桃太郎2019

喜多ばぐじ ⇒ 逆境を笑いに変える道楽家

警戒心が強い博識お婆さんは桃を持ち帰るのか?

令和元年、AI、働き方改革、過労死、体罰などと騒いでいる都会の喧騒から離れた山奥に、おじいさんと私は住んでいた。御年65歳。早期退職後、ここに移住してきてもう十数年が経つ。


ある日、おじいさんは山へ芝刈りに、私は川へ洗濯に行った。


川で洗濯などせずに洗濯機を使えばいいと思われるかもしれないが、私にはポリシーがあった。ミネラル、水、光、空気さえあれば余計な化学物質を混ぜた洗剤で洗う必要はない。手間がかかろうとも、ちゃぷちゃぷと洗う昔ながら方法が好きだったのだ。


初夏の日差しを浴びながら衣服を濯いでいたとき、目の前に信じられない光景が飛び込んできた。


ドンブラコ、ドンブラコと大きな桃が流れているではないか。無意識に思い浮かんだドンブラコという擬音語に、私は違和感を覚えたが、その様子はまさしくドンブラコ、だった。


品種により多少前後するが、直径20cm、大きさは200~400gが平均的な桃のサイズだ。しかし流れてくる桃は、直径70cmほどの大きさがあり、速度は亀のように遅かった。


「これは良いおみやげになる」と大きな桃をひろいあげた私は、家に持ち帰った。


いや、そのような行動はとるはずがない。私は童謡にでてくる警戒心皆無のおばあさんではない。

おじいさんからは、「警戒を怠らない、まるでゴルゴ13のようなおばあさん」と呼ばれているほどだ。



非現実的な状況を前にしても、私は冷静さを保っていた。

「世の中、ありえないことはありえない」という座右の銘のおかげかもしれない。


川岸で桃の行方をじっと見つめていた私は、自らのほっぺをつねってみた。ズキッと頬に痛みが走る。


これが夢ではないことを認識した私は、スーパーコンピューター京に勝るとも劣らないスピードで瞬時に計算を開始した。「重さは長さの3乗に比例するから…」ぶつぶつと唱えたが、電卓と紙がないので正確な値は出せなかった。


しかし、目視した様子では、その重さは170kgくらいだろう。逸ノ城関よりは軽い。


現実を受け止めた私にとって、成すべきことが変わっていた。

「洗濯」ではなく、目の前の桃をどのように対処するかの「選択」をする必要があるのだ。


ここが電車なら、「駅構内や車内で不審物・不審行為を発見された場合は、駅係員や乗務員にお知らせください」というアナウンスに従えばそれで済むことだが、この川には私以外に誰もいない。


文明の力・グーグル検索しても答えはでないだろう。ヤフー知恵袋で質問をしても、明確な答えがでるとは思えない。


つまり、自分自身で判断をするしかないのだ。歴史上の人物も、英雄達も、いくつもの分岐点で選択を繰り返してきた。今日までの私の人生は、心底明るいがだらしないおじいさんと結婚を決意するということ以外大きな選択をしたことがなかった。

しかし、ついに賽を振るときが訪れたのかもしれない。



―――――――――――――――――


私はまず、この桃が本当に桃なのかどうかを考えた。


四角のスイカも存在する以上、巨大桃があってもおかしくはないのだが、遠くから目視しただけでは桃かどうかわからない。


私は触って確かめようと思い、桃に近づこうとした。

そのとき、体中に寒気が走った。


危険だ…第六感がそう告げている。


私は冷静さを取り戻した。たしかに不用意に桃を触るのは危険だ。桃型の爆発物の可能性もあり、危険物かもしれない。桃の中に誘拐された人が入っている可能性も0ではない。

危険を感じた私は、「おい!鑑識!」と、叫ぼうとしたがやめた。いくら鑑識でも、桃は管轄外だろう。


「所轄に任せる」といって、現場の刑事に任せるのがオチだ。



そもそもこの桃は誰の所有物だろうか。

遺失物だとすれば、フルーツに即時取得が成立するのだろうか。


いや、持ち主は問題ではない。これほど大きな桃は非常に珍しいのでルパンが盗もうとしてここにやってくるかもしれない。


その時、川の傍にある森からガサガサと音がした。「ルパンか…」と警戒した私だが、それは現実的ではない。桃を狙う存在として、可能性が高いのは、熊だろう。冬眠後に腹を空かしているにとって、これほど大きな桃は魅力的に映るはずだ。


幸い、森からの物音は収まった。



様々な可能性を考えている間に、桃は川の下流に進みつつあった。その先には高さ20mの滝があり、滝から巨大な桃が落ちれば、滝つぼを泳いでいる大勢の魚たちによからぬ影響を与えてしまうかもしれない。


たとえ危険だとしても、あの桃を放っておくわけにはいかない。

そうだ。どうせならば、持って帰ろう。童謡のおばあさんと同じ行動をとるのは癪に障ったが、私は警戒しすぎているのかもしれない。あの桃が危険物である可能性は低いように思えた。


危険物どころか、あの桃の中には、私たちが長年待ち望んだ宝が入っているかもしれない。



―――――――――――――――――


桃を持って帰ると決めた私は、持って帰ったあとのことを考え始めた。


そもそもこの桃は食べられるのだろうか。腐っていないのだろうか。

包丁で切れるのか。ノコギリ、いや、チェーンソーが必要なのではないか。


しかし、そのようなことはあまり重要ではなかった。私は、おじいさんが喜ぶ顔がみたかったのだ。


私と正反対の性格のおじいさんは、よく言えば楽観的、悪く言えばアホだ。

この巨大な桃を見れば、「こりゃ凄い!めでたい!」と、大いに喜んでくれるだろう。


子宝に恵まれなかった私たち夫婦だが、2人でも幸せに生きよう、お互いを敬い合おう、と思っていたのだ。

おじいさんを喜ばせるためにも、この桃は持ち帰る必要がある。


しかしあまりの大きさに驚いてしまう可能性もある。万が一、驚きすぎて心臓が止まってしまった場合は、私が心臓マッサージを行おう。



そのとき、桃の傍を色鮮やかな大正三色が通り過ぎた。白い地肌に緋斑と墨斑が載ったこの鯉は、華麗さが身上の品種だ。


普通の人なら、美しいと思うのだろうが、私の頭はお金のことを考えていた。美しい大正三色は、非常に高値で取引されているのだ。


待てよ。この桃も食べなくてもよいのではないのだろうか。このサイズなら、競りに出せるかもしれない。マグロのたたき売りのように、桃のたたき売りなどを行えばよい。


メルカリに出品するという案もある。全国のユーザーが度肝を抜かすだろう。


このときの私の目は、お金マークに変貌していた。まるでどこかの忍者の少年や巨乳美女のように。



―――――――――――――――――


そのような卑しい考えを張り巡らせていたとき、私の頭にあの童謡の物語がよぎった。

これほどの大きなサイズなら、桃の中に胎児が入っているかもしれないのだ。


もし胎児が入っていたとしても、私たちが里親になれる確証はない。認知を行う別の両親が現れるかもしれず、児童相談所に預けなければならないかもしれない。


ただ、子宝に恵まれなかった私とおじいさんにとって、子供を育てるということは今日まで何十年と望み続けていたことなのだ。



やはり、持ち帰ろう。

滝つぼに落とさないため、金銭目当て、色々な理由があるが、最も望んでいることは、この桃の中に胎児がいることなのだ。

しかし、私は「桃太郎」という安易なネーミングは行わない。かといって、今時のキラキラネームにもしない。書籍を読み、画数を考え、素敵な名前をつけるのだ。



明るい未来を思い描いていたものの、私は、桃を持ち運ぶ動作を起こすことができなかった。


あの巨大な桃を運ぶ自信がなかったのだ。


私はいつもそうだ。先の先を読みすぎて、リスクを考えすぎてしまう。一時的に桃を持ったとしても、家まで運べる確証はない。ギックリ腰になる可能性もある。


増強スーツがあれば、誰か運んでくれる人がいれば…楽観的な妄想を並べても問題は解決しなかった。


私が体重226kgの力士・逸ノ城関ほどの巨漢であれば、このような心配をする必要はないのだが、私の現在の体重は65kgしかない。


それに私があの桃を軽々と川から拾い上げ、楽々と持って帰ることができるほどの力を持っているならば、どこかに鬼がいても私が退治できるではないか。


ああ、いっそのこと、桃から足が生えて、勝手に私のところにやってきてくれないだろうか。そんな奇跡が…


―――――――――――――――――


桃を発見したから20分ほど時間が経っていた。


「難しく考えだすと結局全てが嫌になる」と、ロックバンドが歌った通りだ。考えすぎると、結論が出せなくなってしまう。しかし、そんな私の迷いに関係なく、亀のような速度の桃は、今にも滝に差し掛かろうとしていた。これ以上もたもたしていると、桃は滝つぼに落下してしまう。



そのとき、いつもおじいさんから言われていることを思い出した。

「ばあさんは何事でも、先の先を読もうとする。将棋だって常に30手先を読むじゃろ?タイトル戦なら長考が許されるが、NHK杯なら持ち時間10分じゃぞ。もっと決断を早くせんと…」


なぜ私は、先の先を読もうとするのだろうか。それは恐怖だ。

証券ウーマン時代に、バブル崩壊を経験したからこそ、先の見えない未来が怖くなってしまったのだ。そして、自分の判断に自信がないからこそ、常に備えようとする。リスクヘッジのことばかりを考えて、逃げの一手ばかりを打つ。


よく考えれば、私はいつも他力本願じゃないか。誰かが助けてくれる、おじいさんがどうにかしてくれる、いつもそうやって生きてきた。

もう他力本願は、やめよう。自らの意思で、一歩を踏み出そう。


奇跡を待つより、捨て身の努力だ。



自分の力で、この状況を解決しなければならない。

私は全身に力を込めた。

そして、「私は初代霊長類最強と呼ばれていた。だからきっと大丈夫。桃を家まで持ち運べる」

はったりではあるが、力強い言葉を自分に何度も言い聞かせた。まるで自分の脳を洗脳するかのように。


そして大きく息を吸い込み、そっと川に足を踏み入れた。

もう引き返すことはない。このまま前に進み、あの桃を持って家に運ぶのだ。


私の表情は、ルビコン川を渡る若き日のカエサルのように決意に満ちていた。


そう、賽は投げられた。

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