第9話 病院に囚われしもの

 とある病院の一室。

 淡い壁に囲まれた小さな部屋で使い古された客用の椅子に座り本を読んでいた。開放されている窓からは心地いい風が白いカーテンを揺らしながら流れ込んでくる。


「うぅ……ここの病院食おいしくないです」


 病院ベットの上に座ってテーブルに置いてあった食事を口の中へと運んだ葵が不機嫌そうな顔を見せる。

 俺はその姿を視界に収めながら読んでいた本を閉じた。


「そんなこと言わずしっかり食べろよ。どんだけ金払ったと思ってんだ」


「……じゃあ宗次さんが食べてください」


 その食事を嫌そうにこちらへと押しつけてくるがそれを俺は静かに手で跳ね返す。


「俺は患者じゃないからいいんだ。元を言えばお前があんなキノコを勝手に食べるから悪い」


「あ、あの時はお腹が空いていたから、つい……」


 彼女は俺から逃げるように目を逸らして何度も瞬きをし落ち着かない様子を見せる。

 俺はそれに唇を軽く結び苦笑いをしながら優しく聞いてみた。


「なぜ鍋を食べなかった」


「だっ、だってあんな珍しいキノコが目に入ったら誰でも食べてしまいますっ!」


 同情を誘うかのように声を荒げて言い放ってくるが、その情けない理由に呆れ俺はジト目を向けた。


「もっと美味しいものが食べたいです……」


 彼女は首をがくんと落とし眉間に一瞬皺を寄せたあと元に戻した。


「あと三日もすれば退院できるんだから、それまで我慢しろ」


「三日は流石にながすぎですぅ」


「自業自得だ」


「うぅ……」


 悶絶するかのような声を上げて彼女はそのまま顎をテーブルに落としため息を吐いた。


(ため息を吐きたいのは俺の方なんだが……)




 葵の見舞いも終え、家でお風呂に入った後、髪をタオルで拭きながらリビングに戻ってみると牡丹と白乃が学校から帰ってきていた。


 足音でこちらに気づいたのか、牡丹が心配そうな表情を向け俺に駆け寄ってくる。


「お兄様、葵先輩の容態は?」


「元気だ元気、ピンピンしてた」


「それならよかったです」


 その答えにホッとしたのか胸に手をあてて安堵の息をつく。


 すると白乃が顔だけこちらに向ける。


「あぁみえて凪先輩、結構丈夫そうやからな」


「そうだな……って、それ俺が買ってきたおにぎりじゃねぇか!!」


 白乃の手には先程俺が帰りにコンビニで買ってきたおにぎりが握られており、それを一口ずつにやけ顔でこちらに見せびらかすかのように食べている。

 他の二つのおにぎりは袋だけという無残な姿でテーブルの上に置かれていた。


「別にええやろ、減るもんじゃないんやから」


「いやもう全部なくなってんじゃないか!」


「はぁ、小さい男やな。それくらい我慢せい」


「お、お前な……」



 * * * *



「おい、元気にしてるかって……なんだこれ!?」


「あぁ、宗次さん見てくださいっ、病院食が豪華になりましたっ!」


 そう言う葵の前には昨日の貧相な病院食とは一変してどこかイタリアの高級レストランにも出てくるかのような料理がテーブルに並べられていた。


「い、一体どういうことだ!?」


「よく分かりませんが、朝、急にこれが運ばれてきたんですよ?」


 首を傾げ人差し指を顎におく彼女に身の毛がよだち、俺は数歩後ずさりをしながら声を震わせた。


「なにをやらかしたんだお前……」


「なっ!? 私はなにもしていませんっ!」


「……本当か?」


「本当ですっ!」


 腕を胸に寄せ声を大きくする彼女にあてられ俺はもう一度それを見る。


「それにしてもこの食事、結構金かかるんじゃ……」


 普段じゃ絶対に食べられる機会がないその食事の数々。その一皿一皿が何万と言われてもおかしくない神々しさを放っていた。


 俺はそれに鳥肌がたち静かに息を呑んだ。


「それなら大丈夫って言ってましたよ」


「そ、そうか。それならいいんだが」


 すると彼女は腰に手を置き胸をはる。

 その姿は彼女がいつもを自慢する時のポーズだ。


「まぁ、これも私の日頃の成果ですね」


 毎回毎回どこからその自信は溢れ出てくるんだか、と思いながら彼女に一言、にがい顔をして言ってやった。


「お前の成果なんて無に等しいがな」


「な、なんでそうやって私だけ贔屓ひいきするんですかっ!?」


「日頃の行いだ」


 腕を組み俺がそう言うと彼女は涙目になりながら歯を食いしばった。


「うっ、く、悔しいです……。絶対にいつか見返してみせます……」


「そんな日がきたら何でもしてやろう」


「今の言葉忘れないでください」


「分かった、分かった。じゃあ俺はもう行くからな」


「うぅ……また今度です」


 そう言って俺はあざ笑うかのような目を彼女に向けながら手をふりドアを開けて病室から出ていった。


 廊下には昨日と同じように白衣のナース姿の人や患者さんが行き交っていて、会話をしているも何人かいた。

 その光景をぼんやりと眺めながらポケットに手を入れ静かに歩いていく。

そして数メートル進んだところで俺はふと後ろを振り返った。


(……それにしてもあんな料理が普通、病院食として出てくるか?)


 そんな事を思ってみるが先程の葵の曇りのない表情が俺の考えを邪魔してくる。


(たまたまだろ……)



 前へと向き直りまた一本ずつ歩いて行く。

 しかし何かクモの巣に引っかかたような拭いきれない不安と不信が俺の心の中で交錯する。

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