45枚目 「鉛の筆を削って」
面会を終え。
無言の圧を放つ受付係に連れられて一棟に戻って来たラエルとハーミットは、それぞれの用事の為にしばらく引き離されることとなった。
というのも、緊急時でもないのに鼠頭を外してしまった針鼠は、少女の暴走を止められなかったこともあって色々と説明責任とやらを果たさなければいけなくなったらしい。
悔いはないが事情を説明するのも嫌だ……というような空気を纏いながら、針頭はすごすごと四棟へ向かって行った。
送り出した黒髪の少女はというと、特にお咎めが無かった代わりに一日資料室の出入りを禁止された。面談室の件が尾を引いたのかと思いきや、ただの利用禁止のお知らせを受けただけである。
何でも、一階が使用できない状況になっているのだとか。
ラエルは受付の女性から丁寧に説明を受けたのだが、実際のところは「眼球が」「館長が」「とても人の精神を保護する職種とは思えない所業」などと、意味不明な単語を連呼されただけのようにも思える。
資料室に行けないとなると、今日は資料収集ができないということになる。
そこでラエルは受付の女性に就活について質問したのだが、その返答は「職業斡旋所へは行きましたか?」だった。
そう。ラエルは、就活をすると意気込む中で、肝心の就活現場へ足を運んだことがなかったのである。そうして向かった一棟三階。教わった部屋を尋ねようとしてみれば、既にお昼休憩に入った後だった。
(そっか、ここの人達は昼食を取る習慣があるのよね)
忘れていた事実に肩を落とし、業務が再開する十三時までの一時間を適当に潰すことにしたラエルは、浮島内でまだ行っていない場所へ赴くことにした。
各棟の吹き抜けをめぐるのも良いが、今日は城の五棟が囲んだその中心へ――そうして、五棟の中心にある広めの公共スペース、噴水広場へとやってきた。
丁度、四棟の目の前だ。小さな芝生の丘に寝っ転がりながらラエルは思考にふけった。
魔王城こと浮島は文字通り空に浮いている。四方八方を幾重にも重なった結界術式陣で覆い、どういう理屈なのか雲海が見られる高さに留まっているのだ。
高所にあるわりには空気が薄いということも、凍えてしまうことも無い。おおよそ結界の機能の一つに気温調節や空気調節があるのだろう。
(……どうやら雨は通り抜けるらしいけれど)
連れて来られた次の日の朝、雨が降ったことを思い出す。
回廊から、中央広場に降るそれを眺めたことを思い出す。
(全く知らない陣ばかり。あれだけ複雑な魔術構築、何人で編んでいるんだろう……)
見れば見る程、謎が深まる。
この国の技術力には底が見えなかった。
芝生を撫でるように、心地よい風が吹いている。
昼休みを返上した兵士が剣を素振りしている。
素朴な噴水に一スカーロを投げ込んで、何やら願掛けをしている人が居る。
数人の白魔術士がつれ合って好きな甘味の話をする。
獣人の一人が何やら機材を持ってえっちらおっちら走っていく。
白髪の男性がこちらを気にしている……ラエルが人族だからだろうか。
まあいい、ここに居るのは自分の意思で、そうでなければならない事情もある。黒髪の少女は後頭部の団子を解いて三つ編みにすると、いよいよ本格的に仮眠を取る事にした。
今日は暖かい日差しが差し込んで気持ちいい。
どうせ、浅い眠りになるだろう。誰かが近付いたら否応なしに起きてしまうに決まっている。ラエルはそう高を括って目を閉じた。
しかし。日向の芝生は案外眠れるもので。
かりかりかり。
さりさり、ぱさっ。
「……」
衣擦れと、何やら紙に書き込む音で目を覚ました。
所作の音はまだしも、紙の音が聞こえるというのは相当近い場所に人が居るということ。
薄目を開き、目だけを動かす。枕にしていた左腕の向こうには誰も居ない。つまり、気配の主は背後だった。
黒髪の少女は乱れた髪を気にする余裕も無く、考え得る最速の動きをもって振り向いた。寝ていたとはいえ「背後をとられた」という事実に驚愕しつつ、半分は知っている人物が相手であろうという期待をもってして。
「……誰?」
期待は外れた。ラエルの記憶にない人物がそこに居た。
夕暮れの紫で染めたような髪。突き出した唇がカムメが逆になったような弧を描く。
「ははは、申し訳ない。起こすつもりは無かったんだが」
「いや、その……だから、どちら様?」
ラエルの問いかけに対して赤い目を丸くした相手は、腕を組んだ。
魔導王国ではあまり見ない鉛筆を指先で弄び、黄緑のローブの襟を下ろす。
「そうだなあ。パーカー、私の事はパーカーと呼んでくれたまえ」
質問の答えになっていない返答に余計に眉を寄せるラエル。パーカーを名乗ったその人は、立ち上がって畏まった礼をしてみせた。
カムメを逆さにしたような、特徴的な口元が印象的である。
「やあやあ済まない。あまりにも無防備に眠っているから、絵のモデルにでもなって貰おうかと思ってね」
「絵のモデル?」
「これだよ。私は趣味で絵を描きながら各国を回っているのさ」
そう言って黒髪の少女に差し出されたのは、一冊の本の様に綴られた画用紙の束だった。
ラエルは受け取りつつ、表紙に目を落とす。というのも世の中には禁書というものが存在していて、開いた瞬間に呪いにかかるような代物もある。少しでも本っぽければ、警戒の対象なのだが。
「……みてもいいかしら」
「どうぞ」
言質が取れたので表紙を開いたラエルは、パラパラとめくって四枚目ぐらいでその手を止め、流れるように画用紙から視線を逸らした。
何というか、その……人体の裸体、裸体、裸体である。黒髪の少女は芸術に触れたことがあまりない。初めて見るそれらに対し、理解不能だとアラートを鳴らす脳髄を静かにさせるのに少々時間が要った。
上手いのか下手なのかも分からないし、見る人が見ればそれをクロッキーや荒いデッサン画とでも呼ぶのだろうが、残念ながら少女にその分野の知識はない。
なので正直に、無知を隠さずに感想を述べることにした。
「公衆の面前で女の子に人の裸の絵を見せるのはどうかと思うわ」
「……あっはっは! それはそうだな、申し訳ない。その純粋さを忘れないでいてくれよ?」
「?」
「ああ、もしかしてこういった『絵』を見るのは初めてかい? それとも、人体の勉強をせずとも、天才が何となく鑿や筆を手に取れば美しい彫刻や絵画が産まれると信じていたのかな?」
ノンノンノン、と人差し指を振るパーカー。
「何事にも成される前に下準備が必要なのさ。地味ぃな下積みがね。積み重ねた分が自分の利益になるかもしれない。だから人は努力を辞めないんだ」
「この絵は、何か大きな作品の為の足掛かりになると?」
「ああその通り!」
「でもそれ、勝手に私を描いた理由にはならないわよね」
「……」
画用紙の束を胸に抱え、パーカーは青ざめる。
黒髪の少女は四枚目の絵を見て気が滅入った訳だが、そこにはつまるところ全身の服を透過された状態で芝生に横たわるラエルの姿が描かれていたのだ。
「あ、いやぁね、全く微動だにしない上にそこらで熟睡している、良いモデルが居たものだから、つい――」
「……」
「む、怖い顔をしないでくれよ……分かった分かった、君を描いたその
「せめて服を着せて頂戴。このままじゃ私が恥ずかしい人に見えるわ」
「無茶を言うなあ。腰回り、二の腕、そしてうなじ! この曲線美を伝えるには産まれたままの姿が一番いいじゃないか!」
「なんて頑固な!! っていうか変態じゃない!?」
更に怪訝な顔をしたラエルだったが、その腕から画用紙の束が抜き取られる。
パーカーは渋々といった様子でラエルを描いた用紙を分離し、手渡した。
受け取るなり描かれた方を内側に丸めて筒にする黒髪の少女。
「恥ずかしいとでも言わんばかりだなあ」
「少なくとも周囲に見せびらかしたいとは思わないわ!」
「はっはっは、それはそうだ」
私だって私を描けばそうする。パーカーはそう言って羽織っている黄緑のローブの襟を立てた。浮島の風が寒いのだろうか。目深にかぶった帽子のつばが顔に影を落とす。
「もう夕方だ。私も仮宿に戻るとするよ。たまにここに来るだろうから、見かけたら声をかけてくれたまえ! そうすればまたモデルになってもらおうかな。次はもっと美しく描いてあげると約束するよ」
「はあ、絶対声かけないから安心しなさい」
「つれないなあ、はっはっは」
パーカーは手を振りながら去って行ったが、ラエルは手を振り返さなかった。変態相手に振り返す腕など持っていない。
彼は観光客だろうか。浮島は仮にも魔導王国の駐屯地である。旅行気分でここを訪れる人がいるとは思えないが。
ラエルは首を横に振った。気持ちを切り替える。変な絵描きの事は忘れてしまおう。
それよりも、身体の節々が鈍い痛みを伴っている。長時間芝生で寝ていたせいだろう。ここ暫くはベッドで寝起きしていたので、硬い地面では満足できなくなってしまったようだ。
首がつらないようにゆっくりと伸びをして、立ち上がる。
まずは職業斡旋所に行くとしよう。就活の動機も、ラエルには確固としたものがある。
未だに行方知れずの両親。彼らを探すためにはまずこの島を出なければならないが、出たとしても確実にお金が必要になる。必然、旅をするのであれば今の内に活動資金を貯めておくのが良いだろう。
その旅が、来るかも分からない未来の話でも。
司書の予言が、どういう意図を含んでいるのか明瞭でなくとも。
罪人が過去を悔いようと、そうでなかろうと。
あの針鼠が、腹の中で何を考えているか分からなくても。
少女はただ、
ラエルはそうして、一棟三階へと向かった。
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