鏡怪談 参:鏡児ノ話
等星シリス
一 悪夢ト痛ミ
熱い、痛い、苦しい。
でも走らなきゃ。
早くこの山を下りないと。
「っう、ごほっ、ごほっ……」
呼吸をする度熱と煙に喉が焼かれるような感覚に襲われる。
振り返ると炎がすぐそこまで迫っていた。
「っ……!」
逃げなきゃ。
あの炎に追いつかれる前に、早く。
「あと、すこ、し……」
この道さえ走りきれば――
「
「っ……!」
この、声は。
「灼、ねぇ灼」
声が近付いてくる。
僕の名前を呼ぶ度に少しずつ、少しずつ。
「ねぇ灼、どうして――ったの?」
「っ……僕は――」
反射的に叫んだ言葉は炎の爆ぜる音にかき消されていった。
「――また、あの夢……」
夢から覚めて、最初に見るものが自分の部屋の天井であることに安堵するのはこれで何度目になるのだろう。
「っ……」
顔の火傷がずきずきと痛む。
あの夢を見た後はいつもこの痛みと罪悪感に苛まれる。
「…………」
痛みが落ち着いてきた頃にベッドを出て本棚からスクラップファイルを取り出し、目当ての頁を開く。
そこに挟まれているのは十四年前の新聞記事。
――あの日のことが書かれた新聞記事。
大規模山火事。火元は祭事の篝火か
十一月某日、
「山が燃えている」という通報から約半日後に消火活動は完了した。
この日番鏡山の中腹では祭事が催されており、そこで使われていた篝火が火元である可能性が高いと見て彼我見署は調査を進めている。
「…………」
長く溜め息を吐きながらスクラップファイルを閉じ、元あった場所に戻す。
この一連の動作をやるのもこれで何度目になるのかもう分からなくなってきた。
「……いつまでも逃げてちゃ駄目、ってことだよね」
同じ夢を繰り返し見るのは心のどこかでそう思っているからかもしれない。
「……行かなきゃ、駄目だよね」
ずっと迷い続けていた。
一人生き残ったあの日からずっと、ずっと。
でもようやく決心がついた。
――今日で、終わりにしよう。
「灼!」
色々と準備を済ませて外に出ようとしたところで階段から降りてきた
「出かけるのか?」
「……うん、ちょっとね」
行き先と目的を話したらきっと煉は止めるだろうな。
だから何を聞かれても答えられないと首を横に振るしかない。
「俺も一緒に行こうか?」
「ううん、一人で大丈夫だよ。なるべく遅くならない内に帰ってくるから」
煉を巻き込むワケにはいかない。
これは、僕一人で解決すべきことだから。
「……だったらこれ、渡しとくよ」
そう言って煉が差し出してきたのは赤い房飾りが二つついた小さな鏡。
確か、
「この鏡って確か、煉にとって大切なお守りじゃないの?」
「だから渡すんだよ、何かあった時に灼を助けてくれるかもしれないだろ?」
「……そう、だね」
少し前に森の中で迷子になった煉を助けてくれた静霊鏡。
僕のことも、助けてくれるのかな。
「何かあったらすぐ連絡しろよ?」
「分かってるよ、煉は心配性だなぁ」
受け取った静霊鏡をポケットに入れてドアノブに手をかける。
「じゃあ、行ってきます」
「ああ、気をつけてな」
煉に見送られながら外に出て、目的の場所――番鏡山に向かって歩き出す。
終わらせよう、今日の内に。
「……ああは言ったけど、やっぱり嫌な予感がする」
「思ったより、遠かったなぁ……」
山の入り口に着くまでの間に太陽が昇りきるのは想定外だった。
この調子だと帰る頃には日が沈みきっているかもしれない。
「……この山、こんな雰囲気だったかな」
山火事で大部分が焼け、そこから十四年も経っていれば多少なりとも変化が生じているのは当然と言えば当然かもしれない。
――だとしても、あの時感じた悍ましい雰囲気は変わっていない。
「……あれ?」
山の入り口に誰か立っている。
もしかしてあの人もこの山に用があるのかな。
「あの……」
「ん?」
恐る恐る声をかけてみるとその人――温和そうなおじいさんは僕の方に向き直る。
「お前さんこの山に入るつもりかい?」
「は、はい。そのつもり、ですけど……」
「こんなところに来るなんて随分と物好きだねぇ……んん?」
「あ、あの……どうか、したんですか?」
何で急にじろじろと僕のことを――
「お前さん、よく見たら……
「えっ、」
唐突な言葉に困惑する僕をよそにおじいさんの表情はみるみるうちに険しいものへ、全身は焼け焦げたものへと変化していく。
「どうしてこんなところにいるんだ、何故間引かれていない?」
「あ、あの、」
「どうして生きているどうして生きているどうしてどうしてドウシテエエエエエ」
「ひっ……!」
手が伸びてくる。
間引かれなかった鏡児を、僕を、殺そうと――
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