネは、ラエルとしばらく顔を合わせていなかった。


 確か、彼女の就活が始まってからもう半月が過ぎているはずだ。


(そういえば、白髪男がなんか……『そろそろ会ってやれ』とか言っていたような)


 どういう意図であの白魔導士がアネモネに進言したのかは定かではないが、何やら以前会った時よりも周囲の空気が淀んでいるというか、沈んでいるというか。とにかく良い雰囲気には思えない。


 朝練が始まるのはまだ先だ。サンワドリを焼くのにも時間がかかる。

 アネモネはその性格とは反して、一日の予定をしっかり管理できるタイプの人間だった。


「よっ。おはようラエルちゃん」

「……あ、アネモネさん……ご無沙汰してるわ……」

「な、何があった」


 一言会話を交わしただけで異変を察知した三つ編み魔族は、ばたばたと慌てて少女の座る席の横に椅子を置く。


「アネモネさんが相談に乗ってやるぞ! どうした、一体何がラエルちゃんをそうさせたってんだ!?」

「何もないわよ……何も……私にはどうせ……ないです……分かってたから大丈夫……」

「目が死んでるなぁ」

「失礼ね、生きてるわよ!」

「おお、戻った」


 両腕をホールドアップし、これ以上煽らないと口約束する。


「どうした? 二週間前とはえらい違いじゃないか。作り笑顔すら枯れてるぞ」

「作り笑顔って、枯れるものなの」

「疲れが分かりやすい」

「成程、顔に出ちゃってるのね……」


 ぺちん、と両頬を叩き、復帰する黒髪の少女。


「どうぞ。多分、話相手ぐらいにはなれるわ」

「だからどうしたよ、そんなに低姿勢キャラじゃあなかっただろ」

「キャラ……そうね、個性は弱いわよね……」

「やべえな」


 アネモネは顔を引きつらせ、テーブルに肘をつく。


「まー、大方仕事の面接落ちまくって凹んでるんだろうが、そんなもんだぜ。あんまり気にすんな」

「……三棟商業区」

「ん?」


 黒髪の少女はテーブルに突っ伏したまま、指折り数えて見せる。


「一棟事務、二棟サービス業、四棟事務、五棟は医療棟だから私じゃあ無理で……」

「まさか、あらかた受けたのか?」

「ええ。職業斡旋所から紹介された働けそうなところはことごとく木っ端微塵。残ったのは専門技術が必要な分野の職業だけよ」

「おおー、すげえなぁさっすが」

「ありがとう褒めてくれて」

「……」


 ストレス過多からくる言葉の刃がアネモネを襲う。このままでは不味いと直感した赤髪の青年は話題を変えることにした。


「ああ、そういえば! 少し前にハーミットの奴と監獄に行ったそうじゃないか。ああいうのは初めてだと思ったんだが、実際のところどうだった?」

「感想が聞きたいの? 愚痴が聞きたいの?」

「か、感想。まずはそっちから」

「道中がちょっとだけ寒かったわ。あと、思っていた以上に相手が人間らしかった」

「そうか……で、愚痴は?」

「情報は手に入ったけれど、謎ばかりが増えることになったの」


 黒髪の少女は伏せていた顔を上げ、アネモネを見た。紫の瞳が橙の照明を受けて深い黒に反射する。どうやら上手い具合に気を逸らすことができたらしい。アネモネはほっとしたが、少女の浮かない表情を見て顔を曇らせる。


「謎というか、疑問点というか、ね――ロゼさんに予言された通り、私がヘッジホッグさんに連絡を入れたのは確かなのよ。加えてお互いの頭の中で『檻』といえば『牢屋』だったのは、まあ偶然に意見が合致したっていっても違和感は無いんだけど……よくよく考えてみると私、あの人に話したことは無かったと思うのよ」

「話?」

「私が人売りに攫われる前のこと。一家共々蜘蛛を祀った悪徳宗教に騙されて、私が荷馬車に乗せられたっていう、そもそもの経緯」


 アネモネはラエルの言葉を咀嚼して、ぱちりと瞬きした。


『――俺、どうして君みたいな人が悪徳宗教に騙されてしまったのか、何となーく理解できた気がするよ――』


 ハーミット・ヘッジホッグは、確かにそう言った。ラエルは聞き逃さなかった。


 それは、あの会話の時点でラエルがそう言った宗教に関わっていた過去を、彼が知っていたということだ。


 アネモネは茶を飲み干して机に戻す。


「確かに俺は初耳だが……調べたんじゃねーの? っていうか、ラエルちゃんがテントに連れて来られた経緯はドクターには話したんだろう? それなら、あいつに話が回ってもおかしくはないだろうさ」

「ドクターには、私が悪徳宗教に騙されたとはいったけれど、それが『蜘蛛』の宗教だったとは一言も話していないわ。私が伝えたのは『八つ目玉を祀ってる妙な宗教だった』ということだけ――もとから蜘蛛っていう単語にも違和感をもっていなかったみたいだし、いつ調べたのかしら」


 ラエルは紫目を伏せ、手元にある紅茶の湯気を追った。

 アネモネは三つ編みの毛先を遊んでいた左手を下ろして、少女と目を合わせた。


「……それで?」

「それで、って? ああ、感想? どうとも……」

「はぁ!? あぁ……そうか、何とも思わんのか。てっきり怒っているのかと」

「そうなの、不思議と悪印象はないのよ。だからこう、何というか」


 ラエルは黒髪の毛先を揺らし、前髪に指を添える。


「私は、あの人がこれからどうしようとしているのかが知りたい」


 紫目を細めたラエルの脳裏に浮かぶのは、獄中でドゥルマ・ウンエイとしていた会話の中で飛び交っていた物騒な単語である。


『――また潰す気か――』

『――まさか――』


 ……自分の預かり知らぬところで話が進んでいる様な予感しかしないのだ。


 ラエルはようやく上体を起こし、椅子の背もたれに体重を預ける。番号札を指で撫で。少し思いにふけるようにしてから力なく首を横に振った。


「でも……あの蜘蛛の宗教に関わってたのは随分前の話なのよ。それよりも、人売りに攫われただろうに消息が掴めない父と母の手がかりを探すのが先かしら。だから今は、ヘッジホッグさんの件も考えないことにするつもり。私は私がやりたいようにする――まずは仕事をして、お金を貯めて、この浮島を出る。父と母を探しに行く。誰が何を企もうと、私のやることは変わらないわ」


 紫の瞳はアネモネの深紅の瞳を見据え、言った。


(ほう、そんな顔もできるんだな――仮にも感情欠損ハートロスだってのに)


 アネモネは少しだけラエルを見直した。その言葉は、その態度は、彼がラエルに対して貼っていた「病気の少女」というラベルを破棄するのと同時に、テントの一件に巻き込んでしまった事に対する罪悪感というか、ほんの少しの同情を忘れるには十分だった。


 赤髪の騎士は感情欠損ハートロスの人間は庇護されるべき対象だと思っていたが、彼女に関してはそこまで気づかいをする必要はないらしい。


 とすればこの少女はきっと、魔導王国でなくても立派に生きていけるのだろう。

 こうなると、就職が上手くいかないという現実が残念、というだけである。


「そうかぁ。それじゃあ尚更、就活頑張らねえとだな!」

「そう。問題はそこなのよね。どうして悉く落ちるのかしら……」

「あっ」


 しまった、と思ったがもう遅い。せっかく話の路線をずらしたというのに、いつの間にか元の話題に戻っている。ここからどう挽回してもアネモネにはどうにもできないだろう。

 

 どうしたものかと頭を抱えようとしたとき、アネモネの目の前に皿が差し出された。

 サンワドリの丸焼きだ。内臓の代わりに香草と芋が詰まっているのだが、問題はそこではない。


 この食堂は番号札引き換え制、料理を注文した本人がカウンターへ受け取りに行く必要がある。それが今、アネモネがテーブル席に居たにもかかわらず手元に届くというのは有り得ないのだ。辺りを周回している掃除用の使い魔は布巾以上の重さの物を持てない。料理を盛られた皿を持ち運ぶような力仕事はできないはず。


 恐る恐るアネモネが振り向くと、そこには一人の魔族が居た。


 赤に黒が絡まっている。そんな印象を受ける髪を首の後ろに束ね、上から布巾を巻き。穏やかな目元に泣きぼくろ。ふっくらとした体形からは貫禄を感じさせる。


「モスリーさん」

「げっ、おばさん」

「おばさんじゃないねえ、だよ」


 笑顔で殺気を飛ばす食堂のおばちゃん。アネモネは慌てて弁明する。


「やっはは、冗談。冗談が通じねえなぁ。料理を取りそびれたのは謝る」

「まあいいさ。叔母さんなのは本当だしねぇ、でも次そう呼んだら怒るよ」

「はは……」

「目を逸らさない」


 眼光鋭いモスリーのプレッシャーを受けつつ苦笑いするアネモネに対し、ラエルは気まずそうに肩を竦めた。


 モスリーの腕にあったもう一つの皿は彼女が注文したものらしい。トマの実のスープだった。


「はい、お嬢ちゃんの分もあるよ」


 目の前にスープの器が並べられ、複雑な顔で番号札を手渡すラエル。


「ごめんなさい、どうにも気が散ってて」

「良いってことさ。しかし、どうしたんだい? 少し前まではもっと元気だっただろうに」

「仕事が決まらないの」

「仕事?」

「……ああ、彼女外から来たもんだから、中々雇ってくれる場所がないらしくてなぁ」


 アネモネは意図して「人族だから」とか、「感情欠損ハートロスだから」だとか、ラエルが面接に落ちている理由であろうそれらを伏せた。他の店や施設で仕事に受からないのはそれが原因だろうと分かっているからだ。


 感情欠損ハートロスではないが、人族ゆえに仕事探しに苦労した人物が身近に居るアネモネは、魔導王国で彼等が働く事の難しさを、受け入れられることの難しさを知っている。


 加えて、ラエル・イゥルポテーという少女は頭が固いのだ。人族であることは隠しようがないとしても感情欠損ハートロスであることは隠せる筈なのに、それをしない。多分、それが就職を不利にしていることも知らない――いや、聡いこの少女なら、資料集めの時点でそれとなく気づいてもおかしくはないのだ。理由までは理解できずとも、この浮島で感情欠損ハートロス患者が受け入れられにくいという現実を。


 モスリーはアネモネの言葉に首を傾げ、それからラエルの方を見た。


 黒髪の少女はこの後予定があるのか、それとも話し相手になっていたアネモネがモスリーと話しているからか、せっせとスープを口に運んでいる。心労からか纏う雰囲気に力強さは無かったが、咀嚼したときにほんの少しだけ口元が綻んだのが分かった。


 モスリーはその表情を見て、驚いた風に口を開く。


「ねえ、あんた。名前は何て言うの?」

「え……っと、ラエル・イゥルポテーといいます」


 告げられた名前はいみなではなかった。言い淀んだことから察するに、自身の諱の一部すら知らないのだろう。一体どんな人生を送って来たのやら。


「そう。いつもここに通ってくれてるけれど、そんなに美味しい?」

「ええ。とても」


 ラエルは正直に答え、しかし微笑むようなことは無く。

 普段は愛想笑いをするのだろうが、疲れから素が出ている彼女にそれをしろと言うのは酷だった。


 その様子にモスリーの目が光る。


「あんた、料理に興味はある?」


 気付いたら、思っていたことが口に出ていた。


 黒髪の少女はポカンとしたが、すぐに「料理は苦手だから、いずれできるようになりたいとは思っている」と返した。相槌を打ち、モスリーは思考する。


(成程。紫目だからどうなのかと思えば、あたしらが知っている感情欠損ハートロスとは違って、この娘には向上心があるわけだ――それなら、採用の余地がある。みんな見る目がないねえ、これは鍛えれば化けるよ)


 モスリーはにやりと笑った。アネモネとラエルは顔を見合わせた。


 結果として。


 この三日後にラエルは、魔導王国三棟「モスリーキッチン」に臨時スタッフとして雇われることとなる。


 ラエル・イゥルポテーの就活は期限を半分以上残して無事終了した。

 当初の予定通り彼女は貯金を始めることができたし、魔導王国で生活する中で今後、金銭面での心配をする必要は無くなった。


 目標達成に向けて一歩前進――表向きには、順調な滑り出しだろう。







「――って、感じだよ」

「ほうかほうかはふほほへー」

「飲み込んでから喋りなよな……」


 そう、表向きには。




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