ゆく河の流れは絶えずして

5人でワインを3本空けてしまい、おぼつかない足取りでタクシーに乗り、ホテルに帰る。


明日は各自でホテルで朝食を取り、9時にロビーに集合と決め、部屋に戻る。


シャワーも浴びずにベッドの上に横になる。


先程、シャワーも浴びたことだし、改めて体を洗わなくても良いような気がした。


何より、酔っ払って少し頭も痛いので、立ち上がりたくなかった。


仕方なく、トイレと歯磨きだけ済ませて、また布団に入る。


ここまでは仕事というより、褒賞旅行のようだ。ただ、食べて飲んでいただけである。


旅は少しだけ心を楽にしてくれる。


一条麗香が遠くに感じられる(実際に遠いのだが)ように、悩みや辛さは日本に置いてきてしまったようにも感じられる。


ここに長くいることがあれば、また新たな悩みもできるだろうが、少なくともこの1週間は現実の苦しみからは逃れられる気がした。


そうした点においては、欲望は叶えられないものの、異国というのは異世界にも近い存在なのかもしれない。


ただ、夕食のときに兼松さんが話していたところによると、海外への駐在員の中には心を病む人も多いという。


家族や古くからの友人と離れて暮らすためだとか、言語や文化の壁だとかが原因かだろうが、自殺者も出るのだという。


海外で病んだ人たちも、きっと最初の一、二週間は新しい刺激に心踊っていたのだろう。


でも、それが一年、二年と時間が経っていくうちに苦痛へと変わってしまったのではないか。


毎週別の国を渡り歩けるようになれば、この不安は解消されるだろうか。


いや、今度は新鮮さを感じなくなってしまうだろう。


となると、この人の世で一番残酷なものは時の流れかもしれない。


川は常に流れているから、新鮮なのである。川の流れが止まってしまえば、水は淀んでしまう。


人間も、時の流れの中で、常に動き、新しい刺激を得ていなければ、心が淀んでしまうのかもしれない。


しかし、100年も生きられる今日において、人生を退屈させないだけの刺激は十分にあるだろうか。


「人間50年」と言った時代の倍も、我々は時間を消費しなければならない。


そして、我々は流動の対極にある「固定」とどうやって向き合っていけば良いのだろうか。


紘介を見るまでもなく、恋は盲目である。

人間は恋愛感情を抱いている間は、盲目的に1人の人間を思い続けることができる。


しかし、仮に、その人と付き合うことができ、結婚できたとしよう。


30歳で結婚したのであれば、あと40〜70年ぐらいはその人と寄り添うことになるわけである。


これは、流れが止まり、人生の輝きが淀むことにならないか。


この日本社会のパラダイムでは、複数の相手と関係を持つことは倫理的に否定されているから、1人の人間と半生を共にすることが美徳とされ、それが大半の人間の「普通の」人生になっている。


だから、海外を渡り歩くように、複数の異性を取っ替え引っ替えにするというのは、一部の人間の趣味にとどまっているし、そうした人間は欲望の権化として、後ろ指を指され続けるのである。


変化に対して停留し、固定された人生に魅力を見出すのは至難のことだ。


きっと、紘介が一条麗香を手に入れたところで、数年、数十年の月日は彼の視界を遮っていたものを流し去り、麗香以外の女性にまで目を向けさせてしまうだろう。


そこでは、「夫婦」という法的な枠組み、あるいは社会通念が、2人の関係を留めていてくれるかもしれないが、彼の欲望を無理矢理に抑えつけたものでしかない。


あるいは、子供が入れば、2人の関係性をつなぎとめる箍になるかもしれないが、それが必ずしも機能しないことは、少し人生を送っていればわかることだ。


暇つぶしは、英語で言えば「kill time」だ。


まさに、我々の人生は、時間を殺すことに翻弄され続けるものかもしれない。


莫大な資産も、権力も、名誉もない我々は、いかにして、この時間を殺し続け、人生を淀みないものにできるというのか。

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