異世界転生しないで絶望から抜け出す方法
@philosai
堕地獄の苦痛
紘介は深い深い絶望の淵にいた。
何か大きな失敗や失恋があったわけではない。
むしろ、何もないことが問題だった。
平々凡々な毎日こそが、彼を追い詰めているのである。
来週、30歳になる彼には、今後の人生で得るものよりも失うものの方が多いような気がしてならなかったし、今日と明日は違うものだとしても、明日が今日よりも意味のあるものに思えなかった。
それゆえに、「誰かが生きたくても生きられなかった明日」なんて言葉は彼にとっては薄っぺらいものだった。
ニーチェの「永劫回帰」の思想によれば、僕たちの人生は何度も何度も繰り返されるらしい。
こんなに虚無感に満ちた人生が永遠繰り返されるというのだ。
何のために?おそらく、意味などない。
この世の多くの作法や節理に意味なんてものはないように。
空飛ぶスパゲッティ・モンスター様が彼の絶望を、録画したビデオを何度も見るようにして、楽しんでいるだけかもしれない。
異世界に転生して、チート能力を身に付けて、無双して、モテモテで…なんて妄想ではもはや満ち足りなくなっているし、せめて数年前に戻れれば仮想通貨に投資して都心の高層マンションにでも住めるのにと、比較的現実に近い妄想をしてみても虚しさが増すだけである。
インターネットで「過去への戻り方」なんて馬鹿げたものを調べて睡眠に入ってみても、次の朝は同じベッドで起き、昨夜買ったヨーグルトを食べて出勤するのである。
せめて、サマージャンボ宝くじが当選してくれれば、幾ばくかの夢も持てるのだが、そう上手くことは運ばないらしいということを、これまでの人生で十分に学んできた。
宇宙人、未来人、異世界人、超能力者も今のところ彼のところには来ていない。他人の気持ちはわからないが、どうも他人も自分と同じように平凡な人類の一個体であることはわかる。
であるならば、周りの人たちも自分と同じような絶望の深淵にいるのかもしれないが、そんなことは知ることはできない。
人生がゲームであれば、または(シェイクスピアが言うように)この世界が舞台であるならば、その主人公は自分にしかなり得ない。
他人を操作することはできず、ただひたすらに自分の人生をプレイしていくだけなのだ。
「ここは○○の村だよ」と言うだけのモブキャラに絶望があるのかなんてことは、考えるだけ無駄と言っていい。
RPGや劇の世界であれば、主人公の人生はドラマティックなものにもなるが、紘介の人生はただただ平凡であり、それが問題なのである。
大きな失敗や失恋があった方が、物語としては面白いのだ。
もちろん、彼が絶望の深淵に至るまでには、多数の挫折や苦難があった。
しかし、彼は極貧の家庭に生まれたわけでもなければ、恋人を殺されたわけでもない。
それなりの家庭に生まれ、それなりの大学を卒業し、それなりの会社に勤めている。
「それなり」とは、彼の実感に過ぎず、実際には彼は世間では恵まれているはずで、一流大学や一流企業に入れなかったというだけである。
彼の給料は決して高くはないが、一人で生きていくには十分な額だ。
生活には困らない額の給料。
「生活に困らない」というのは、当然ながら「満足した生活を送れる」という意味ではない。
ただ、住むところがあり、毎日お腹いっぱいにご飯を食べれるし、たまには贅沢ができる、というものである。
しかし、何のために生活を続けていく必要があるのか。
なぜ、今日、ここで死んではならず、この生活を明日以降に続けていかなければならないのか。
そして、彼が絶望の深淵から抜け出して、光り輝く明日への一歩を踏み出しても、事故や病気が彼の命を奪うかもしれない。
「理不尽」「無意味」そういった言葉が彼の頭からを離れない。
しかし、紘介は明日を迎えてしまう。
明日を望んでいるわけではないが、すぐにこの人生を終わらせてしまうのも恐ろしい。
世の中の多くの言説では、「死」とは恐れられるべきものであるし、誰もが避けたいと思うものである。
彼は死ぬどころか、死を考えさせるような大怪我をしたこともなかったが、何となくそれらの言説には共感している。
7時10分になると、味気ない携帯のアラーム音が鳴り、彼の目を覚まさせる。
今日はごみ出しがないのでもう少し、とスヌーズをするが、すぐにまた起こされてしまう。
だるさを感じながら起き上がってみるが、昨夜と何一つ変わらない彼の部屋がそこにある。
結局、過去に戻ることも、異世界に転生することもできずに、「明日」に来てしまった。
この現実が、また彼を絶望の世界へと引き戻す。
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