1章 センチュアリッジと紫目の君

1枚目 「彼女は理由を知らない」


 湿った木材の匂いと、煮詰められた塩の香り。


 黒いツノが生えた馬が二頭、白砂を蹴って荷車を牽く。

 ガコンと車輪が跳ねると同時に、荷台に座る私は口を閉じた。


 舌を噛みちぎったりしたら命にかかわる。死んでしまうのはいけないことだ。


「……」


 ここには、種族も様々な八人が居る。誰もが浮かない顔で、私もその内の一人。


 両の足首には鉄の輪がそれぞれ嵌っていて、間を鎖で結ばれている。

 両の手首には鈍色にびいろの板枷。大手を振る事はできない。


 首元には何もないが、声は魔術で封じられている。

 黒魔術『沈黙サイレンス』によって――故に、喉を通る息の音すら聞こえない。


「……」


 割れた板の隙間から差し込む夕焼けに目を細め、小さなこの空間で膝を抱えている。

 うるさく回る車輪の音に混じって白砂が荷台に入り込んだ。


 ここは、剣と魔法で支配された世界。

 四種の人間が統治する、平和になった筈の世界。


「……」


 平和? 平和といったのか?

 人売りに攫われて売られかけている――この状況の何処が?

 一人突っ込むも空しく、馬車はドナドナと先を急いだ。







 人族が魔族と獣人の連合軍に惨敗した魔導戦争。これが終結して、六年が経った。

 軟弱と呼ばれる人族の私は今、人売りに攫われて奴隷にされるか否かの瀬戸際に居る。


 荷台に乗り合わせている不幸な方々を観察する私からすれば、この場に限って人種による不平等は感じられなかった。人族だろうと魔族だろうと獣人だろうと亜人だろうと、露骨な嫌悪を示す表情筋の動きは共通するものである。


 全員私と同じ『沈黙サイレンス』が効いているので、顔を強張らせる程度の反抗しかできないのだ。腕っぷしの強さを生かし、荷台の壁を蹴ったり殴ったりしていた獣人が壁に罅すら入れられなかったのを見て、他の人々は無力感に苛まれているようだった。


「……」


 私はその様子を余所に、抱えていた膝を崩す。


 小屋の隅の方で何度目かになる発声を試みたが、無駄なのだと十分理解していた。


 口を開いたとき、息を吐き出す音は愚か、直接の声ではない唾液の跳ねる音すら耳に届かない。爪で床を叩く音は聞こえたので、どうやら口の中から響く音の波長を体内の魔力子まりょくしを細かく振動させて相殺する仕組みらしい。


(――魔術は便利なもの、だけど)


 魔法から魔術が開発されて千三百年以上経つと本で読んだことがあるが、開発初期は人々の生活を豊かにする為の技術として用いられていた筈だ。それがどうして、外道の役に立つというのか。


 世界は弱者に厳しいまま、強者に恩恵をもたらしたとも言える。


「……」


 まあ、確かに悪人も人間だけども。ね。


 無言の中、連れ去られる直前まで蟲の像に祈っていた母を思い出す。


 奇妙な八つ目玉が刻まれた偶像に心酔する様子を、最後まで救いを疑わなかったその目を思い出す。母の瞳には、私の姿など映っていなかったように思う。


 馬鹿馬鹿しい。そんなに都合の良い救済があるものか。

 私は一人眉を顰め、目を閉じた。


 ガタゴト揺れる最悪の乗り心地。車輪が小石を一つ噛むだけで大きく上下する木箱の荷台。

 既に後戻りができない実感を持ちつつも、私はやはり奴隷にはなりたくないのだった。







 馬車は急に止まった。


 彼らの目的地に到着したらしい、鼻にく塩の匂いは薄まっていた。


 扉が開く。彩度の低い曇天が夕焼けを覆い隠していた。

 馬を操っていた人売りが鞭を地面に叩きつけ、入り口に近い亜人がビクリと肩を震わせる。


 目を細める程の明順応が起きない。そう気付いた時点で逃げ出してやろうかとも思ったが、足の鎖が床に繋がっているので諦めた。鉄製の金具を捻じ曲げられるほど、私の力は強くない。


 到着したのは、見た目に怪しい店が立ち並ぶ、小さな町のようだった。


 ツノの生えた黒い馬は薄暗い空に映える黒と赤を身に付けた女性が牽いて行き、入れ違いに現れた男たちが、私達を一人一人外に誘導する。


 私は一番最後に馬車を降ろされた。


 当然、靴など与えられていないので石混じりの土に素足を下ろすことになる。荷台から降りるにはそれなりの高さがあったが、特に躊躇はしない。


 着古した白のワンピースがひらめく。


 袖はとれかけているが、この服が唯一持ちだせた衣類である。動きやすくて気に入っているのだが、人売りは顔を顰めた。表情を観察し、納得する。


 ……そうか、私が臭いんだな。それなら仕方がない。


 突っ立っていると、人売りの一人に背中をどつかれた。


「きびきび歩けっ」


 ……はぁーい。


 など、気の抜けたやる気のない返事の一つでもできたら良かったのだが。

 声を封じられているので言い返せず、私はご希望通りに歩いてあげることにした。


 建物の壁に取り付けられたカンテラがまばらに色を撒き、足元を照らす。

 誘導されるままに列に加わると、周囲にはまるで花道のような人だかりができた。


 砂利と粘土質の土が混ざったような足触りの坂が先へ続いている。同じ馬車に乗っていた人たちも目を伏せつつ、左右から降り掛かる興味の視線と目を合わせないようにしていた――ただ、逃亡の機会を得ようと画策する私は最後尾でやや顔を上げ、辺りを見回す。


 酒屋を始めとした見るからに怪しいお店がずらりと立ち並んでいる。ゴミに溢れた路地を覗けば、吹けば飛びそうな古い家屋が幾つも伺えた。


 ここは表通りなんだろうか。そもそも何処へ向かっているのだろう。


 そうやって観察と考察を繰り返していた私は、列を傍観する野次馬の値踏みする様な視線を一身に受けて顔を伏せる。どうやら目立ってしまったらしい。


 まったく、乙女の荒れ果てたお肌をまじまじと見るものではないと思うのだけど――そう嫌悪して目元を歪めた時、ふと路地に佇む一人と目が合った。


 黄土色のコートに黒いブーツ。

 真っ赤な革の手袋に、硝子玉のような黒い眼。

 頭の天辺から背中にかけてびっしりと生えた太い針。

 顔の形状は、獣。


「……!」


 ――不味い。

 私は直感に従って視線を逸らした。


 どういう訳か、あれには関わらない方が良いような気がしたのだ。挙動不審に思われるかもしれないが現状を考えると最善だろう。


 ……あちらからは私が睨んだ風に見えただろうか。


 しかし、路地の壁にもたれて見物していた獣人はすぐに視界から外れた。心配は杞憂に終わったらしい。


 記憶は非常に曖昧で不確かなものだし、私の他にも同じような服を着て歩く人間が前にいる。冴えないいち個人の姿は霧がかって忘却されるに違いない。


 そうだ。そう思うことにしよう。

 今考えるべきは現状を打破するきっかけだ。


 一人意気込んだ矢先、前方を歩く魔族の背中に顔を思い切りぶつけた。身振り手振りで謝罪しつつ顔を上げれば――巨大な布の塊が目に飛び込んで来た。


 人売りは皆、統一して赤と黒の服を身に纏っているようだが、それと全く同じコントラストで彩られた縦ストライプの円柱状の移動式建造物。天幕とでも呼ぼうか。ここが競りの会場らしい。


「……」


 想定以上の規模である。

 時既に遅しとはこのこと。当然といえば当然、私は無力な小娘だ。


 無言で項垂れていると、横に居た人売りがまた私を小突いた。

 そう何度もひじ打ちされると脇腹がもたないのだが、出ない声では異論も吐けなかった。







 人売り達はこの建物を「テント」と呼んでいるようなので、私もそう呼ぶことにする。


 促される形で中に入ると、まずは目の前の状況に圧倒された。自分と同じようなボロボロの服を着た人間が沢山・・、一人がギリギリ横になれる程の檻に押し込まれ、壁際に積まれているのだ。


 これから自分もそうなるというのに、私は現実を把握できていないようだった。

 不安よりも本能的な好奇心が勝ってしまう。


 例えばこの建物の構造。

 赤と黒で彩られた円柱の内部は外見に引けを取らない程には広いらしかった。


 天井を見上げると目に入る、赤と黒の筋がとても綺麗だ。

 張り巡らされた固定魔術式と幻術式の緻密さから、その技術と使用される魔力量を計算して称賛の声を上げたくなるぐらいである。


 また、人手も凄まじい。商品扱いされる私たちの倍近くは控えているに違いない。私はここまでお金と手間のかかった人身売買の現場を知らない――まあ、初見だがそう思った。


 しかしこれだけの規模になると、お客は貴族や大手の業者といった、お金のある人ということになるのかも知れない……。どうしてこんなに面倒そうな売り場に回されてしまったのだろうか。


 競りにかけられるのは、身売りをした者、攫われて来た者、売られた者、騙された者。種族や年齢による差別もなく、あらゆる地域からかき集められた商品で、言わずもがな人間である。


 美男美女、その素質がある人間は高く売れるらしい。同じ要素で言えば、魔力値が高かったり、魔術が得意だったり、腕っぷしがある人間はお金になるのだ、と彼らは言っていた。


 条件と照らし合わせてみれば私は美人ではないし、脆弱な人族だし、人と変わっている所といえば髪が少々黒いぐらいだが、それだって世界には山程居るに違いない。


 魔力値もそれほどだ。私を選ぶより、魔族を一人選ぶ方が遥かに効率がいいだろう。


 ふむ。ますます分からない。

 何故、私たち家族が目をつけられたんだろうか。


 悶々とそんな考えを巡らせていると、からの檻が積み上げられた部屋に通された。


 待機していたヒョロヒョロ長身の男が魔術を使って頭上の檻を下に降ろす――が、途中魔力が乱れ、檻全体がグワリと揺れた。何とか立て直したようだが、これには流石に身構えてしまった。鉄の塊を頭の上に落とされたらひとたまりもない。


 ガション、ガション、と音を立てながら降ろされる狭い檻の中に、前の人から順番に押し込まれていく。


 獣人、亜人、亜人、人族、魔族、獣人、人族――そして私。


「……」


 法の下に平等になった世界は、こんな時にも公平であろうとする。

 立ち尽くす私に若い人売りの一人が声をかけて来た。

 目尻がり上がった細眼の男性だ。


「どうかしたのかな。君の番だよ」


 殺気をはらんだその声が背を押す。

 私はその声に肩を震わせる――演技をして見せた。

 怯え、足を縺れさせながらも成す術無い、か弱い乙女を演じて見せた。


 扉が閉まる。

 鍵が掛かる。


 人売りたちがニシニシとほくそ笑む様子が目の端に映る。

 私は縮こまって、金属の床の上で膝を曲げ、太腿に顔を埋めた。

 深呼吸を一つ。


 ――さあ、ここまでは上手くいった。


 問題はこの後、彼らが隙を見せるかどうかである。


 ガラガラと耳に障る音を立てながら自分の檻が移動を始めたのを確認して、「魔術で運べば良いのに」なんて最もな感想を抱いていると、檻に入った他の人と目が合った。


 彼らは、信じられない物を見ているような眼を私に向ける。


 私は紛れなく人族だ。亜人のように白髪で耳が尖ってはいないし、獣人のように八重歯や爪が鋭いわけも無く、魔族のように赤い眼をしてもいない。


 ただ髪の毛が黒くて、ちょっと紫がかった黒眼の女子だ。


 人より特出している点といえば、神経が図太いぐらいのものである。

 逆境に対して必要以上に負けず嫌い。


 そう、つまりは諦めが悪い。


(……奴隷になどなってやるものか。ってね)


 人売りに捕まり、競りに掛けられそうになった所で、私のモチベーションは変化しない。


 目が合った、名も知らない人に笑いかける。

 傍からは異様に見えたことだろう。それはそうだ。


 これは多分、心からの笑みだろうから。





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