十二譚ノ壱 或る末路

 朝から一段と蒸し暑く、花も萎れてしまうかと思われた昼下り。

 霊園に顔を出しに行こうと、思い付きで足を向ける。

 他所の霊園などに比べると規模の小さいこの霊園は、事務的な作業を機械任せにしてしまえば、ほとんど一人でも管理出来た。

 現に、今は主人一人で管理がなされている。

 ただ、その小さな体躯で芝刈りやら墓石の清掃だとか、霊園の隅々に至るまでを受け持っている事は心配せずにはいられない。

 なので自分も仕事に参加しているが、主人は人手が増えて嬉しい、などとは思わず、寧ろ迷惑を掛けてしまっている、と思っているのが悩みの種だ。

 最近は疲弊した姿をよく見る様になったので、嫌がってでも参加させてもらわなければ、割に合わない。

 忙しなく動き回っていると思えば、十分後には椅子に座り込んでいたりする。

 姿が見えなくなったと思えば、どこかしらで横になっていたりもした。

 小鳥遊の旧本家から霊園に出ると、主人は直ぐに見付かった。

 木陰にて水筒の麦茶を飲んで寛いでいる。

 ふと、墓石の群れから足音が聞こえる。

 見れば、手ぶらで墓場を彷徨く影があった。

 目を凝らすと、それが一度見た顔だと判る。

 ぼさぼさの髪を後ろで一つに縛り、大きな耳飾りをつけ、開いた目は黒く、赤褐色の瞳は鈍く光った。

 確か人形師のかがみと言った。

 りんどうが世話になっている、河合名と呼ばれる人形の作り手だと聞く。

 鑑はこちらが見えていないらしく、だがりんどうには気付いて、微笑んだり手を振ったりしていた。

 嫌悪感を覚え、自分もりんどうの元に行こうとしたその時。

 鑑がりんどうの首に手を回し、そのまま外套に手を潜り込ませて項に手を回すと、次の瞬間にりんどうが倒れる。

 自分はその次に鑑に襲い掛かっていた。

 五歩で間合いを詰め、長い足を振り回せば相手の腕に当たって均衡を崩す。

 それを見計らって足を払い、一瞬宙に浮いた隙を狙って腕を掴んだ。

 そのままの流れを利用して、鑑を地面に叩きつける。

 車に衝突された様な痛みと衝撃に、鑑は目を回した。

 鑑はそこに捨て置き、直ぐ様りんどうを助け起こす。

 針でも刺されたかと思い項を見てみると、横に長い長方形の空洞があった。

 空洞を覗き見ると、黒い金属質の断面が見て取れる。

 ヒトの柔肌の下に金属があるとは到底思えない。

 ならこいつは?

 崇拝的な信仰対象だった小鳥遊家の主は、機械だと言うのか。

 鑑の手を見ると、長方形な金属の、箱の様なモノが握られている。

 一面にはヒトの様な白い柔肌が貼り付いている、奇妙な箱だ。

 箱と見えたモノは蓋を外すと、中でキュイキュイと音を立てながら何かが作動している。

 箱はりんどうの首にある空洞に、ぴたりと填まる大きさだ。


「説明が欲しい」

 木に縛って拘束した鑑の足を蹴って起こす。

「いったあ!」

 大仰に騒ぐ鑑に箱を突き出すと、途端に口を閉じ目が真剣なものになった。

 嘘臭い言動が目立つ普段からの切り替わりに、思わず息を飲む。

 鑑は掌に乗っている箱を拘束されたまま覗き込み、元来細い糸目を尚細めた。

「あんたなあ、それはこの人形の記憶や」

「矢張人形か」

「いや理解が早すぎるて。もっとこう……焦るとか人間らしい感情は持ち合わせてないんか?」

「あんまり」

 そか、と息を吐き、飄々とした口調で再び話し始める。

「人形と判ってるなら、ほんまに話しが早いわ。その子はご覧の通りお人形さんや。まあ、皮膚に代わる精巧な薄カバーで覆ってるからな、関節とかも人間とは見分けつかんくらいや」

 確かに自分も長い事気が付かなかったが、ここまで精巧な人形を造り出すこいつは、何者なんだ?

「鑑、お前は同業だったろう。それがどうやって人形造りに辿りついた」

 昔の事を言われたからか、鑑は細い目を大きく見開いた。

 目線をさ迷わせ、観念した様にまた口を開く。

「確かにお前さんとは同業やったけどな。ちょっと考えてしまったんや」

「何を」

「故人でなくとも、故人そのものみたいな存在が居ればええなって……」

 自分は息を吐き、黙って鑑の拘束を外した。

「ん? もうええの?」

「必要な情報は聞き出せた。それにりんどうをまた動く様にしてもらわないと困る」

 このまま主人を失う訳にもいかないので、りんどうを襲った事は一旦置いておく。

 しかしそれに対して鑑は、罰の悪そうな表情を浮かべたのだ。

「……それなんやけどなあ。凄く言い辛い事が……その、あってな」

 鑑は一拍置き、覚悟を決めた様に言い出す。

「もう、その人形は寿命が来てるんや」


          *


 強い日射しが卒塔婆や墓石を照り付け、一足早い油蝉が自慢気に、声高らかに鳴いていた。

 飛び水を追い掛け、日光から隠れる様に日陰へ日陰と移る。

 水筒の麦茶を口に含み、氷を転がしていると、陽炎の向こうに人影が見えた。

 お盆参りの訪問かと思い、立ち上がる。

 暑いのに長袖の開襟シャツと、薄群青のベストに身を包んでいる。

 その人は花束も供え餅を持参した訳でもなく、手ぶらで墓石の隙間を縫う様に歩いていた。

 歩き方も独特で、足音が消え失せている。

 影から覗いていると、不意にこちらを見て微笑んだ。

 細い目は黒く、余計赤褐色の目を際立たせている。

 こちらに手を振り、敵意無さそうに近付いて来た。

 そこで映像は途切れてしまった。


          *


『自立人形伊十三式・りんどう。接続を確認しました。データバックアプ、初期化を行います。データ初期化終了十秒後に起動します』

 狭い工房に無機質な機械音が響く。

 りんどうはその中で機械人形として異彩を放ち、中央の籐椅子に鎮座していた。

 りんどうの声から遠くかけ離れた、人工的な音声が発せられるのは、嫌悪感を覚える。

 りんどうの首は皮膚を剥がされた様に蓋が開かれ、そこから管が伸びて机上の機械群に繋がっていた。

 長く思えた十秒が経過し、閉ざされていた瞳が開かれる。

『自立人形伊十三式・りんどう、起動完了しました。聴覚、チェック。視覚、チェック。発声、チェック。自力発電電池、チェック。活動に問題ありません』

「マスター・小鳥遊巳代たかなしみよのデータをバックアップ、初期化し、新たにマスター登録」

 鑑の無機質な声が命じ、りんどうは矢張定型文の機械音声を発する。

 鑑は自分に手を差し出す様に指示した。

 りんどうの眼前に左手を翳すと、りんどうの目がより開き、手を凝視する。

『指紋認証、完了』

「次は光彩やから、顔近づけてな」

 言われた通り、目線を合わせる様に屈んで顔を近づけた。

 りんどうが自分の顔を覗き込む様は、いささかおかしかった。

『光彩認証、完了。パスワードを設定してください』

「随分と決め事があるな」

「そりゃまあ、俺ブランドやし?」

 特に名案を思い付く事も無かったので、りんどうの誕生日に決めた。

『パスワード、12月27日──認証。新規マスター登録を終了します。こんにちは、マスター・ニノマエ』

 あっけなく自分がこの人形のマスター認証され、まるでふわふわとした平衡感覚の無い何かに襲われた。

 相手はあくまでも人形なのだから、この場合はドールオーナーとでも言うべきか。

「りんどう」

『はい、ご用をお申し付けください』

「……まず、声を普通に戻してくれるかい」

 自分の知っている、あのりんどうの声に。

 もう一度あの声を聞きたい。

 しかしりんどうの姿を模した人形は、首を傾げた。

『申し訳ありません。よく判りませんでした。音声タイプの変更をご希望でしたら、今から発声するタイプの中からお選びください』

 そう言うとりんどうは、次々と十種程声音を変え、あいうえお、と繰り返した。

「タイプ6」

『かしこまりました。データの上書きをします……』

 音声データの上書きを十秒で終え、次の瞬間機械音声からりんどうの声に切り替わる。

「こんにちは、マスター・にのまえ

 ただしりんどうの話し方とは離れた、機械らしさが残る定型文だった。

「鑑、これはどうにかならないかい」

「こればっかりは仕方ないわ。あの口調は、長い年月をかけて堆積した知識やその場の環境に合わせて変わったもんやから。今はりんどうの記憶じゃなくて、一時的なデータ整理の為に別の箱を入れてるだけやから」

 つまりあの口調や性格を取り戻して完璧なりんどうを取り戻すには、全く同じ条件の日々を再現して再び繰り返させる他無い。

「りんどうが最初に起動してから、何年経ってるか判るかい」

 自分が引きこもっている間に随分と時間が過ぎてしまった。

 その間に小鳥遊家に何があったのかも、自分は知らないままでいる。

 最後に小鳥遊巳代に顔を見せたのは、りんどうが生まれてすぐの事だった。

 だがりんどうは今人形である。

 ヒトが子供代わりに人形を愛でる噺は聞くが、だからと言ってこんなモノを作る必要性が判らない。

 鑑は指折り年数を数えているが、少しずつ長引いてきて、その分不安を煽られている。

 自分はりんどうに席を外す様指示すると、りんどうは自らシャットダウンした。

「そうやなあ……寿命も視野に入れて、大体二十年位や。だけどこれを作ったのは四十年前やな」

 四十年と言う時の重量が締め付ける。

 自分にとってあっという間のほんの一瞬だとしても、自分と小鳥遊家にとっては空白の四十年間だ。

 小鳥遊夫妻はそのどこかで死亡し、万一の時に起動して霊園の延命をする様に仕掛けていたのだろう。

 しかしそれでは色々と疑問が残る。

 何故りんどうは、りんどうとしての記憶を保ったまま数十年と言う時を越えても、自らを疑問に思わなかったのか。

 りんどうは機械人形としてではなく、人間として作られている。

 りんどうの友人である茉莉は完全に人形として自覚しているが、りんどうはヒトとして長い年月を越えたのが引っ掛かった。

「人形の製法を詳しく知りたいのだけどいいかな」

「…………んんんん。せやなあ……」

 煮え切らない返事に苛立ちを覚える。

 言えないなら言えないと答えてくれれば、自分で調べるまでだ。

 鑑は暫くうんうん唸っていたが、膝をぱんっと叩いて口を開いた。

「まあこれは話した方がお互いに齟齬も無くなるからな。ええわ、話したる。だけど口外厳禁って事だけは承知してくれや」

「判った」

 焦りのあまり即答したら驚かれたが、兎に角必要なのは情報だ。


          *


「えー、人形を作る所は普通と変わらないんや。こっからが本題。まずな、ヒトが生きている間に夢を覗くんや。俺らの本領やろ? そいでまあ、夢は記憶が再生されているから、そこから夢を複製……いや、記憶を複製するんや。夢からだけって訳やない。俺らが夢を覗く時、実際は脳内を覗いてる。そっから記憶を拝借して、複製して、記憶を入れる箱に入れたら、本人のデータが完成っちゅう訳。あんたが言ってるた箱はなあ、人間様に言わせると、ユーエスビーメモリとか、カセットやら色々や。兎に角それさえあれば、故人の記憶を継承した人形が作れる。勿論俺の作品はそんなのばっかやない。で、一はんの質問の答えは簡単や。必要なデータ……まあ交遊関係とかは残して、三年毎に記憶を消去する様に仕込む。これだけ。そないな沢山の記憶なんて抱えきれんし、箱もいっぱいいっぱいになってまう。そんなからくりや」

 長い説明が終わると、謎が一気に紐解ける。

 都合の良い記憶改編、とでも言おうか。

 だがそれが無ければ、りんどうも人格が崩壊していたかもしれない。

 それこそ文字通り、人形の様になっていただろう。

 しかし問題はそこではない。

 問題と言うのは記憶の複製だ。

 ヒトや彼岸の住人の共通事項である記憶は、魂の内容物だとされている。

 つまり記憶が魂を作る為、記憶の複製は同一人物の複製に相当する。

 つまり生前の記憶さえ保管しておけば、限定的な不死を実現出来るのだ。

 他人の器を用意し、記憶さえ移してしまえばそれはもうその人になる。

 彼岸の世界でこれはごく広く知れ渡っている事で、影響力の強い権力者の没後にこれが行われている。

 地獄の閻魔などはそうして二千年の記録を紡いでいるのだ。

 地獄の閻魔と言えど肉体はある。それが普通の生物よりも多少長持ちするだけで。

 記憶の継承による同一人物の複製。

 技術を此岸に持ち込めば、それこそ戦争だって起こせる。

 此岸に技術を持ち込み、隠匿する分には問題はそう起きない。

 彼岸の住人はニンゲンの虚妄、妄言から生み出された模倣体である為、技術を奪い合う戦争で人間を失う訳にはいかないのだ。

 技術の露見は、我々の衰退に繋がり得る。

 その危険な橋を渡ってまで、何故鑑は人形製作を続けると言うのか。

「……りんどうの人形製作を依頼したのは、小鳥遊夫妻か?」

「せやで。赤ん坊が死んだから、今度は自分達が死んでしまってはしようのない。言うてな」

 赤ん坊?

 ならりんどうはそもそもあの人格が形成されるまで成長していなかったと言う事になる。

「奥さんが高齢出産やったから、これ以上は望めんって旦那さんがな。そんで……生まれて間もない子供の記憶を複製して、良い感じに成長させた。それが──」

「伊十三式か」

「そう。ああでもな、りんどうって名前は奥さんが名付け親や。戒名言うて」

「戒名に? じゃあ元の名前は記録してあるかい」

 自分の知るりんどうが、足許からがらがらと崩れていく錯覚を感じた。

 喉が渇き、冷や汗が垂れる。

 今すぐにでも鑑の口を塞ぎ、そんな事はない、と否定したい衝動に駆られた。

 言葉が紡がれる度に崩される視界に吐き気がする。

 鑑は立ち上がって部屋の奥にある本棚をがさごそしていた。

「元の名前はなあ……。あったあった、これや。この帳面に記録してるんよ。伊十三式の事全部」

「勿体振るな」

「ごめんてえ。俺が読み上げるより、あんたが直接読んだ方が早いからこれは預けとくで。この子の説明書にもなる」

 鑑の放った一冊の青い手帳を受け取り、りんどうを再び起動させて今日は帰る事にした。

「最後に一つ聞きたい」

「何や改まって」

「……何故、誰の為に危険な橋を渡って人形を作っている?」

 鑑は回答を躊躇った。

 唇を噛み、しかしぽつぽつと紡ぐ様に口を開く。

「……お前と同じや。本気で好いた人がおる。それだけで何でも出来るもんなんや」


 霊園に帰り、ひとまずりんどうをシャットダウンさせて自室で寝させる。

 わざわざ機械人形に蒲団をかけてやる律儀さは、ニンゲン臭いと言われるだろうか。

 寝顔は普段の人間となんら変わり無いが、何より呼吸音が一切しないので、否が応でも非人間を実感させられる。

 寝床の端に腰掛け、群青の手帳を開いた。

 そこには文字通り説明書が記されており、設計図からエラーメッセージ、処分の仕方まで書かれている。

 但し手書きなので一部は掠れていた。

 インクで書いてあるだけ長く持つのが救いである。

 りんどうの元の名前に関する記述を探していると、頁の間から他の紙がひらりと落ちた。

 その紙片は手帳の紙とは材質が異なり、裏写りのしない頁に比べて薄く、いささか頼りない。

 筆跡も鑑のモノとは異なっており、女性的だ。

 恐らく巳代が書いたモノだろう。

 以前筆跡を目にした事がある。

『小鳥遊友の戒名に関して』

 その書き出しに、総毛立つ様なぞわりとした感覚に襲われた。

 タカナシユウ、と口に出してみて、再び読み始める。


 小鳥遊友の戒名に関して。


 小鳥遊友たかなしゆう 享年1歳6ヶ月

 死因 自転車の衝突による事故死

 戒名 りんどう


 戒名として花の名前をつけたのは、他ならぬ友人、一に謝罪する為である。

 守る為に縛られた家の次期当主を殺してしまった事。

 小鳥遊家に人が居なくなる事。

 小鳥遊家を、どうする事も出来なかった事。

 自分達が死に、りんどうも動かなくなった後、土地と家を処分する様に手配してある。

 その時が来たら、一は小鳥遊家との契約関係を終了させ、どうか自由にして欲しい。

 霊園もその時をもって終わる事でしょう。

 人の生き死にをその目にしてきた一殿には、私達の終了がどう映るのでしょうか。

 貴方に竜胆の花言葉を送ります。


 紙片を手帳に挟み、そっと手帳を閉じる。

 いっそ何も知らない方が、とは正にこの事なんだろう。

 横で眠るりんどうに目をやり、堪えきれなくなって反らした。

 この機械生命体が小鳥遊夫妻によって──夫妻の依頼によって作られ、小鳥遊家と霊園の延命の為だけに稼働していた。

 それを思うと、この無機物に同情さえ湧いてくる。

 しかし延命した家も霊園も、終わってしまう事が決定されているのだ。

 そして自分と、小鳥遊家との契約関係も。

 全て終了してしまう。

 呆気なく、築き上げたモノが崩れていくのにも気付かずに、そのまま眠る様に崩れてしまえばどれ程幸せだっただろう。

 唯一残された人間も、造られた人格の架空人物だ。

 今までにも、世界のある一部分の崩壊を何度となくこの目にして来たが、一度情の入ってしまった一部分の崩壊を見守るのは初めての事になる。

 ふと思い立って家の外に出た。

 外の空気でも吸って、現実からの逃避行に出たかった。

 外は仄暗い夕方で、鈴虫があちらこちらのくさむらなどで声を上げている。

 それに混じって、時間を勘違いした油蝉が木に止まっていた。

 自分だけ時間に取り残されたか、或いはまるで現実逃避の様に。

 昔巳代が言っていた。

 一週間で消える炎なのだから逃避でもしたくなったのだろう、と。

 その時は、そんな莫迦な事があるか、と笑い飛ばしたが、今逃避行している自分と重ねてしまい、現実に帰った。

 案外そうでもないものよ、と巳代の声が反響した。

 墓場から反対に足を向け、家の裏手に行くと花が咲き誇る裏庭へ出る。

 表の霊園とは違い、観賞用のものではなく完全に趣味の花を植えているこの庭は、統一性がなく、それでいて慎ましく咲いていた。

 今は朝顔、カンパニュラ、蝦夷菊がそれぞれ咲き誇っている。

 朝顔は群れを成し、カンパニュラは庭の隅を占領し、蝦夷菊は点々と。

 夜なので総じて花弁を閉じているが、それもまた良い。

 夜露に濡れた蕾をそっと月光が照している情景は、正に自分が夢見たモノだ。

 自己満足で造った、旧小鳥遊本家の跡地利用した花園。

 思えば、あれは元々これを再現しようとした結果の産物である。

 地べたに座り込み、蕾を掬う様に触れる。

 朝顔は蔦を伸ばして壁面を彩っていた。

 ふと、それぞれの花言葉が頭をよぎる。

 巳代の受け売りでしかないが、生前、しつこく教えられていた。

 もしやと思い、当て嵌めてみる。

 朝顔は固い約束。

 カンパニュラは感謝。

 蝦夷菊は変化と追憶。

 そして竜胆は、悲しむあなたを愛する。

 その瞬間全てを悟った。

 全ては自分の為か。

 わざわざりんどうを造ってまで霊園を延命させた事も、子同然のモノに花の名前をつけた事も。

 全て自分への慰めだと。

 これからも長い長い時を生きる自分への。

 巳代が最期に咲かせた花だ。

 これで小鳥遊は終わりになる。

 ならば後の始末もまた愚生の役か。

 鷹の来る事のない小鳥遊らしく平穏無事に、眠る様に終わらせよう。


 まずりんどうの電源を完全に落とした。

 この機体はもう動かないのだ。無駄に起動させておく必要もない。

 鑑から説明書を貰って指示の通りに操作すると、不意に腕の板が開いた。

 そこから一枚紙が飛び出し、りんどうが機械音声で話し始める。

『特別操作により、マスター・小鳥遊巳代の遺書及び録音されたデータが公開されます』

 息を飲んだ。

 まさか巳代がこれも仕込んだのかと思うと、笑いが込み上げる。

『録音データは一度だけ再生されます。再生された十秒後に、伊十三式・りんどうは完全にシャットダウンされ、起動する事は出来ません。データの再生を開始します』

 ガガッと降雨の様な雑音が流れ、一際大きな音が響くと漸く音声が再生された。


「えー……私の死後に関して。小鳥遊家と契約関係にあるにのまえに、伝言と説明をここに残しておきます。まず、土地と遺産は池鯉鮒と名乗っている商人に権利を託したわ。一、あんたはりんどうが動かなくなった時伝えに行ってちょうだい。それからお骨を預けている方々は、私が生前に話しをつけておいた。近々、残りの親戚筋がお骨を回収しに来ると思う。と言っても少ないから、あんた一人でも対応出来るから。遺産の管理については、あなたが口を出したければ出しても構わないわ。最も、興味は無いだろうけどその他諸々の権利書とかは、私の部屋にある戸棚に保管してあるから。机の二重底になってる引出しから鍵を取って」

 伝言が一通り済んだのか、そこでふう、と息を吐く。

「……今まで本当にありがとう。子供が──友が産まれた時、あんたは寝てたから見せられなかったのが残念だわ。あんた達の時間は長いもの。どうせあと何年かは顔見せないんでしょうね。ねえ、貘って皆あんたみたいなの? 一睡もしてないかと思って、十年くらいしたら突然眠っちゃうし。そうでなくとも引きこもってあまり顔も出さないし。その分心配する事は無いって思われてるんだろうけど、こっちの時間は短いのよ? はあ……。最期はあんた自身で契約書を破って、自由の身になってちょうだい。じゃあね。またいつか」

 音声の再生が終ると、一拍置いてからりんどうが我に帰った様に口を開いた。

『録音された音声の再生が終了しました。これよりシャットダウンに移行します。ありがとうございました、マスター・ニノマエ』

 世界が砂となってさらさらと、静かに崩れていく。

 自分が自分で亡くなる感覚に吐き気がした。

「ありがとう。……小鳥遊友」


          *


 まず糸猫庵に足を運んだ。

 りんどうの好物を作ってもらう。

 それで供養して送り出すのだ。

 硝子戸を潜ると、午後の日が細長い窓から射し込んでいる。

「いらっしゃいませ。今日は暑いですね」

 畏まった口調で出迎える店主に、オムライスを一つ注文する。

 承りました、と言って背中を向け、手を動かした。

 店主は何も言わなかった。

 自分は暇潰しに読書をしていたから、話しかけ難かったのかは判らない。

 店の看板である文鳥が飛んで来て、世間話に花を咲かせたりした。

「最近小鳥遊ちゃんが来ていないのだけど、保護者代わりとして何か知らないの?」

 遂に聞かれてしまった。

 週に三回は店に来るりんどうは、ここ半月程来店していなかったのだから疑うのも無理はない。

 ここで回答を躊躇えば、二人も整理が出来ないだろう。

「…………りんどうはもう来ない。来られなくなった」

 ごく短い言葉に収めたが、それだけで二人に伝わった。

 店主は出来上がった料理を包み、自分に二つ手渡す。

「二つ?」

「今回でお別れと言う事ならばと思いまして。サービスなのでお代は一つ分で結構です」

「いや……払わせて欲しいな」

 店主に無理矢理、りんどうの折紙を二つ渡した。

 礼を行って足早に店を出てしまった事を、今でも後悔している。


 完全に停止したりんどうの前に、料理の入った包みを置いておく。

 自己満足の供え物のつもりだ。

 自分は居間の食卓に腰を下ろし、余分に貰ったオムライスを口に運ぶ。

 卵は分厚く、その味付けはかなり甘い。

 卵の蒲団は塩気のあるバターライスとよく噛み合っていた。

 調味料をかけるのは無粋といえるだろう。

 りんどうはよく糸猫庵のオムライスを注文していたが、成る程こう言う事かと、一人納得していると、いつの間にか完食していた。

 これがりんどうの愛した味。

 いつか成長した小鳥遊友が、愛するやもしれなかった味。


 昼食を終え、空になったりんどうを供養する為、鑑の元へ持って行った。

 当初は驚いていたが、自分の決心がついたと判るや直ぐに、二つ返事で承諾してくれた。

「今連れて来てくれて本当よかったわあ」

「何故」

「実はな、今から他の子も供養する所やったんや」

 他の子? と首を傾げると、鑑は工房の奥まった部屋へ自分を連れて行く。

 そこは灯りが最小限に抑えられており、うっすらと像が見える程度で、それも狭い部屋だ。

 寝てる子が驚くから、と灯りを点けないと言う。

 鑑は出来る限り照明を強くした。

 だがそれでも暗く、紙を一枚挟んだ様に仄かな灯りが頼りである。

 部屋の最奥には背面を向けた籐椅子が置かれてあり、そこに何か座らせている様子だった。

 鑑は暗がりの中、軽い足取りでその椅子に近付いて、座らせている何かに話しかけていた。

「さあお待たせえ~。この子が件の子や」

 背中を向けていた籐椅子を正面に回すと、そこに座していたのは一人の少女だった。

 少女、と言うよりは娘と言った風で、見た目の年齢にそぐわぬ秀麗な目鼻立ちをしている。

 黒く短い髪は細く、僅かな光に反射して光った。

 目は閉じている為色形などは想像する他ないが、瞼の幅から考えると大きい目を持っているのだろう。

 まるで喪服の様なワンピースから伸びる四肢は異常に細い。

 肌は陶器や磁気の様に白く、他の色を知らないのだ。

 そして特徴的な球体関節。

「その子もお前が造った人形かい」

「せや。……だけどな、こればっかりは、この子だけは他と比べもんにならんくらいに精巧に造ってある」

「そこまで入れ込む価値が? 鑑、お前は実在の人間しかモデルにして造らないだろう」

「そうや」

 無関心だった鑑をそこまで入れ込ませるその娘は、一体何だと言うのか。

「……前にも言ったろ。あんたと同じや。本気で好いた人がおるって」

 ああ成る程。

「この子はな、生前俺が本気で好いた唯一の人間を模した人形なんや」


       ── * ──

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