朱に交われば赤くなる
結局、兼松さんが来たのは15分後だったので、コーヒーを買っておいたのは正解だっただろう。
「いやぁ、どうも渋滞で、遅れてしまった申し訳ありません。シドニー中心部は渋滞が深刻なんですよ」
車に入ってすぐ、兼松さんは言い訳をした。
「これから、ハーバーブリッジを渡って、北部に行きます。北部にも繁華街が何か所かありますが、北部は住宅地としての方が人気が高いですね。しかし、北部からシドニーの南部や西部に行くには、ハーバーブリッジや、地下のトンネルを通らなければならないのですが、そのためにはシドニー中心部を経由しなければならないんです。だから、中心部に用がない人もこの辺りを走っているんですよ」
まもなくして、車はハーバーブリッジに入った。
隣には、電車が並走している。
大きい橋で、8車線もあるようだ。
「この橋は、8車線あるんですよ。1923年に着工したものですが、ここまでの車社会を見越して作ったのだから、先見の明があると言えるでしょう。右を見てください」
言われるがままに車窓から右を見ると、青々としたシドニー湾が広がっている。
そして、その中には、あの真っ白なオペラハウスが見える。
「私は長く住んでいますが、オペラハウスを遠目に見ると、今でも新鮮さを感じます。それだけ、象徴的な建物で、メルボルンやブリスベンには、こんなランドマークはないですよ」
「毎年、9月には、シドニーマラソンが開催されますが、そのスタート地点はこの先の公園です。その日は、この橋も車両通行止めになって、ランナーのコースになるんです」
紘介はマラソンなど、学校行事以外でしたこともなかったが、この青空ときれいな海を眺めながら走るというのは、快いものだろうと想像できた。
そのまま道路を直進していくと、マンションや学校が並んでおり、やはりシドニー中心部と比べると、住宅地のような雰囲気を感じられた。
「このセントレナーズなんかは、日本人の居住者が多いですよ。日本食のレストランなんかも、結構レベルが高いんですよ」
そんな説明を聞きながら、数分すると、もう目的地に着いたようだ。
「次の会社はこのチャッツウッドにあります。このエリアは、新たに開発が進められている地域で、中華系の住民が多いですね。なんでも、シドニー湾を龍の口に見立てると、この場所が龍の目で、風水的に縁起がいいなんて話もあります」
シドニーに来て、少しだけ街中を歩いて感じたのは、アジア人の多さだった。しかも、中国人や韓国人が多い。
白人だけの世界だと思っていたのが、そのイメージをまるで裏切られたようだった。
そして、車を降りてみると、確かにここは中国語の看板も多く、黒髪の東洋人だらけの街だった。
「次のアポは14時からなので、その前にここでランチを食べましょう」
そう言って、兼松さんは少し小汚い中華系のレストランに連れて行ってくれた。
「ここの火鍋はおいしいですよ」
「オーストラリアまで来て、まさか火鍋を食べることになるとは思いませんでした」
佐久間係長が言うと、兼松さんは、
「先ほどのエリアの日本食が、本場レベルなのと同じように、ここの中華も、本場の中華と変わりないんです。オーストラリアは移民の国ですから、移民たちが、みんな自分たちの本場の味を持ってきてくれるわけです」
「それにしても、オーストラリアにこんなに中国人が多いとは思いませんでした」
紘介が先ほどからの印象をぶつけてみると、
「最近は、オーストラリア政府への中国の介入なんかが問題になっていて、対中感情は一時期よりは良くないかもしれませんが、オーストラリアには中国人が多く、その文化も受け入れられていますよ。中国の旧正月の季節なんか、シドニーが中国の赤一色に染まります。オペラハウスも、ライトで赤く照らされるんです」
「中国人が増えることについての反発みたいなものはないんですか」
「そういうことを思っている白人もいるだろうけど、受け入れている白人の方が多いでしょうね。もっとも、反感を持っていても、口には出せないというのが、本当のところじゃないですかね。オーストラリアは、昔、アジア人を受け入れないという白豪主義を取っていたんです。その後も、ポーリン・ハンソンという極右の政治家が、アジア人に差別的な発言をしていたんです。しかし、最近はハンソンもアジア人の批判は少なくなり、代わりに中東批判が増えました。アジア人は増えすぎたので、表立ってはなかなか批判できないのです」
兼松さんは続ける。
「でも、それより、オーストラリアの人たちは中国の恩恵を受けているから、反発が少ないとも言えるかもしれません。オーストラリアでは、高額の不動産投資をする人に投資家ビザを発行しているんですが、これは中国人に大変人気で、中華マネーが集まったんです。中国から大量の投資を受けているから、批判もしにくいですね。ここなんかよりも、もっと中国のような街もシドニーにはありますよ」
火鍋は、白と赤の二種類のスープにラム肉を入れるものだった。オーストラリアではラムも生産しているので、オーストラリア産のラム肉とのことだ。
食事を終え、徒歩で次の訪問先に向かう。
次の会社は、先ほどのような高層ビルではなく、二階建てのビルの二階にあった。案の定、中華系らしき人が出迎えてくれる。
中国人にしか見えなかったが、名前は「クリス」と名乗った。
クリスさんは、流暢な英語を話すので、桐野さんもコミュニケーションには苦労しないようだった。
後で聞いたことだが、クリスさんは生まれがオーストラリアなので、生粋のオーストラリア人だった。どうしても、見た目でアジア人と判断してしまうものだが、アジア系ではあっても、間違いなくオーストラリア人だということだ。
この商談も、1時間で終わってしまった。
紘介は、聞き取れるところだけノートにメモを取っているが、聞き取れないところが多すぎて、役に立ちそうにない。
この会社の訪問後は、また兼松さんの車で都心に戻った。
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