21枚目 「嘘と欲」


 空飛ぶ船の上に、物理法則を無視して浮かんでいる魔導王国――魔王城が見えて来た。


 パタパタと羽音がして、欄干にぶら下がった一匹の蝙蝠。

 俺は黒髪の少女の背中が見えなくなってから、元の位置に腰を落ちつけた。


『はっろー。元気してるぅ?』


 蝙蝠の口から聞こえてきたのは、明るく気怠く眠たげに、がモットーの同僚の声だった。


『それでそれでぇハーミット、女の子に振られた感想は』

「振られてない。別に告ってもいないし、そういう感情は一切ない」

『ゼロ距離で真っ赤になってたのは何処のお兄さんかしらぁ』

「……何処から見てた」

『最初から最後までって言ったら怒るでしょう? そうねぇ、貴方たちが島でコンタクトを取った所からかしら?』

「それ三日前じゃんか……」

『あっはっは、鈍感ねぇ。そんなんだから振られるのよう』

「だから振られてないって」


 調子が乱されて緊張が幾らか和らいだ。その様子を見ているのか、それとも聞いているのか、蝙蝠の向こうの声の主はケタケタ笑っている。


 俺は強風で掻き乱される髪を耳に掛けて、ふと溜め息を付く。


「なあロゼ。あの娘は幸せになるのか?」

『ええ、なれるわよ』

「そうか」


 帰って来た即答に安堵する。


 世界は本当に良くできているようだ。蝙蝠の向こうに居る彼女が「幸せになれる」というのなら、その結果は保証される。


 奇跡は現象の結果だ。

 例えそれが、予言という魔術由来であったとしても。


『そういえば、頼まれてたことについて調べが付いたけれど。聞きたい?』

「俺は、頼んだ覚えないんだけど」

『ふふ、傲慢と嫉妬からよ。貴方にも伝えておこうと思って』

「……」

 

 俺は欄干の蝙蝠に向き直る。


「それは、あの場所に現れた苔フードに関係したりすることか?」

『さあ? 関連付けるのは貴方の得意分野でしょう。あたしの範疇じゃないわ――ちょっと眠たいから、手早く言うわね。まずは、彼女の両腕について。あれは人の手で治るものじゃないわ。理由はともあれ自傷になってしまうから、本人が白魔術を会得しない限り回復は見込めない。それと、精神的に不安定な要素が見られるんですって。用心するように。次、作戦に使用したあの島は今後も魔導王国が管理することになったわ。管轄は広告課、観光資源に活用するそうよ。次、第三大陸で乗り捨てられた荷馬車と、そこで三人の男性の死体が見つかったわ』

「……?」


 第三大陸での事件が情報に割り込んできたので眉を寄せる。

 蝙蝠越しの声は構わずに報告を続けた。


『次。ドクターの問診の報告から、ラエル・イゥルポテーは自身のいみなを認識しておらず、加えて出身地が第三大陸北部の「パリー・ゼデルヴィンド」だったと分かったわ。彼女を戦争被害者として魔導王国が保護することに決まったわよ。次、第三大陸南東に位置するセンチュアリッジに続く岬に繋がる馬車道と、北部山脈のふもとから連なる馬車道が川を渡る直前の森で合流している。補足すると、さっき言った荷馬車が見つかったのは丁度、その分岐点だったらしいの。山から下って来た馬車を、誰かが襲って。犯人はその馬車道を通った人売りの馬車に忍び込んだ、或いは、何かを忍ばせたと思われる、わ。恐らくは人間をね。事実、居なかった筈の人間が、一夜にして現れたという潜入隊からの報告も上がってきているわ』

「……」

『加えて、彼女は馬車を乗り継いであの会場に連れて来られたと言っていたらしいけれど、彼女が乗って来た馬車はの。だって全員私たち魔導王国のグルですものね。。だから、彼女は始め、別の馬車に乗せられていたことになるわ。誰の馬車かは知らないけれど。あと、アネモネから苔フードとの会話を聞いたのだけれど、彼はラエル・イゥルポテーを仕入れたと言っていたそうなの。けれどそれにしては、彼女には商品役の潜入員にも付けて貰っていた「魔力封じ」の札が張りつけられていなかったわ。つまり、使わけよ。火の一つでも点けていれば脱出は簡単よね。……どうして逃げなかったのかって、スフェーンに問診ついでに聞いてもらったら、周りを巻き込むことになるからだと答えたそうよ。会場に入るまでは口の中で水を生成して、特に飲み水にも困っていなかったんですって』


 そうして蝙蝠越しに与えられた情報には、心当たりがあった。

 確か、始めて接触した時も――彼女は疑問を持つことなく、魔法を行使していたように思う。


『ねえハーミット。これが全部本当だとすると、第三大陸で馬車を襲ったのは苔フードの男か、もしくは彼女なんじゃないかと思われるのだけれど』

「……俺は、彼女じゃないと思いたい」

『言うと思ったわぁ。けれど、冤罪の証拠が出ない限り、彼女の身柄は魔導王国で監視する必要が出て来てしまった。よって、生活補助の名目で貴方とアネモネにはラエル・イゥルポテーの監視を依頼する――そうよ。これは、今回の件で苔フードを逃した責任だと思いなさいな』

「……承った」


 どうやら、好き勝手に中途半端な人助けをしたつけが回ってきたようだ。俺は晴れない眼下の雲海に視線を泳がせた。


 雲のように、気ままに生きられるわけではない。


「報告ありがとうロゼ。いつにも増して分かりやすくて良かった」

『何言ってるのようハーミット、あたしは明らかになった事実を並べているだけ。解釈は自由だって言ったでしょう? ほら、大義名分で彼女に付きまとえる許可が国から下りたんだと考えればいいじゃなぁい』

「……俺、ロゼみたいにポジティブな人間で世界が覆われたらとても平和になるんじゃないかって最近思うんだよね」

『ふふふ、世界を滅亡させるつもり? あたし基本は寝て起きて予言するだけよぅ、経済も治安もほったらかしにしてぇ、争いだけで大陸から人間が絶滅するかもねぇ』


 想像したくない光景が脳裏に浮かんだので、必死にそのイメージを振り払う。


『ああ、そうだ。もう一つ。これはアネモネから話を聞いて、あたしも気になったんだけどぅ。ハーミットはどうして、ラエル・イゥルポテーに嘘を吐いたのかしらん』

「……嘘というと、人売りのフリをしていたことか?」

『違うわよぅ。テントの中身の話。烈火隊は途中で全員離脱して貰ってたしぃ、あの中にはドクターじゃなくて、詰まっていたでしょう?』


 的確な指摘に苦笑する。やはり、アネモネやスフェーン相手にはぐらかせても、未来を視る彼女が相手では証拠隠滅も口止めも、何の意味も持たなかった。


「……そう言わないと、彼女が本気を出してくれないと思って、ね」


 観念してそう零すと、数秒の間を置いて。


『成程ねえ。やっぱり嘘吐きね、ハーミットは』


 蝙蝠の向こうから、あっけらかんとした声がする。


『良いのよ、貴方は人の為にしか嘘を吐かないんだもの。あたしたちはそれを知っている。だから、あの崖の上で貴方に答えた言葉をもう一度言うわ。それぐらいじゃ見捨てないわよ、安心なさいハーミット。あたしたちは、貴方が誰の命も奪わず、奪われない選択をしたことを許すから――勝てない相手を見逃して、その先に新しい罪が生まれる可能性を、するから――。……って』


 声は、そう言って喉を鳴らした。何かを飲み込んだのだろう、普段より饒舌であることから考えられるのは、酒か、栄養剤か。


 けれどその言葉は、重い。


 この世界で誰よりも、見透かしている。

 俺が人の道を外れないように、視ている――そんな女性の言葉が、心に刺さる。


 傷口に、塩を塗られたような気分になる。


『それにねえ、例えムカついたからとはいえ、彼女を襲った暴漢を裏でフルボッコにしちゃったのもマイナスポイントよぉ。貴方、怒ったら手加減を忘れちゃうんだから。自分の身体を顧みなさいな。相手からの反撃は素手とはいえ魔力を纏った拳よ? 馬鹿正直に受けたら痣になるに決まっているじゃないの。おまけに一人逃してたそうじゃない? 馬鹿なのぅ? どうせやるならドクターと一緒に地獄を見せてあげるぐらいの徹底ぶりを見せなさいよぅ』


 何故本国に居た筈の声の主が、そんなことまで知っているのだろうか。

 寒気がすると同時に、長袖の下の湿布が擦れて鈍い痛みを脳に伝える。


「ロゼ、いつも御免。……感謝する」

『何よぅ、当たり前でしょう? 今更よ今更ぁ、何年一緒に仕事してると思ってるのぉ。それよりも気になることがあるってものよう。良かったの? ハーミット。彼女に教えてあげなくて』


 蝙蝠の向こうの声が、眠そうに欠伸をしながら。言う。


『自分がだ、って。賞金首が目の前に居ますよーって伝えなくてぇ。正直、急接近のチャンスじゃなぁい? 勇者相手ならコロッと落ちるわよ、普通の女の子なら』

「それは……輝いた眼で賞金稼ぎになる宣言をした女の子に、夢を壊すような現実を突きつける訳にはいかないだろう」

『馬鹿ねぇ、それは彼女の「両親を買い戻す」っていう目標を暗礁に導くようなものよ』

「どのみち人を買ったら罪人だ。その時になってまた会うだろうさ」

『酷い男ねえ、どうせ、そうなる前に首を突っ込むつもりでしょう?』

「気が向いたらね」

『あらあら、ツンツンしちゃって。それ以上を望まないなんて、なんて強欲なこと』

「君に言われたくないな、怠惰な人」

『うふふ、……そっくりそのままお返しするわ、御年二十四歳になるお兄さん』

「ぐふっ」


 鋭利な刃物で、それこそ心臓を一突きされるような威力のブーメランが心の弱い所にクリティカルヒットする。


 足の小指を箪笥の角にぶつけたような羞恥に震えながら、俺はたった一人「箪笥たんす」という単語を数年ぶりに思い出したことを認知した。


 五年は長い。勇者を辞めて、魔王の元で働くようになってから。

 十年は長い。日本語を忘れそうになってしまうぐらいには。


 それでも。俺は俺だ。やることの本質は変わらない。これからも人を助けて生きて行くつもりだ――けれども時々、見えない傷が痛みを伴って、嫌という程に思い知らされる。


 見上げると、あの世界と唯一変わらない、白い雲。

 そうして天に浮かぶ魔王城が目に入る。


「……勇ましい者、か。隠者には似合わない言葉だよな」


 金の琥珀に浮かぶ濁りは、清々しく晴れた日の青に似ていた。







 魔術があろうがなかろうが、人間関係は不透明。

 騙りあって殴り合って、万事解決とはいかないのが世の常だ。


 これは、強欲なる勇者の書。

 魔王が統べる魔導王国に貢献した強欲な針鼠が綴る、昔話である。




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