30枚目 「カロリー過多のバーガーセット」


 二日目の朝。

 ラエルは盛大に寝坊した。


 もし午前中に何か用事があったと仮定したなら大遅刻だったが、急ぐような予定はひとつもない。


 絶賛職探し中のフリーター、それが現在のラエルの身分である。

 「ただし保護観察処分中」というラベルが張られそうではあるが。


 ラエルはシャワーを済ませ、今日寝坊した理由を探す。


 すぐに見つかった。支給されている目覚まし鈴のベル調整を忘れていたのだ。

 簡易的な目覚まし鈴は、一度使用したら捻子の巻き直しが必要なのである。


「ううん、不覚……」


 リリアンで掻き上げた髪を纏め、馬のしっぽのような形にしてあと、グルグルねじってまとめる。お団子ヘアというらしい。以前ハーミットに習った髪型だ。


 ただし、お団子が何たるかを知らないラエルにとってはただの丸い髪形である。


「よし」


 鏡の前で確認して、一人ポーズを取ってみる。

 今日の服は、一日目より落ち着いたデザインのブラウスに花柄のスカートである。靴は昨日と変わらない。


「そういえば、支給の服って何だかフワフワしてるわね」


 働き口が見つかったら多少はお金に余裕ができるだろうし、その時には動きやすい服を買うことにしよう。目標が増えたラエルはそう思考しつつ、長い袖口のカフスを留めた。







 昼に朝食という言い方もなんだと思うが、まずは食事である。メニューはがっつりめにサンワドリの揚げ物をシャキシャキの葉野菜とパンとで挟み込んだ「バーガーセット」だった。手が多少汚れてしまうが肉汁滴る旨味に舌鼓だ。


 添えられているトマの実のソースを芋揚げですくい上げる。普段軽い朝食と夕食で済ましていたラエルにとって、ランチメニューは初めての連続だった。


 安くて美味しくて量があって嬉しい。

 昨日食べた朝のメニューと同じ値段だというのに、格段に腹持ちが違う。


 美味しさも後押しして、食事にかかる時間はそれほど長くない。半刻もかからず完食したラエルは口元と指先を布巾で拭いながら、今日の予定を立てることにした。


(まず、どんな仕事があるのかをもっと知ってた方が良さそう)


 昨日の今日で一般的な学力や知識が補完できたとは思えない。本を読んで得る知識と、実践を経て培われる経験との間に差があることは実戦経験からよく知っていた。


 主に魔術の分野での経験ではあるが――それだって、正規の教師に教わっていたわけでもない彼女がほぼ自己流で編み出す魔術は、一般的なそれとはずれてしまっていることだろう。


 才も無ければ学もない黒魔術士を使ってもらえる仕事は存在するだろうか。


「ぴょーん」

「!?」


 幻聴がした気がして振り向くと、声の主は赤いマントを肩から外して隣の席に腰を下ろすところだった。ラエルが振り向いたことに気づくと、再び「ぴょーん」と挨拶であるかのようなイントネーションで言葉を口にする。


 烈火隊の筋肉娘が一人、獣人のエルメであった。


 ラエルが周囲に目を向けると、どうやら烈火隊の休憩時間に当たっていたらしい。空いていた席に次々と腰を下ろす軍人たち。つい昨日会ったばかりだが、何人か顔を覚えていた。


「……エルメさん、驚かせないで頂戴」

「驚いているなら、普通は飛び上がるはずだぴょーん」

「椅子に座っているのに飛び上がれるわけないでしょう」


 エルメは「そう?」と疑問符を浮かばせつつ長い耳を触る。

 どうやらイヤーカフの位置が気に入らないらしい。茶毛に赤い毛先、特徴的な毛並みが柔らかに波打った。


「ポテーはお昼食べたぴょーん?」

「ええ。バーガーセットを」

「さては朝、食べ損ねたというところかぴょーん」

「あははは。ご名答……」

「そんなところだと思ったぴょーん」


 エルメは言って、ひょいと立ち上がる。手のひらには番号札があるので、ちょうど呼ばれたということかもしれない。


「盛り付けが終わった匂いがするから、行ってくるぴょーん」


 違った。

 呼ばれて判断するのとは次元が違った。


「い、いってらっしゃーい」

「ぴょーん」


 黒髪の少女は送り出しながら、そういえば資料室にでも行こうと思っていたんだけど。と思考する。

 けれどエルメと顔を合わせたことで、ここで実際に生活している相手にあれこれ聞くのもアリじゃなかろうかと考えを改めた。


「よっす、ラエルちゃん!」

「あ」


 そうか。烈火隊にはこの人がついてくるのか――ラエルがそう認識する間もなく、今度は赤い髪が視界いっぱいに広がった。


 今日も変わらず三つ編みが艶めいている。髪を結ぶ紐には知らない花のモチーフがあしらわれているが、それが彼の男性らしさを潰しているようには見えない。

 元になった花はなんという名前をしているんだろう。黒髪の少女は間抜けにもそうつぶやいたが、対する青年――アネモネは目を点にするばかりで、勢いに任せて詰めた距離を広げられずにいた。


 魔族の象徴、普段は猫目のように細いはずの赤い瞳が、今日はまん丸い。


「おは……えっと、こんにちは? アネモネさん」

「お、おう。おはよう。あ、違うやこんにちは」

「なぁにおどおどしてるんですか隊長、らしくもない」


 どすっ。と肘を入れられる烈火隊隊長。


 肘をいれたのはショートカットの白魔術士、ストレンだった。昨日と同じようなスリッドの入った白い服を着ている。どうやらこの系統の白服は白魔術士の制服らしい。よくよく思い出してみるとスラックスタイプのものを昨日カルツェが着ていた。


 そしてきっとないだろうと期待したが、背には矢筒が背負われている。


 食事の時も持ち歩くのか。そういえばアネモネもエルメもレイピアを腰に下げているし、軍人で武器を持ち歩かない人の方が少ないのかもしれない。


 ……あの金髪少年は手ぶらだった気がするが『引き出しの箱ドロワーボックス』搭載のポーチを持っていたので、そこに仕込んでいるのだろう。


「それにしても、ラエルちゃんがこの時間に食事をとるのは始めてだな」

「寝過ごしたのよ」

「つまり寝坊か」

「昨日は久しぶりに運動したから」


 ラエルは皮肉を含めて言ったが、アネモネはおろかストレンにも効いている様子はない。


 流石、脳を筋肉に例えられるだけはある。


「あー、抜けがけぴょーん。ポテーの隣は私が座る予定だったのに」


 そう不満げにぼやきつつ戻って来たエルメは、声音とは裏腹に歯を見せてはにかんでいる。持っているトレイにはトマのスープセットがあった。


 先程エルメがマントをかけていた席には、後から来たストレンが腰を下ろしている。


「いいじゃないですか。私だってラエルさんとお話してみたかったんですから」

「構わないけど一言欲しかったぴょーん。そして隊長は女子会に必要ないぴょーん」

「女子会って……ほどほどになぁ?」


 手の甲を向けられたアネモネは引きつった顔で言い、しかしストレンとエルメの形容しがたい眼光の圧にやられ、すごすごと別の席へ移って行った。


「さあ、お話しするぴょーん、ポテー」

「椅子を持ってきてくださいな」

「い、いいけど……あの、一つ聞いても良い?」

「何ですか?」


 本人が動くより早く、ラエルが座っていた椅子を移動する白魔術士は目を瞬かせた。


「えっとね」


 今から聞こうとしていることは、ラエルにとって重要なことだ。

 二人の手を止めたのは申し訳ないが、ここはしっかり確認しておかなければならない。


「……ジョシカイって、何?」




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