寂寥は然も渇き

永洞むらさき

0迷 プロローグ




 世の中に”顔がいい人間”とはどれくらいいるのだろうか。

 美男美女、イケメン、眉目秀麗、端正…様々な言葉で現されるアプローズ。好みはあるだろうが、世間にはすべてを超越した顔立ちというものがある。

 顔が良ければ就職で有利だし、好みの相手もおのずと寄ってくる。飲食店のサービスなんてザラにある。どれだけ敵意をむき出しにしても、俺と目を合わせれば一瞬で骨抜きになる。


 自己紹介が遅れたが、俺は渋谷 ハク、24歳。

 職業は俳優である。

 所謂芸名だが、別にいま本名は必要ないので言わないでおく。

 中学生の時に、田舎から母親と共に訪れた渋谷で、所属する芸能事務所にスカウトされ現在に至る。

 やれ、世間の人々は口を揃えて「国宝級イケメン」だの「神様からのプレゼント」だの「2次元から飛び出してきた」だの、とどまることなく俺の顔を称える。

 街を歩けば時が止まり、老若男女問わず見つめれば虜にする。


 この仕事は好きだ。演技はもちろん、誰もが俺の名前を知り、造作を褒め、惜しみない称賛を俺に与え続ける。こんなにやりがいのあることはないだろう。



 今日は海辺でのシーン撮影。勢いのある若手女優との漫画原作のほのぼの動物系恋愛映画だ。だいたいこういった映画は内容なんかあってないようなものだけど、俺が出るだけで特別なものになる。

 自分が言ったんじゃない。みんなが言うんだ。


「ハクくん、ちょっと次のシーンに使う猫が機嫌悪くて。監督と相談するからちょっと待ちで、ごめんね」

「ああ、全然平気ですよ」

「ホントごめんね。はは、ハクくんはどんな状況でもカッコいいなぁ。男の僕でも惚れちゃいそうだよ。」

「またまた笑」


 …猫の機嫌取りとは、プロデューサーも大変だな。あそこの男性ADは腕を引っかかれたみたいだ。もう少しかかるかな。


 海なんて久しぶりだ。こんな風に浜辺に来るのなんて、何年ぶりだろう。ずっと撮影撮影の毎日だった。ゆっくり波の音を聞きながら海の風を浴びるってこんなに気持ちよかったかな。

 ここ、凄く落ち着くな。


 波打ち際を歩き、ぼんやりと夕日が海に沈んでいく様を一人で見ていたら、目の前にの景色に違和感があった。

「なんだ、これ」

 不自然に切り取られたように、砂地が削られている。まるで大型の刃物が突き立っていたのか、幅2~3センチ、縦50センチ程の穴になっている。何よりも違和感があるのは、穴から紫のもやのようなものが漂うように絶え間なく出てきていること。

 穴は凄く深く見える。そこはかとなく、背筋に嫌な予感が集まる。


 これ以上近付いてはいけない。


 本能が鐘を鳴らす。穏やかな夕日の海辺にあってはならないものだ。いや、この世にあってはならないような気がする。


 突然、ドンという音と共に世界が揺れ、衝撃で海に吹き飛ばされた。

「うわぁ!」

 じ、地震か?海で地震なんて……津波が来たら一貫の終わりだ。

 波間を避けるように陸に這い出る。

「がぼっ……っげふ!」

 砂が目に入って開けられない。気管にも海水が入り、濡れた咳を止めることができない。


「ハクくん!大丈夫?!」

 スタッフが遠くから駆け寄ってくる音が聞こえる。手についた砂をこそぎ落とし、必死に目をこすった。

「ガフ、だ、大丈夫じゃないです……」


 目を開け、俺が座っていたのは、さっきの裂けた穴の上だった。

 目の前にもやが昇るのを見届け、また強い衝撃を下から感じ……俺は意識を手放した。















「あれぇ?人間が落ちてる」

 謎の少女は気を失い横たわるハクをつんつんとつつき、動く様子もない所を確認し、ふむと考えるポーズをとる。

「拾っとこ。」

 少女はわしっとハクのシャツを掴み、紺鼠の大きな翼を羽ばたかせ飛び立った。










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