《ラクリマの恋人×星空の小夜曲》2 第3話 死に至る病
「……おい、どうなんだ、ティオの様子は」
診察を終えた、院長であるミアの父に、詰め寄るようにしてトキは言った。傍らではセシリアが、不安げな表情でトキを見つめている。
ティオが目覚めなくなってすぐ、二人は街の病院にティオを連れて行った。診察には少なくない金がかかったが、二人にそれを惜しむ心は全くなかった。
病院はティオと同じように、突然目覚めなくなった患者で溢れていた。その事が、一層二人の不安を掻き立てる。
ミアの父は疲れた顔でトキの方を振り返り。それから、力無く首を横に振った。
「体には、全く異常はない。他の『眠り病』の患者と一緒だ」
「異常がねえって……じゃあ何でコイツは起きねえんだよ!」
「落ち着いて下さい、トキさん……!」
今にも掴みかからんばかりの勢いのトキを、傍らのセシリアが必死になって抑える。トキのこんな剣幕は初めて目にするミアの父は、少し引け腰になりながらも伝えるべき事を伝える。
「『眠り病』は未知の病で、治療の方法もまだ見つかっていないんだ。……発症して生きて目覚めた者は、まだ誰もいない」
「……そんな……」
セシリアの顔が青ざめ、体がフラリとよろめく。それを反射的に抱き留めて、トキはブルリと拳を震わせた。
「ふざけんなよ……じゃあこのままティオが死ぬのを、黙って待ってろって言うのかよ……ふざけんな!」
トキの拳が、力任せに机に叩き付けられる。それを見るミアの父の瞳は、虚ろな無力感に満ちていた。
「……最善は尽くす。だが……覚悟は、しておいてくれ」
その一言に、場に、重い沈黙が降りた。
結局トキ達はティオを入院させず、家に連れて帰った。病院にいても治らぬなら、せめて、少しでもティオの側にいてやりたかった。
ベッドに眠るティオは、規則正しい呼吸を繰り返している。その姿を見ていると、本当にただ眠っているようにしか見えない。
しかし、その呼吸は、今やいつ止まってしまってもおかしくはないのだ。
「……」
トキも、セシリアも、何も言えなかった。今は何を口にしても、陳腐で無意味になってしまう気がした。
「……せめて、アンタは何か食え。今作ってくる」
やっとトキの口から出たのは、セシリアを気遣うそんな言葉。ティオがどうなるか解らない今、セシリアだけが、唯一のトキの支えだった。
「駄目、トキさんも……」
「俺は、いい。……食欲がないんだ」
「……」
当然セシリアもまたトキを案じるが、力無くそう言い返されてしまえばそれ以上を言うのは憚られ。ふらりと部屋を去るトキを、ただ見送る事しか出来なかった。
「……クゥン……」
「プギ……」
己の無力さに項垂れるセシリアに、アデルとステラ、もう二匹の二人の家族が寄り添う。その優しさに泣きそうになりながら、セシリアは、そっと二匹を抱き締めた。
「私は……何も、トキさんの力になれないの……?」
彼女の嘆きに応えるものは、誰も、何も、いはしなかった。
あり合わせのものでスープを何とか作り上げ、トキは深く息を吐く。
セシリアが、自分の事を心配しているのは解っていた。しかし本当に今は、何も喉を通りそうにないのだ。
セシリアと再会するまで、ティオはトキのただ一つの生きる希望だった。
自分の残りの人生は、ティオの為だけにあるのだと思っていた。母親を求める彼の為に、望まぬ結婚をしようと考えた事すらある。
セシリアと共に生きるようになった今でも、トキの人生の半分は、変わらずティオの為にあった。
そのティオが、今、短い生を終えようとしている。それなのに、自分は何もしてやれない。
ティオの為なら死んでもいいと、そう思っていた筈なのに。
「畜生……どこまで無力なんだよ、俺は……!」
溢れた涙がひとしずく、温かなスープの中に落ちて溶けた。今はもういない師が見れば、相変わらず泣き虫だと呆れただろうか。
(……マドック……こんな時、アンタならどうした? アンタなら……)
思い出の中の師に、トキは問いを投げかける。答えが返る筈もないと、そう解っていても。
「……飯、冷めちまうな……」
涙を拭い、人数分のスープを器に盛る。せめてセシリア達だけでも、元気でいて貰わなければ。
「セシリア、待たせた。冷めないうちに……」
これ以上心配をかけないようにと、無理矢理気を奮い立たせてティオの眠る部屋へと戻るトキだったが――部屋に入った瞬間、彼は言葉を失った。
彼が見たものは、眠り続けるティオ。そしてそれに寄り添い眠る、一人と二匹。
それは一見、とても穏やかな光景。だがそれを見た瞬間、トキの全身からぶわりと冷たい汗が噴き出した。
「おい……何寝てんだよ、セシリア。……起きろよ」
震える手で、セシリアの肩を揺する。しかし、その翠色の瞳が開く気配は一向にない。
「起きろって……おい! セシリア! アデル! ステラ! 誰でもいい! 返事をしてくれ! 今すぐ目を覚ましてくれ……!」
順番に、代わる代わる、全員の体を揺する。それでも、誰も、トキに応えてくれるものはいない。
「……そんな……嘘だろ……?」
からり、と落ちた器から、湯気を立てたスープが零れ、床に染みを作った。
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