15枚目 「土の中から鰓呼吸」


 むちの如く振り下ろされた怪魚のヒレを金髪少年が横から弾き軌道をずらす。

 私の真横に叩き付けられたその痕は、巨岩で削り取ったように抉れた。


「こ、これは……俺だけじゃ無理なやつだ!」

「ええ。私、何となく分かってたわ、その回答が帰って来るって」


 魔術を使えない金髪少年と、魔術のコントロールが下手な少女。

 二人で相手をするには、魚のサイズが大きすぎる!!

 

「うわ、またヒレがこっちに――」

「――っ!!」


 瞬間。


 金髪少年が私の上に覆いかぶさるのと同時に、彼の肩を踏み台にして赤い軍服が空を駆けた。


「『風の爪ウインドクロウ』――『蜂の針スピア―』!」


 詠唱と共に突き出された銀の針は、先を拒む細いヒレの猛攻を縫ってその顔に届き――。


「っぁ硬っ!」


 甲高い音を立てる刀身。弾き飛ばされた銀色のそれと共に、くるくるとバック宙をしながら地面に着地してレイピアを受け止めた彼は、間髪入れず追撃してきたヒレから距離を取った。


 怪魚の気を逸らすには十分。

 攻撃された箇所を気にする怪魚を前に――不敵に歯を見せ笑っている。


 つりあがった赤い目に赤く長い三つ編み。

 前髪が顔にかかっているが、そんな事は気にしない様子で刀身を怪魚に向けた。


 赤い背中の魔族。

 まるで、騎士のような。王子様のような。絵本に出てくる勇者のような――。


「ハーミット! 何っだあれ、予定に全くねえ奴じゃねーか! もう少しで手首が逝くとこだったぞ!?」


 しかし、口調で全てが台無しだった。ちょっとカッコいいとか思ってしまった私の夢を返せ!


「ナイスアネモネ! 時間は稼ぐから彼女を頼む!」

「はあ!? 今さばいた方が断然いいだろ!?」

「いいから、町に!」

「っち、分かったよ!」


 アネモネと呼ばれた青年は、舌打ちをしつつ私を横抱きにした。


 背後からヒレが風を切る音がするが、こちらに届く前に金髪少年が弾き飛ばす。


 私は襲い掛かってくる怪魚 (土の上に出てからずっと宙に浮いている)を視界に入れながら、猛スピードで遠ざかる黄土色の背を目で追っていた。


「わ、私走れますって! ――そのまえに、どちらさまですか!?」

「いいっていいって、俺はあいつの同僚の魔族だ! ってかお嬢ちゃん靴も履いてないし、こちとら役得やくとくっげふんげふん」

「何か言いました!?」

「いやあ何にも!?」


 赤い瞳が逸らされた。何か言ったんだ……聞こえなかったからもういいけれど。

 魔族は三つ編みを振り乱して走る。その横顔は、舞台裏で見かけた人売りの一人と一致した。


 赤い軍服と僅かな装飾。月夜に八重歯がきらりと光る。


「それにしても嬢ちゃんが協力者だったとはな! ハーミットの奴、教えてくれりゃあ良かったのに――あんた、舞台袖に移されてたよな、あの後水飲めたか?」

「の、飲んだわ。ヘッジホッグさんに依頼された時に」

「そっか。飲み物渡した後になって『あー、そういやあ猿轡さるぐつわされてたような』って気づいてさ、ごめんなあ、大変だったろ?」

「……やっぱり。あの時水をくれたのは貴方だったのね!?」


 ええ! ええ、お蔭様で!


「お嬢さん、俺の首、絞めてる?」

「まさか、そんなことする筈がないじゃない」


 思わず頸動脈に密着させていた細腕を緩めながら、私は誤魔化すように空笑いした。


 怪魚がのたうち回る奇怪な音と、がらがら崩れる家との多重奏がする。金髪少年は時間を稼いでくれているようだが、それも長くはもちそうになかった。


「えっと、時間がなくて確認が取れていないのだけど――あの場に居た『灰色のケープ』を着てた人間は、全員魔導王国の人間だった、ってことになるのよね」

「ああそうだな」

「……私の他に、本当に攫われて来た人は、どれぐらい居たの?」

「聞いてる話だと五十二人だな。既に本国の方に保護済みだ」

「そう」


 内容を聞いて妙に腑に落ちる感覚があった。

 五十二人。実に現実的な数字である。素人の私が関わったにしては、多いくらいだ。


「私……役に、立てたのかしら」

「おいおい、嬢ちゃんは五十二人も助けるのに加担したんだぞ、胸を張れよな!」


 男はそう言って、背後からの追撃を躱した。


「っとと、あぶね」


 そうぼやいて体制を崩したものの、すぐにもちなおす。


 幾ら魔族と言えども、人間一人抱えて走り回るのは体力を消耗するだろう。かといって、人族の私では隣に並んで走ったところで追いつけずに足手纏いになりかねない。


 ここで、種族の差が明確になるとは、皮肉なものである。


 しかし、後方から徐々に近付く叫び声が耳に刺さったことで、私の反芻思考はリセットされた。空を見上げると、流れ星の如く黄土色のコートが空を飛んでいく。


「あー、あーああーっ!」


 ……どうしてだろう、緊迫した空気が感じられないのだが。

 金髪少年はそのまま私達を追い越して、前方左斜め前の木造建築の屋根に突っ込んだ。


 呆然とする私に、けらけらと魔族が笑う。


「全く、元気そうで何よりだぜ! しっかしどうするかね、足止め役が前方に飛んでっちまって。俺達で狩れそうにないならいっそのことトンズラしても問題ないんだが」


 金髪少年が墜落した方へ行くと、彼は息も絶え絶えに玄関から姿を現した。


「死ぬかと思った」


 そう言う割には無傷だった。人族の割に随分と耐久力があるらしい。


「どうするの、あの魚」

「どうするも何も、あれを回収するまでは引き上げるわけにはいかないよ」

「『あれ』って?」

「ポテーちゃんなら見えるんじゃないかな」


 なんだその呼び方は。


 目で訴えるも効果がなさそうだったので、諦めて怪魚の背に注目する。

 夜の闇に紛れるせいで見え辛いが――伊達に七年砂漠で暮らしていたわけではない。月の僅かな光があれば、視界が半分黒かろうとある程度の夜目は効く。


 私達を見失って細長い体をくねらせてジタバタしている怪魚――その背に。


 赤と黒のストライプ。

 この三日間でとても見慣れた色。


「……まさか、あの魚の背びれに引っかかってる悪趣味なストライプは」

「あー、あの赤黒い点みたいなやつ『テント』だったのか。っつーことはまだ中に」

「ああ。ドクターが」

「え、中の人って牢屋に直接転送されるんじゃ」

「ノーリスクハイリターンの魔術なんか存在しないさ。『捕縛転送術式カンヅメ』の術者は内側に残らなければならないからね」


 金髪少年は言って、目の色を濁らせる。


「うーん、笑えない展開だ」

「そうかぁ? 口うるさい奴が一人減ると俺はせいせいするんだが」

「仲間の命を軽々と扱って欲しくはないんだけどなあ」

「……口喧嘩は全部終わってからにして欲しいわね」

「失礼。けれど、魔族が切りかかって弾かれる鱗って『土人形ゴーレム』を相手にしてるんじゃあるまいし、対竜種魔術ドラゴンキラーでも引っ張り出さなきゃ無理だよ。実際、俺の針は通らなかったし、どうしようかなあ……イゥルポテーさん、あの魚に見覚えとかある?」

「あんな化け物地元には居なかったわ。居てたまるものですか……まあ、砂漠を泳ぐぐらいの強度を持つ魚は居たけれど」


 砂漠の砂魚相手には力押しで岩の鱗をかち割って電撃を通していたが、今相手にしている怪魚とは格が違いすぎる。

 

 目の前に居る怪魚に『霹靂フルミネート』で雷が通るかは怪しい。

 加えてここまでに二度『霹靂フルミネート』を使用している私は、そろそろ魔力が底を尽きそうだった。


 できて良ければ爆発、八割方暴発するだろう。

 しかも威力半減のおまけ付きだ。


「あの、アネモネさんは風以外の黒魔術を扱えるの?」

「いいや、風専門。他の分野は初級程度だな」

「そう」


 金髪少年が魔術を使えないこととを踏まえた上で、個人的な魚の狩り方を思い出す。


 そう、まだ雷を上手く扱えずに四苦八苦していた頃、私はどうやって砂を泳ぐ魚を狩っていたのだったか。そこまで考えて、実にシンプルな答えに辿り着く。


「外からは駄目でも、口さえ開けば……なんとかなるかもしれないわ」

「口さえ開けば?」


 私の呟きを、金髪少年が復唱した。


「ああ、そうか。そう言えばそうか。形は多少違えどあれは魚だし……」


 一人でぶつぶつと呟いて後で私を見上げた彼の琥珀が、私の視線と交差する。


 成程。人に頼るとはこういうことか。

 私だけでは解決できない問題に、彼は手段と解決策を見出したようだ。


 けれど、彼が続けたのは意外な言葉だった。


「――前言撤回、」少年は赤髪の青年に向き直る。「アネモネ。君はロゼの占いにあった『苔フードの男』っていうのを追ってくれ。多分そいつ、今頃島の海岸線だ」


「は?」

「はい?」


 聞き返した私達に、金髪少年は一人、ニコニコとして続けた。


「この魚は、俺とイゥルポテーさんとでどうにかなるかも」







 大丈夫。俺と彼女とでどうにかなる。

 そう言ったあいつの顔は、何時になく自信に溢れたそれだった。


 らしくないな。と、俺は思う。


 俺は、奴の傍に五年居る。無為に背中を合わせて来た訳ではない。

 勿論生活面での文化的相違そういはあるが、以前のことを考えれば良く馬が合ったものだ。


 そして、長く一緒にいれば長所も短所も見えて来る。


 あいつは、目で物を言ってしまう。それは短所だ。しかし、俺が危惧するのはそこではない。あいつは、自分を偽れてしまうのだ。目で物を言うことを含めて、仮面を素で被ることができる。


 役者であれば、良い演出家になれただろう。物売りであれば、それこそ大成できたかも分からない。悪く例えれば、詐欺師や道化師に通じる才能――いや、才能というよりは、悪癖か。


 ハーミット・ヘッジホッグは一方的に人を信用することを苦手としている。

 作戦で重要な部分を一方の部下に通達することはあっても、その他、今回のように裏で動いていることも稀ではない。


 欺くのは味方からとは良く言われるが、まさにそれである。

 欺かれるのは味方から、なのだ。


 しかし、だとしたら何故だろう。何故今頃になってあいつは、嘘を吐いた?

 俺にしか通じない、嘘を。







「はて、てっきりあの少年が追いかけて来ると予想していたが――良い意味で裏切られたようだ」

「裏切りねぇ。そいつは光栄だ」


 肌が泡立つ。髪の根元が軋む音がする。できるならば、この得体の知れない苔フードには颯爽と島から退散願いたいぐらいだ。


 ……占いではそうなっているのだから。


 八割確定された、末来という結果。

 しかし厄介なことに、強欲な針鼠は残りの二割の存在を疑わない。


 『八割方成功するが』という『怠惰』の占いを本質から信じて疑わない。


 現状、俺達にこの苔フードは捕縛できない。

 それ程の力量差があることは分かっている。それは今はどうしようもならない溝だ。


 だからこそ、二割を引き当てる力があるかどうかを見極めようとした――その結果があの、テントが収縮する一瞬だけ、目の前で展開された時魔法。


 落下時の時間を止め、少女を救ったあの魔法。


 特異とも言われるその魔法系統の存在は占いで多少知ってはいたが、そんな物が存在していると分かれば――分かってしまったならば、今後の作戦にひずみが生まれる可能性がある。


 それでは誰も救われない可能性が生まれると、あいつは判断したのだろう。


「物好きにも程がある。何故私を追いかける、少女には殺さないと言ったんだが……」

「さあな。針鼠の考えなんか俺には理解できねえよ。俺はそもそも実在するか分かんねえ奴を追いかけろと言われただけだからな――だが」


 他人のことなど、本質から理解する気もない。


 だが、俺は俺で、目の前の苔フードに聞かなければいけないことがあった。

 足止めや監視という本来の目的からは外れるが、どうにも気になったことでもある。


「ぼんやりと話を聞いた限り。使、俺でも分かるさ」

「…………ふはっ」


 主語を省いた言葉に失笑した苔フードは俺に背を向けた。


 相手の前方には漆黒の海。

 足の踏む場も無い、塩の溶けた液体が島と外界とを分かつ。


「それはそうだ。彼女を仕入れたのは他ならない私だからな」

「!」

「何故買おうとしたのか? 自分が仕入れた商品だからだ。そもそも、空から女の子が落ちて来たら誰でも助けるだろう? どれもこれも、心からの親切心でね。彼女が魔術をあの場で使えようと使えまいと、そんな些細なことはどうでも良かった――まあ、彼女が自ら道を選んだというならば、それこそとんだおせっかいも甚だしかったわけだが」


 私は善行に嫌われる質でね、良いことをしようとすると見事に空回りするのさ。


 苔フードはそう言って、白い砂浜から黒い海へ足を踏み出した。

 海面は、静かに波紋を描く。


「心配せずとも、この件に関してこれ以上の関与をするつもりはないし義理も無い。精々勝手に生きるがいいさ」

「なっ……!」


 本来は沈む筈の革靴で、容易く水が踏みしめられる。


「……そうだ、愚かな若者に、愚かな悪人から一つ置き土産をくれてやっても良い――そもそも、声が出るようになったからと言って、魔封じが施されている筈の商品が魔術を扱えるなどというイレギュラー。君こそ可笑おかしいとは思わなかったのかい? たち・・、恨まれていないわけがないだろうが」

「――――っ!?」


 嘲笑するようなその言葉に、引き留めようとする声がうわずった。


 一拍置いて町の方から、地響きと轟音が響く。

 漆黒の海を踏みしめる犯罪者を横目に、俺は舌打ちと共に踵を返した。







 苔フードは赤い背を追うことをしなかった。


 というのも、言いくるめを達成した身からすれば赤い三つ編みが町へ駆けていくのを必死に笑いを堪えて見送る余裕があったのである。


 フードの下から、細い眼が覗く。


「しかし、今の魔導王国には人族も働いているのか。かつての敵が味方に回るとはね」


 興味深い巡り合わせじゃあないか。と、その呟きは誰に向けられたものだったのか。

 苔色は海の黒に溶けて消えた。




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