TGIF

翌朝、いよいよ最後の訪問地、ケアンズに向かう。


ジェームスさんが車で空港まで送ってくれると、最後にお土産だと言って、ワインを一人で一本ずつ渡してくれた。


南オーストラリア州産のシラーズだった。


ワインを自分で買う前で良かった。


「合気道場まで見せてもらって、本当にありがとうございました」


また、細川課長が代表でお別れをする。


ブリスベンからケアンズまでは飛行機で一時間ほどだった。


飛行機を降りてすぐに、ブリスベンよりも温暖で湿度が高いことがわかる。


ちょうど夏休みシーズンのためか、若い日本人のグループが空港内で目に付いた。


到着ゲートを出るが、ここでの案内人は見当たらなかった。


2分ほど辺りをぶらついていると、「すみませーん」と言って、日本人のお姉さんが現れた。


30代後半ぐらいだろうか、肌を真っ黒に焼いていて、サングラスをかけている。


「トイレに行っていて、すみませんでした。高須賀と申します。よろしくお願いします」


そう言って、高須賀さんは名刺を渡してきた。


名刺には、「ガイド、通訳、パワースポットアドバイザー ウィルソン・高須賀・幸子」と書いてある。


何やら怪しい肩書が入っているが、そこは触れないでおいた方が賢明だろう。


預けた荷物を取って、高須賀さんの車に乗り込む。


高須賀さんは、運転をしながらフリーハンドで電話をかけ始め、何やら契約している会社の人と英語で話し始めた。


早口の英語での会話が一通り終わると、向こうが電話を切った。


何と言葉にして良いのかわからないが、あまり日本人では見かけないようなギラギラとした印象を与える人だ。


こちらで長くビジネスをしていると、そうなるのかもしれない。


「最初にホテルまで行って、チェックインをしましょう。昼はナイスなイタリアンの店を予約していますよ」


イタリアンの店というわけではなかったが、ここに来てから何枚ピザを食べたかわからないほどなので、あまりイタリアンの気分ではなかった。


ホテルに入ったころは、まだ12時前であったが、部屋を用意できているというので、チェックインを済ませる。


一通り設備の説明を受けるが、施設内にプールもあるようだ。


荷物だけ置いて、すぐにロビーに戻る。


他のメンバーはまだ来ていなかったが、遠くで高須賀さんが、相変わらずの早口英語を携帯に向かって話している。


全員が揃うと、車で2分のところのイタリアンレストランに移動した。


店内はモダン風で、シンプルかつお洒落な装飾が施されている。


「オーストラリアはいかがですか?」


意外にも、高須賀さんは、いかにも無難といった質問をしてくる。


「とても良いところですね。気候も良いし、自然が豊か、都市も東京のように過密ではない」


細川課長が代表して答えてくれる。


「高須賀さんは、なんでケアンズに住んでいるんですか」


「もう何回聞かれたかわからない質問ですね。日本に来ていたオーストラリア人と結婚して、こっちに移り住んだんです」


自分が無難な質問をしておいて、こちらをありきたりだというのは、少し理不尽ではないか。


「もう、こっちに来て10年ぐらいになりますかね。日本にはもう帰りたくないです」


パスタが運ばれてくるので、ワインと一緒に口にする。


オーストラリアでは、ビール一杯程度であれば飲酒運転も認められているが、高須賀さんはこんなとこだけ真面目なのか運転するからと、ノンアルコールを頼んだ。


「お仕事の出張なのに、ずいぶん楽しそうで良いですね」


昼間から酒を飲むことへの嫌味だろうか。


しかし、ビジネスマナーで言えば、オーストラリアでは昼間からビジネスマンが酒を飲むこともあるのだから、こんなところだけ日本のマナーを持ち出さないでもらいたい。


オーストラリアでは、毎週金曜日の午後にはもう社内で飲み始めている企業もあるのだ。


Thanks God It's Friday(神さまありがとう、金曜日だ)という言葉もある。


お国が「何とかフライデー」とか言わなくても、すでにその文化が根付いている。


余談だが、オーストラリア人が週末気分になるのは、木曜の夜からとも言われている。


給料が週払いだったころ、毎週木曜日が給料日だった。


給料が入ったばかりの人たちが浪費をしがちなのは万国共通だから、木曜の夜は、店の閉店時間を遅らせた。


普段の店は、5時や6時など、ものすごく早く閉まるのだが、この日ばかりは日本とあまり変わらないだろう。


だから、今でも木曜は外に出かけてショッピングや、遊びをする人が多い。


その翌日、金曜日はまさに消化試合と言ってもいいかもしれない。


「ここにいる間だけですよ、楽なのは。日本に帰ったら、サービス残業ばかりですから」


佐久間係長が、大変そうに振る舞う。


紘介は高須賀さんと気が合いそうにはなかったが、無難な会話をつなげ、昼食の時間を何とかしのぐ。


「これからですが、どこか行きますか?日本の有名なアニメの舞台になったと言っているパロネラ・パークとか、コアラを抱いたり、あとはやっぱりビーチとかも良いですね」


「男4人でコアラを抱きに行くのもねぇ」


「確かに、あまりご関心はなさそうですね。でも、シドニーではコアラは抱けませんから、ここで抱いておいても良いかもしれませんよ。ウルルが登れなくなったように、また来るときにはここでも抱けないかもしれないですから」


シドニーのあるニューサウスウェールズ州では、コアラを抱くことは州法で禁止されているから、動物園に行っても抱くことはできない。


だから、コアラを抱こうと思ったらケアンズやブリスベンなどのあるクイーンズランド州に行った方が良い。


「さすがに、それでもこの出張でコアラを抱きに行こうとは思いませんよ」


佐久間係長は、やはりこのメンツで行くのはあり得ないといったようだった。


「私は少し疲れたので、今日はこの辺りでゆっくりしています。若い方で海にでも行って来たら」


細川課長が言うので、課長と別行動で海に行くこととした。


食後、ホテルに水着だけ取りに帰って、ビーチまで送ってもらう。


白い砂浜の先に、水色の海が広がっている。普段、東京湾しか見ていない紘介たちに、海の色とはもっと鮮やかなものだと教えてくれる。


「やっぱり、オーストラリアの海は良いですね」


と言うが、高須賀さんは、


「オーストラリアの海は身近で、すぐに行けるからいいけど、本当に良い海はオセアニアの島々にありますよ。オーストラリアの隣のニューカレドニアの離島なんかは、息を飲むぐらい綺麗な海です。特に、ウベアという島は、『天国に一番近い島』として日本でも知られていますよ」


高須賀さんは旅行好きのようで、旦那さんもそこそこのお金持ちのようだから、頻繁に国外に行っているらしい。


私はあなたたちが知らない世界を知っている、と言わんばかりのような態度はどうも鼻につく。


その場でシュノーケリングのツアーに申し込んで、沖まで出る。


浮袋とスノーケルを付けて海に入る。


冬なので少し寒いが、海に入れないこともない、といったところである。


海の中を見ると、色鮮やかな魚が泳いでいる。


下はサンゴ礁のようだが、残念ながらそこまでくっきりとは見れない。


少し調子に乗って頭を潜らせすぎると、スノーケルの先から水が入ってきてしまい、むせ込む。


確かに綺麗な海で、魚も多かったが、30分もその場にいるのは少し長く感じられた。


少し早くボートに上がり、冷えきった体をバスタオルで拭う。


5分ほどして、佐久間係長と桐野さんも上がってくる。


海は確かに綺麗だが、高須賀さんのニューカレドニアの話を聞いた後では、少し色あせてしまう。

ケアンズのツアーガイドとして、果たしてそれで良いのかと思うが、そんなことは考えない性格なのだろう。


海を出た後は、街中でお土産を探して回った。


「これなんか、人気ですよ。パパイヤのクリームで、ハリウッド女優も使っているという噂です。女性の方にはお土産で喜ばれます」


高須賀さんが言うが、紘介は、そんなお土産を買って帰る女性といえば、悲しいことに母親ぐらいしかいないのである。


桐野さんが5本買っていくというから、またもや人生の差を見せつけられる。

その5人の中にはきっと一条麗香も入っているのだろう。


紘介は、オーストラリアで人気だというチョコレート菓子をお土産に買っていくことにした。

日本でも輸入店などでは手に入るようだが、オーストラリアでしか手に入らない味もあるということで、きっと日本で手に入らないであろう味を高須賀さんに選んでもらった。


ホテルに細川課長を迎えに行き、海が見えるレストランで夕食を食べる。


細川課長は、ホテル周辺を軽く見回ったものの、すぐに戻ってきて来てしまったのだという。


レストランからは海が見えるが、その手前には公共プールがある。

利用料など取られないもので、海を見ながら誰でも入れるのだ。


明日は、午前中に会社を訪問して、夕方にはいよいよオーストラリアを発って日本に帰る。


そう思うと、ビールの一杯でも感慨深い。


ペールエールに慣れてしまった今では、日本のラガーで満足できる自信がなかった。


一方で、和食はシドニー空港で食べた海苔巻きだけだったから、そろそろ和食が恋しくなってきた。


レストランでは、大きいステーキが、石の上で焼かれて出てきた。

意外にも、ステーキを食べたのは、この旅で初めてだった。


シドニーには、自分でステーキを焼くことで有名なレストランもあるようだが、話に聞いただけで、行くことはなかった。


肉料理を中心とした店らしく、牛、豚、マトンの他に、カンガルーやクロコダイルなんてのもあったが、オージービーフを食べてみることにした。


400gのオージービーフは見た目だけでお腹いっぱいになりそうだった。


紘介が選んだのは、「Tボーン」と呼ばれる部位で、T字型の骨の片方にサーロイン、もう片方にランプがついている、一度で二種類の肉を味わえるというものだ。


和牛と比べると、少し固めで脂身が少ないように感じる。そう伝えると、


「和牛は、オーストラリアでも「wagyu」と呼ばれて売っていますが、オージービーフと比べて少し値段が高いですね。でも、人気ですよ。オーストラリアに来て、不便だと思うのが、肉の細切れがあまり手に入らないことですね。中華系のスーパーとかで、冷凍したものは手に入るのですが、普通のスーパーだと、こうしたステーキサイズのものとかしか手に入りません」


牛丼みたいなものはなかなか作れないということだろうか。

スーパーの牛肉は日本よりも安めに感じたが、ステーキで手に入るのであれば、わざわざ細切れにした肉を好む必要はないのかもしれない。


何とか400gの肉を食べ切ったが、ホテルに戻って横になるころには少し胃もたれで気持ち悪くなっていた。

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